海上で雷撃魔術を使うのはイカがなものか、と彼女は言った
景色は代り映えしないままの長閑な平原のまま、ひたすら馬車に揺られて進む。
家を出てからはや三日、ようやく最初の目的地である港町に到着した。そこで一泊するのかと思ったが、今日はこのまま船に乗ってそこで一泊するらしい。ようやくベッドで寝られると思ったのに、ベッドはベッドでも船の上のベッドだった。
まぁ、それは仕方ない。何しろこのまま陸路を行くと、今から船で渡ろうとしている内海を大きくぐるっと半周し、一月半以上はかかってしまうのだから。
それが船に二泊する間に海を渡り切れば、あとは鉄道で二、三時間もあれば目的地に着くというのだから乗らない理由はない。
それに、久しぶりの船旅に少しわくわくしているハイディでもあった。
物珍しさから甲板に出て海を眺めていると、後ろに気配を感じた。トゥールだ。
「あなたは船酔いしないのね」
「はあ…?」
「アンは、それはもうひどく船酔いする子だったわ。船に乗り込んだ瞬間から顔を真っ青にして、動き出してからはかわいそうなぐらいよ」
当時の様子を思い出すと、自然とトゥールの顔に笑みが浮かぶ。完全無欠だと思っていた「弟子」の、唯一の弱点を見つけたと当時はずいぶんからかったのだ。
「それでよく魔王討伐の旅をできましたね」
当時魔王が根城にしていたのは、この大陸の東の端から船で一月ほど進んだところにある、西側の海岸線以外はほぼ未開の地といってもいい東大陸の奥地だった。当然、そこにたどり着くためには一月以上の船旅を経験する必要があるのだ。
「そうね。途中でクラーケンが出てきたときに気づいたそうよ。あ、魔術で浮いてれば大丈夫なんだ、って。それから船に乗るときは寝るときでも魔術で浮いてたそうよ」
「何ですかそれ。デタラメですね」
そもそもそれは船に乗る意味があるのだろうか?
「そうね。時々あの子はふつうの魔術師ではとてもできないようなことをさらりとやってのけることがあったわ」
魔術の行使には程度はあれど詠唱が必要だ。特に浮遊のような効果が持続する魔術では連続的な集中と定期的な詠唱が必要になる。
ハイドランジアの《サイレントルーム》や《コネクト》がそうであったように詠唱自体は魔術陣や魔術具で補助すれば『詠唱しない期間』を長く作ることはできるが、それでも魔術を動かすための『力』は自力で注がねばならないので魔術の行使中に寝るというのは原理的に不可能だ、というのが魔術師達の共通理解のはずなのだ。
もちろん、魔術の理論としてはおそらく世界一進んでいた魔王にとってもその認識は変わらない。
そこでふと、一つの可能性に思い当たった。自分の今の母の出自の特異性にも由来するであろう可能性。
「古代魔術、でしょうか。かつて魔女たちが使っていた、現代魔術とは異なる仕組みで動いてたという…」
「おそらくそうでしょうね。ハイディちゃんは古代魔術は使えるのかしら?」
俄かにトゥールの目の色が変わった。なるほど確かに研究者なのだろう。
「いえ、残念ながらまだ。大きくなったら、と言われています」
「そう。なら、学院を卒業すればきっと教えてもらえるわね」
そしたら私にも教えてね、ということなんだろうななどと考えながら「そうですね」と曖昧に笑ってその話はそこまでとなった。
そろそろ夕食の時間だということで、船室に戻った。
この船には食堂もついてはいたが、トゥールとハイディは最上級の「特等船室」の客であり、この等級では船室で豪華な食事が給仕される。
「これはまた、豪勢ですね。いくらするのですか…」
「子供はそんなことを気にするものではありませんよ。馬車の旅ではどうしても質素な食事になりますからね。こんな時ぐらいは豪華にするのもいいではないですか」
船とは言え大陸間を横断するようなものではなく、港町を三日かけて往復するだけの連絡船だ。町の有名な食事処と同じような食事を提供することができる。その中でもこの船は特に食事に力を入れているらしく、並べられた食事はどれも見たこともないようなものだった。
尤も、ハイディとして生まれてからは母の(よく言えば素朴な)料理や父の(よく言えば野性味あふれる)料理しか食べていなかったし、魔王時代も若くして国を追われ東大陸に渡ってからは自分で作った(控えめに言ってもただ栄養を摂取するだけの)食事や助手たちが作った(ただ保存食を切って並べただけのような)食事が長く長く続いていたし、(お金をとれるという意味で)まともな料理というのは、もしかすると半世紀ぶりかもしれなかった。
食事が終わればあとは寝るだけだ。こんな船の上でできることなどほとんどない。
ゆらゆらと揺れる船がいい感じに眠気を誘ってくる。
