5 どうやら私は、かなり珍しい存在らしい
「……話します。私が、ここへ来るまでのことを」
そう言ったものの、いざ説明しようとすると、どこから話せばいいのか分からない。
日本で生まれて五十五年間生きてきたこと? 夫を亡くしたこと? 事故に遭って死んだこと? それとも、死んだあと女神様に会ったところから?
(いやぁ……どこから話しても絶対怪しいよね)
黙り込んでしまった私を、ローグ様とグレンジャー様は急かすことなく待ってくれている。
「えっと……最初に言っておきますけど、本当に信じられない話だと思います」
「構わない」
ローグ様が静かに頷いた。
「あなたが森で現れた時点で、すでに通常では考えられないことが起きている。聞いてから判断する」
「……分かりました」
私は一度大きく息を吸ってから、ゆっくり話し始めた。
「私は、この世界とは違う場所から来ました。日本という国です」
「ニホン……」
ローグ様が聞き慣れない言葉を確かめるように繰り返す。
「はい。そこには魔法も魔物もいません。少なくとも、私は五十五年間生きてきて一度も見たことがありませんでした」
「……五十五?」
グレンジャー様が聞き返した。
「はい」
「あなたが?」
「そうです」
「五十五歳?」
「そうですけど?」
二人が黙った。
(何よ、その顔)
「本当に五十五歳だったんですよ。今はこんなですけど」
自分の顔を指差すと、グレンジャー様がまじまじと私を見る。
「どう見ても二十歳前後ですが」
「私もびっくりしましたよ。朝起きたら若返ってるんですもん。シワもないし、腰も痛くないし、老眼までなくなってて」
「ロウガン?」
「あぁ、そこは気にしないでください」
ローグ様が眉間を押さえている。
「つまり……今の身体は、以前のものではない?」
「そうみたいです」
「そうみたい、というのは?」
「女神様が用意してくれたらしいので」
また、二人が黙った。
「……女神?」
ローグ様の声が少し低くなった。
「はい」
「今、女神と言ったか?」
「言いました」
「会ったのか?」
「会いましたよ」
「どこで?」
「死んだあとです」
「…………」
「だから最初に、信じられない話ですよって言ったじゃないですか」
グレンジャー様が片手で口元を覆っている。笑っているわけではなさそうだけれど、かなり困惑しているようだった。
「ミキさん」
「はい」
「あなたは……亡くなったのですか?」
今度はとても慎重に聞かれた。
「はい」
口にすると、やっぱり不思議な感じがする。
「車を運転している時に、大きな……えっと、馬車よりずっと大きな乗り物が突っ込んできて。その時に死んだと思います」
「思います?」
「だって、死んだあとのことなんて確認できないでしょう?」
「……確かに」
「気づいたら真っ白な場所にいて、女神様がいたんです。それで『あなたにはもう一度生きてもらいます』って」
そこから私は、女神様との会話をできるだけ思い出しながら二人に説明した。
違う世界で新しい人生を送ること。
言葉や文字が分かるようにしてくれたこと。
若い身体を用意してくれたこと。
そして……
「……『少しおまけもつけておきますね』って言われました」
「おまけ?」
ローグ様が眉を寄せる。
「はい」
「それは何だ?」
「知りません」
「……知らない?」
「聞いたんですよ? ちゃんと…。でも『向こうへ行ってからのお楽しみ』って」
ローグ様が無言になる。
「しかも最後に『少しやりすぎたかもしれません』って言ってました」
「……」
「だから私も困ってるんです」
グレンジャー様が小さく息を吐いた。
「その“おまけ”が、昨日の白い光である可能性は?」
「私もそう思ったんですけど……それだけなのかどうかも分からなくて」
「女神から他に何か言われなかったか?」
ローグ様に尋ねられ、私は少し迷った。
言うべきなのかな。でも、ここまで話したんだし……
「……私、本当はこの世界に生まれるはずだったらしいです」
今まで以上に、二人の表情が変わった。
「何?」
「女神様がそう言ってました。『あなたは本来、あの世界に生まれるはずだった魂です』って」
ローグ様とグレンジャー様が顔を見合わせる。
「それ以上は?」
「聞きましたよ。でも教えてくれませんでした。必要な時が来れば分かるって」
「……そうか」
ローグ様が何かを考え込む。
「あのぉ……」
「なんだ?」
「そんなに変な話です?」
「十分変だ」
「ですよねぇ」
自分でもそう思う。
「でも、嘘はついてませんからね」
「ああ」
ローグ様は意外にもすぐ頷いた。
「少なくとも、私はそう考えている」
「信じてくれるんですか?」
「すべてを理解したわけではない。だが、あなたが嘘をついているとは思わない」
その言葉に、思っていた以上にほっとした。
知らない世界に一人で来て、自分でも理解できないことばかり起きている。そんな中で「信じる」と言ってもらえたことが、すごく嬉しかった。
「ありがとうございます」
自然と笑顔になる。
すると、なぜかローグ様が一瞬黙って私を見たあと、ふいっと横を向いた。
(……ん?)
