大人の理不尽に振り回されるのは子供の「あるある」
ハイドランジアは混乱していた。
朝、いつもより遅く起き出して朝食の匂いに惹かれて部屋を出ると、居間に見覚えのない人物が居た。
母親よりも一回り上ぐらいのその女性は、母親の恩師だという。
そして親しげな二人の話をなおざりに聞き流しながら、どこか蚊帳の外の父と二人でもそもそと朝食を摂っていた。
「では、この子は私が預かりますね」
「はい、よろしくお願いします」
話半分どころか一割も聞いていなかったハイドランジアはその言葉に反応して二人を見た。横目で父が同じような顔をしているのが見えた。
「え、何のことですか?」
「あなたを、中央の魔術学院に行かせることにした」
「えっ!?」
父と声が重なった。あまりの急展開についていけない。いや、実際には二人して話を聞いていなかっただけなのだが。
「もう、シリウスくんも聞いてなかったの?仕方がないから、最初から説明するよ?」
母の話をまとめるとこうだ。
見慣れない女性はアンが中央の学院に通っていた頃の恩師で、魔獣の研究をしているらしい。名をトゥールと言う。彼女は調査の一環でこの辺りに来たついでに、一番の出世頭だったアンの所へ挨拶がてら研究に復帰する気がないかを確認に来ていた。
当然、昨日討伐した魔獣の話になる。そこで普段物静かなアンの猛烈な娘自慢が始まった。初めこそシリウスも話に加わっていたが、途中から魔術の専門的な話が混ざり始めたところで脱落していた。ハイドランジアは最初から聞いていなかった。
その武勇伝をひとしきり聞いたトゥールは、ハイディを学園に入れる気がないか尋ねた。
かねてから夫婦の間ではハイディの教育方針について、つまり剣術を究めるのか魔術を究めるのかについて話し合いがされていたが、今までその結論が出たことはない。そんな中なされた提案に半ば勢いでアンが飛びついたのだった。
ハイドランジアとしては、今更魔術について教わることは古代魔術ぐらいしかなく、そんな物が学院で学べるはずもないので正直家で剣術を学びたい思いが強い。
「ま、まて。ハイディには剣術を…」
「もう、シリウスくんは昨日のあれを見てまだそんなことを言うの?この子は間違いなく魔術の天才なのに」
「う、うぬぬ」
心の中で声援を送っては見たものの旗色は悪そうだ。それもすべて自分が昨日うっかりやりすぎてしまったせいなのだから何も言えない。
「ハイディは魔術師の方がいいよね?あなたなら必ず主席をとれるし、そうなったらあなたがこっそりやっている魔術具の開発も国からかなりの援助が出るはず」
母の言葉にぞくりとハイドランジアの背中を汗が伝うのがわかった。
「知って、いたのですか」
「当然、です。あなたの部屋を掃除しているのは私なんだから」
自分としては絶対にバレないように隠していたはずなのだが。母親の勘なのか、魔術師としての経験なのか。ハイドランジアがもともとおおざっぱな性格なのか。
しかし母のいうことにも一理ある。
剣の方はまだまだ伸びそうではあるが比較対象がおかしいだけで普通の人間の感覚でいけば究めたといってもいい。これこら本格的に魔術と組み合わせていけば自分と戦って勝てる人間など想像できないし、その方向であれば勇者とくっついている必要もない。
一方で円滑な研究活動のために地盤を固めるのは昨日の打ち合わせの通りでもある。中央の魔術学院の卒業というのは、地盤を固める手っ取り早い手段である。
「わかり、ました」
心残りがないわけではない。アンにまだ古代魔術を教わっていないのだ。
しかしそれは「大きくなったら」と約束させられており、魔術師の間ではそれは成人して独り立ちしたら、という意味になる。最低でも五年はかかるだろう。
ハイドランジアの実力ならば、その間に三回ぐらい卒業できる。いや、一回卒業した時点で一人前と認められるに違いない。であれば、この提案は渡りに船とも考えられた。
「そうと決まれば、早速出発しましょう。船の時間があるからトゥール先生はもうじき発たれるの。それに同行してもらいます」
「今日ですか!?」
「心配しなくても、あなたの荷物はここにまとめてあります。今からでも発てますよ」
「いま!?」
母親の傍らにはいつの間にか古い旅行鞄が置かれていた。学院では寮暮らしになる。荷物は最低限の身の回りのものだけで問題ないから、この鞄一つで間に合ってしまうのだ。
「あの、魔石も持ち込みたいのですが」
あれがないとカルマンと連絡がとれなくなってしまう。
「魔石といってもハイディが持っているのは昨日の石だけでしょう?あんな大きいのは、持たせられないわ」
「ですよね…」
なにしろ城が建つほど高価なものだ。そんなものを自分とそう歳のかわらない子どもばかりの学院に持ち込めば無用な面倒事を引き寄せてしまうのは明らかだ。
「持って行くのは、そのほんの欠片だけでいいですから」
