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26 運命ではなく、あなたを選ぶ

白と黒の光がぶつかった瞬間、地下室そのものが悲鳴を上げたような轟音が響いた。


床が大きく揺れ、天井から石片が降り注ぐ。けれど、それらが私たちへ届くことはなかった。ローグ様が瞬時に展開した銀色の結界が頭上を覆い、落ちてきた石を次々と弾き飛ばしていく。


「ミキ、下がって!」


レオンハルトの声に、私はすぐ頷いた。


少し前までの私なら、きっと「でも」と言っていたと思う。自分も何かしなければ、近くにいなければ、と焦っていたかもしれない。


でも今は分かる。


私には剣を振ることも、ローグ様のような攻撃魔法を使うこともできない。そんな私が無理に前へ出れば、レオンハルトはセドリックと戦いながら私まで庇わなければならなくなる。


だから私は、ローグ様の結界の内側まで下がった。

任せることも、一緒に戦うことの一つなのだ。


「私はここにいるから!」


そう返すと、レオンハルトがほんの一瞬だけこちらを見た。その目に安心したような色が浮かび、すぐにセドリックへ向き直る。


その横にはレイブン様。

そして私の少し前にはローグ様が立っている。

一人じゃない。


その事実を確かめるように胸元へ手を当てると、手のひらの守護紋がふわりと光った。


中心から伸びた深い蒼色の光は、まっすぐレオンハルトへつながっている。


でも――


「……え?」


今までとは違った。

蒼い光のそばに、新しい光が生まれている。


一つは銀色


一つは、風に揺れる水面のような淡い青


細い光はそれぞれ、ローグ様とレイブン様へ向かって伸びていた。


「ローグ様!」

「どうした!」

「私……レオンハルトだけじゃなくて、みんなの魔力が分かるみたい!」


ローグ様が振り返る。


「どういうことだ?」

「上手く説明できないんですけど、どこにいて、どれくらい魔力を使ってるのか……何となく分かるんです。それに、みんながつながってる感じがして」


ローグ様の目が一瞬、私の手のひらへ向いた。

けれど、今は詳しく調べている場合ではない。


「体調は?」

「今のところ大丈夫です。眩暈も痛みもありません」


先回りして答えると、こんな状況なのにローグ様の口元が少しだけ緩んだ。


「随分学習したな」

「そこ褒めるところですか?」

「十分だ。なら、その感覚だけ維持しろ。今は無理に力を流そうとするな」

「分かりました」


自分で全部しようとしない。

私はゆっくり息を吸い、守護紋へ意識を向けた。

その間にも、前方ではレオンハルトとレイブン様が同時にセドリックへ斬り込んでいた。

兄弟なのに、剣の使い方はまるで違う。


レオンハルトの剣は真っ直ぐで鋭く、余計な動きがない。一撃一撃が相手を仕留めるための最短の軌道を描いている。


対してレイブン様は、剣へ風と水の魔法を絡ませ、流れるように立ち位置を変えていく。踏み込むたびに風が起こり、その動きを追おうとすれば水の刃が別方向から襲う。


「右だ、レオンハルト!」

「分かっています!」

「なら避けろ!」

「兄上こそ前を見てください!」


黒い刃が二人の間を走った。


レイブン様が身体を捻ってそれをかわし、その隙を逃さずレオンハルトが一気に間合いを詰める。

けれど、剣がセドリックへ届く寸前、黒い霧が壁のように凝縮した。


――ギィン!


激しい金属音。レオンハルトの剣が弾かれる。


「甘いな」


セドリックが薄く笑い、その指先を僅かに動かした。

その瞬間だった。


レオンハルトの足元に黒い紋様が走る。

嫌な感じ……考えるより先に分かった。


「レオンハルト、下!」


私が叫ぶのと同時に、床から何本もの黒い槍が突き上がった。レオンハルトが身を翻す。

でも一本だけ、避けきれない。


(守って!)


