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29 七百年の鎖

ローグ様たちが待っているという部屋へ向かう途中、私は何度も自分の手の甲を見ていた。


さっき、レオンハルトの指が触れた場所…もちろん、何か跡が残っているわけではない。それなのに、まだそこだけ温かいような気がする。何となく隣を見ると、レオンハルトはいつものように前を向いて歩いていた。銀色の髪も、真面目な横顔も、昨日までと何も変わっていない。


(ずるいなぁ)


こっちは「触れたかったので」なんて言われたことを思い出すだけで、まだ顔が熱くなるのに……


そんなことを考えていると、不意にレオンハルトがこちらを向いた。


「どうしました?」

「え?」

「先ほどから何度かこちらを見ているので」

「見てない!」


反射的に否定すると、レオンハルトが少しだけ眉を上げた。


「……そうですか?」

「見てません」

「三回ほど目が合いましたが」

「数えてたの?」

「いえ」

「じゃあ、何で三回って分かるのよ」


問い返すと、今度はレオンハルトが黙った。

何だろうと思って見ていると、少しだけ視線を逸らして言う。


「……私も見ていたので」

「……」


また、そういうことをさらっと言う。


「レオンハルト」

「はい」

「恋人になってから、ちょっと変わった?」

「私が?」

「うん。前より、いろいろ言うようになった」


以前ならきっと、こんなことは言わなかった。それどころか、私が気づかなければそのまま何もなかった顔をしていただろう。


レオンハルトは少し考えたあと、静かに答えた。


「もう、隠す理由がないからかもしれません」

「隠してたの?」

「かなり」


あまりにも迷いのない即答に、今度は私が驚いた。


「えっ、どのくらい?」

「ミキ」

「何?」

「それは今、聞きますか?」


見ると、耳が少し赤い。


「あ」


思わず笑ってしまう。全部変わったわけじゃないらしい。


「何です?」

「ちょっと安心した」

「何がです?」

「まだちゃんとレオンハルトだなって」

「……それは、どういう意味でしょう」


私は笑いながら歩いた。

いつからだったのか。どれくらい前から隠していたのか。聞きたいことはいっぱいある。でも、それはまた二人の時にゆっくり聞けばいい。


今は、まだ向き合わなければならないことがある。


*


会議室へ入ると、すでにローグ様、グレンジャー様、レイブン様が揃っていた。私が席へ着くと、レオンハルトも自然に隣へ座る。


「おはようございます」

「おはよう、ミキ」


ローグ様が答えたあと、なぜか私とレオンハルトを見比べた。


「……何ですか?」

「いや」

「また?」

「何も言っていないだろう」


そうだったよ…、もうみんな知ってるんだった。

思い出しただけで、またちょっと恥ずかしくなる。

するとレイブン様が、見るからに楽しそうな顔で口を開いた。


「ミキ様、朝食はいかがでしたか?」

「レイブン様」

「はい?」

「その聞き方、絶対普通じゃないですよね?」

「普通ですが?」

「兄上」


隣からレオンハルトの低い声がする。


「朝からやめてください」

「何を?」

「分かっているでしょう」

「さあ」


この兄弟は朝から元気だ。

でも、そのやり取りのおかげで少しだけ緊張が解けた。


「そこまでにしろ」


ローグ様が呆れたように言う。


「今日は話すことが多い」

「はい」


私も姿勢を正す。

すると、今度はグレンジャー様がこちらを見た。


「その前にミキさん、体調は?」

「大丈夫です。朝ごはんもちゃんと食べましたし、眩暈もありません。守護紋も今は出てません」


一気に答えると、グレンジャー様が少し目を丸くした。