「ローグ様?」
「何でもない」
「そうですか?」
横を見ると、グレンジャー様まで口元を手で隠している。
(何なの?)
「グレンジャー様?」
「……いえ。何でもありません」
「二人とも変ですよ?」
「気にしないでください」
気になるんですけど?
でも、それ以上聞いても答えてくれそうにないので諦めた。しばらく考え込んでいたローグ様は、やがて椅子から立ち上がった。
「ミキには、しばらくこの城に滞在してもらう」
「え?」
「身元も分からず、この国の常識も知らない状態で外へ出すわけにはいかない。それに、昨日の力についても調べる必要がある」
「それって……ここに置いてもらえるってことですか?」
「ああ」
「本当に?」
思わず身を乗り出した。
「だって私、お金も持ってないし、この国で仕事もないし、知ってる人も一人もいないんですよ?」
「だからだ」
「……良かったぁ」
思わず胸を撫で下ろした。
正直、一番心配していたのはそこだった。
異世界転生って聞くと夢があるけれど、実際に来てみたら住所不定無職である。
しかも無一文………
(危うく異世界一日目からホームレスだったよ……)
「ただし」
ローグ様が言う。
「いくつか約束してもらう」
「はい」
「まず、一人で城の外へ出ないこと」
「はい」
「城内でも、案内なしに勝手に歩き回らない」
「……はい」
「昨日のような力を、自分の判断で使わない」
「それは私も怖いので使いません」
「それから」
ローグ様が私を真っ直ぐ見る。
「体調に少しでも異変があれば、すぐにベルンへ知らせること」
「大丈夫ですよ。今は元気ですし」
「ミキさん」
すぐ横からグレンジャー様の声が飛んできた。
「はい?」
「先ほど私が何と言ったか、もう忘れましたか?」
「……我慢しない」
「それから?」
「無理しない」
「よろしい」
(子供じゃないんだけどなぁ)
でも、なんだか懐かしい。
誰かに「無理するな」と言われることなんて、いつぶりだろう。前の人生では、私が周りに言う側だった。
大丈夫?無理しないで
休んでいいよ
そんな言葉をかけることはあっても、自分が言われることはほとんどなかった気がする。
「……分かりました」
今度はちゃんと頷いた。
「約束します」
ローグ様はそれで納得したらしく、「ならいい」と小さく頷いた。
*
その日の午後……
体調に問題がないとグレンジャー様から許可が出たので、私はベッドから出ることになった。
すると
「失礼いたします」
部屋へ入ってきたのは、朝に会った栗色の髪の女性だった。その後ろには、さらに三人の女性がいる。
「改めてご挨拶させていただきます。わたくしは王城の侍女長を務めております、マルガレーテ・ローゼンと申します」
「侍女長……」
「はい。ミキ様がこちらでお過ごしになる間、身の回りのお世話をさせていただきます」
「ミキ様!?」
思わず声がひっくり返った。
マルガレーテさんが目を瞬かせる。
「どうかなさいましたか?」
「いやいやいや、様はいらないです! 普通にミキでお願いします」
「そういうわけにはまいりません」
「どうして?」
「ローグ様より、大切なお客様としてお迎えするよう申し付かっておりますので」
「大切なお客様って……」
困る。ものすごく困る。
五十五年間、普通の庶民として生きてきた人間に、突然「様」をつけないでほしい。
(落ち着かないよぉ……)
そんな私を見て、後ろにいた若い女性が少しだけ笑った。
「あ」
すぐに口元を押さえる。
「申し訳ございません!」
「全然いいですよ。むしろ普通にしてもらった方が助かります」
「ミキ様」
マルガレーテさんが静かに名前を呼ぶ。
「……はい」
なぜだろう。この人には逆らわない方がいい気がする。
「こちらが、ミキ様付きの侍女となるエミリア・フローレンスです」
「よろしくお願いいたします」
明るい茶色の髪の女性が、綺麗にお辞儀をする。
「こちらはリゼット・ベルナール」
「よろしくお願いいたします、ミキ様」
落ち着いた雰囲気の女性が続く。
「そして、こちらが見習い侍女のニーナ・エルベです」
「ニ、ニーナです! よろしくお願いいたします!」
一番若そうな女の子が、勢いよく頭を下げた。
可愛い…十代後半くらいかな。
「こちらこそよろしくお願いします。分からないことばっかりなので、色々教えてください」
そう言って私も頭を下げる。すると、四人が固まった。
「……?」
まただ……
「どうしました?」
