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3 異世界に来たみたいです

「……ん」


頬に、冷たいものが触れた。


風?

それから、草の匂い…

鳥の鳴き声と、木々の葉が擦れる音さや


さっきまでいた真っ白な空間とはまるで違う。


「……ここ、どこ?」


ゆっくり目を開けると、最初に飛び込んできたのは、眩しいほどの青空だった。高い木々の隙間から柔らかな光が差し込み、風が吹くたびに葉がさらさらと揺れている。


「森……?」


身体を起こして辺りを見回す。


どこを見ても木、木、木…


少し離れたところには小さな花が咲いていて、見たことのない青い蝶のようなものがふわふわ飛んでいる。


(綺麗…)


……じゃなくて!!


「女神様ぁぁぁ!」


思わず叫んだけど…当然、返事はない。


「本当に放り出したの!?」


異世界へ行くとは聞いた。

聞いたけど…普通さぁ、最初は街とか…

せめて人のいるところじゃないの?


「森のど真ん中って……どうしろっていうのよ」


ため息をつきながら立ち上がろうとして――


「あれ?」


違和感に気づいた。


身体が軽い。ものすごく軽い。

恐る恐る腰を伸ばしてみる。


痛くない…


膝を曲げてみる。


痛くない……


肩をぐるぐる回してみる。


「……痛くない」


もう一度……

今度は思いきり伸びをする。


「おお……!」


どこも痛くない。寝起きなのに腰も固まってないし、肩も重くない。


「すごい……」


女神様……本当に若くしてくれたんだ。

自分の手を見る。


「うわぁ……」


思わず声が出た。


手が綺麗でシミがない、血管も目立たない。なんなら

は指だって、なんだかほっそりしている。


「本当に二十歳くらいなの?」


慌てて顔に触れる。


頬………

つるつるしてる…


目元……

たぶんシワがない


首……

……たるんでない


「すごっ!」


さっきまでの不安が一瞬で吹き飛んだ。


「鏡! 鏡ないの!?」


もちろん、森の中に鏡なんてあるはずもない。

それでも自分の顔が見たくて、辺りを探してみると、少し先に小さな水辺が見えた。


「水!」


駆け寄って、水面を覗き込む。そして…


「…………誰?」


そこに映っていたのは、私の知っている坂元水姫ではなかった。いや……面影はある……けど、若い頃の自分に似ているような気もする。でも、明らかに違う。


白い肌

大きな瞳

すっと通った鼻筋……

そして何より…


「髪……」


肩からさらりと落ちてきた髪を手に取る。


「水色?」


淡い水色。

光の加減によっては、少し銀色にも見える。

こんな髪、日本では絶対に地毛だと思ってもらえない。しかも腰近くまである。


「長っ!」


水面をもう一度覗き込む。

瞳も以前とは違っていた。


「これ……何色?」


淡い紫?いや、光が入ると薄い青にも見える。


(不思議な色)


「女神様……」


私は水面に映る自分を見ながら呟いた。


「ちょっと美人にしすぎじゃない?」


……いや、ありがたいけど…

ものすごくありがたいけどね。


(これがおまけ?)


まさかね?女神様、「少しやりすぎた」って言ってたし…若返りと美人化だけでそんな言い方しないよね?


「他にも何かあるってことよねぇ……」


嫌な予感がする。

でも、考えていても仕方がない。 とりあえず、人を探そう。そう思って立ち上がった時だった。


――ぱさっ


頭上で羽音がした。


「ん?」


見上げると、木の枝に、一羽の白い鳥が止まっていた。


「わぁ……綺麗」


真っ白な羽。でも、ただ白いだけじゃない。

光を受けるたびに、淡い金色や青色が浮かんで見える。見たことのない鳥だった。


「あなたも異世界の鳥?」


話しかけてみる。当然返事なんて……


『――ミキ』


「え?」


声が聞こえたような気がした。


「……今、誰か呼んだ?」


辺りを見るけど誰もいない。もう一度、木の上を見た。でも、白い鳥はすでにいなくなっていた。


「……気のせい?」


なんとなく胸の奥がざわついた。

光に包まれた時に聞いた羽音を思い出す。

でも、まさか……ね?