事務机で書き物をしているトゥールを眺めているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。
不意に。
ガクン、と大きな揺れがあり、慌てて飛び起きる。
いつの間にかかけられていた毛布を握りながらあたりを見渡してみると、同じく様子を覗っているトゥールと目が合う。まだ書き物をしていたらしく、先ほどの揺れで倒れた墨ツボからこぼれた墨を拭っていた。
「何でしょう?」
「様子を見てきましょう」
墨ツボのフタを閉じたトゥールが船室を出る。出たところで慌ただしく走り回る船員を見つけたようで、話を聞くことができた。ハイディも扉のところまで出てその話を一緒に聞いた。
「クラーケンが出ました!今護衛の戦士たちが撃退にあたっています。お客様方は船が揺れますので、船室で船室で柱につかまっていてください!」
「クラーケンですって!?」
クラーケンは海にすむ大型の魔獣で、一言でいえばイカだ。
大きさはまちまちだが報告されている中で最大のものは今乗っているこの船よりも大きかったはず。外海では頻繁に目撃情報がある魔獣ではあるが、こんな内海に現れるのはめったにない。
そこへ、もう一人慌てた様子の男がデッキから転がるようにして飛び込んできた。
「おい、オルク!ヤバいぞ。護衛がやられた!!お前はお客様方を避難させてくれ!」
「避難ってどこへ!?護衛がやられるような相手だぞ?緊急用の小舟なんかでは一瞬で海の藻屑だ」
間の悪いことに、ほかの船室からもちらちらと乗客が顔を出して様子を覗っていた。船員たちのやり取りを聞いて、一気に動揺が広がる。
「おい、どうなっているんだ!?俺たちは助かるのか!?」
「お、落ち着いてください、お客様」
「落ち着けるわけないでしょう!私たちはどうなるの?護衛がやられたってどういうこと!?」
新たに駆け付けた船員たちも総出で客たちを何とか落ち着かせようとしているが、先ほどから船が大きく揺らされるのもあってうまくいきそうもない。
ハイディはトゥールに目で合図する。
「そうですね、私が行きましょう」
「あ、いや…」
ハイディとしてはここは自分が、と言おうとしたのだ。
クラーケンならば何度か相手をしたことがある。水中の敵を倒すのは困難を極めるが、追い払う程度なら一人でも問題ない。しかし如何せん自分が子供だったせいか、トゥールは頼られている、と感じてしまったようだ。
「私はトゥール。中央魔術学院で教師をしている魔術師です。ここは私にお任せください」
「おお、魔術師さま!」
「た、助かった!!」
乗客の間にわずかばかりの安堵が広がる。それを見届けてからトゥールは甲板に出た。ハイディも一緒だ。
「危ないのであなたは戻っていなさい」
「いえ、私もお手伝いします。母から聞いているでしょう?役に立ちますよ」
「わかりました。自分の身は自分で守るように」
「もちろんです」
実力を見るいい機会だとトゥールは考え、同行を許可する。
一方のハイディも似たような考えだった。中央の魔術師の今の実力を知るいい機会だ。戦士としては少々年齢が高いトゥールではあるが、魔術師にとってそれはあまり関係ない。むしろ魔術を使い込むことによって体内の魔石が成長することで魔術の効果は高くなるのだ。
甲板に出ると、巨大な白い腕が二本、海面から突き出ていた。なかなかの大きさだった。
その腕が甲板を叩くごとに、大きく船体が揺れる。船自体は魔獣の襲撃に備えて鉄板で補強されているためしばらくは持ちそうだが、こう揺らされると転覆が怖い。早々にケリをつけるべきだろう。
「ハイディ、このような海の魔獣と戦う時の定石は?」
「陸上部分に対しては熱か風による攻撃が有効です。状況によっては雷も有効ですが、こう水浸しだと漏電の危険性が高いので禁忌、場所柄土系統は効果が出しにくいので定石的には貫通力を高めた氷系ですね。水中部分にも効果的です」
「正解。よく勉強しているようですね」
言いながら、詠唱を終えたトゥールの手に巨大な氷の槍があった。
「《アイスランス》!!」
真上に向かって投擲されたそれが、重力にひかれて水面に落下する。
ピギィィィィィ!と超音波のような叫びが響く。どうやら命中したようだ。海面が盛り上がって、イカの巨体がその姿を現した。
エンペラの下のあたりに氷の槍が突き刺さっている。イカはその槍を力任せに引き抜くと、二人に向かって投げてよこした。
「《ウィンドカッター》!」
ハイディが術で槍を粉砕する。ハイディが飛ばした風の刃はそのままイカの腕を二本斬り飛ばす。
「やりますね!」
言いながらトゥールが放った魔術で、もう二本腕を斬り飛ばした。
ピギィィィィィ!!
