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18/46

18 あなたの声が届くなら

翌朝、目を覚ました私は、しばらくベッドの中でじっとしていた。


昨日までなら、目が覚めた瞬間に「今日はレオンハルト様いるかな」と考えていた。廊下へ出れば、いつもの場所に銀色の髪があって、「おはようございます」と声をかけてもらえる。それが、いつの間にか当たり前になっていた。


けれど今日は違う。

レオンハルト様は北にいる…

そう思っただけで、部屋がいつもより少し広く感じた。


「……寂しいなぁ」


素直に口にすると、胸の奥がちょっとだけ痛んだ。まだ出発して一日しか経っていない。それなのに、もう会いたい。


「重症だな、私………」


苦笑しながら起き上がり、枕元を見る。昨夜、グレンジャー様から「今日は力を使わないこと」と念を押されたから、守護紋を試すつもりはない。


でも、知りたい…


ちゃんと眠れたかな…腕の傷は痛くないかな…

今頃、何をしているんだろう…


そんなことを考えながら自分の手のひらを見ていると、ほんのり温かくなった。


「……え?」


何もしていない。呼びかけてもいない。それなのに、胸の奥へふわっと何かが流れ込んでくる。


安心している…落ち着いている…そして、少し眠い…


「……もしかして」


私は思わず笑った。


「まだ寝てる?」


そんなわけないかと思いながらも、なぜだろう。レオンハルト様が無事だと、何となく分かる。


「おはようございます」


小さく呟いた。届かなくていい。ただ、言いたかった。すると、手のひらがほんの一瞬、温かくなった。


*


その頃、北の野営地では、カイルが少し呆れたような顔でレオンハルトに声をかけていた。


「……おはようございます、副団長」

「何だ」

「起きてから三回目です」

「何がだ」

「胸元のお守りを触るのが、です」

「数えるな」


レオンハルトは顔をしかめながら、騎士服の上からお守りへ手を当てた。


朝方、ほんの一瞬だけ温かくなった。その時、声がしたわけではない。けれど、なぜかミキの顔が浮かんだ。そして、「おはようございます」と言われたような気がした。


(……気のせいか)


そう思いながらも、口元が少し緩む。


「副団長、今、笑いましたね」

「笑っていない」

「いや、完全に笑っていました」

「朝から訓練するか?」

「やめておきます!」


カイルが笑う。


昨日、第一調査隊を王都へ送り返したあと、残った部隊は街道沿いに野営地を築いた。夜の間、黒い霧は森の手前から動かなかったが、消えたわけでもない。森の奥から、ずっとこちらを見られているような気配だけが残っている。


「副団長、今日はどうしますか?」


カイルの声が真剣になる。レオンハルトは北を見た。


「森の外周を確認する。中には入らない」

「承知しました」


無茶はしないと約束した、そして帰ると……

そのために必要な情報だけを集める。

それでいい…今は…


*


王城では、朝食のあと、私はマルガレーテさんたちと一緒に過ごしていた。


「ミキ様、こちらはいかがでしょう」


リゼットさんが、一冊の本を持ってきてくれる。

「何の本?」

「守護紋についてまとめられたものです」

「見たい!」


受け取ったものの、すぐには開かなかった。昨日までなら、絶対に何も考えず読み始めていたはずだ。


「……これ、読んでも大丈夫かな」


マルガレーテさんが、少し驚いたように私を見る。


「何がでございますか?」

「昨日、グレンジャー様に力を使わないようにって言われたから。古い本って、触ると何か反応することがあるでしょう?」


自分で言って、ちょっと笑う。


「私、ちゃんと考えるようになったでしょう?」

「まあ」


エミリアさんが微笑んだ。


「大変なご成長でございます」

「その言い方、子供扱いしてない?」

「まさか」


絶対にしている。でも、嫌じゃなかった。


「これは比較的新しい本でございます。魔力を帯びた古文書ではございませんので、ご安心ください」

「じゃあ、読む」


ページを開くと、守護紋には基本となる三つの形があると書かれていた。帰還、生命、導き。それに加えて、土地や家系、贈る相手、願う内容によって細かな模様を組み合わせるらしい。


