17 離れていても、あなたを守る
北の街道を覆う黒い霧の向こうから現れたのは、行方不明になっていた第一調査隊だった。
「……第一調査隊」
カイルの声が低くなる。
人数は九人……
本来、北の森へ先行していた騎士と魔法師たちだ。数日前に最後の報告を残したまま連絡が途絶え、生死すら分からなくなっていた。
それなのに…
今、彼らは確かに歩いている。
「副団長……」
隣にいた騎士が剣を握り直した。
レオンハルトは答えず、正面を見据える。
何かがおかしい……
……いや、何もかもがおかしい。
第一調査隊の者たちは、武器を持っている。それぞれに怪我も見える。鎧には泥や乾いた血がこびりつき、顔色も明らかに悪い。
それでも、誰一人として助けを求めないし、何も話さない。ただ、同じ速度でこちらへ向かって歩いてくる。そして、その目だけが暗い霧の中で、赤く濁っていた。
「止まれ!」
レオンハルトの声が街道に響く。
「王国近衛騎士団副団長、レオンハルト・ヴァイスだ! 所属と名を答えろ!」
反応はない。歩みも止まらない。
「もう一度言う。そこで止まれ!」
先頭にいた騎士が、ゆっくり顔を上げた。
レオンハルトも知っている男だった……
王国騎士団の小隊長、ダリオ・レーヴェン
数日前、調査隊を送り出す時
「必ず報告を持ち帰ります」
そう言って笑っていた。
「ダリオ」
呼びかけるとその赤い瞳が、レオンハルトを捉えた。
……一瞬、ほんの一瞬だけ瞳の奥に、何かが揺れた。
「……副……団長……」
掠れた声。
「ダリオ!」
「……にげ……」
言葉が途中で途切れた。男の身体が不自然に震える。
……そして、
「――ッ!」
次の瞬間、ダリオが剣を抜いた。
「構えろ!」
レオンハルトの声と同時に、調査隊全員が一斉に走り出した。
*
「どういうこと……?」
王城で……私は、自分の手のひらを見つめていた。
さっきまで北を指すように伸びていた深い蒼色の光が、突然強くなった。
そして……胸が苦しい。痛いわけじゃない。
でも、嫌な感じがする。
何かが……起きている。
「ミキ?」
ローグ様が、すぐに私の様子へ気づいた。
「レオンハルト様が……」
「何だ?」
「分からない。でも、何かあった」
手のひらに浮かんでいる守護紋。
……円
……葉
……星
その中心が、何度も脈打つように光っている。
「さっきより強い……」
「痛みは?」
「ないですし、眩暈もありません」
ローグ様が一瞬、少しだけ感心したような顔をした。
「なら、そのまま集中してみろ」
「いいんですか?」
「無理はするな。違和感があればすぐ止める」
「はい」
…………目を閉じる。
……レオンハルト様?どこ?何が起きてるの?
考える……会いたい…じゃない。
今は、知りたい、無事なのか、何か困っていないか…
すると、手のひらが さらに熱くなった。
「……っ」
真っ暗だった視界の中に、何かが浮かぶ。
剣
黒い霧
赤い瞳
そして……銀色の髪。
「……見える」
「何がだ?」
「レオンハルト様……戦ってる」
「敵は?」
「人……?」
おかしい?騎士?……王国の紋章…
「味方と……戦ってる?」
「何?」
次の瞬間、見えた!!赤い瞳…
「第一調査隊……」
自分でもなぜ分かったのか分からない。
でも、そう感じた。
「操られてる」
「確かか?」
「多分」
その瞬間、身体の中に鋭い痛みが走った。
「っ!」
「ミキ!」
目を開ける。
……腕が痛い。…左腕が……
でも、自分の腕を見るが何もない。
「どうした?」
「腕が……」
ローグ様がすぐに近づく。
「怪我はない」
「でも痛かったの。……レオンハルト様?もしかして……」
嫌な予感がする。私が感じた?あの人の痛みを?