「……完璧ですね」

「成長しました」

「自分で言いますか」

「だって最近、みんなそこばっかり聞くから」


部屋に小さな笑いが起きる…けれど、その空気は長く続かなかった。ローグ様が表情を改める。


「セドリックが目を覚ました」


胸の奥が、僅かに冷たくなる。


「いつですか?」

「夜明け前だ」

「状態は?」


ローグ様に促され、グレンジャー様が答えた。


「身体的には安定しています。ただ、かなり衰弱していますね。長い間、あの黒い魔力と共存していた影響だと思われます」

「共存……」


地下で黒い影が言った言葉を思い出す。


『七百年、随分と役に立った』


そして、セドリックの中から黒い何かを引き抜いた。


「赤紫色だった目も?」

「今は淡い紫色です」


やっぱり…、あの赤紫色は、セドリック本来の瞳ではなかったんだ。


「話せるんですか?」

「短時間ならな」


ローグ様はそう答えたあと、少し間を置いて私を見る。


「その前に確認しておきたい。ミキ、お前はセドリックに会いたいか?」


すぐには答えられなかった。


でも、会いたい。なぜなら聞きたいことが山ほどあるからだ。でも、怖くないわけじゃない。

セドリックは私を攫った。エレノアを騙し、大切な人を失った彼女を利用し、守り人の魂を奪おうとした。


黒い影に操られていた……


だからといって、それだけで全部が許されるわけではないと思う。少し考えてから、私は頷いた。


「……会います」


隣にいるレオンハルトの気配が僅かに変わった。

見ると、やっぱり何か言いたそうな顔をしている。


「心配?」

「します」


即答だった。


「でも、止めない?」

「止めません。ただし、私も一緒に行きます。ローグ殿にも同席していただきたい。それから、少しでも異変があればすぐに退出します」

「もちろん」


ローグ様も頷く。それを確認してから、レオンハルトは改めて私を見た。


「なら、反対しません」


以前の彼なら「危険だから駄目だ」と言ったかもしれない。でも、今は違う。一緒に考えて、それでも私が行くと決めたら、隣に立ってくれる。


「ありがとう」


そう言うと、レオンハルトの表情がほんの少し柔らかくなった。


*


「もう一つ見てもらいたいものがある」


ローグ様が、テーブルの上に小さな黒い石を浮かせた。


「これ……」


見覚えがある…

以前セドリックが持っていた、赤黒く光っていた石だ。今は光を失い、ただ真っ黒な石にしか見えない。


「地下から回収した。あの黒い影が潜んでいたものと考えている」

「今は何も入ってないんですか?」

「分からん。魔力反応はほとんどないが、内部に何かが残った痕跡はある」


レイブン様が石をじっと見つめる。


「破壊は?」

「試した。剣も魔法も通らない」

「それはまた厄介ですね」

「現在は王城でも最も強い結界の中に保管している」


聞いているだけで嫌な感じがする。私は無意識に窓の方を見た。


「白い鳥は?」

「昨日から姿を見せていない」


ローグ様が答える。

エレノアが解放されたことと、何か関係があるのだろうか。白い鳥自身がエレノアだったわけではないはずなのに、あれから一度も現れていない。


「もし来たら、聞いてみます」

「ああ。頼む」

「それとミキさん」


今度はグレンジャー様が口を開いた。


「あなた自身についても確認しておきたいことがあります」

「私?」

「地下で、エレノアの力が自分へ戻ったと感じたのですね?」

「はい。白い羽が光になって、胸の中に入ってきました」

「それ以降、何か変化は?」


………考えてみる。

身体は普通だ。守護紋も、今のところ以前と変わらない。


「特には……分かりません」