「疲れてるのかな」


……うんうん、死んで生まれ変わったばかりなんだから、疲れていてもおかしくないよね。


私は無理やりそう納得して、森の中を歩き始めた。


*


それから、どれくらい歩いただろう。


「……道、ないんですけど」


完全に迷子だった。

右を見ても木…

左を見ても木…

振り返っても木……


「これ、同じところぐるぐる回ってない?」


スマホもない。地図もない。当然、GPSもない。


「異世界、めちゃくちゃ不便……」


喉も渇いてきた。お腹も空いてきた。

さっきまで若返ったことに浮かれていたけれど、だんだん現実が見えてきた。


「私……今日どこで寝るの?」


まさか野宿?

無理無理……虫いるよね?

魔物もいるって言ってたよね?


「女神様ぁ……せめて宿屋の前とかにしてよぉ」


半泣きになりながら歩いていると、前方から何かの音が聞こえた。


ガサッ


「……ん?」


足を止める。


ガサガサッ


茂みが揺れた。


(何?)


人?だったらいいなぁ?


「すみませーん!」


声をかけてみる。


「誰かいますか?」


――グルルルル……。


「…………」


違う。絶対、人じゃない。

ゆっくり後ずさる……

茂みの奥から姿を現したのは、大きな獣だった。

狼に似ているけど、大きい…めちゃくちゃ大きい。


「……犬?」


そんなわけない。肩までの高さが私の腰くらいある。

黒い毛に覆われた身体に鋭い牙、そして額には、黒い角のようなものまで生えている。


「……魔物?」


獣が低く唸る。


「ですよねぇ……」


女神様…言ってた。魔物、いますねって………


「いやいやいや!」


本当に出てくるの早くない!?

異世界生活開始して、まだ一日目なんですけど!

魔物が一歩近づく。

私は一歩下がる。


「ちょっと待ってね」


さらに一歩下がる。


「私、美味しくないよ?」


グルルルル……


「五十五年分の魂入ってるし!」


関係ない。


「ほら! もっと若くて美味しそうな――って、若返ってるんだった!」


自分で言って絶望した。

次の瞬間、魔物が地面を蹴った。


「きゃあっ!」


身体が勝手に動いた。横へ飛ぶ。

鋭い爪が、さっきまで私が立っていた場所を抉った。


「嘘でしょ!」


怖い。本当に死ぬ。せっかく生き返ったのに。

異世界に来て数時間でまた死ぬの!?


「嫌!」


必死に走る。でも相手は獣、勝てるわけがない。

すぐ後ろから足音が迫ってくる。


(どうしよう!)


剣なんてない。

魔法の使い方も知らない。

というか、私に魔法が使えるなんて聞いてない。


「女神様! 説明不足にもほどがあるって!」


叫びながら走った、その時…木の根に足を取られた。


「きゃっ!」


派手に転ぶ。振り返ると魔物が目の前まで迫っていた。


「……っ!」


逃げられない。魔物が飛びかかってくる。

怖い…嫌だ…死にたくない。

今度こそ、今度こそ、幸せになりたいのに…

反射的に両手を前へ出した。


「来ないでぇぇぇ!!」


その瞬間!!胸の奥で何かが弾けた。


――光。


眩しいほどの白い光が、私の身体から一気に溢れ出した。


「え……?」


音が消える。


風も…


鳥の声も…


魔物の唸り声さえも…


まるで世界そのものが、一瞬だけ止まったようだった。そして、私に飛びかかっていたはずの魔物が、空中で止まっている。


その身体を、白い光が包み込んでいた。


「何……これ……」


怖いはずなのに…不思議と、その光は怖くなかった。

温かい。どこか懐かしい。

女神様から光を受け取った時と同じ感覚。


いや?違う…これは……


(私の……中から?)