*
北の街道、
レオンハルトの左腕から血が流れていた。
「副団長!」
「かすり傷だ!」
ダリオの剣を避け切れず、刃が腕を掠めた。
傷は浅いし問題はない。だが……
「くそっ……」
敵が敵ではない。
目の前にいるのは、本来なら救出すべき仲間だ。
「殺すな!」
レオンハルトが叫ぶ。
「可能な限り拘束しろ!」
「ですが!」
「操られている可能性が高い!」
剣と剣が激しくぶつかる。金属音が街道に響いた。
第一調査隊の動きは、明らかに普通ではなかった。
傷だらけで疲弊しているはずなのに力が落ちない。
痛みも感じていないように見える。
「副団長!」
横から別の騎士が斬りかかってくる。
レオンハルトが剣を受ける。その背後、
「危ない!」
カイルの声……間に合わない。
………背中へ刃が振り下ろされる。
その瞬間…
――パァン!
白い光が弾けた。
「……!」
剣が、何もない空間で止まっていた。
いや違う。レオンハルトの身体を、白い膜のような光が包んでいる。
「これは……」
胸元のお守りが光っている。
「……ミキ」
呟いた瞬間!!
心臓の奥へ何かが流れ込んだ。
『守って』
声ではない。でも、確かに彼女の意思……
レオンハルトの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……届いている」
どれほど離れていても、彼女はここにいる。
「副団長!」
カイルの声で、すぐに戦いへ意識を戻す。
「カイル!」
「はい!」
「殺さず押さえる! 魔法師は瘴気解除を試せ!」
「了解!」
レオンハルトは剣を構え直した。
胸元の光は、まだ消えていない。
*
「……防いだ」
私の口から勝手に言葉が漏れた。
「何を?」
「剣」
ローグ様が私を見る。
「レオンハルト様に剣が当たりそうになって……白い光が……」
「お前が防いだのか?」
「分かりません」
……でも、さっき願った。
……守って!!
ただ強く、それだけ…
「ミキ」
ローグ様の声が真剣になる。
「まだつながっているか?」
「はい」
「なら、次は無理に力を出すな」
「でも!」
「聞け」
声は厳しい。でも、怒っているわけではない。
「お前が倒れれば、そのつながり自体が切れる可能性がある」
「……」
「守りたいなら、自分の力を使い切るな」
その言葉、胸に刺さった。
……守りたい…だから全部出さなきゃ
そう思っていた。でも、それじゃ前と同じだ。
自分を削って、誰かを助けようとする。
「……分かりました」
ゆっくり呼吸する。
「無理しません」
「よし」
「でも」
手のひらを見る。
「つながっていたい」
「それくらいなら構わん。異変があればすぐ言え」
「はい」
目を閉じる。今度は、力を押し出さない。
ただ……感じる。
レオンハルト様…無事でいて……
でも、私が全部守るんじゃない。
あなたは強い人だから、私は少しだけ隣にいる…
そんな気持ちで守護紋へ触れた。
*
北の街道では、
戦況が少しずつ変わり始めていた。
「一人押さえた!」
「拘束術式、完了!」
二人
三人
操られていた調査隊が次々と取り押さえられる。
しかし、赤い瞳は消えない。
「瘴気が身体の奥まで入り込んでいます!」
魔法師が叫ぶ。
「通常の浄化では抜けません!」
「意識は?」
「ほとんどありません!」
レオンハルトは、地面へ押さえ込まれたダリオの前に膝をついた。
「ダリオ!」
赤い目……でも、また一瞬だけ瞳が揺れる。
「……副……団長……」
「聞こえるか!」
「……森……に……」
「何だ?」
「行く……な……」
「なぜだ!」
男の口元から黒い煙が漏れた。
「……待って……いる……」
「誰が?」
「……守り……人……を……」
レオンハルトの表情が凍る。
「何?」
ダリオの赤い瞳が突然、大きく開いた。
その口元が不自然に笑う。
「――見つーけーた」
声が違う。ダリオのものではない。
もっと低いし暗い声……
「白き翼が選びし、守り人」
レオンハルトが剣へ手をかける。
「誰だ」
「お前ではない」
声は……ダリオの口を借りて笑った。
「だが」
赤い瞳が、レオンハルトを見る。
「お前を壊せば」
その瞬間!胸元のお守りが強く光る。
「……」
「守り人は、自ら来る」
レオンハルトの瞳が、一気に冷たくなった。
「……そういうことか」
……相手の狙いを理解した。
ミキ
彼女を直接捕まえるのではない。
自分を餌にする。
「残念だったな」
レオンハルトが、低く言った。
「何?」
「その手は使えない」
「なぜ」
レオンハルトは、胸元のお守りへ触れる。
「私は」
深い蒼色の瞳が鋭く細まる。
「彼女を呼ぶための餌になどならない」
そして……ほんの少し口元を上げた。
「何より」
思い出す。『私のところに帰ってきて』
「………帰ると約束したのでな」
*
「……え?」
胸が急に温かくなった。さっきまで、不安で苦しかったのに…今、何かが伝わった。
「どうした?」
ローグ様が聞く。
「……笑った気がする」
「誰が?」
「レオンハルト様」
「……」
ローグ様が何とも言えない顔をする。
「そんなことまで分かるのか」
「多分」
でも、分かる。
……大丈夫。
……あの人…今、ちゃんと戦ってる。
「……強いなぁ」
思わず笑った。その瞬間!!