そう願った瞬間、私の守護紋から白い光が迸った。

光は一瞬でレオンハルトのもとへ届き、彼の身体を薄い膜のように包み込む。黒い槍が白い光へ激突し、乾いた音を立てて砕け散った。


「……!」


レオンハルトが振り返る。


「ミキ!」

「こっちは大丈夫! 前見て!」


自分でも驚くほど大きな声が出た。

一瞬、レオンハルトの目が丸くなり、その口元が僅かに上がる。


「ああ!」


すぐに前へ向き直り、再びセドリックへ向かっていく。


(もう……こんな時に笑わないでよ)


でも、ちゃんと届いた。私の力が……守れた。

胸の奥がじんわり熱くなる。


「やはり、そのつながりが邪魔だな」


セドリックの声が響いた。

赤紫色の瞳が、私とレオンハルトを結ぶ蒼い光へ向けられている。


「ならば、先に回路を断つ」

「……え?」


黒い霧が一気に床を這った。

でも、今度の狙いは私自身じゃない。

私とレオンハルトをつなぐ光。そう気づいた瞬間、ローグ様の雷が迸った。


「させるか!」


青白い閃光が黒い霧を撃ち抜き、地下室に焦げた匂いが広がる。黒い魔力が散り、その奥でセドリックが僅かに顔を歪めた。


「ミキ! 守護紋を切らすな!」

「はい!」

「何をされてもレオンハルトとのつながりを意識し続けろ!」


それなら、多分、今の私には一番簡単なことだ。


銀色の髪


深い蒼色の瞳


真面目で、不器用で、私のことになるとすぐ心配性になる人。そして……


『帰ったら、ちゃんと話す』


思い出しただけで、こんな状況なのに胸がきゅっとなる。


「……絶対、一緒に帰るんだから」

「ミキ、何か言ったか?」


ローグ様が聞く。


「何でもありません!」


これだけは……今は秘密。


*


「レイブン殿!」


ローグ様の声が飛ぶ。


「分かっています!」


レイブン様が剣を振り抜いた。

風が渦を巻き、セドリックを覆っていた黒い霧を一気に吹き散らす。その直後、ローグ様の銀色の魔力が周囲へ張り巡らされ、逃げようとする霧を見えない鎖のようにその場へ縫い留めた。


一瞬…ほんの一瞬だけ、セドリックの防御が消える。


「レオンハルト!」


私が呼ぶより先に、彼は動いていた。

石床を蹴り、一直線に踏み込む。剣が銀色の軌跡を描き、セドリックの胸元を斜めに切り裂いた。


「――ッ!」


初めて、セドリックの顔が歪んだ。

けれど傷口から流れ出したのは赤い血ではなかった。


………黒い霧


「……やっぱり」


人間じゃない。改めて、その事実を突きつけられる。

セドリックは裂かれた胸元へ手を置くと、ゆっくりレオンハルトを見た。傷は黒い霧に覆われ、少しずつ塞がっていく。


「素晴らしい」

「何がおかしい」


レオンハルトが剣を構え直した。


「アルノルトも同じ顔をしていた」


その名前に、空気が僅かに変わる。


「守り人を奪おうとする私へ剣を向け、同じように言った。『彼女に触れるな』とな」

「……」


レオンハルトの目が冷たくなる。

セドリックはそれを楽しむように見つめたあと、今度は私へ視線を向けた。


「ミキ、知りたくないか?」

「何を?」

「レオンハルト・ヴァイスが、なぜこれほど君に惹かれたのか…君がなぜ、この世界へ来て間もないうちから彼を信じ、これほど心を許したのか」


胸の奥が、ざわりと揺れた。またその話……


「それは――」

「黙れ」


レオンハルトの声が低く響いた。


「それ以上、ミキへ余計なことを吹き込むな」

「余計?」


セドリックが笑う。


「真実だ」

「レオンハルト」


私は彼の名前を呼んだ。

銀色の髪が揺れ、こちらを振り返る。


「大丈夫」

「でも」

「聞くよ」


少しだけ不安そうな深い蒼色の瞳を見つめ、私は笑った。


「何を言われても、私がレオンハルトを好きな気持ちは変わらないから」


言ってから……


(あ)


