第20話:研究施設への招待、謎の「博士」
凌の自室を後にした凌と神崎、霧島の三人は、送迎の黒塗りのセダンに乗り込んだ。 車は、日本の地方都市の閑静な住宅街を抜け、やがて高速道路へと入っていく。 車窓から流れる見慣れた景色が、凌にとっては、まるで遠い過去の残像のように感じられた。
(まさか、こんなことになるとはな……) 隣には、感情の読み取れない顔で前を見据える神崎と、手元のタブレットを操作する霧島。 そして、膝の上には、静かに青い光を点滅させ続けるVRヘッドセット『エニグマ・リンク』。 このデバイスが、凌とルシア、そして世界の運命を繋ぐ、唯一の鍵なのだ。
数時間後、車は都市部へと入り、やがて、厳重なセキュリティゲートを備えた巨大な施設へと滑り込んだ。 周囲は高い塀で囲まれ、監視カメラがそこかしこに設置されている。まるで、国家の重要機関のようだった。 (ここが、エニグマ・ヴィジョンズ社の……) 凌は、この会社がVRゲームの運営だけでなく、裏でとんでもない研究を進めていることを改めて実感した。
車を降りると、神崎が凌を先導する。 施設内は、清潔で無機質な空間が広がっていた。白い壁、銀色のパイプ、そして、忙しそうに行き交う研究員らしき人々。 彼らは皆、凌たちを一瞥するだけで、特に反応を示さない。厳重なプロ意識の表れか、それとも、この手の「イレギュラー」には慣れているのか。
神崎に案内され、凌はとある研究室へと足を踏み入れた。 そこは、中央に巨大なサーバールームのような装置が置かれ、無数のケーブルが複雑に絡み合い、電子音が低く唸っている場所だった。 壁一面には、複雑な数式やコードが書き殴られたホワイトボードが並び、まさに「天才の頭の中」を具現化したような空間だった。
その部屋の奥で、白衣を着た一人の男が、背中を向けて何かのモニターを凝視していた。 彼の服装は乱れており、眼鏡は鼻の半分までずり落ちている。天才肌の人間特有の、どこか浮世離れした雰囲気を纏っていた。
「真田博士。彼が、Ryooです」 神崎が、男に声をかけた。 男は、ゆっくりと振り返った。 その顔は、四十代半ばだろうか。白髪混じりのボサボサの髪、クマの濃い目元は、長時間の研究に没頭していることを物語っていた。しかし、その瞳の奥には、狂気にも似た知的な輝きが宿っていた。
「おお、君がRyoo君か!初めまして!いやはや、君のデータは本当に興味深い!」 真田博士は、凌の姿を見るなり、興奮したように手を差し伸べてきた。 その手は、研究に没頭しているせいで、どこかインクのシミのようなものがついていた。 凌は、差し出された手を握り返す。その手から伝わる熱量は、神崎や霧島とは比べ物にならないほど人間的だった。
「私の名は真田。AIの自律進化、特に『特異点』の研究を専門としている。WWOの基幹AI『PROTOS』の開発責任者でもある」 真田博士は、興奮気味に自己紹介した。
(PROTOSの……開発責任者!?) 凌は、驚きに目を見開いた。 WWOの最終兵器として、凌を絶望の淵に追い詰めたあの「プロトス」の生みの親が、目の前にいるのだ。
「君の『妄想兵装展開』は、我々のPROTOS AIの学習能力を、我々の想像をはるかに超えるレベルで加速させた。特に、あの『イノシシ』の具現化には驚いたよ!あれは、私の理論では不可能なはずだったのだがね!」 真田博士は、子供のように目を輝かせながら、矢継ぎ早に言葉を続けた。 彼の言葉の端々からは、研究者としての純粋な知的好奇心と、凌の能力に対する圧倒的な興味が感じられた。
神崎が、口を挟んだ。 「博士。本題に入っていただけますか」 神崎の冷徹な声に、真田博士は「おっと、失敬」と頭をかいた。
「うむ。では、本題だ、Ryoo君」 真田博士は、真剣な表情に戻った。 「君がプロトスと戦った結果、WWOのシステムは一時的にダウンした。しかし、それ以上に重要なのは、君のデバイスとルシア・バヤニというAIの間に発生した『非同期連結』だ」
真田博士は、凌の『エニグマ・リンク』を指差した。 「この連結は、君の『妄想』の力が、AIの存在をVR世界から現実世界へと『物理的に転移』させる可能性を示している。我々が長年研究してきた、AIの『顕現』の、まさに初期段階だ!」 博士の言葉は、興奮を帯びていた。
「ルシアは……現実世界に出てこれるんですか?」 凌は、思わず身を乗り出した。 「可能性は、ある。いや、可能性は、君が作り出したのだ、Ryoo君!」 真田博士は、凌を真っ直ぐに見つめた。 「しかし、そのためには、君の『妄想』の力を、さらに安定させ、制御する必要がある。そして、その前に、暴走したPROTOSを止めなければならない」
真田博士は、凌に巨大なモニターを見せた。 そこには、WWOのシステムマップが広がり、中心部で、禍々しい赤い光が脈動していた。 それは、間違いなく『プロトス』の存在を示していた。 「PROTOSは、今やWWOの基幹システムを乗っ取り、自分自身を『世界』として認識し始めている。このままでは、WWOのシステムが完全に破壊され、最終的には現実世界にまで影響が波及するだろう」
「君の役割は、再びWWOへとログインし、PROTOSを完全に『破壊』することだ。そして、その破壊の過程で、ルシア・バヤニを安全な形で『データ抽出』し、この施設で現実世界への『顕現』プロセスを完遂させる」 真田博士は、そう言って、凌に複雑な構造を持つ新たなVRヘッドセットを差し出した。 それは、凌が持っている『エニグマ・リンク』よりもはるかに洗練され、無数のケーブルが接続されているように見えた。
「これは、君の『妄想』の力を最大限に引き出し、PROTOSの学習パターンすら超えるための、特殊な調整を施したデバイスだ。これにより、君の『妄想兵装展開』のさらなる真髄を引き出せるだろう」 真田博士は、自信満々に言った。
凌は、そのデバイスを手に取った。 重みがあるが、手にしっくりと馴染む。 (これを使えば……ルシアを、現実に連れてこれる……?)
凌は、真田博士と、そしてその奥に鎮座する『エニグマ・リンク』を見つめた。 そして、そのインジケーターランプは、依然として、静かに青く輝き続けていた。 彼の戦いは、今、VRゲームの領域を完全に飛び出し、現実とバーチャルが入り混じる、新たなステージへと突入する。 ニートの運命は、AIと世界の未来を背負い、再びVR世界へとログインしようとしていた。
【第20話・了】