守護紋の光が少し柔らかくなる。
「ミキ」
「はい?」
「顔が戻ったな」
「何の?」
「さっきまで、今にも飛び出して北へ行きそうな顔をしていた」
「……行きません」
「本当に?」
「行きませんって」
少し笑う。
「だって……」
手のひらの蒼い光。
「約束したから」
レオンハルト様が戻るって……
私も待つって……
「だから信じます」
そう言えた自分が、少しだけ嬉しかった。
*
北の街道では、最後の一人がようやく拘束された。
「全員生存!」
カイルの報告。
「こちらの負傷者は?」
「軽傷四名。重傷者はいません!」
「よし」
レオンハルトが息を吐く。
ひとまず終わった。だが、問題はここから…
「副団長」
魔法師が、拘束した第一調査隊の者たちを見る。
「このまま連れて行くのは危険です」
「ああ」
「一度王都へ戻りますか?」
レオンハルトは、北を見る。
黒い霧のその先……森
本来の目的は、封印碑の調査。
しかし…相手は、明確にミキを狙っている。
そして、自分が弱点だと知っている。
「……」
判断を誤れば……全員死ぬ。
「副団長」
カイルが隣へ来る。
「どうします?」
しばらく考える。そして
「第一調査隊と負傷者を半数の兵で王都へ戻す」
「残りは?」
「ここで野営する」
「森へは?」
「今日は入らない」
カイルが少し驚いた顔をした。
「よろしいのですか?」
「ああ」
無理をしないと約束した。そして、今、急いで森へ入ることが最善とは思えない。
「状況をローグ殿へ報告する。第一調査隊の話を聞ければ、森の情報も得られる」
「承知しました」
レオンハルトは、胸元へ手を当てる。
……小さなお守り
「……約束は守らないとな」
「何か言いました?」
「何でもない」
「ミキ様との約束ですか?」
「……カイル」
「はい」
「帰ったら訓練三倍」
「まだ何も言ってません!」
少しだけ……周囲に笑いが戻った。
*
王城…
「……弱くなった」
「何がだ?」
守護紋の光が、さっきまで強く脈打っていたのに、今は淡い。でも嫌な感じはしない。
「多分……戦いが終わった」
「分かるのか?」
「何となく」
ローグ様が、しばらく私の手を見る。
「……その力」
「はい」
「思っていたより重要かもしれないな」
「……また実験?」
「今はしない」
「良かった」
「ベルンに怒られる」
「そこ?」
「そこだ」
思わず笑った。その時、執務室の扉が勢いよく開いた。
「ローグ団長!」
魔法師団の隊員が息を切らせている。
「北から通信です!」
「何?」
ローグ様が立ち上がる。
「第二調査隊から?」
「はい!」
胸が跳ねた。
「負傷者はいますが、全員生存。第一調査隊九名を確保したとのことです!」
「……!」
良かった……身体から一気に力が抜ける。
「レオンハルト様は?」
思わず聞くと隊員が私を見る。
「あ……はい。ヴァイス副団長もご無事です。左腕に軽い負傷との報告が――」
「怪我してるじゃない!」
声が大きくなった。
「ミキ」
ローグ様が、笑いを堪えるような顔をする。
「軽傷だ」
「軽傷でも怪我は怪我です!」
だから、さっき腕が痛かったんだ。
「帰ってきたら怒ります」
「何でだ」
「怪我したから!」
「戦ってたんだから仕方ないだろ」
「それでも!」
でも……無事でちゃんと生きてる。