「昨日の診察でも、魔力量が急激に増えた形跡はありませんでした」

「じゃあ、何を返してくれたんだろう」


エレノアは確かに言った。


『私の力は、もういらない』

『返すね』


でも何を返したのかは分からない。


「記憶でしょうか」


私が聞くと、グレンジャー様は少し考えてから首を横に振った。


「可能性はありますが、そうであれば何か新しい記憶が浮かんでもおかしくありません」

「今のところ、ないです」

「なら、別の何かでしょう」


……また謎が増えたよ。以前の私なら、今すぐ答えが欲しくて焦っていたかもしれない。でも今は、少しだけ待てる。全部を一度に知らなくてもいい。


「何か分かったら教えてください」


そう言うと、ローグ様が微妙な顔をした。


「他人事のように言うな」

「だって、自分では分からないんですもん」

「なら何か変化があれば、すぐ言え」

「はい」


即答すると、なぜか全員が少しだけ満足そうな顔をした。本当に、私ってどれだけ信用なかったんだろう。


*


話を終えて立ち上がろうとした時、会議室の扉が叩かれた。


「ローグ団長」


魔法師団の人だった。


「何だ?」

「セドリック・ノクスが……ミキ様に会わせてほしいと」


部屋の空気が一瞬で変わる。


「私に?」

「はい」

「何て言ってるんですか?」


魔法師は少し言いづらそうに答えた。


「直接、謝りたいと」


………謝る??


その言葉を聞いた途端、胸の中にいろんな気持ちが混ざった。


怒り


怖さ


困惑


そして、ほんの少しの哀れみ……


「それだけ?」

「いえ、『話せる時間が少ない』とも」


ローグ様の表情が変わった。グレンジャー様がすぐに立ち上がる。


「行きましょう。状態を確認します」

「私も行きます」


立ち上がると、レオンハルトも同時に動いた。

けれど、部屋を出る前に彼が私を呼び止めた。


「ミキ」

「何?」

「無理に許す必要はない」


思いがけない言葉に、私は黙った。


「セドリックが何を話しても、何を謝っても、あなたが傷ついた事実までなかったことにする必要はありません。許せないなら、それでもいい。聞きたくなくなったら、途中でも出ましょう」


胸の奥が、少しだけ温かくなる。


「……うん」

「無理はしないと約束して」

「うん。約束する」


少し迷ってから、私は彼へ小さく手を差し出した。


「レオンハルト」

「はい?」

「手……今だけ握ってもいい?」


人がいる。でも、いいよね…ちょっと怖いから…


レオンハルトは驚いたように目を見開いたけれど、すぐに自分の手を差し出してくれた。

その大きな手を握る。……温かい…


「ちょっと怖いけど…でも、行くね」

「はい」

「一緒に来てね」

「もちろん」


握る力が少しだけ強くなる。ローグ様たちも何も言わずに待ってくれている。私は一度深く息を吸った。


「……行こう」

「はい」


今度は自分から手を離した。うん、大丈夫……一人じゃない。


*


セドリックがいるのは、王城の北側に設けられた結界区画だった。


普段ほとんど使われない場所らしく、いくつもの扉を通るたびに魔法師たちが結界を解除していく。


「すごい警戒ですね」


思わず呟くと、ローグ様が前を歩きながら答えた。


「当然だ。黒い影がまだ奴へ接触できる可能性もある」


その言葉で、また少し緊張が戻る。

最後の扉が開いた。中は思っていたより普通の部屋だった。ベッドと椅子、小さな窓。簡素だけれど清潔で、牢屋のような冷たさはない。そして、そのベッドにセドリックがいた。一瞬、別人かと思った。黒い髪も顔立ちも同じなのに、以前感じていた圧迫感がまるでない。赤紫色だった瞳は、今は淡い紫色をしていた。顔色も悪く、身体も以前よりずっと細く見える。


