4 目覚めたら知らない場所でした
「……ん……」
ふわりと柔らかなものに包まれている。温かくて、いい匂いがした。
(……布団?)
ぼんやりした頭で目を開けると、見知らぬ天井が目に入った。
「……どこ?」
身体を起こす。大きな窓から朝の光が差し込み、その下には小さなテーブルと椅子が置かれていた。私が寝ているのは、かなり立派なベッドだ。
「ホテル……?」
いや、違う。石造りの壁には繊細な彫刻が施され、家具も映画に出てきそうなアンティーク調。壁際には暖炉まである。こんな部屋、日本のホテルでは見たことがない。
そこでようやく、昨日の記憶が戻ってきた。
女神様、異世界、森、魔物、白い光、そして――騎士
「そうだった……」
私、異世界に来たんだった。夢ではないことを確かめるように両手を見つめ、頬を軽くつねる。
「痛っ」
若い手。痛みのある頬。
「……夢じゃないね」
死んで異世界へ来ている時点で、何をもって現実と呼べばいいのか分からないけれど。
ふと、自分の身体に目を落とす。昨日着ていた服ではなく、柔らかな白い寝間着のようなものを着せられていた。
「……誰が着替えさせたの?」
その瞬間、扉が叩かれた。
――コンコン
「はい!」
反射的に返事をすると、扉が開き、一人の女性が入ってきた。
「まあ!」
私と目が合った途端、女性はぱっと表情を明るくした。四十代くらいだろうか。落ち着いた栗色の髪をきっちりまとめ、濃紺の上品な服を身につけている。
「お目覚めになられたのですね。お加減はいかがですか?」
「えっと……大丈夫だと思います」
頭痛もないし身体も重くない。むしろ元気だった。
「昨日は森で倒れられたと伺っておりますので、念のため先生をお呼びいたしますね」
「先生?」
「医師でございます」
「あ、はい。お願いします」
女性が部屋を出ようとしたので、慌てて呼び止める。
「あの!」
「はい?」
「ここ……どこですか?」
女性は少し驚いたような顔をしたが、すぐに納得したように頷いた。
「ああ……そうでしたね。まだ何もご存じではありませんものね。ここは、アルヴェリア王国の王城でございます」
「…………」
王城……
「おう……じょう?」
「はい」
「お城?」
「さようでございます」
森で倒れて、騎士に拾われて、目覚めたら王城。展開が早すぎない?
「どうして私がお城に……?」
「昨日、王都近郊の森で巡回中だった騎士団の方々が、あなた様を保護されたそうです」
「そうなんですね……」
やっぱり、あの人たちは騎士だったんだ。
「それで、念のためこちらへ?」
「……はい」
女性の返事に、ほんの一瞬だけ間があった。気にはなったものの、今はそれどころではない。
「助けていただいた方にも、お礼を言わないと」
「その機会もございますでしょう。まずは、お身体を診ていただきましょう」
「はい」
女性が部屋を出ていく。その背中を見送りながら、私は大きく息を吐いた。
「王城かぁ……」
異世界、魔法、魔物、騎士、王城……
「……本当にファンタジーじゃない」
これからどうなるのだろう。住むところも、お金も、仕事もない。家族も知り合いもいない。昨日は生き残ることで精一杯だったけれど、落ち着いて考えれば、私は完全に無一文だ。
「女神様……そこまで面倒見てくれないの?」
天井を見上げても、返事はなかった。
*
しばらくすると、再び扉が開いた。
「失礼します」
今度は男性の声だった。
入ってきたのは、白い上着を身につけた男性。三十代くらいで、柔らかな茶色の髪に、少し垂れた優しそうな目をしている。細身だが背は高く、いかにも穏やかな雰囲気だった。
(……イケメンだ)
異世界に来て最初にまともに話す男性がイケメンって、どういうこと?
「初めまして。私はベルン・グレンジャー。王城で医師をしております」
「……あ、はい!」
慌てて頭を下げる。
「坂元水姫です。よろしくお願いします」
「サカモト……ミキ?」
「あ」
こちらにも名字と名前があるのか分からない。私は少し考えてから答えた。
「ミキが名前です」
「では、ミキさんとお呼びしても?」
「もちろんです」
「ありがとうございます。ではミキさん、少し診察させてください」
「はい」
グレンジャー様は私の向かいに椅子を置いて座った。
「頭痛は?」
「ありません」
「吐き気は?」
「ないです」
「身体に痛むところは?」
「特には……」
「昨日倒れた時のことは覚えていますか?」
「はい。森で騎士の方たちに会って……そのあと急に力が抜けて」
「その前は?」
「……その前?」
グレンジャー様の目が、わずかに真剣になる。
「森で何をされていました?」
魔物のこと…白い光のこと…話していいのだろうか。
「えっと……」
迷っていると、グレンジャー様は私の表情を見て、穏やかに微笑んだ。
「無理に話さなくても大丈夫ですよ。今は身体を休めることの方が大切です。話せる時に話してください」
「ありがとうございます」
張りつめていたものが、少し緩んだ。
「ただし、何か身体に異変があれば、どんな小さなことでも必ず言ってください。我慢もしないこと。無理もしない。分かりましたか?」
「……はい」
初対面なのに、ずいぶん念を押されている。
(お医者さんって、どこの世界でも同じなのかな)
そんなことを考えていると、グレンジャー様が私の手首に指を当てた。脈を診ているらしい。そのまま目を閉じると、指先から淡い緑色の光が広がった。
「えっ!」
思わず手を引きそうになる。
「ああ、すみません。驚かせましたね」
「今、光りましたよね!?」
「はい」
「手が!」
「診察魔法です」
「……魔法!」
思わず身を乗り出す。
「本当に魔法なんですね!?」
「……本当に?」
グレンジャー様が不思議そうな顔をした。
……しまった。この世界では当たり前なのだ。
「いえ、その……私のいたところでは、こういうのはなかったので」
「あなたのいたところ?」
「あ……」
余計なことを言った。けれど、ここまで来て嘘をついても仕方がない。
「あの……信じてもらえないと思うんですけど、私、この国の人間じゃないです」
「それは分かります」
「分かるんですか?」
「髪も瞳も、この辺りでは見たことがありませんから。それに、あなたから感じる魔力も、私が知るものとは少し違います」
「……魔力?」
「はい」
「私に?」
「ありますよ」
「……聞いてない」
「はい?」
「いえ、なんでもありません」
女神様………やっぱり説明不足です。
*
診察が終わりかけた頃、扉が叩かれた。
――コンコン
「入れ」
なぜかグレンジャー様が返事をする。
扉が開き、低く落ち着いた声が響いた。
「失礼する」
入ってきた男性を見て、私は再び固まった。
背が高く、肩幅もある。黒に近い濃紺の髪を後ろへ流し、鋭さのある金色の瞳をしていた。グレンジャー様とはまったく違うタイプだが、こちらも間違いなくイケメンだった。
(こっちもイケメンなんですけどーー!)