また普通に言ってしまった。

しかもローグ様もレイブン様もいる。

でも、今さらだしねーもういいや。


レオンハルトは完全に固まっていた。


「……ミキ」

「今は止まらないで!」

「……分かった」


声が少し掠れている。

後ろでレイブン様が笑った気がしたけれど、聞かなかったことにする。

私はセドリックへ向き直った。


「それで? レオンハルトが何だっていうの?」

「アルノルトと同じ魂だ」


地下室が静まり返った。

思っていたより驚かなかった。多分、心のどこかでは、もうその可能性を考えていたから。


「守り人の魂が再び生まれる時、その守護者の魂もまた引き寄せられる。エレノアとアルノルトが死の間際に願ったからだ」


セドリックの声とともに、頭の奥へ先ほど聞いた言葉が蘇る。


『次があるなら、今度こそ彼女を守れるように』

『次があるなら、今度こそあの人と幸せに』


「つまり」


私はセドリックを見る。


「レオンハルトが私を好きなのも、アルノルトだったからだって言いたいの?」

「そうだ」


あまりにも迷いなく答えられて、胸がほんの少しだけ痛んだ。もし本当に、レオンハルトが私に惹かれたのが、七百年前から決まっていたことだったら?

私が好きになったことも全部、エレノアの気持ちの続きだったら?


「疑ったな」


セドリックの声が、その小さな迷いへ入り込む。


「当然だ。お前たちが自分で選んだと思っている感情など、所詮は七百年前の願いの――」


「違う」


言った。同時に……


「違う」


レオンハルトの声が重なった。目が合う。

たったそれだけで、胸に生まれた小さな痛みが、すっと消えていった。


「……ふふっ」


思わず笑ってしまう。


「何だ」


セドリックが眉を寄せる。


「同じこと言ったから」

「ミキ」


レオンハルトが困ったような声を出す。

でも、もう迷っていなかった。


「確かに、私はエレノアと同じ魂なのかもしれない。エレノアが感じたことが私の中に残っているのかもしれないし、レオンハルトもアルノルトの何かを受け継いでいるのかもしれない」