「……守り人」


掠れた声で呼ばれた瞬間、レオンハルトが自然に私の前へ出ようとする。けれど私は、彼の腕へそっと触れた。


「大丈夫」


完全に隠れるのではなく、横へ並ぶ。セドリックがそれを見て、僅かに笑った。


「相変わらずだな……アルノルト」

「私の名はレオンハルトだ」


迷いのない即答だった。セドリックの口元が少しだけ上がる。


「……そうだったな」


その声は以前とは違う。………疲れている。

けれど、皮肉っぽいところは少し残っているらしい。

私は一度息を整えてから、彼を見た。


「セドリック、話があるって聞きました」

「ああ」

「その前に、一つ言っておきます」


淡い紫の瞳が私を見る。


「私は、あなたを許したわけじゃありません」


部屋が静かになった。


「黒い影に操られていたからって、あなたがしたこと全部がなくなるとは思ってない。エレノアを騙したことも、私を攫ったこともです」


声が少し震えた。それでも、止めない。


「だから謝られても、今すぐ『いいですよ』なんて言えません」


セドリックはしばらく黙っていた。やがて、目を伏せたまま静かに言う。


「……それでいい」

「え?」

「むしろ許されれば困る。私は……エレノアを殺した」


……胸が痛む。ローグ様が低い声で尋ねた。


「黒い影に命じられたからか?」

「違う」


セドリックは首を横に振った。


「それだけではない。私は、自分で選んだ」


その言葉は重かった。


「最初は、守り人の力をノクス家のものにすれば、世界を救えると信じていた」

「世界を?」

「あの頃は今より遥かに魔物が多く、瘴気も濃かった。国は何度も滅びかけていた」

「でもエレノアは、国を守ってたんでしょう?」

「守っていた」

「じゃあ、どうして」

「足りないと思った」


その言い方が嫌だった。


「一人の人間の意思に任せておくには、守り人の力は大きすぎる。もっと効率的に、もっと多くを救うためには管理する必要がある。私は本気でそう考えた」

「だから、エレノアから力を奪おうとした」

「そうだ」

「……最低」


自然と出た。けれどセドリックは否定しなかった。


「その通りだ」


その一言に、ほんの少しだけ怒りの行き場を失った。


*


「黒い影は、その頃からいたのか?」


ローグ様が尋ねると、セドリックの表情が変わった。


「もっと前だ」

「どれほど前だ」

「分からない」

「分からない?」

「あれはノクス家が仕えていたものではない。ノクス家そのものを作った存在だ」


部屋の空気が凍った。レイブン様の目が鋭くなる。


「つまり、七百年前よりさらに以前から?」

「ああ」

「目的は?」


セドリックはしばらく黙ったあと、私を見た。


「守り人だ。正確には、その魂」


それは知っている。問題は………


「何のために魂が欲しいの?」


私が尋ねると、セドリックの視線が揺れた。


「扉を開くためだ」


胸が大きく鳴る。


「扉……?」


以前、私自身が「扉になる」という言葉を口にした。

あの時は、どこから知った言葉なのかさえ分からなかった。ローグ様も同じことを思い出したらしい。


「守り人の魂は世界を渡る力を持っている。だから奴は、その力を使って世界同士をつなげようとしているのか?」

「違う」


セドリックが答える。


「つなげるのではない。壊すんだ」

「……何を?」

「世界と世界を隔てる境界そのものを」


背筋が冷たくなった。日本が頭に浮かぶ。


「何のために?」


私が聞くと、セドリックの唇が僅かに震えた。


「帰るためだ」

「帰る?」

「あれは、この世界のものではない」


思わず息を呑んだ。


「じゃあ……私と同じ?」

「違う!」


突然強い声が響き、全員が身構えた。


セドリック自身も驚いたように息を整え、今度は声を落とす。


「……違う。君とは違う」

「どう違うの?」

「君は、本来この世界に戻るはずだった魂だ。けれど、あれはこの世界へ来るはずではなかった」