そう思った瞬間!!光が強くなった。

魔物の身体が、白い粒子へと変わっていく。


「え……?」


黒い毛が…牙が……角が………

光の中へ溶けるように消えていく。そして最後には、

何も残らなかった。


「…………」


静寂が戻る。


「……消えた?」


目の前には何もない。


「私が……やったの?」


自分の手を見る。何も変わっていない。


「いやいやいや、おかしいって」


「私、魔法の使い方なんて知らないよ?」


それなのに、確かに私の中から光が出た。

そして、魔物が消えた。


「……女神様」


私は空を見上げた。


「これがおまけ!?」


当然、返事はない。


「少しじゃないでしょぉぉぉ!」


森の中に、私の叫び声だけが響いた。


*


「……どうしよう」


しばらくその場から動けなかった。魔物がいた場所を見つめる。倒した、という感じではない。

血もないし身体も残っていない。


ただ、消えた。


「私……何したの?」


怖くなって、自分の手を握りしめる。

もし…人に向けたら?そんな考えが浮かんだ瞬間、背筋が冷たくなった。


「……使っちゃ駄目だ」


何なのか分かるまでは、絶対に……


その時だった。遠くから何かが聞こえた。

馬の蹄のような音…それも一頭じゃない。何頭も……


「……人?」


耳を澄ませる。


ガチャガチャと金属が擦れるような音もする。

誰かがこちらへ向かっている。


「助かった……!」


そう思ったのも束の間。別の不安が湧いてきた。


(待って)


ここ、異世界だよね?

来る人がいい人とは限らない。

盗賊とかだったらどうする?

さっき魔物を消した力だって、見られたらまずいんじゃない?


「どうしよう……」


逃げる?でも、どこへ?

迷っている間にも、音はどんどん近づいてくる。

そして……


「――いたぞ!」


男の人の声がした。


「え?」


茂みの向こうから、数人の男性が姿を現した。

全員、揃いの服を着ている。その上から銀色の防具を身につけ、腰には剣。


(騎士!?)


本物だ!!コスプレじゃない。本物の剣、本物の鎧。

その先頭にいた男性が私を見て、大きく目を見開いた。


「女性……?」

「……こんにちは」


とりあえず挨拶した。こういう時こそ挨拶は大事だよね。すると……全員が固まった。


(え?)


何?私、何かおかしい?


「あの……」


一歩近づこうとした、その瞬間…急に身体から力が抜けた。


「……あれ?」


視界が揺れる。


「おい!」


誰かの声が聞こえた。倒れる……そう思ったけれど

地面にぶつかる直前、誰かの腕が私の身体を受け止めた。


「大丈夫か!?」


男の人の声。でも、顔がよく見えない。


「……すみません」


なんとかそれだけ言う。


「ちょっと……疲れたみたいで……」


そう言った瞬間、意識が遠くなる。


(また寝るの、私……)


せっかく異世界に来たのに、起きてから寝てばっかりじゃない?


そんな、どうでもいいことを考えながら。

私は目を閉じた。


*


「隊長」


ミキを抱き留めた騎士の一人が、険しい表情で周囲を見回した。


「先ほどの光は、やはりこの辺りからです」

「ああ」

「しかし……魔物の死骸がありません」

「分かっている」


隊長と呼ばれた男は、腕の中で眠る女性へ視線を落とした。


淡い水色の髪

見たことのない色の瞳


そして…彼女の身体には、ほんのわずかに白い光の残滓が漂っていた。


「この女性が……?」

「分からん」


男は慎重に答えた。


「だが、このままここへ置いてはいけない」

「では?」

「連れて戻る」


男はミキを抱き上げた。

その時、誰にも気づかれないほど高い木の上で一羽の白い鳥が静かに翼を広げた。

そして……騎士たちが去っていく方向を見つめるとその後を追うように音もなく空へ舞い上がった。


――見つけた


そんな声が森の風の中へ、静かに溶けていった。





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