私はレオンハルトを見る。


「でも、私が好きになったのはアルノルトじゃない」


深い蒼色の瞳


「私が知っているのは、真面目で、すぐ心配して、ちょっとヤキモチ妬きで――」

「ミキ」


今じゃない……そう言いたそうな顔。でも続ける。


「無茶しないって約束したくせに怪我して帰ってきたり、私がちょっとふらつくだけで大騒ぎしたり」

「……」

「でも、いつもちゃんと私のところへ帰ってきてくれる人」


胸の奥が温かい。


「私が好きなのは、レオンハルト」


今度は、はっきり言った。


「今ここにいる、この人だから」


レオンハルトがまた止まった。


「レオンハルト?」

「……すまない」

「だから今は止まらないでって!」

「分かっているが……」


耳が赤い。こんな時なのに……

レイブン様がとうとう小さく吹き出した。


「弟よ、さすがに今のは同情する」

「兄上は黙っていてください!」

「戦いの最中に二度も告白されるとは、なかなかない経験だぞ」

「兄上!」

「二人とも今それやめて!」


私が叫ぶと、ローグ様が額を押さえた。


「お前たち……この状況を忘れていないだろうな?」

「すみません!」


私とレオンハルトの声が、見事に重なった。


ローグ様が呆れた顔をした。

でも、そのほんの僅かな時間もセドリックだけは、まったく笑っていなかった。


*


「くだらない」


低い声が響く。

地下室の温度が一気に下がったように感じた。

セドリックの周囲で、黒い霧が激しく渦を巻き始める。


「魂に刻まれたものから逃れられるとでも思うのか」

「逃げる必要なんてないでしょう?」

「何?」

「エレノアも私の一部、それでいいと思う。アルノルトもレオンハルトの一部ならそれでいい」


壁に残されていた言葉を思い出す。


『過去は、お前を作る一部であり、お前そのものではない』

「一部が全部じゃない」


私は、自分の胸へ手を置いた。


「私は日本で五十五年生きた。そこでいろんな人に出会って、いろんな経験をした。その全部が今の私を作ってる。エレノアだけじゃない」


そして、レオンハルトを見る。


「レオンハルトだって同じでしょう?」


一瞬、深い蒼色の瞳が揺れる。それから…


「ああ」


レオンハルトが静かに答えた。


「俺も選ぶ」


剣を握ったまま、身体だけを僅かにこちらへ向ける。


「何度生まれ変わろうと、過去に誰を愛していようと関係ない。アルノルトが誰を愛したかで、今の俺の気持ちが決まるわけじゃない」


胸が、またうるさくなる。


「今の俺が」


真っ直ぐ私だけを見る。


「ミキを選ぶ」

「……」


もう!!本当にこの人……


「それ……帰ってから言うんじゃなかったの?」


思わず聞いてしまった。

レオンハルトが一瞬、黙った。


「あ」


レイブン様が、楽しそうに声を出す。


「言ったな」

「兄上」

「これはもう、ほぼ正式なのでは?」

「黙ってください!」


顔が赤い。私も絶対赤い。でも、セドリックの赤紫色の瞳だけが、信じられないものを見るように大きく見開かれていた。


「……あり得ない」


その声には、初めてはっきりとした動揺があった。


*


その瞬間だった。

私とレオンハルトを結んでいた蒼い光が、まぶしいほどに強く輝いた。同時に、ローグ様とレイブン様へ伸びていた光まで太くなっていく。


「何だ、これは……」


レイブン様が自分の腕を見る。

淡い光の紋様が、手首から肘へ広がっている。

ローグ様も目を細めた。


「魔力が……流れている?」

「私から?」

「いや」


ローグ様は自分の掌へ意識を向け、すぐに首を横に振った。


「一方向じゃない。私の魔力も、お前たちの方へ流れている」

「え?」


私も守護紋へ意識を向ける。


すると分かった。私がみんなへ力を与えているわけじゃない。


ローグ様


レイブン様


レオンハルト


そして私


みんなの力が行き来している。

誰かが足りなくなれば、別の人の魔力が自然に補う。


「これ……」


胸の奥で、何かが腑に落ちた。


「私がつなげてるんだ」

「つなげる?」


ローグ様が聞く。


「守り人って、一人で全部する人じゃないのかもしれない」


今まで、ずっと守る力だと思っていた。


誰かを治して…守って、魔物を消して…でも、


「もしかしたら」


私はみんなを見る。


「守れる人たちを、つなぐのが本当の力なのかも」


その言葉を口にした瞬間、守護紋が大きく脈打った。

同時に、三人へつながる光が一気に安定する。

ローグ様が目を見開いた。


「……なるほど」

「何か分かった?」

「仮説だがな」


ローグ様の手の中で青白い雷が生まれる。

いつもよりずっと大きい。


「少々、試すぞ」

「え?」

「ミキ、支えられるか?」

「多分!」

「多分で返事をするな!」

「でも、分かるんです!」


ローグ様が、ものすごく嫌そうな顔をした。


「ここでお前を倒したら、戻った時ベルンに殺されるのは私なんだぞ」

「倒れません!」

「信用がない!」

「今だけ信じて!」


しばらく、睨み合う。こんな時に…でも、やがてローグ様が深いため息を吐いた。


「……少しでも異変があれば止める」

「はい!」

「レオンハルト」

「分かっています」


レオンハルトが、私を見る。


「ミキから目を離しません」

「敵からは目を離さないで!」


思わず言うと、レイブン様が噴き出した。


「本当に忙しいな、お前」

「兄上!」


少しだけ空気が軽くなる。

でも…すぐに、ローグ様の魔力が爆発的に高まった。


*


そこから戦いは一変した。


ローグ様の雷が地下室を駆け抜け、セドリックの周囲へ広がっていた黒い霧を焼き払う。

今までなら、これほど大きな魔法を放てば相当な魔力を消耗するはずなのに、その瞬間にレイブン様とレオンハルトから僅かな魔力がローグ様へ流れ、それを私の守護紋が調整しているのが分かった。