女神様から聞いたことと同じ…


「じゃあ、元いた世界へ帰りたいの?」


セドリックはゆっくり首を横に振った。


「帰るだけではない」


淡い紫色の瞳に、はっきりと恐怖が浮かぶ。


「境界を壊し、元の世界へ戻ったあと……すべてを喰らうつもりだ」


ぞくりと寒気が走った。その瞬間、胸の奥で白い光が強く脈打った。


「……っ」

「ミキ!」


レオンハルトの手がすぐに私の肩へ触れる。


「大丈夫?」

「うん……痛くない」


ただ……何かを感じた。………遠い…とても遠い場所。

大きな黒い何か…そして――、見られた。

………そう思った。


「……気づかれた」


無意識に口から出る。


「何が?」


ローグ様が尋ねる。


「分からない。でも、今……向こうも私に気づいた気がする」


手が少し震えた。するとレオンハルトの手が、肩から私の手へ移る。しっかり包まれる。


「ここにいます」


低い声を聞いて、それだけで呼吸が少し戻った。


*


突然、窓が大きな音を立てた。全員が振り向く。

白い鳥が窓の外で激しく翼を打っている。


「……来た」


私は窓へ近づこうとしたレオンハルトを止める。


「待って」


白い鳥の様子がいつもと違う。左の翼にある黒い筋が、以前よりはっきりと浮かんでいる。

しかも、その金色の瞳が見ているのは私ではない。


セドリックだった。


「大丈夫そうか?」


レオンハルトが聞く。


「多分」


慎重に窓を開けると、白い鳥はすぐに部屋へ入り、真っ直ぐセドリックのベッドへ降り立った。


「エレノア?」


反射的に呼んでから、違うと気づく。エレノアはもう解放された。すると、


『セドリック』


……声が響いた。今度は私だけではない。部屋にいる全員が聞こえたようだった。セドリックの瞳が大きく見開かれる。


「……お前」


白い鳥は、淡い紫色の瞳をじっと見つめた。


『ようやく、お前自身の目で私を見たな』


私は思わず鳥を見る。


「どういうこと?」


白い鳥がこちらへ向き直る。


『ミキ。私はエレノアの使いではない』


「え?」


ずっと、エレノアと深くつながっている存在だと思っていた。


『私は、最初の守り人と共にこの世界へ来た』


誰も言葉を出せなかった。


最初の守り人


あの地下の壁に言葉を残した人


『次なる守り人へ。どうか、幸せに生きよ』


胸が高鳴る。


「じゃあ……」


聞きたいことが山ほどある。なのに……なぜか最初に出たのは…


「あなた、何歳なの?」


部屋が静まり返った。

レイブン様がそっと顔を逸らし、ローグ様が額へ手を当てる。レオンハルトまで私を見た。


「何?」

「いえ」


白い鳥もしばらく黙っていた。

そして、少し呆れたような声で言う。


『お前は本当に、以前の守り人たちとは違うな』

「それ、褒めてる?」

『半分は』

「半分だけ!?」


隣でレオンハルトが小さく笑った。


「笑わないでよ」

「すみません」


一瞬だけ……本当に一瞬だけ、重苦しかった部屋の空気が和らいだ。


*


けれど白い鳥はすぐにセドリックへ向き直った。


『残された時間は少ない』


ローグ様の表情が険しくなる。


「何の時間だ?」

『境界が壊れるまでだ』

「どれくらい残されている?」

『分からぬ。ただ、守り人が完成したことで、奴もまた動けるようになった』


……完成…


セドリックも同じ言葉を使っていた。


「エレノアの力が戻ったから?」

『それだけではない』

「じゃあ何?」


白い鳥の視線が、私からレオンハルトへ移り、また私へ戻った。


『お前が、自分の人生を選んだからだ』

「……私が?」

『守り人の魂は、力だけでは完成しない。生きることを望み、愛することを選び、誰かを信じ――そして、自分が愛されることを受け入れた時、初めて本来の姿となる』


顔が熱くなった。


待って…!今………全員いるんですけど?


