親が偉いと自分も偉いと思い込んでしまう子供がいるんですよ
寮の中庭で一心不乱に剣を振る小さな姿があった。ハイディである。
父シリウスから毎日剣は振るように、と言われて馬車の旅の時も船の中でも素直に従っていた。剣が振れるようになったころから毎日続く習慣の一つになっていて、やらないとどうにもスッキリしない。
昨日のことを思い返しながら剣を振っていると、ああやっぱり女子になってしまったんだなぁ、とよくわからない感傷じみた感覚に襲われた。年頃の女の子二人とお風呂に入ってあまつさえ添い寝してしまうなど、もし同じ年頃の男子であれば今頃「煩悩退散!」などと叫びながら剣を振り回していたところだ。さすがにお風呂の最中は慌てふためいてしまったが、のど元過ぎればなんとやら、今はすっかり落ち着いている。
部屋に戻るとすでに同室の二人、きつい目のリリィとおさげ髪のマチスが制服に着替えて待っていた。
ハイディも机に置いてあった昨日支給されたばかりの制服に袖を通す。昔通っていたころから少し意匠が変更になって現代風でかわいい感じになっているのだがハイディはそんなことには気づきもしなかった。
「初日は大講堂に集まって説明会があるだけだけど、授業の選択とかはこの日に申し込みしておかないと人数超過でお断りされることもあるから欠席はできないんだよね~」
とはマチスの言葉だ。
その言葉通り、大講堂には全校生徒である二百余名が集まっていた。
三人で固まって空いていた中ほどの席に座るとすぐに教師が入ってきた。
まだ若い教師だったのでハイディには当然見覚えはない。
「新入生、在校生の皆さん、おはようございます。私はこの学院で魔術理論の研究をしているラヴィオと申します。今日は私から皆さんに諸注意と連絡事項をお伝えします」
そんな感じで、ラヴィオによる学院の説明が始まった。
一応ふんふんと聞いていたハイディではあったが、内容はほとんど自分がかつて在籍していたころと変わらなかったので徐々に興味を失っていき、最後のほうは眠気との戦いになっていた。
中央魔術学院の教育課程は魔術の理論と実践が主要なものであるが、補助的なものとして魔術後や外国語、古語といった言語の授業や、算術、歴史といった一般教養、王侯貴族のもとで働く時のための礼儀作法といったものも含まれる。
専門的な分野としては、物質の生成・合成を扱う錬金術、魔術を補助する道具を扱う魔術具、製薬などがあり、授業で基礎的なものを学んだあとは各自教師について独自の研究を行い、卒業に必要な数の授業を受けて単位を取得し、その研究の成果が認められれば晴れて卒業となる。
授業の内容は半年ずつ一年で繰り返しており、つまり理論上は一年ですべての卒業必須単位を取得することは可能ではあるが、授業の時間帯が重なっているものもあるので授業に出るのであればどんなに早くても二年は必要だ。
授業に出ず、それなりの成果を試験などで示せば単位をもらえるものもあるので、それを駆使すれば最速一年半で卒業も可能だった。ちなみに「魔王」は一年目の終わりには必須単位の九割を取得した状態で、担当教師と衝突して退学していた。
主に新入生からの質疑の時間もただ座って話を聞いていた。
時折きょろきょろと周りを見回してみたが、やはり自分と同じ年、という生徒はいないようだった。大半がマチスやリリィと同じ年頃の生徒たちだ。
説明会の後、配られた用紙に履修を希望する教科を記入していく。五十年前から代り映えしないやり方になんとなく落胆しながらも、ハイディは用紙に大量の教科名を羅列していった。
「ちょっとハイディちゃん、そんなに書いて大丈夫なの?」
「休憩時間が殆どないし、ほら、これとこれとか思いっきり時間被ってるよ」
「体力には自信があるので大丈夫です。あと、このあたりの基礎的な科目と語学系は試験だけで合格できると思います」
さらりと言うハイディに、二人は唖然としながらも、こんな年でここにいるんだからそんなものなのかもしれないな、と妙に納得もしていた。
ハイディとしては、かつて在籍していたころ、一年で卒業必須単位を集めるのにわずかばかり足りなかったことがある種の後悔として残っていたので、ハク付けも兼ねてこれを機に史上最速卒業を目指すつもりだった。初級・中級・上級のようにそれぞれの合格条件に下級の単位取得が含まれているものもあるため、そういうのが漏れないように慎重に確認していく。
昔は言語学、特に古語と外国語が当時の実力ではどうにもならず、一部を二年目に持ち越してしまった(そして結局取得しなかった)のだが、今は逆にそのあたりの科目は得意分野といっていい。年の功で試験のみで通せるはずだ。
逆に半世紀近い引きこもりと田舎暮らしの影響で一般常識的な科目に若干の不安がある気がする。
「よし、これで提出します」
「すごいね…大丈夫?」
「はい。一年で卒業するつもりなので!」