逆に、レイブン様が大きな風を起こせば、今度はローグ様の余った魔力がそちらへ回る。


誰か一人が無理をするんじゃない。

全員で補い合っている。


「レイブン殿、左を!」

「承知した!」


レイブン様の剣が振り抜かれる。風と水が絡み合い、巨大な渦となって黒い霧を引き剥がした。


「レオンハルト!」


ローグ様の声と同時に、レオンハルトが踏み込む。


でもその先、嫌な気配。


「右から来る!」


私が叫ぶ。レオンハルトは迷わず身体を捻った。

ほんの一瞬遅れて、黒い刃が頬のすぐ横を通過する。

そのまま回転する勢いを利用し、剣を振り抜く。

セドリックの腕が大きく裂けた。


「ぐっ……!」


傷口から黒い霧が噴き出す。

いつもならすぐに戻る。でも……


「……?」


セドリック自身が驚いていた。傷が塞がらない。

裂かれた場所に白い光が残っている。


「浄化……?」


ローグ様が呟く。


「レオンハルトの剣に、ミキの力が乗ったか」

「私、何もしてないです!」

「意思だろう」

「意思?」

「お前が、あいつを助けたいと考える。その願いを守護紋が必要な力へ変えている」

「ミキ!」


レオンハルトの声。


「今、余計なこと考えた?」

「何で分かるの!?」

「伝わった!」

「もう!」


つながりすぎ!でも、笑ってる場合じゃない。


*


「こんなもの……」


セドリックの表情から、完全に余裕が消えていた。


「こんな力は、あり得ない」


黒い霧を集めようとしても、白い光がその流れを阻む。散った黒は互いに結びつくことができず、石床へ落ちては薄く消えていった。


「守り人は、一人で完成された存在だ!」


初めて、セドリックが声を荒らげた。


「他者など必要ない。守り人は誰にも頼らず、その力だけで世界を守る存在だ!」


その言葉を聞いた瞬間、何か引っかかった。


「……だから?」

「何?」

「だからエレノアを一人にしたの?」


セドリックの表情が止まる。


「守り人は特別だから。一人で何でもできるから。誰にも頼る必要なんてないって……そう思わせた?」

「……」


答えない。

でも、その沈黙…多分、当たっている。


「エレノアは、全部自分で守ろうとした」


記憶の中の彼女は、泣いていた。


『私が守るって言ったのに』

「守れなかったら自分を責めて、助けを求めることもできなくて……最後には、大切な人まで失った」


胸が、痛む。前の私と少し似ている。もちろん、命を懸けて世界を守るなんて、そんな大きなことじゃない。でも、私はずっと人に迷惑をかけたくない。

心配させたくない。自分がやればいい。

そう思って、何でも抱えようとしていた。


「一人で全部できる人なんていないよ」


私は自分の手のひらを見る。


白い守護紋

そこから伸びる三本の光


「どれだけ強くても、助けてって言っていい。怖いって言っていいし、そばにいてほしいって言っていい」


レオンハルトを見る。目が合う。


「守ってって言ってもいいし、私も守りたいって言っていい」


胸が、じんわり温かくなる。


「それって弱いことじゃないと思う」


セドリックが、私を睨む。


「何が分かる」

「分かるよ」


自分の人生で、分かった。遅かったけれど

…今、やっと。


「頼れる人がいるって、すごく強いことだから」


守護紋の光が、一段強くなった。

その瞬間、セドリックの表情が変わった。


怒りでも苛立ちでもない。

一瞬だけ、ひどく傷ついたようなそんな顔。


「……あなた?」


思わず呼びかけた。

けれど、すぐにいつもの冷たい表情へ戻る。


「知ったような口を利くな」


黒い魔力が爆発した。


「ミキ!」


レオンハルトが叫ぶ。

ローグ様の結界が張られる。


でも、セドリックの魔力は、さっきまでと明らかに違う。怒り…いや何かもっと深いもの。黒い霧が天井まで一気に吹き上がり、地下室全体を覆った。


「全員、下がれ!」


ローグ様が叫ぶ。


その瞬間、セドリックの背後、黒い霧の中に巨大な影が浮かんだ。


翼


黒い鳥


……違う。鳥のように見えるだけ。

もっと、禍々しい何か。


『……セドリック』


声…低い。今まで何度も、黒い霧の奥から聞いた声。

でも、


「……え?」


セドリック自身が振り返った。


「黙れ」


誰に?


『もうよい』

「黙れと言った!」


セドリックが、初めて明確な焦りを見せた。

私たちは、誰も動けない。黒い影が、セドリックの背後でゆっくり形を作る。


赤い瞳……二つ。


『七百年』


声が笑う。


『随分と役に立った』

「……何を」


私の背中が、冷たくなる。

セドリックが、誰かに利用されてる?