「白い鳥さん」

『何だ』

「そこ、今言う?」

『必要な話だ』


後ろでレイブン様が笑っている。


「レイブン様!」

「申し訳ありません」


絶対思ってない。隣を見ると、レオンハルトまで耳が赤い。でも、握っていた手は離れなかった。

むしろ、ほんの少しだけ強く握られる。それが嬉しくて、私はもう何も言えなくなった。


『だからこそ、奴は今のお前を欲している』


白い鳥の声が再び真剣になる。


『完成した守り人の魂であれば、境界を完全に破壊することができる』


今度は笑えなかった。けれど、隣の手は温かい。


レオンハルトがいる


ローグ様も


グレンジャー様も


レイブン様もいる


私は一度深く息を吸い、白い鳥を見た。


「じゃあ、壊させない方法を教えて」


金色の瞳が僅かに揺れた。


『怖くないのか』

「怖いよ。ものすごく」


即答した。


「でも、私一人じゃないでしょう?」


部屋が静かになった。その静けさの中、握られた手へさらに力が込められる。


「はい」


レオンハルトが静かに答えた。


「一人じゃない」


白い鳥は、しばらく私たちを見つめていた。

やがて翼を畳み、静かに告げる。


『ならば、最初の守り人のもとへ行け』

「……え?」

『彼女が、すべての始まりを残している』

「どこに?」


白い鳥は窓の外へ顔を向けた。


方角は南。


『王国の外……海を越えた先にある、滅びた国――アステリアへ』


聞いたことのない名前だった。

けれど、レイブン様の表情が変わる。


「……アステリア?」

「知ってるんですか?」


尋ねると、レイブン様がゆっくり頷いた。


「名前だけなら。千年以上前に滅びたとされる国です。今では、人が立ち入ってはならない土地として知られています」


また、ものすごく嫌な場所が出てきた。白い鳥は続ける。


『そこに、奴がこの世界へ来た理由も残されている』


いよいよ避けては通れないのだろう。


最初の守り人


黒い影


世界の境界


そして、私自身


『ミキ』


呼ばれ、私は白い鳥を見る。


『次は守るためだけではなく、お前自身が幸せに生きるために真実を知れ』


その言葉を聞いて、少しだけ胸が痛くなった。


守るため


戦うため


ずっと、そればかり考えそうになっていた。でも、


エレノアも


最初の守り人も


何度も私へ言っている。


生きろ


幸せになれ


私はレオンハルトの手を見た。繋がっている。

そして、ふと気づいた。


「……私」

「どうしました?」


レオンハルトがこちらを見る。


「まだ王都にも行ってない」

「……」


一瞬、全員が黙った。


「そうでしたね」


レオンハルトが答える。


「この世界に来てから、王城と森と危ない場所ばっかり」

「確かに」


ローグ様まで頷いた。


「だから」


言ってから少し恥ずかしくなる。でも、今なら言えるかな…


「世界を救いに行く前に、恋人らしいこともしたいな」


レオンハルトの目が大きくなる。

後ろでレイブン様が、明らかに面白そうな顔をした。


「例えば?」


なぜかレオンハルトが聞く。


「私が言うの?」

「……参考までに」


……耳が赤い。思わず笑う。


「デート、とか」

「デート?」

「二人で王都を歩くの。お店を見たり、お茶を飲んだり。そういう普通のこと」


レオンハルトは少しの間黙っていた。

もしかして……困らせた?


「……駄目?」


そう聞くと、すぐに首を横へ振る。


「いいえ」


そして、深い蒼色の瞳が、優しく細められた。


「行きましょう」

「本当?」

「はい」


ほんの少しだけ照れたように笑う。


「今度は、護衛としてではなく」


胸が跳ねた。


「恋人として」

「……うん」


嬉しい。ものすごく…


「約束ね」

「約束です」


世界は危ないし、分からないこともまだたくさんある。でも、それだけの人生は嫌だ。


守るだけじゃなく、好きな人と歩いて、新しいものを見て、美味しいものを食べてそして…笑って…

そういう時間も大切にしたい。

そして、そのためにこそ、生きたいと思った。

窓辺では、白い鳥がそんな私たちを静かに見つめていた。


やがて金色の瞳が、ほんの少し柔らかくなる。


『……今度こそ』


その声は、とても小さかった。


『守り人を、幸せに』


朝の光が、静かに部屋へ差し込んでいた。






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