「へぇ……」


面白いと思いながら読み進めていると、見覚えのある図が目に入った。


円…葉…星…


私がレオンハルト様へ渡したものだ。


「これ……」


説明には、こう記されていた。


『帰る場所を示す守護紋。遠き地へ赴く者が、再び大切な者のもとへ帰ることを願う』


昨日、レオンハルト様が言った言葉を思い出す。


『帰る場所』


『あなたのところへ』


途端に顔が熱くなった。


「ミキ様?」


ニーナちゃんが覗き込んでくる。


「何でもない!」

「お顔が赤いですよ?」

「暑いの!」

「今日は涼しいですが」

「……」


この子、最近鋭すぎる。


*


さらにページをめくっていくと、ある項目で指が止まった。


『古い守護紋の中には、贈り主と受け手の魔力を結ぶものが存在したとされる』


「……え?」


『ただし、現在その術式は失われており、現存する守護紋に同様の力は確認されていない』


「魔力を……結ぶ?」


昨日、私の手から蒼い光が伸びた。レオンハルト様のお守りにも、同じ光が現れた。


「これ……」


胸が少しざわつく。


「マルガレーテさん」

「はい?」

「この部分、ローグ様にも見てもらった方がいいよね?」

「そうですね」

「じゃあ、あとで持って行きます」


本を閉じたところで、エミリアさんが声をかけてきた。


「ミキ様」

「はい?」

「お一人では?」

「行きません!」


先に答えると、部屋に小さな笑いが起きた。


「もう……」


そう言いながら、私も笑った。こういうやり取りが、少しずつ普通になっている。


*


昼前、私はエミリアさんと護衛の騎士二人を伴って、ローグ様の執務室へ向かった。


途中で、ふと足が止まる。


「ミキ様?」

「……何か、変」


胸の奥がざわついていた。嫌な感じではない。でも、遠くで何かが動いたような気がする。


「どうされました?」

「分からない」


窓の外を見る。王都はいつも通りだった。青空が広がり、街並みには人の姿がある。何も変わっていない。


「……気のせいかな」


その時、遠く城の外から鐘の音が聞こえた。


――カーン


一度…そして、もう一度…


――カーン


エミリアさんの表情が変わる。


「……警戒鐘?」

「何?」


すぐに騎士たちが前へ出た。


「ミキ様、お部屋へ戻りましょう」

「でも、何が――」

「まずは安全な場所へ」


その言葉に反論せず、「分かりました」と頷いた。

戻ろうとした瞬間、王城全体がほんの僅かに揺れた。


――ドンッ!


「きゃっ!」


壁に手をつく。


「ミキ様!」

「大丈夫!」


今度は本当に、すぐに答えられた。自分の身体を確認する。怪我はない。眩暈もない。


「何が起きたの?」


誰も答えられない。

その時、窓の外に見えた。王都の北側から、空へ黒い煙のようなものが細く立ち上っている。


「……黒い霧?」


北の森で、レオンハルト様たちが見たものと同じだ。

胸の奥が冷たくなる。


「王都まで……?」


そんなはずはない。森は遠い。それなのに、黒い煙はまるでこちらを探すように、空の上で揺れていた。


*


「ミキを部屋へ!」


廊下の向こうから、ローグ様が走ってきた。


「ローグ様!」

「話はあとだ!」


普段、滅多に走らない人だ。それだけで、事態が普通ではないと分かる。


「王都の北門付近で瘴気反応が出た」

「北門?」

「人の侵入は確認されていない。突然発生した」

「黒い霧と同じ?」

「可能性は高い」


ローグ様は、私の肩越しに護衛の騎士を見る。


「結界区画へ連れて行け」

「承知しました」

「待って!」


思わず声を上げる。


「何だ?」

「レオンハルト様は?」


ローグ様が一瞬黙った。


「今のところ連絡はない」

「無事?」

「昨日の通信以降、異常報告はない」


それなら、今胸の奥にある嫌な感じは、レオンハルト様のものではないのだろうか。


「……分かりました」


私は自分から歩き出した。


「部屋に戻ります」


ローグ様の目が、少しだけ驚いたように見えた。

けれど、数歩進んだところで立ち止まる。


「何かできることがあるなら、教えてください」

「今は安全でいることだ」

「……はい」


それが今の私の役目なら、ちゃんとする。


*


結界区画へ入ると扉が閉まり、淡い青色の光が部屋全体を包んだ。


「ここなら安全?」

「王城内でも最も強い結界が張られております」


エミリアさんが答える。


「そう……」


私は椅子に座って待つ。

前なら、こんな時に何もせず座っているなんてできなかった。けれど今は分かる。勝手に動けば、私を守るために誰かが余計な危険を負うことになる。


「待つのも……大事なんだよね」

「はい」


エミリアさんが優しく答える。


それでも胸は落ち着かなかった。黒い霧。敵は『こちらから会いに行く』と言った。もちろん、私はその言葉を直接聞いたわけではない。けれど、何かが私を探している。そんな感じがする。


