#15 楓と一年B組
案の定と言うべきか、翌日は蓋をされるような土砂降りだった。
午前中の授業の最中もずっとノイズのような雨の音が続き、窓際の席に座る春斗はどうしても気が散ってしまっていた。
「梅雨って最悪だよな」
昼休み、春斗の前に座っていた生徒の席を借りている望月に告げた。憂うように窓の外を見遣ればズンと重い気分になり、自然と声も沈んでしまう。
「ハルって雨嫌いだもんね」
「雨が好きな奴なんているか? 服も濡れるし、じめじめしてるし、雨がうるさいし」
不機嫌なまま、春斗は背もたれにかけていたブレザーをクイっと引っ張った。触れた指先はそれだけで僅かに湿り、登校の際にどれだけの雨を吸ったのかが分かる。
雨が嫌いだ、と一概に思っているわけではない。雨の日だって時には素敵な日になってくれる。雨の弾けるような音が小気味良いタップダンスに感じられるときだってあることだろう。
それでもやっぱり、今日の雨は嫌だった。
ズボンも裾の方がジュンと濡れていて、本当ならジャージにでも着替えたいところだ。
「うわー、ハル兄がドロドロなオーラ出しまくってる」
「お、早かったね楓」
「まーね。モチ兄に会いたかったからさ!」
ダウナーな気分が加速していく春斗の前で、ふんわりと向日葵みたいに幸せそうなやり取りが交わされる。
気分を変えてそちらを向くと、望月の隣にポニーテールの少女がいる。望月と同じくらいの背丈と膝小僧がきらりと眩しく見える短いスカートから、陽のJKらしさをありありと感じた。
……ちなみに陰のJKとはもちろん花火である。
「ああ、楓か。今日は来たんだな」
「うん。ほんとは昨日も来たかったんだけど、やっぱり付き合いがあるからねー」
「人付き合いねぇ……。色々大変だよなぁ、一年生も」
「ね。ハルも一年生の頃って大変だったもんね」
望月と顔を見合わせ、うんうんと頷く春斗。彼の頭にあるのは、クラスのほぼ全員は春斗のことを警戒していた頃のことだ。
一年生の頃、春斗は今よりも遥かに警戒されていた。特に女子からは相当に倦厭されており、友達作りに苦心したのだ。去年も同じクラスだった望月の協力もあり、何とかそれなりに信用を獲得して今に至る。
そうでなくとも一年生のこの時期は、ちょうどグループが固まり始めている頃だ。期末試験とその後にある行事、そして夏休みにかけてグループが固定される。二学期になれば、なかなか変わることはないだろう。
「ま、とりあえず食べよ。ほらモチ兄、お弁当作ってきたよ」
「うん。いつもありがとね」
「えへへ、ありがたいと思うなら褒めるがよいのです!」
百点満点のテストを見せびらかす子供のように、誇らしげに胸を張る楓。
何とも甘い空気。
嫌いではないが、こんな至近距離で直接摂取してしまうと砂糖水の温泉が口の中でできてしまいそうな気分になる。今朝コンビニで買った惣菜パンのソースが、チョコレートみたいに思えるのだから不思議だ。
一方の望月と楓は、二人でサイズ違いの弁当箱を開ける。チラと中身を除くと、玉子焼きやらウインナーやらといった分かりやすいおかずが詰め込まれていた。
望月の弁当は、今年から楓が作ることになったらしい。今日のように一緒に食べる日は食べるときに手渡し、事情があって一緒に食べれない日は朝のうちに渡しておくのだという。
恋をしたいとは思わないが、そういう恋人らしい甘い行動には惹かれてしまう春斗だった。
(あ、でもメシ作ってもらってるって意味ならタマにやってもらってんのか……)
ふとそんなことに気付いてしまうと、途端に首のあたりがむず痒くなる。ガブガブと一つ惣菜パンを食い終え、スポーツドリンクでグイっと押し流すように飲み込んだ。
「そういや、楓って何組だっけか」
「うっわー、すっごい今更。私は一年B組だよ」
「だから、縦割り行事だと一緒なんだよね。ほら、七月の球技大会とか」
春斗たちが通っている高校では、三つの学年が合同で行うような行事がそれなりにある。入学後に行われた新入生勧誘レクリエーションもその一環だが、最初に目立つ行事はそちらよりも七月に行われる球技大会だろう。