『だが』


黒い影の目が私を見る。


『守り人は完成した』


胸の守護紋が強く警告する。


『もう』


セドリックの身体へ黒い霧が絡みつく。


「やめろ!」


彼が、初めて叫んだ。


『お前は必要ない』

「……!」


黒い霧が、一気にセドリックの身体を飲み込んだ。


「セドリック!」


反射的に名前を呼んでいた。レオンハルトが私の前へ出る。


「近づくな!」

「でも!」

「様子がおかしい!」


そう敵なんだよ、ずっと私たちを狙っていた人なのに…今、明らかに別の何かに襲われている。


「……ぐっ!」


セドリックが膝をついた。自分の首へ絡みつく黒い霧を両手で掴もうとする。でも、触れない。


『返せ』

「……何を」


セドリックが苦しそうに吐き出す。


『我が力を』


その瞬間、セドリックの赤紫色の瞳から黒い光が、引き抜かれた。


「……あ」


……彼の瞳の色が変わる。

赤紫ではなく、もっと淡い紫……人の瞳。


『そして』


黒い影が笑う。


『守り人を』


今度は、私へ黒い触手が伸びた。


「ミキ!」


レオンハルトが剣を振って触手を切っていくが、次々湧く。


「ローグ様!」

「ああ!」


雷が弾ける。レイブン様の風が、霧を押し返す。

それでも足りない。


「……っ」


守護紋が熱い。でも、不思議……怖くない。


「ミキ?」


レオンハルトが私を見る。


「大丈夫」


今度は本当……


「分かった気がする」

「何が?」


私は、黒い影を見る。セドリックじゃない。

ずっと、赤黒い石の中から声を出していたもの。

エレノアの時代からいたもの。


「本当の敵」


黒い影の赤い瞳が私を見た。


『守り人』


……胸が熱い。


『来い』

「嫌です」


即答した。


「ミキ」


レオンハルトの口元がちょっとだけ動く。

こんな時に笑った。


「何?」

「いや」


剣を構える。


「やっぱりミキだと思って」

「どういう意味?」

「あとで話す」

「またそれ!」


でも、少し怖さが消えた。ローグ様が横へ並ぶ。

レイブン様も剣を構える。

そして、床に膝をついていたセドリックが、ゆっくり顔を上げた。今までの赤紫色ではない淡い紫の瞳。


「……逃げろ」


掠れた声で私へ言った。


「え?」

「そいつは……」


……咳き込む。黒いものが、口元から零れる。


「七百年前から」


セドリックが黒い影を睨む。


「私たちノクスを……」


息を整える。


「操っていた」

「……!」


黒い影が、低く笑った。


『余計なことを』

「黙れ……」


セドリックが立とうとする。でも、身体が動かない。


「エレノアを」


私を見る。


「騙したのは……私だ」


苦しそうに、それでも続ける。


「だが……」


淡い紫の瞳に初めて後悔のようなものが見えた。


「始めたのは……私ではない」

「誰?」


セドリックの唇が動く。


「そいつは……」


黒い霧が、一気にセドリックを包む。


「セドリック!」


声が届かない。


『もうよい』


黒い影が笑う。


『真実など』


セドリックの身体が、黒い霧の中へ沈んでいく。


『守り人には必要ない』

「勝手に決めないで!」


白い光が身体から溢れる。


「知るかどうかは私が決める!」


守護紋が強く輝く。


「ミキ!」


ローグ様が叫んだ。


「無理するな!」

「無理じゃない!」


自分の身体を確認する。眩暈ないし痛みもない。

まだできる!