その時、手のひらが突然熱くなった。


「……っ」

「ミキ様?」


見ると、守護紋が浮かび上がっている。けれど、いつもと違った。


中心の蒼い光が、北を指していない。


「……え?」


光は真横へ伸びていた。王城の中へ……


「何で……」立ち上がる。

「ミキ様?」

「これ……」


守護紋を見つめる。


「レオンハルト様じゃない」

「では?」


分からない。でも、同じ守護紋の力が何かに反応している。


「誰か……いる」


その瞬間、結界の外の廊下から声が聞こえた。


「ミキ様!」


聞き覚えのある声だった。


「ニーナちゃん?」


私は振り向く。


「ミキ様! 助けてください!」


泣き声が響く。エミリアさんの顔色が変わった。


「ニーナは、先ほどマルガレーテ様と共に別区画へ避難したはずです」

「……え?」


また、扉の向こうから声がした。


「ミキ様! お願いです、開けてください!」


確かにニーナちゃんの声だ。胸がざわつく。


「ニーナちゃん……?」


一歩、扉へ近づく。


「ミキ様!」


エミリアさんが腕を掴んだ。


「開けてはいけません」

「でも!」

「ニーナは、ここには来られません」


そう言われて、足が止まった。


確かに、王城は警戒状態に入っている。各区画は閉鎖されているはずだ。それなのに、ニーナちゃんが一人でここまで来られるだろうか。

扉の向こうから、すすり泣く声が聞こえる。


「ミキ様……怖いです……」


知っている声。でも、何かが違う。

胸が冷たくなる……


守護紋の光が扉へ向いていた。


「……これ」


守護の力が、扉の向こうにある何かへ反応している。


「……ニーナちゃんじゃない」


声に出した瞬間、外が静かになった。そして……


「……残念」


声が変わった。

低く、男とも女とも分からない声だった。


「ずいぶん賢くなったな、守り人」


エミリアさんが息を呑む。


「誰なの!」


私が叫ぶと、扉の向こうで何かがゆっくり笑った。


「会いに来た」


その瞬間、扉を覆う結界へ黒い亀裂が走った。


*


北の街道では、同じ瞬間にレオンハルトが馬上で胸を押さえた。


「……っ」

「副団長?」


カイルが振り向く。


「どうされました?」


お守りが、今まで感じたことがないほど熱くなっている。


「……ミキ」


胸の奥へ、何かが流れ込んできた。


恐怖…緊張…そして、強い意志…


助けて、ではない。逃げない…そんな彼女の気持ちだった。


「王城で何かあった」

「何?」


レオンハルトは馬を止め、胸元のお守りを強く握った。


「通信を!」

「はい!」


魔法師がすぐに通信石を取り出す。しかし、しばらくして首を振った。


「……つながりません!」

「何?」

「王都方向の魔力が乱れています!」


レオンハルトの顔から血の気が引いた。


「副団長」


カイルが低く言う。


「戻りますか?」


一瞬、迷いが生まれた。北の森の調査も任務の一つだ。だが、胸の奥から伝わってくるミキの気配は、恐怖に震えながらも踏ん張っている。


約束した。一人で抱え込まない…

レオンハルトは息を吐いた。


「隊長代理をカイルに」

「副団長」

「私は王都へ戻る」

「しかし――」

「異常事態だ」


迷いはなかった。


「ここは無理に進むな。森へは絶対に入るな」

「……承知しました」


カイルがすぐに頷く。


「ミキ様を……」


言葉を切り、レオンハルトは彼を見た。


「お願いします」

「……ああ」


レオンハルトは馬首を返した。


*


王城では、黒い亀裂が結界の表面をゆっくり広がっていた。


「ローグ様へ連絡を!」


エミリアさんが叫ぶ。


護衛の騎士が通信具を使うが、すぐに首を振った。


「つながりません!」

「そんな!」


扉の向こうから、低い笑い声が響く。


「守り人」


呼ばれた瞬間、胸の奥が冷たくなった。

でも、同時に白い光が強くなる。


「……来ないで」


声は震えていた。それでも、私は言った。


「私は行かない」


扉の向こうが静かになる。


「ほう」


「あなたが何者かは知らない。でも、私を守ってくれている人たちを、これ以上危険にしたくない」


昨日、レオンハルト様が戦っていた姿を思い出す。仲間を殺さず、助けようとしていた。約束を守って、帰ろうとしていた。


だから、私も守護紋へ両手を重ねる。


「ここには入れさせない」


白い光が部屋へ広がり、エミリアさんたちを包んだ。扉、壁、窓。そのすべてへ薄い光の膜が広がっていく。


「ミキ様……」

「大丈夫」


そう言ってから、一瞬だけ言葉を止めた。


「……今は大丈夫」


ちゃんと言い直す。

怖いし手も震えている。それでも、まだ立てる。

……なら、守れる。


「面白い」


扉の向こうの声が笑った。


「やはり以前とは違う」


以前?その言葉に胸が跳ねる。


「前の守り人を知っているの?」


沈黙が落ちた。そして、声が低く響く。


「知っているとも…お前よりずっと」


黒い亀裂が一気に広がった。


「愚かな女だった」

「……何?」

「守りたいと願い、全てを失った」


胸が凍る。


「お前も同じだ」

「違う」


反射的に言っていた。


「何?」


手は震えている。それでも、私は言葉を続けた。


「私は、一人で全部やろうとしない」


前の人生では、何でも自分で背負った。でも、今は違う。


「頼るって決めたから」


白い光が強くなる。


「私一人で守るんじゃない。みんなで守るの」


エミリアさん、騎士たち、ローグ様、グレンジャー様、そして、レオンハルト様…


その瞬間、守護紋が眩しいほどに輝いた。

黒い亀裂が止まる。


「……何?」


初めて、扉の向こうの声から余裕が消えた。

白い光が結界の亀裂へ流れ込み、黒い闇を少しずつ押し返していく。


「あり得ない」


声が低くなる。


「守り人の力は……そんなものではなかった」

「知らないよ!」


思わず叫ぶ。


「私は私だから!」


その言葉と同時に、白い光が一気に弾けた。


――ドンッ!