プチ運動会みたいな部分がある球技大会では、一年A組と二年A組と三年A組……といった感じで同じ組のクラスが協力して行うことになっている。
春斗たちは二年B組なので、楓たち一年B組と協力することになるというわけだ。
「そいつは頼もしいな」
「でしょー。私がいれば百人力だかんね。今年こそ、二人をIHに連れていくから」
「球技大会でどうやって行くんだよ……」
「気合いかな。ね、モチ兄!」
「楓の気合があればなんとかなるかもだね」
「ちゃんと彼女の手綱を握っとけ」
ノリノリな望月の肩を小突く。楓のことも突いておきたいところだったが、一応は美少女なので周囲の目に気を遣ってやめておく。場合によっては友達の彼女を寝取ろうとしていると思われることがあるのが、春斗の容姿の面倒なところだ。
「今思い出したけど、桜内さんって一年B組だよね」
「ほーん。そうなのか?」
よく考えてみれば、春斗は花火の学校での様子をあまり知らない。雑談で話すのは同居生活のことだったり、点けっぱなしのテレビの内容だったりがほとんどだ。
春斗が尋ねるように視線を向けると、楓は微妙な笑みを浮かべた。
「んー、そうそう。だからちょっとクラスの空気が悪いんだよね」
「『だから』ってつくレベルであいつはクラスの空気が悪い原因なのかよ……」
「あはは……」
あながち冗談には思えないので、春斗はげんなりと苦笑する。
「まぁちょっと、だよ? 別にいじめとか対立とか、そんな酷い感じにはなってない」
「いじめとか対立って言葉が出てくる時点で怖いんだよなぁ」
「まぁ、そういうのは女子なら皆経験してるからね」
「「女子の人間関係が怖すぎる」」
春斗と望月、二人の声がダブった。
自分たちもそれなりにビターな経験をしているつもりだったが、楓の話を聞くと、もっと大変な目に遭っていそうだから心配になってくる。
花火のことは少し気になるので、続きを聞いてみることにした。
「具体的にはどんな感じなんだ? なんかできることがあれば力は貸すぞ。俺、二年の学級委員だし」
最後は方便だが、完全に嘘と言うわけでもない。力になれるのであれば手を貸すつもりだ。
「お~頼もしい」
「馬鹿にしてんだろ」
「してないしてない。……で、どんな感じか、だよね」
玉子焼きを丁寧に切った楓は、ひょいっと口に放る。もぐもぐと食べきったところで、楓は説明してくれた。
「男子の半分くらいに惚れられてて、女子の八割くらいに嫌われてるんだよ、桜内さん」
「お、おう……」
「で、男子と女子がビミョーにピリピリしてる感じ」
「ほーん」
何とも形容しがたい気持ちになる。あからさまな対立や問題が生じていれば、義憤に駆られていたかもしれない。だが、水面下で空気が険悪になっているだけだとすれば、それはあくまで感じ方の話。大変だな、くらいでどうしても留まってしまう。
(それはそれとして、マジでタマやべぇじゃん……)
五割の男子に惚れられている時点で色々と思うところはあるが、それ以上に女子八割から嫌われているのが凄すぎる。
他にも幾つか一年B組について楓から話を聞くが、どれも分かりやすく解決策を用意できるようなものではなかった。
「やべぇな、なんとかできる気がしない。何なら、もっと拗らせる自信あるぞ」
「あはっ、だよねー。うちのクラスにも、ハル兄のこと嫌ってる子いるし」
「やめてほしかった。分かってはいるけど現実を突きつけないでほしかった……」
「ドンマイ、ハル」
不貞腐れるようにぷいっとそっぽを向き、残った惣菜パンを食べきる。
今度はソースが苦く感じるのだから、味覚は本当に頼りにならないものだと思う。
「なぁ楓。桜内を責めないでやってくれよ?」
「うん、分かってるよ。伊達にトラブルメイカーのハル兄の幼馴染やってませんから」
「…………俺ってあいつに並べるレベルでトラブルメイカーだったん?」
「「…………」」
「おいこら、カップル揃って顔逸らすんじゃねぇ。いや、逸らさないで? 違うって言って!」
春斗が泣き出しそうな声で言ってから、三人でいっぺんにぷくくっと吹き出す。
窓と叩く雨の音が、少しだけ静けさを学んだ気がした。