再びの叫び。同時に四本の腕が甲板にたたきつけられ、大きく揺れる。
「うわっ、ととと」
柱にしがみついて何とかやり過ごしたが、傾きすぎて船が沈みそうだ。ハイディは土系統の魔術を駆使して無理やり船体を立て直した。この魔術は物体の重心を一時的に変更することができる。
それに気づいたトゥールが親指を立てていた。余裕そうだ。そのまま火の魔術を叩き込んで、三本の腕を干からびさせた。
「あとひとつっ」
負けてはいられない、とハイディは《ウィンドカッター》で残った一本を斬り飛ばした。
「あとは本体だけですね」
足をすべて失ったイカなど敵ではない。余裕綽々で海を覗き込むハイディであったが。
「ばか!イカの足は十本でしょうが!」
「え?そうなのですか?」
言い終わらないうちに、ハイディの視界は上下逆さまになっていた。布が下りてきて視界を塞ぐ。きっと今とても恥ずかしい恰好になっているだろう。本能的に服を抑えたが、その拍子にきらり、と視界の端に落下していくものがあった。
「あっ」
それは、一昨年の誕生日に母から貰った首飾りだった。
首飾り自体は割とどうでもいいが、その中身が問題だ。あの中には唯一持ち出せた魔石、カルマンとの通信用の魔術具の心臓部となる魔石が入っているのだ。
「ああっ」
慌てて手を伸ばしたがむなしく空を切るばかり。回収用の魔術を行使しようとするも、間にあわず魔石はぽちゃん、と海に沈んだ。
「おおお…」
不甲斐なさと怒りが小さな胸に去来する。
怒りに任せて、全力で魔術を叩きつけていた。
「《ライトニングボルト》オオオあああああ!!?」
魔王時代から得意としていた雷系統の魔術。それがとっさに出たがすぐに気づいた。
先ほど自分で言ったばかりではないか。水浸しだと漏電の危険性が高いので雷系統の魔術は禁忌である、と。
「ピギィィィィィ!!!」
「あばばばばばば!!!」
魔術の光が収まると、あとには夜の海に浮かぶ黒焦げのイカとハイディの姿があった。
「ハイディ、生きてる?」
「な、なんとか」
それだけ返して、ハイディは意識を手放した。
◇
その後は、船は問題なく港町に到着した。そこで一泊して、今は中央魔術学院がある中央都市に向けた鉄道で移動中である。
「まだ気にしてるの?」
「ええ。一生の不覚ですよ…」
窓越しに見える海が忌々しい。
イカの足の数を間違って覚えていなければ。落とした首飾りを素早く拾えていれば。うっかり雷の魔術を使わなければ。あまつさえ漏電させて自爆などしなければ。後悔に限りはない。
しかも襲ってきたのはクラーケンではなくただの巨大なイカで、死体から魔石も回収されなかったとなれば。
あの海に沈んだ魔石を回収できる見込みはもうない。カルマンと連絡を取り合うためには再び魔石を手に入れる必要が出てきた。
しかし魔石の価格は高騰しているというし、大都会といっていい中央都市で魔獣など出るはずもなく。
殺人や墓あらしといった「最終手段」もあるにはあるが、そんなものに手を染めるのはせっかくの立場を不意にする愚策だろう。
そんな風に思い悩むハイディの様子を見て、トゥールは勘違いしていた。しっかりしているように見えても、まだ十歳の子供。両親にもらった思い出の首飾りを亡くして落ち込んでいるんだろうな、と。
その誤解をハイディも積極的には解こうとしていない。ややこしすぎる裏事情を説明するわけにはいかないのだから。
そんなハイディの様子を見て、町に着いたら甘いものでもたくさんご馳走してあげましょう、と決意するトゥールなのだった。
触手プレイ!