「今なら分かるんです!」


光がつながる。


レオンハルト


レイブン様


ローグ様


そして、もう一つ細い弱い光。


「……え?」


黒い霧の中、セドリックへ伸びてる。


「どうして……」


敵なのに守護紋が、彼にもつながろうとしている。

その瞬間、壁の古代語が再び光った。


『守る者を』


文字は続く……


『選ぶな』

「……」

『救いを求める命を』


胸が大きく鳴る。


『拒むな』

「ミキ」


レオンハルトが私を見る。私……多分、顔に出てる。


「助けたいんだな」

「……」

「セドリックを」


迷う……私を狙った敵でエレノアを傷つけた。

でも……今、


「……うん」


正直に答えた。


「何があったか全部知らない。でも、このまま目の前で消えるのは……嫌」


レオンハルトは、少し黙った。

……止められる、そう思った。でも、


「分かった」

「え?」


剣を構える。


「なら、助けよう」

「……いいの?」

「ミキが一人でやらないなら」


深い蒼色の瞳。


「俺も手伝う」


胸がきゅっとなる。

レイブン様が、横で小さく笑う。


「なら私も付き合いましょう」


ローグ様は、大きなため息。


「本当に……お前たちといると予定通りに進んだ試しがないな」

「ローグ様」

「だが」


手の中の雷が、今度は白銀へ変わる。


「目の前で奪われるのは、私も気に入らん」

「……ありがとう」


胸が温かい一人じゃない。

だからできる!私は、守護紋へ両手を重ねた。


「セドリック!」


黒い霧へ呼びかける。


「聞こえる!?」


…返事がない。でも細い光は、まだ切れてない。


「あなたがしたこと許せるかどうかは分からない!」


黒い影の赤い目がこちらを睨む。


「でも!」


光が強くなる。


「生きて話してもらう!」


レオンハルトが剣を構える。

レイブン様の風

ローグ様の魔力


全て守護紋でつながる。


「だから」


一度、大きく息を吸う。


「勝手に消えないで!」


白い光が、一気に地下室を満たした。

黒い影が、初めて大きく揺らいだ。


『貴様……!』

「レオンハルト!」

「ああ!」


剣を白い光が包む。


「兄上!」

「任せろ!」


風が黒い霧を裂く。


「ローグ様!」

「指図するな!」


そう言いながら、雷が真っ直ぐに影へ走る。

そして私、守護紋のすべてをつなぐ。


「返して!」


……何を?……自分でも分かってた。


セドリックの命


魂


七百年間奪われていたもの


「その人は」


白い光が黒を包む。


「あなたのものじゃない!」


ーーー轟音


ーーー光


何も見えなくなる。でも、手を握られた。

誰だか分かる。レオンハルト!!


「ミキ!」

「いる!」


握り返す。


「離すな!」

「そっちこそ!」


光がさらに強くなる。

そして…黒の中、誰かの叫び声、低い獣のような声。


『守り人――!』


でも…今度は、怖くなかった。だって、手の中が温かい。


「レオンハルト」

「何?」

「絶対離さないでね」

「言われなくても」


握る力が強くなる。


「もう二度と」


深い蒼色の瞳が光の中で私を見る。


「離すつもりはない」

「……」


今、それずるいんじゃない?


「それって」

「今は聞くな」

「また!?」

「帰ってからだ」


こんな時なのに笑ってしまった。


そして…白い光が、黒い闇を完全に飲み込んだ。


*


どれくらい経ったのか。音が消えた。ゆっくり目を開ける。


地下室


床


崩れた石


でも、黒い霧はない……。


「……終わった?」

「まだ油断するな」


ローグ様の声。……さすが、でも、魔力の気配が、かなり弱くなっている。


「体調は?」

「大丈夫……ちょっと疲れた」

「座れ」

「はい」


今度は、素直にその場へ座ろうとした。

でも、その前にレオンハルトが支える。


「ゆっくり」

「ありがとう」

「眩暈は?」

「少しだけ」

「ローグ殿」

「呼ぶな。私も聞いている」

「ミキを」

「分かっている!」


何か………二人とも似てきた?少し笑いそうになる。

その時、レイブン様が声を上げた。


「……いたぞ」


見ると、地下室の奥で黒い霧が消えた場所に人が倒れてる。


「セドリック……」


でも、さっきまでと違う。


黒い髪は同じ、顔も同じ、でも、赤紫色だった瞳は閉じている。そして、身体がちゃんと人で黒い霧じゃない。レイブン様が首元へ手を当てる。


「生きています」


ほっと息が出た。


「良かった……」


自分で言ってちょっと複雑だった。

……敵だったのに。レオンハルトが私を見る。


「後悔してる?」

「……分からない」


正直に言う。


「でも、助けたことは後悔してない」

「ならいい」

「そんな簡単?」

「ミキが決めたんだろう?」

「うん」

「なら」


少し笑う。


「私も後悔しない」


胸がじんわりしたその時だった。


――ピシッ


……音


全員、止まる。


「……何?」


壁?


古代語?