ハイディの言葉に呆れ顔のアン。
一方のハイドランジアはなぜこんな反応になるのか理解できていなかった。
「あのねハイディ。欠片っていうけど、それをどうやって作るつもりなの?」
「え、こう、先の方を切り落として…」
「それは無理」
「え?」
キョトンとするハイディ。アンの言葉をトゥールが引き継ぐ。
「ハイディさん。魔石というのは、それ自体が魔術を寄せ付けない性質を持っているのです。だから、あなたが魔獣を吹き飛ばしたときも石はそのまま残っていたでしょう?」
「剣でやるにしてもとても堅いからシリウス君の本気の攻撃でも割れたことはないの」
「…あ、そうなのですか」
詰まるところ、ハイドランジアはこれまで当たり前のように魔石を加工して魔術具を開発していたからこの国の本来の技術力を失念していたのだ。まさかまだ魔石の切断すらできないとは思いも寄らなかった。この国ではまだ、魔術具は魔石を加工せずに使う、原始的で非効率極まりないものなのだとこの時理解した。
ここで実演してみせるのは簡単だ。
しかしそれがどんな事態を引き起こすのか考えればそれをするわけにはいかない。部屋に戻ってこっそり欠片を作るのは時間的に難しい。そうなれば持ち出せそうなのは昨日作った通信機用の石ぐらいか。この際仕方ない。
「わかりました。準備しますので、少しだけ時間をください」
部屋に戻って手早く着替えると、小さい背嚢に通信用の魔術具を入れる。
魔石は取り外して一昨年の誕生日に母から貰った首飾りに入れた。この首飾りは魔術師がよく持っているもので、飾り部分に小物が入るようになっていて、いざという時のために魔術で使う小物を入れておくことができるのだ。別名を魔石入れだとか第二の心臓と言う、魔術師にとっての必須道具なのだ。
他の作りかけの魔術具も持ち出したいが、あまり大きなものは無理だ。吟味した結果、《サイレントルーム》を自動的に維持するための魔術具にした。この魔術具は魔石がなくてもある程度動かすことができる。もし魔石が手に入れば、サイレントルーム内でできる作業が大幅に増えてその後の開発がやりやすくなる。こんなことなら昨日この道具用の魔石も作っておくんだったと後悔したが仕方ない。
「そろそろ出発するよ」
階下から母親が呼んでいる。やはり魔石を切り出す時間はなかった。背嚢の隙間を埋めるように机のものを適当に詰めて、魔石を抱えて部屋を出る。
「母様、これを預かっておいてください」
「大丈夫。たとえシリウスくんが事業に失敗して莫大な借金を背負ってもこれだけは売らずに残しておく」
「お願いします」
うちが破産するとしたらそれこそ小国の国家予算級の額を使い込む必要があるが、こんな片田舎の農家にはどう転がっても無理な話だ。
「さあ、外に馬車が待っているよ」
「はい」
外に出ると、馬車が三台並んでいた。真ん中の一台に乗り込んだトゥールのあとについてハイドランジアも馬車に乗り込む。中は落ち着い手しっかりとした作りで、派手さはないものの長旅にも耐えられるように座面もやわらかかった。
今はまだ若いのでなんともないが、魔王時代はずっと座り仕事だったので晩年は常にとある問題に悩まされていたので馬車のような揺れる乗り物には極力乗らないようにしていたがこの車なら大丈夫だったかもしれない。
そんなどうでもいいことを考えていると、馬車を不安げに覗き込んでいる父親と目が合った。
「行ってきます」
「…頑張ってな」
本当はもっと色々と声を掛けたかったのだろうが、結局彼は何も言わなかった。
黙って送り出すことが自分の役割だと考えているのだろう。その代わりに、ハイドランジアがいつも使っている練習用の剣を持たせてくれた。準備をしているわずかな時間で手入れをしてくれていたようで、新品同様の輝きになっている。殊勝なことをしてくれる。もし過去の因縁がなければここで大泣きしていたかもしれない。
「あなたなら、当代最高の魔術師になれる」
そう言ってアンが杖を握らせてくれた。ハイドランジアの身長よりも長い、細身のトネリコの杖だった。
やや古ぼけてはいるが見覚えがある。魔王討伐のときに持っていたものだ。
いわば自分を殺した武器だが、いいものなので貰えるのならば貰っておく。道具に罪はない。別に殺された魔王の怨念が籠もっているわけでもない。殺された魔獣の怨念なら篭っているかもしれないが。
「気をつけてね」
「母様も、お元気で」
頬に口づけをしあって、ゆっくりと離れる。
座席につくとシリウスが指を咥えて自分もやりたそうにしているのが見えて笑ってしまった。
でも嫌なんだよ。なにが悲しくておじさんとくっつかなければならぬのか。ここは視線に気づかなかったことにする。
馭者が戸を閉めて、外から止め金をかける。
すぐに馬車は動き出す。
両親は馬車が見えなくなるまで見送ってくれた。




