#14 着替えとコーヒー
「あ、せんぱぁい、おかえりなさいっ♪」
「語尾に音符がつきそうな喋り方をすんな。顔面にバッグを投げつけんぞ」
「ひっどぉい。わ・た・し、今日一日ずぅっと先輩に会いたかったんですよぉ」
「……それで騙される男っていんの?」
うざいを通り越して、むしろ興味が出てきた。あまりにも明け透けすぎて、騙される男がいるようには思えないのだ。そもそも、あざとい行動の大半を春斗はネタとしか見ていないというのもあるが。
言われた花火は、人差し指を唇に触れさせてあざとく考え始めていた。
「んー、どうでしょう。流石にハル先輩には本気でやってないですけど……これくらいで騙されちゃうチョロい男子もたまにいますよ」
「言い方が可哀そうすぎるんだよなぁ」
「ちなみに、何故かかなりの割合で眼鏡かけてる男子が多いです」
「最悪の調査結果なんだよなぁ……」
きゅるるっと悪戯心のこもった笑顔を浮かべる花火。どこまで冗談でどこまで真実なのか、考え始めたら闇が深そうなのでやめておくことにした。
スクールバッグを所定の位置に投げ捨て、制服のブレザーで仰ぎながら棚から着替えを取り出す。蒸し暑いので今日からは半袖のシャツにしてしまおうと決めていた。
「って、ハル先輩。なんで当たり前のように制服脱ぎ始めてるんですか」
「いや、普通着替えるだろ。タマだって部屋着じゃん」
今の花火は、もう制服を着てはいない。白とピンクのもこもこしたルームウェアとホットパンツの組み合わせは、誰が見ても百点満点な女の子の部屋着姿そのものだろう。瑞々しくも白い太腿は、男性女性問わず、見る者の目を惹きつける。
「まぁ、それはそうですけど。そうじゃなくて、ですね!」
「じゃあどういうことだ?」
「私がいるんです! 花も恥じらう大天使タマちゃんがっ!」
「あーうんうん、その痛い口上には花も赤面必至だわ」
「そういうことを言ってるんじゃないですっ! っていうか、痛くもないですからっ!」
ぷしゅりぷしゅりと頭から湯気が出そうな感じで花火が怒った態度を見せる。ムッと小さく頬を膨らませた彼女は、虚空で指をふりふりとしながら続けた。
「あ・の・で・す・ねっ! 私は女の子です! ハル先輩は、女の子の前で着替えて何にも思わないんですか?」
「あー……どうだろ。女子が着替えてるなら別だが、女子に見られる分には何にも思わんな。別に下着を脱ぐわけでもあるまいし」
「はぁ~、これだからヤリチン先輩は」
花火は、分かってねぇなと言わんばかりにやれやれと肩を竦めた。その態度にムッとするものの、花火の言っていることがイマイチ吞み込めないのも事実だ。
「なんか腑に落ちないって顔してるので、分かりやすく説明してあげます。想像してみてください」
「想像、ねぇ」
「はい、想像です。ハル先輩の妹さんが女子高校生になったとしましょう」
「おお……絶世の美少女だな。学校中の男子の目を潰す必要があるかもしれん」
「シスコン具合がドン引きなんですけど……まぁ、いいです。ここで考えてみてください。どこの馬の骨とも知れない男子が妹さんの前で着替え始めたらどうしますか?」
言われるがままに春斗は想像してみる。
あまりしたくはない想像だが、春斗の妹は美少女だ。きっといずれは彼氏ができるだろう。もしもそんな彼氏と帰っているときに急にゲリラ豪雨に襲われてしまったら……。
優しい妹は、彼氏の服が乾くまで家で雨宿りをさせてあげるはずだ。服を乾かすには脱ぐ必要がある。彼氏は、着ていたワイシャツのボダンをぽつん、ぽつんと一つずつ外していき――
「八回殺しても足りない自信があるなぁッ⁉」
「そんなにですか⁉」
「当たり前だろ。俺の妹の目を汚すとはどういう了見だ。いや、むしろ猟犬だと言っていい。一刻も早く去勢手術をしてやりたいね」
「うわぁ……」
何の迷いも恥じらいも脚色もなく語る春斗から花火は距離を置いた。明らかにドン引きしている顔だ。うへぇ、と渋い顔を隠す気すら見せようとしない。
「なんかもう、シスコンっていうか普通にキモイですね。そんなに可愛いんですか?」
「うちの妹が可愛くないんだとしたら世界に可愛いって概念は消える」
「へぇ。じゃあわた」
「妹のが可愛いな。タマと比べることすら烏滸がましい」
「最後まで言わせてすらもらえないのはちょっとムカッてなるんですけど」
そうは言われても、春斗にとって妹と花火はあくまで別カテゴリーなのでしょうがない。どちらが可愛いのかだなんて論ずるに値しないのだ。
「はぁ……色々思うところはありますけど、つまりはそういうことです。女の子の前で上半身だけでも裸になるとか、絶対ダメですから」
「おお……そう言われると納得感がすごいわ」
昨日は雨で濡れたこともあり、帰宅してすぐに入浴と着替えを済ませていた。だから考えてもいなかったが、いざ想像してみると常識的に考えて着替えは見るのも見られるのもダメだ。
幼馴染の楓の前で着替えたことは何度もあるため、感覚が鈍っていたのだろう。しかし、それは配慮不足の言い訳にはならない。
「悪いな、全然気が回らなかった。めんどいし、風呂で着替えてくるわ」
「それでお願いします。あ、それともぉ、頼もしい体をぉ、私に見せたかった、とかですかぁ?」
「全面的に俺が悪いけど超ムカつく……っ!」
「てへっ」
◇
春斗が着替えを済ませて浴室を出ると、花火がソファーに座ってスマホを弄っていた。点けっぱなしのテレビでは、明日の天気予報が流れている。今日は幸いなことに曇りだったが、明日からはまた雨が続くらしい。
「コーヒー淹れるけど飲むか?」
「んー。じゃあお願いします。砂糖とミルクたっぷりで」
「はいよ」
カップを二つ用意して、両方になみなみとコーヒーを淹れる。小さい方のカップに砂糖とミルクを入れて混ぜると、誰かさんの瞳みたいな柔らかな色の渦ができた。
自分の分のカップにも適量の砂糖とミルクと投入し、リビングに運んだ。
「ほい」
「ありがとうございます」
「気にすんな。着替えのことで気が回らなかった分の詫びだ」
「その詫びがコーヒー一杯って……しかもインスタントですし」
「毎回のように奢ってたら破産しそうだからな。タマの場合、ブランドバッグとか求めてきそう」
「私の印象酷すぎませんかね」
ぶつくさ言いながらも、花火はカップに口をつける。
冷えたミルクのおかげがぬるめになったコーヒーを飲むと、花火は気持ちよさそうにすぅと目を細めた。
「えへへ」
それは、しょうもない比喩なんて思いつかないくらいに素朴で、鮮烈からは程遠くて、なのに可愛い笑顔だった。
けれども、見惚れる間もなく霧散してしまう。
「ハル先輩、どうかしました?」
「いや。砂糖とミルク、それくらいでよかったか?」
「これくらいが適量です。ポイント稼げてよかったですね、せーんぱいっ」
「……一ポイントたりともいらねぇよ」
ミルクの量が少なかったからか、春斗がちびりと飲んだコーヒーは熱かった。