何なの、この国。イケメン率が高すぎない? 私、五十五年間生きてきて、こんな人たちに囲まれたことないんですけどーー。
「ミキさん、大丈夫ですか?」
「はい!大丈夫です…」
グレンジャー様に呼ばれ、慌てて姿勢を正す。入ってきた男性が、ほんの少し眉を上げた。
絶対、変な人だと思われた。
「彼はエドワード・ローグ。この国の王国魔法師団を預かっている者です」
「魔法師団……」
すごい肩書きが出てきた。
男性――ローグ様が私を見る。
「エドワード・ローグだ」
「あ、坂元水姫です。ミキが名前です」
「ミキ」
「はい」
ローグ様は私の名前を確かめるように繰り返したあと、少し黙った。
「体調は?」
「大丈夫です」
すると、グレンジャー様がすぐ横から口を挟んだ。
「今のところは、だ」
「ベルン」
「魔力の乱れがある」
「……どの程度だ?」
「判断できない」
二人の雰囲気が変わった。私は交互に顔を見る。
「あの……」
「心配しなくていい」
ローグ様が言う。
「いや、そう言われると余計心配なんですけど」
一瞬、ローグ様が黙り、隣でグレンジャー様が吹き出した。
「……ベルン」
「すまない」
全然すまなそうではない。
「ミキ」
ローグ様が改めて私を見る。
「少し聞きたいことがある」
「はい」
「昨日、君が発見される直前、森で強い魔力反応が確認された。それとほぼ同時に、周辺にいた魔物の気配が消えている。何か知っているか?」
心臓が跳ねた。やっぱり、あの光のことだ。
助けてもらった人たちに隠し続けるのも違う気がして、私は小さく頷いた。
「……見ました」
「何を?」
「魔物を」
ローグ様の表情が変わる。
「襲われたのか?」
「はい」
「怪我は?」
「してません」
「どうやって逃げた?」
「それが……」
私は自分の両手を見た。
「逃げてないんです」
「どういう意味だ?」
「私にも分からないんですけど……怖くて、死にたくないって思って、来ないでと手を出したら、光が出ました」
「光?」
「白い光です」
ローグ様とグレンジャー様が顔を見合わせる。
「それで?」
「魔物が……消えました」
「倒したのではなく?」
「消えたんです」
「死骸は?」
「残ってません」
部屋が静まり返った。ローグ様の顔から、さっきまでのわずかな余裕が消えている。
「ミキ。その力について、何か知っているか?」
「全然」
私は即答した。
「昨日まで魔法のない世界にいたんですよ?」
「……魔法のない世界?」
しまった。また言ってしまった。
私は小さく息を吐く。
「多分……最初から説明した方がいいですよね」
ローグ様とグレンジャー様が黙って私を見る。
「ものすごく信じられない話になると思いますけど」
「構わない」
ローグ様が答えた。
「聞こう」
「……分かりました」
私は膝の上で手を握った。
どこまで話す? 日本のこと?事故のこと?女神様のこと?そして――本来この世界に生まれるはずだった魂のこと……
そこまで話していいのだろうか。
考えていると、窓の外で小さな羽音がした。
――ぱさっ。
振り向くと、窓辺に一羽の白い鳥が止まっていた。
「あ……」
昨日の鳥……
白い鳥と目が合った瞬間、胸の奥がほんのり温かくなる。
『大丈夫』
「……え?」
確かに、声が聞こえた。
「ミキ?」
ローグ様が私を見る。
「どうした?」
「いえ……」
もう一度窓を見る。しかし、そこにはもう何もいなかった。私は胸元にそっと手を置いた。さっきまで怖かったのに、なぜか少しだけ勇気が湧いてくる。
「……話します」
二人を見る。
「私が、ここへ来るまでのことを」
この時の私はまだ知らなかった。
この二人との出会いと、森で放ったあの白い光が、私の二度目の人生を大きく動かしていくことになるなんて……