「そっかー、がんばってね!」
二人はあまり本気にしていなかった。
たまにいるのである。理論上は一年で卒業できるので、そうできるように授業を詰め込む新入生というのは。実現できた生徒は今まで誰一人として存在しないが。
申込用紙を三人で提出して講堂を出たところで待ち構えていた一人の生徒につかまった。キザっぽく柱にもたれかかっているが、締まりのない腹回りがなんとも笑いを誘ってくる。
「やぁ、リリィ。休みの間は元気にしていたかい?」
「!!」
びくっ、と声をかけられたリリィが固まってしまった。
会いたくないやつにあった、そんな感じがありありと浮かんでいる。
「だ、大丈夫です。問題ありません」
小さく頭を下げて前を通り過ぎようとしたところで小デブがぱっとリリィの手を取った。その手を振りほどくこともせずに少し震えているリリィを不審に思ったハイディは、てい、と手刀でその手を切った。
「おや、こちらの小さいお子様はどなたかな?」
「新入生のハイドランジアです。寮ではリリィさんと同室なのです」
「そうかい、ハイドランジアちゃん、よく見ると君もかなりかわいいね。あと五年もすれば僕好みの淑女になれそうだ。どうだろう?僕の五番目の妻になるつもりはないかい?」
きらっ、と白い歯を見せて笑いかけてくるが、こいつ何言ってるんだ頭おかしいんじゃないのか、というのがハイディの感想だ。
「結構です、あなたのような小ぶたには興味ありませんので」
「なっ、なにをっ!?」
そのやり取りを聞いていた観客たちがぷっ、と小さく噴き出してしまったこともあって、小デブの顔は真っ赤になっていた。それを見てハイディはますます子豚のようだ、と思った。
「だっ、誰が子豚だ!!僕を誰だと思ってる!?」
思っただけのつもりだったが口から出ていたようだ。失敗失敗。
激高した子豚が勢いに任せてハイディの胸ぐらをつかんだ。
基本的に魔術師は非力ではあるが、そこは見たところ五つぐらいは年上の体格のいい小デブである。ハイディを吊り上げるぐらいのことはできた。
どこのどいつか知らないが、少し頭にきたハイディは、自分を吊り上げている右手を無造作につかんで文字通りひねり上げた。父から叩き込まれた護身術の一つだ。
「あ!?痛い!!痛い痛い!!」
ハイディを吊り上げていたはずなのに、いつの間にか無様に床を見て這いつくばっている。動こうにも腕を押さえたハイディによって肩がばっちり極まっていて、身じろぎするだけでも激痛が走る。
「そこ、何をやっているんです?」
騒ぎを聞きつけた教師、ラヴィオが出てきたところで、ぱっ、と手を放してやった。子豚は涙目でふーふー息をつきながらハイディを睨みつけていた。あ、なんかいいな、こういうの。目覚めてしまいそうだ。
「なんでも、ありません」
子豚はそう言って教師を制すると、びっ、とハイディに指を突き付けて。
「パパに言いつけてやるからな!」
と言い残して肩を押さえながらふらふらと出て行った。
「パパって…」
ため息しか出ない。あの年にもなって子供相手に他にもっとなにか言うことはないのか。
「ハイディちゃん、大丈夫?」
心配そうにマチスが声をかける。
「大丈夫ですよ。あの程度なんともありません」
襟元を整えればほら、何事もなかったかのように。
その手をリリィがとった。やたらとキラキラした目でハイディを見つめてくる。
「すごいね!あんなレントン初めて見たよ!あいつ、市長の息子だからって威張ってて嫌な感じだったんだよ」
「……へー」
権力者の場合は想定していなかったハイディであった。
結論から言うと、あまり大丈夫ではなかった。
◇
大講堂のある本館を出ると、ハイドランジアたちの前に迎えの馬車があった。
当然、三人の目的地はすぐ隣の寮なので馬車など必要ない。
しかし馬車から出てきた執事然とした男はハイドランジアたちを見かけると歩み寄ってきて手を胸に挨拶した。
「ご一緒に来てくださいますかな?」
「嫌です」
断ってはみたものの、徒労に終わった。
三人ご一緒にどうぞ、と言われたがその義理もないだろう、とハイドランジアは一人で馬車に乗ることを決めた。足手まといだと思ったわけではない。迷惑かけて悪かったな、と思っている。
馬車は学院の敷地を出て十五分ほど進み、町の中心部に向かう。そこにあるやたら豪勢な屋敷の中に入っていき、扉の前で降ろされた。
そのまま女給さんたちに率いられて応接間らしきところに通される。
少し待っていると、どこかで見覚えがあるデブと、さっきの小デブが姿を現した。予想していたこととはいえ行動が早すぎる。
そんな呆れ顔に気づいた子豚ちゃんがぶーぶーと鼻を鳴らした。
「急に呼び立てしてすまなかったな。私はリットン。この町の市長をしている。そしてこいつの父親だ」
子豚の頭をぐりぐりしながら男が名乗った。やはり聞き覚えのある名だった。
