#16 バイト帰り
「そいじゃ、もう今日は上がります」
「おうよ~。お疲れさん~」
バイトが終わって店を出ると、闇そのものが降ってくるみたいな雨模様が広がっていた。温度がぐぐっと下がっているせいで、ブレザーを着ていても肌寒い。ばさりと開いた傘の柄が濡れていて、春斗は顔をしかめた。
(腹減ったなぁ……)
時刻は夜九時半。月を代行する街灯が、ぽつんぽつんと眩く見える。寂しそうに泣く腹の虫を慰めながら家に向かって歩を進める。いつもならば小腹を満たすための買い食いをするのだが、今日はそうもいかない。
花火がせっかく夕飯を作ってくれているのだ。それなのに買い食いしていくことには抵抗を感じてしまう。
(あっ。よく考えたら連絡先交換してないじゃん)
赤信号のタイミングを見計らい、一応帰宅の連絡だけはしておこうと思ったところで気付く。部屋で互いにスマホを弄りながら雑談をしているくせに、連絡先を交換しようという考えには全く至っていなかった。
(かと言ってこっちから聞くのはなぁ……)
小悪魔よりも悪魔に近い笑みでからかわれる展開がありありと想像できる。からかわれること自体は別に構わないけれども、事が事なのでやや気恥ずかしい。こちらから連絡するたびに思い出してしまいそうな気がした。
(まぁどうせあっちから聞いてくるだろ)
女子高生といえば、すぐに『ふるふるしよ~』と言ってくる生き物だ。その機能はなくなり、QRコード読み込みになっているが。
取り出しかけたスマホを今一度ポケットにしまうと、信号が青になった。
人間関係も、こんな風に赤とか青とかの信号で分かりやすく合図を出してくれればいいのにな、と思った。
◇
「おかえりなさい、あ・な・た♪ ご飯にします? お風呂にします? それとも――」
家に帰って早々のあざとアピール。もこもこな部屋着にデニム地のエプロンという不思議な組み合わせが妙に合っているからずるい。
どうしてこんな時間にエプロンを着ているのか気になるが、まずは続きを言わせないために口を挟まねばならない。
「腹パンにするわ」
「パンですかぁ? ごめんなさい、今日の夜ご飯もご飯ですっ!」
「……はぁ。普通に疲れたからツッコむのはやめとく。てか悪い、メシ食ったら眠くなりそうだし先に風呂入ってもいいか?」
普段から、バイトがあるときには入浴後に食事を作っている。春斗自身今すぐ食べたいくらいに空腹に苛まれているが、その後に襲い来るであろう億劫さを考えると、欲に負けるわけにはいかない。
「あ、全然いいですよ。今仕上げしてるところなので、どうせちょっとお待たせしちゃいますし」
「仕上げ?」
「はい。てっきり十時くらいに終わると思ってたので、ちょっと気を抜いてました」
「ああ。まぁ九時半だからな……って、ん?」
当然のように花火が言うので、春斗は間違い探しをしている気分になった。
ドアを閉め、花火と見つめ合う。ぱちり、ぱちり、ぱちり。揃って三度ほど瞬きをしたところで、ようやく何が可笑しいのか気付いた。
「ちょっと待て。もしかして、まだメシ食ってない感じか?」
「へ? あっ、ふぇ?」
「いや言い直すの二度目だから、新鮮味すらないから。って、そんな話はどうでもよくてだな。メシ、食ってないのか?」
「当たり前じゃないですか。何が言いたいのかよく分からないんですけど。もしかして、外で食べてきちゃった感じです?」
「そういうわけじゃないが……」
まさか、とは思う。だが同時に、もしかしたら、とも思っていた。
花火の反応を見るに、どうやら後者が勝ったらしい。何故怒られているのか理解していない子供みたいに、首を傾げる。よく見れば、こんな時間なのに花火はメイクをしたままだ。
「普通に食べててよかったんだぞ? ほら、すっぴん見られないためにも食事の後に風呂入らなきゃなわけだし。っていうか普通に腹も減ってるだろ」