誰も答えない。
「私、何かしました?」
マルガレーテさんだけが、いつもの穏やかな笑顔を崩さず首を横に振った。
「いいえ。何も問題ございません」
「そうですか?」
「はい」
後ろを見ると、エミリアさんがものすごく嬉しそうな顔をしていて、ニーナちゃんまで頬を赤くしている。
(絶対何かあると思うんだけど……)
どうやらこの世界では、私が普通だと思ってやっていることが、時々普通ではないらしい。その後は、マルガレーテさんたちに部屋の説明をしてもらった。
寝室の隣には小さな居間があり、その奥には浴室まである。しかも、
「こちらがミキ様専用の浴室でございます」
「お風呂!」
思わず声が大きくなった。
「はい」
「毎日入っていいんですか?」
「もちろんでございます」
「良かったぁ!」
異世界へ来て一番安心したかもしれない。
「私、お風呂大好きなんです」
そう言うと、ニーナちゃんがくすっと笑った。
「良かったですね、ミキ様」
「うん!」
「……あ、すみません」
ニーナちゃんが慌てて姿勢を正す。
「なんで謝るの?」
「その……つい」
「いいのよ。普通に話してくれた方が私も嬉しいし」
「ですが……」
ニーナちゃんがマルガレーテさんを見る。
「節度を守るのであれば、ミキ様がお望みのように」
「はい!」
嬉しそうな返事。
(可愛いなぁ)
なんだか娘を思い出す。
胸が少しだけきゅっとしたけれど、不思議と悲しいだけではなかった。あの子も今頃、頑張っているかな。
私も…こっちで頑張らないとね。
「ところでミキ様」
エミリアさんが声をかけてきた。
「はい?」
「明日から、この国について少しずつご説明させていただく予定になっております」
「助かります。私、本当に何にも知らないので」
「文字の読み書きについても確認させていただきますね」
「あ、それは女神様が読めるようにしてくれたらしいんです」
「……女神様?」
しまった。
普通に言っちゃった。
「えっと……その話はローグ様に聞いてください」
「かしこまりました」
エミリアさんは素直に頷いたけれど。
絶対気になってる顔だ。
(そりゃ気になるよねぇ)
夕方になる頃には、朝の不安が嘘みたいに少し気持ちが落ち着いていた。
知らない世界
知らない国
知らない人ばかり…
それなのに、ローグ様もグレンジャー様も、マルガレーテさんたちも、私を追い出すどころか当たり前のように受け入れてくれた。
「ありがたいなぁ……」
窓辺に立ち、夕暮れに染まる景色を眺める。
遠くには大きな街が広がっていた。
あれが王都なのかな。いつか行ってみたい。
そんなことを考えていると、扉の外が少し騒がしくなった。
「失礼いたします」
マルガレーテさんが入ってくる。
「どうしました?」
「ローグ様がお見えです」
「あ、はい」
「それと」
なぜか一瞬、マルガレーテさんの口元が少しだけ緩んだような気がした。
「ミキ様の護衛を担当される方をお連れになっております」
「護衛?」
「はい」
「私に?」
「さようでございます」
「いやいや、いらないですよ」
思わず笑った。
「城の中にいるだけでしょう? 一人で大丈夫ですって」
「ミキ様」
「はい」
「ローグ様とのお約束をお忘れですか?」
「……一人で勝手に動かない」
「はい」
「でも護衛までつけなくても……」
言い終わる前に、扉が開いた。最初に入ってきたのはローグ様。そして、その後ろから一人の男性が部屋へ入ってきた。
「……」
思わず見上げる。高い……
ローグ様も背は高いけれど、その人はさらに大きく見えた。
銀色の髪
鍛えられた身体
騎士服の上からでも分かる広い肩
そして、こちらを真っ直ぐ見つめる深い蒼色の瞳
(……え?)
その人が私の前まで来る。
すっと背筋を伸ばし、胸元へ手を当てた。
そして、低く落ち着いた声で告げる。
「王国近衛騎士団〈白銀の獅子〉副団長を務めています、レオンハルト・ヴァイスです」
「……」
「この度、ミキ様の護衛をさせていただくことになりました。よろしくお願いいたします」
(出た!!)
まただよーー!
背が高くてムキムキの上腕二頭筋で、しかも……
(イケメンだよーー!!)
なんなの、この国ってイケメンしかいないわけ!?
私、こう言ってはなんですけど、五十五年間生きてきてこんなイケメンに囲まれたこと一回もないんですけどーー!!
目の前の騎士を見上げながら私は異世界へ来てから何度目か分からない衝撃を受けていた。