衝撃で窓が震える。扉の向こうから呻くような声が聞こえ、黒い亀裂が消えた。


静寂が戻る。


「……終わった?」


力が抜けそうになったところを、エミリアさんが支えてくれた。


「ミキ様!」

「……ちょっとふらついた」

「座りましょう」

「はい」


大人しく椅子へ座る。


怖かった。本当に怖かった。それでも、できた。

一人じゃなかったから……


*


数分後、王城の結界は正常に戻った。


扉が開くと、ローグ様が飛び込んできた。その後ろにはグレンジャー様もいる。


「ミキ!」

「怪我は!?」

「ないです」

「眩暈は?」

「少しだけ」

「すぐ診ます」


いつものグレンジャー様の声を聞いて、それだけでほっとした。


ローグ様に何があったのかをすべて説明する。

ニーナちゃんの声をした偽物、黒い亀裂、そして…

『前の守り人を知っている』という言葉……


そこまで話すと、ローグ様の表情が一気に変わった。


「前の守り人を?」

「はい。それと、『守りたいと願い、全てを失った』と言っていました」


ローグ様は黙り込んだ。


「前の守り人は、何かに失敗したみたいな言い方でした。記録が消された理由と……関係ある?」

「分からん」


そう答えながらも、明らかに何かを考えている。


「調べる」

「はい」

「ただし」

「……はい」

「今日はもう何もしない」

「分かりました」


即答すると、ローグ様が少し驚いた。


「何です?」

「いや」

「私だって学習します」

「そうか」


ローグ様が少し笑った。


*


診察が終わったあと、私はベッドへ横になった。

身体は少し重い。でも、意識ははっきりしている。


「レオンハルト様……」


無事かな?王城で何かあったこと、分かったかな…

胸元へ手を置く。守護紋はもう見えない。でも、細い蒼い光はまだ感じる。


「大丈夫だよ」


今度は私が言う。


「ちゃんと守れたから」


だから、慌てないで、無茶しないで、戻ってきて…


そう思った瞬間、胸が温かくなった。誰かに強く抱きしめられたような感覚だった。


「……レオンハルト様?」


声は聞こえない。でも、なぜか分かる。

向かっている……こちらへ…


「……もう」


少し笑う。


「心配性なんだから」


でも、来てほしい。すごく会いたい。


「早く帰ってきて」


小さく呟いた。


*


夜が明ける少し前、王城の城門へ一頭の馬が凄い勢いで駆け込んできた。


「開門!」


低い声が響く。


銀色の髪、疲れ切った馬。そして、左腕にまだ包帯を巻いた騎士。


「ヴァイス副団長!?」


門兵が驚く。


「ミキ様は!」


レオンハルトは馬を降りるより先に尋ねた。


「ご無事です!」


その言葉に、一瞬だけ肩から力が抜ける。


「……良かった」


けれど、すぐに城へ向かって走り出した。今度は誰にも止められなかった。


*


「ミキ様」


廊下で、エミリアさんが声を潜める。


「はい?」

「お客様です」

「こんな時間に?」


その瞬間、胸が急に温かくなった。


「……まさか」


ベッドから起き上がる。


「ミキ様、まだ――」

「ゆっくり行きます!」

「はい」


寝室を出て、扉を開く。


そこに、レオンハルト様がいた。