じゃないその奥に亀裂……


「ローグ様」

「下がれ」


また?黒?違う…亀裂から白い光。そして、ふわりと一枚の羽。


「……白い鳥?」


でも鳥じゃない。羽だけが私の前へ落ちる。

手を差し出そうとしてレオンハルトが止めた。

でも、白い鳥の羽。今まで何度も触ったから


「大丈夫」


羽が掌に落ちた瞬間、声が聞こえた。


『ミキ』

「エレノア」

『ありがとう』

「何が?」

『あなたは』


声が少し笑ってる。


『私ができなかったことをした』

「セドリックを助けたこと?」

『それも』

「じゃあ?」


少しな間……


『愛する人を信じた』


顔が一気に熱い。


「エレノア……」

『そして』


声が優しい。


『自分も信じた』


胸が熱い。


「……うん」

『だから』


白い羽が光る。


『私の力は、もういらない』

「え?」


何?


『返すね』

「待って」


光が掌から胸の中に入る。


「……っ!」


レオンハルトがすぐに支えてくれた。


「ミキ!」

「大丈夫……痛くない」


温かい


懐かしい


悲しい


嬉しい


色んな気持ちが流れ込む。でも、記憶じゃない。


力


そして、最後のエレノアの声。


『幸せになって』

「エレノア」

『今度こそ』

「……」

『私たちじゃなく』


声が遠くなる。


『あなたたちが』

「待って!」


でも、光が消える。白い羽が掌の上で、小さな光へ変わる。そして……消えた。


「……エレノア?」


返事がない。何度呼んでも……


「エレノア」

「……行っちゃった?」


涙が落ちる。悲しい。でも、不思議と寂しいだけじゃない。胸の奥が温かく解放されたそんな感じ…


レオンハルトの手が頬へ触れる。


「ミキ」

「うん」

「大丈夫?」

「……寂しい、でも」


涙を拭う。


「嬉しい」

「そうか」

「うん」


彼の手へ自分の手を重ねる。


「エレノアが、幸せになってって」


レオンハルトの目が、柔らかくなる。


「なら」

「うん?」

「守らないとな」

「何を?」

「彼女との最後の約束を」

「……」


また……この人、そういうこと言う。


「どうやって?」


ちょっと聞いてみる。レオンハルトが止まる。


「それは……」

「あれ?」

「ミキ」

「はい」

「今はやめてくれ」

「ふふっ」

「笑うな」

「だって」


やっぱりかわいい。レイブン様が、少し離れたところで笑っている。ローグ様は、ものすごく疲れた顔。


「お前たち」

「はい?」

「恋愛の続きは王城へ帰ってからにしろ」

「……」

「……」


二人とも黙る。


「返事は?」

「はい……」


また、同時……

レイブン様が、とうとう声を出して笑った。


*


それから少しして、ローグ様が転移陣を修復し始めた。セドリックも連れて、王城へ帰る予定だ。

まだ、聞かなきゃいけないことがたくさんある。


黒い影


ノクス家


七百年前


そして守り人


全部、終わったわけじゃない。

むしろ本当の敵が、初めて見えた。

でも…今、隣にレオンハルトがいる…その事実だけで、怖さが少し小さくなる。


「ミキ」

「何?」


二人だけに聞こえるくらいの小さな声。


「さっきのこと」

「さっき?」

「好きなのは私だと」

「……」


忘れてなかった。


「戦闘中の勢いで言ったわけじゃないよ?」


レオンハルトの目が大きくなる。


「ちゃんと」


恥ずかしい。


「今も同じだから」

「……」

「だから、帰ったら」


少し笑ってしまった。


「ちゃんと聞かせてね」


レオンハルトは、しばらく何も言わなかった。

そして、私の手をそっと取る。


「分かった」


指が絡む。


「もう待たせない」


胸が跳ねた……


「本当?」

「ああ」


深い蒼色の瞳が真っ直ぐ見つめる


「帰ったら」


少し、握る手が強くなる。


「全部、伝える」

「……うん」


もう逃げない。私もちゃんと聞く。

そして…ちゃんと答える。


その時、転移陣が白く光った。


「準備できたぞ」


ローグ様の声。


「戻る」


私は、レオンハルトと手をつないだまま光の中へ足を踏み入れた。今度は怖くなかった。


だって…帰った先には、聞きたい言葉が待っている。


そして、私も伝えたい言葉をもうちゃんと

知っているから…




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