この国は王を中心としながらも各地の実質的な支配は王が任命した知事が治めている。しかしここ、中央都市だけが例外で、市長と呼ばれていた。つまりこの男は実質的なこのあたりの最高権力者である。
そんな最高権力者を前に全く物怖じしないハイドランジアをリットンは好ましく思っていた。
「お初にお目にかかります、リットンさま。私はシリウスとアンの娘、ハイドランジアと申します。リットンさまのことは父からよく聞かされております。お会いできて光栄です」
ぺこり、と優雅に頭を下げる。
「やはり、そなたはシリウスの娘であったか。こいつから名前を聞いたときにもしやと思ってはいたが、いやはやもうこんな年頃になっていたのだな。月日が流れるのは早いものだ」
突然の和やかな挨拶、そして握手に、釈然としないのは息子のレントンである。
「ち、父上!話が違うではないですか!この娘を懲らしめていただけるのでは!?」
その抗議に対する返答は頭上から降り注ぐ鉄拳だった。
「馬鹿もの。この私がお前が学校で起こした揉め事如きでいちいち呼びつけたりするものか。ちょっと確認したいことがあっただけだ」
「確認とは何ですか!」
「この娘さんのご両親についてだ。もう用は済んだがの」
「両親!?それが何だというのです!えーっと、シリウスと、アンでしたっけ?シリウスと、アン…!?シリウスとアン!!」
そこで子豚の顔色がさっ、と変わる。あまりの早変わりに思わず吹き出しそうになるのを我慢するのが大変だった。
「あ、あの、父上。その、シリウスとアン、というのはもしかして?」
「そう、おまえにも何度も話して聞かせていると思うが、私が魔王討伐の旅の折に一緒に戦ったそのシリウスとアンだ」
「げっ、勇者!?」
レントンの父リットンは、十年前の魔王討伐の折に勇者とともに戦った。
どっしりとした体格に合わせた重厚な鎧を着て盾と斧を扱う重戦士として。その戦いは決して派手なものではなかったが玄人好みの戦いぶりで、監視映像をカルマンと二人で見ていた時にその渋さについて酒を飲みながら一晩語り明かしたこともあったほどだ。ミラにはあきれられていたが。どうやらその功績によって市長になったらしい。
「勇者…」
勇者というのは、レントンにとってはもう一つ別の意味を持つ。
というのも、最大の功労者たる勇者シリウスが市長の座を辞退したことによって、自分の父が市長の座についているのだ。つまり、それがなければ今のレントンとハイディの立場は逆になっていたのである。
とはいえそんなことを気にするハイディではない。子豚ちゃんが都合よく打ちひしがれているようなので、このまま面倒がないように「お願い」しておくに留めておく。
「というわけですので、私や同室のリリィさんに変なちょっかいを掛けないようにしていただけると嬉しいのですが」
「ああ。私からもよく言っておこう」
「くっ」
悔しがってにらみつけるレントンであったが、ハイディのほうは涼しい顔だ。なんなら微笑み返してやってもいい。それぐらいの余裕を見せるのが年長者の余裕というものだ。
一方で、笑顔を向けられたレントンは、胸の高鳴りを感じた。
馬鹿な、こんな子供に?しかしよく見るとかなり整った容姿をしている。
勇者の娘であれば田舎娘とはいえ家格には何の問題もなく、どうしよう。本当に欲しくなってきたかもしれない。
そんな息子の思考を知ってか知らずか。
「本来であれば息子との婚約を、とでも続けたいところなのだが、出会いが最悪だったな。私からは何も言わん。欲しければ自分で手に入れることだ。この娘は一年半もあれば卒業するだろう。卒業後も引く手数多のはず。三年かけても卒業できなかったお前にはもったいないわ」
と耳打ちした。
そのあとはそのまま昼食にお呼ばれして、寮まで送ってもらうことになった。食事の最中、ずっと不機嫌なレントン。しかしハイディと目が合うと顔を真っ赤にして目を伏せてしまう。何だか釈然としないものを感じないでもなかったが、特に興味もないので捨て置いた。
「あの、最後に一つお願いがあるのですが」
「私ができることなら聞こう」
「私の両親のことは、できれば内密にお願いしたいのです」
昨日学院長にも頼んだことだ。勇者の娘だなんだと絡まれるのは御免被る。
「わかった。口外しないと約束する。息子にもよく言って聞かせておこう」
「よろしくお願いしますね」
言質も取ったし、一安心だ。
◇
寮の部屋に戻った途端に、飛び出してきたリリィに抱きすくめられて困惑する羽目になった。
「怖い事されなかった?大丈夫だった?」
「ええ、大丈夫でしたよ。挨拶してお昼を頂いただけですから」
「本当に?何かあったら言ってね、絶対だからね!」
そのまま泣き出してしまったリリィの頭を撫でながら、何かいいなこういうの、とほっこりしたハイディなのだった。
6/29 レントン君の名前が間違っていたので直しました