銀色の髪は少し乱れ、騎士服には旅の汚れがついている。左腕には包帯が巻かれていた。それでも、ちゃんと立っている。


「……レオンハルト様」

「……ミキ」


声を聞いた瞬間、胸がいっぱいになった。


「帰ってきた……」

「はい」

「本当に?」

「はい」


泣かないつもりだった。でも、無理だった。


「……良かった」


涙がこぼれる。

レオンハルト様が一歩近づく。けれど、そこで止まった。


「……抱きしめても?」


また聞いてくれた。


「……聞かなくていいです」


自分から一歩近づき、その胸へ飛び込む。今度は私から抱きしめた。


「……ミキ」


腕が背中へ回る。強く、それでも大切に抱きしめてくれる。


「お帰りなさい」


ちゃんと言えた。


「……ただいま」


耳元で返ってくる。

それだけで、涙がまたこぼれた。


「怖かった」

「はい」

「でも……」


騎士服をぎゅっと掴む。


「待ってた」


抱きしめる腕が少し強くなる。


「約束したので」

「うん」

「あなたのところへ帰ると」

「……うん」


顔を上げると、深い蒼色の瞳が近くにあった。ずっと会いたかった。


「レオンハルト様」

「はい」

「怪我」

「……」

「あっ、思い出した左腕!」

「軽傷です」

「見せて!」


さっきまで泣いていたのに、急に怒る。

レオンハルト様が少し困ったように笑った。


「やはり」

「何?」

「こうなると思っていました」

「当たり前でしょう!」

「……安心しました」

「何が?」


深い蒼色の瞳が、優しく細められる。


「いつものミキで」

「……」


それはずるい。怒れなくなる。でも、これとそれとは別だ。


「それとこれとは別です」

「はい」

「グレンジャー様に診てもらいます」

「もう治療は済んでいます」

「診てもらいます」

「……はい」


素直に頷く姿がおかしくて、思わず笑った。


「ふふっ」

「何です?」

「何でもありません」


また、二人で笑った。

外では、まだ朝にもなっていない。敵は近づいている。分からないことも、怖いことも山ほどある。

それでも今、この瞬間だけは、ただ嬉しかった。


帰ってきた……この人が、ちゃんと私のところへ帰ってきてくれた。


胸元…二人の間に挟まれた小さなお守りが、ほんの少し白く光っていた。


*


王城から少し離れた場所。夜明け前の闇の中で、一人の男が城を見上げていた。


黒い外套。その手には赤黒い石が握られている。


「……結界を押し返したか」


低い声だった。けれど、その口元は笑っている。


「やはり、今回の守り人は違う」


石の中で赤い光が揺れた。


『騎士も戻った』


「そうだな」


『ならば、次はどうする』


赤い光が細くなる。

男は静かに王城へ目を向けた。


「急ぐ必要はない」

「彼女は……」


一度、言葉を切る。


「自分から真実を求める」


風が黒い外套を揺らした。


「そして、真実を知れば」


男は笑った。


「必ず、こちらへ来る」


朝日が遠く空を染め始める。

その顔は、まだ闇の中に隠れたままだった……




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