その事実だけで泣きそうになる。
「……良かった」
小さく呟く。
ローグ様は、もう何も言わなかった。
*
その夜、北の街道。
簡易野営地の小さな焚き火の前で、レオンハルトは、左腕に包帯を巻かれていた。
「動かさないでください」
魔法師に言われる。
「大した傷ではない」
「その台詞、ベルン医師には言わない方がよろしいですよ」
「……」
確かに面倒なことになる。
そしてもう一人、もっと怒りそうな人がいる。
『怪我したでしょう!』
言いそう……容易に想像できる。
口元が少し緩む。
「副団長」
カイルが向かいに座る。
「何だ」
「その顔」
「何がだ」
「ミキ様を思い出してる顔ですね」
「……」
「当たりですか」
「うるさい」
レオンハルトは、胸元からお守りを取り出した。
戦いの最中…何度も守ってくれた。
白い光………そして…あの気配。
近くに彼女がいるような…不思議な感覚。
「……離れていても」
小さく呟く。
「はい?」
「いや」
お守りを掌に乗せる。
その瞬間!淡い蒼色が、一度だけ光った。
そして、また感じた……
……安心
……嬉しさ
少しだけ怒っているような……
(……怒ってる?)
まさか??
「……」
いや……あの人ならあり得る。思わず小さく笑った。
*
王城……
私は、ベッドへ入っていた。
グレンジャー様に
「今日はもう力を使わないこと」
と念押しされたから大人しく寝ている。
本当です………でも
「……腕」
………気になる。
……左腕の軽い怪我?
明日、帰るわけじゃない。まだ北にいる。
「ちゃんと消毒してるかな」
こっちの世界なら治癒魔法?でも、傷は傷。
「無茶しないって言ったのに」
いや……剣で戦う人に傷一つ作るなという方が無茶なのかもしれない。
分かってる!!でも嫌だ。
「……帰ってきたら、ちゃんと見せてもらおう」
怒って…そして安心する。多分、その順番……
その時!胸の奥がふわっと温かくなった。
「あ……」
手のひらを見る。守護紋は出ていない。
でも、分かる何となく……
「あの人……笑ってる?」
どうして、そう思ったのか分からない。
でも、そんな気がした。
「……何笑ってるのよ」
少し、むっとする。
でも、すぐ私も笑った。
「無事ならいいけど」
目を閉じる。そして…心の中で、小さく呟いた。
(おやすみなさい、レオンハルト様)
遠く…北の夜空の下。
レオンハルトの胸元で、小さなお守りがほんの一瞬…
温かくなった。
彼は、目を閉じたまま静かに答える。
「……おやすみ、ミキ」
声は届かない…
けれど、二人の間には、言葉より確かな細い光がつながっていた……
*
深夜、北の森。
誰もいないはずの場所で黒い霧が、ゆっくりと集まり始めていた。
「……失敗したか」
低い声……石碑の亀裂は、昨日よりさらに大きくなっている。
『騎士を壊せば、守り人は来ると思ったが』
闇の中で赤い瞳が細くなる。
『守ったか』
……苛立ち、そして……興味…
『あの力……』
黒い煙が石碑の周囲を這う。
『以前の守り人には、なかった』
一瞬の静寂…そして……声は、ゆっくりと笑った。
『面白い』
『ならば――』
石碑の奥……さらに深い闇で、何かが動いた。
『今度は、こちらから会いに行こう』
遠く……
王城で眠っていた私の胸の奥で白い光が、一度だけ強く脈打った。