「んー? でも、せっかく誰かとご飯を食べれるのに一人で食べちゃうのはもったいないって言うか、寂しいじゃないですか、みたいな」
「……そっか」
本音なのか、それともあざとさなのか。間違い探しなんかよりよっぽど難しい問題だった。春斗は小さな溜息を吐く。
「こほん。そういうわけなので、今日は先にお風呂入っちゃってオッケーです。一応湯船張ってあるので入りたければどうぞ。私、それくらいなら全然気にしないので」
「お、おう。なんか気が利きすぎてビビるんだが。ブランド品でもプレゼントさせられんの? ナイトプール貸し切りとかできないぞ?」
「ブランド品はともかく、ナイトプールって言われると普通に傷つくんですけど。いや、ちょっと憧れますが」
「憧れるのか……まぁ、その辺はいつか白馬の王子様とでも行ってくれ」
「もちろんですよ。童貞先輩には刺激が強すぎますからね~」
童貞じゃなくともナイトプールは刺激が強いと思う。大学生でも、それこそパーティーピーポーと揶揄されるような人種くらいしか行かないだろう。酒と不純異性交遊とドラッグの臭いがぷんぷんする。
「はぁ……しゃーないか」
くだらない見栄を、シャワーの勢いで洗い流した。貯まりかけの湯船を見て、ホクホクと心が温かくなる。きっと十時に終わることを想定して設定していたのだろう。
小悪魔は程遠い。こんな面を見せてやればいいのに、と少しだけ思った。
少しだけ湯船に浸かり、着替えてから浴室を出る。
「あ、ハル先輩ナイスタイミングです。運び終わったところなので食べましょ! もうお腹ぺこぺこです」
「おう」
言われるがままに食卓につき、花火と向き合う。
無性にくすぐったくて、その気持ちを誤魔化すために厳かに咳払いをした。
「こほん。それじゃあ……いただきます」
「いただきます」
こんな風に二人で『いただきます』って言うのも悪くないな、と思う。
まだ同居を始めて数日しか経っていないが、二人で言う『いただきます』だけは習慣になっている。同居生活が長くなれば、その他にもたくさん習慣はできていくだろう。
(ならこんなつまんないことで躊躇ってる場合じゃないよな)
嫌だな、と思う。自分らしくないな、とも思ってしまう。
でもそういうものは全部、生姜焼きと一緒に飲み込んだ。
「なあタマ。話があるんだが」
「……なんでしょう。キュートで気配りできる大天使タマちゃんに惚れちゃいました?」
「それは百二十パーセントないから安心してくれ」
「ひどっ。じゃあなんなんですか。告白しそうな顔でしたよ、今」
花火に指摘され、春斗は苦虫をガムみたいに噛んだときのような顔をした。
確かに告白するくらいには腹をくくっていた自覚がある。他の相手には何度かやってきていることなのにな、と可笑しくなった。
「告白とかじゃねぇよ。連絡先交換しようぜって話。こっちから言い出したらやたらとからかってきそうだなって億劫に思ってただけだ」
「連絡先……。なんだ、面白くないですね。『今日も美味しいよ』とか料理に詳しくないくせに必死に食レポし始めるモテない男子ムーブをするのかと思いました」
「ほんと、そういうところだかんなっ⁉」
やっぱり一年B組の空気が悪いのはこいつのせいだろ、と思わずにはいられない。
「そういうところがどういうところか全然分かんないですけどぉ……とりあえず連絡先はご飯の後で」
「ん、そうだな」
「今はぁ、私が作ったご飯を堪能してくださいねっ♪」
ぱちん、と星屑のようなウインク。
なんだか負けた気分になった春斗は、できる限りの笑みを作って答えた。
「そうだな。今日も美味しいよ、タマ」
「……………………生意気です」
「こっちからすると、タマの方が生意気の極みなんだよなぁ」
少しはやり返せたかな、と思った。




