↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

リビルド


午前五時四十分。


アラームが鳴った。


安達は目を開けた。


眠い。


昨夜、会社を出たのは二十一時を過ぎていた。


以前なら、そのままアラームを止めていた。


仕事に響く。

今日はやめておこう。


理由はいくらでも作れた。


だが今は、三か月後に地下の土俵がある。


身体を作り直し、出場審査を通る。


久しぶりに、自分が三か月後どうなっていたいのかが分かっていた。


安達は布団をめくった。


「……行くか」



午前六時半。


ジム。


トレーニング再開時の体重は七十四・〇キロ。


体脂肪率二〇・一パーセント。


太っているつもりはなかった。


だが鏡を見ると、腹の輪郭はぼやけ、肩や胸にも昔の張りがない。


社会人になって三年。


使わなくなった身体が、そのまま数字に出ていた。


縄跳びを始める。


三分もしないうちに息が上がる。


「こんな落ちてんのかよ」


シャドーをする。


ジャブ。


右。


遅い。


打撃はもともと得意ではない。


以前なら、それでも困らなかった。


だが三か月後には、自分を本気で殴ってくる相手がいる。


安達はもう一度構えた。



会社へ行けば、何も変わっていなかった。


メール。


会議。


顧客対応。


資料修正。


「安達、これ今日中に頼む」


「はい」


以前なら仕事が増えるたびに、自分の時間を奪われる感覚があった。


今は時計を見る。


――二十時までに終わらせる。


夜のジムへ行くためだった。


一日の中に、会社以外の目的ができた。



食事も変わった。


以前の朝はコーヒーだけで済ませることも多かった。


昼はラーメンや丼。


残業後はコンビニ弁当。


疲れていれば、そのまま酒を飲んで寝る。


今は朝のジムから戻ると、米、卵、納豆、味噌汁を食べる。


昼は肉か魚と米。


夜も鶏肉や魚を中心にして、野菜と米を取る。


量を極端に減らしたわけではない。


むしろ以前より食べている日もある。


ただ、何を食べるかを考えるようになった。


腹を満たすためではない。


明日、動くために食べる。


それだけでも生活は変わった。



一か月。


体重七十二・七キロ。


体脂肪率一八・一パーセント。


腹が薄くなった。


顔も少し締まった。


その一方で肩と胸には張りが戻り始めている。


体重は落ちているのに、鏡の中では身体が大きく見えた。


新しく作っているというより、昔の身体を拾い直している。


そんな感覚だった。


パンチはまだ下手だ。


だがタックルは早く戻った。


低く入る。


踏み込む。


腰を取る。


押す。


そこだけは身体が覚えていた。


「安達、最近なんかやってる?」


会社で同僚に聞かれた。


「ジム行ってる」


「何目指してんの?」


一瞬、答えが止まる。


武者。


もちろん言えない。


「運動不足解消」


「普通だな」


安達は笑った。


普通ではない。


朝も。


食事も。


夜のトレーニングも。


すべて、その先につながっている。



二か月。


体重七十二・九キロ。


体脂肪率一六・八パーセント。


体重が少し戻った。


それでも腹は締まっている。


太腿が太くなった。


背中も広がった。


スーツは腹回りに余裕ができたのに、肩だけ少し窮屈になった。


食事の量も少し増やした。


朝は米をしっかり食べる。


昼も炭水化物を抜かない。


夜の練習前にはバナナやおにぎりを入れる。


終わった後は肉や魚、卵を取る。


体重を落とすことが目的ではない。


十分快く身体を動かせる状態を作る。


その考えが安達の中でも明確になっていた。


タックルにも変化が出た。


踏み込んだ時に身体がぶれない。


腰から先へ力が抜けない。


以前より強く相手を押せる。


身体が戻っている。



気持ちも変わった。


以前は会社で嫌なことがあると、その日全部を引きずった。


上司に注意される。


客に無理を言われる。


仕事で失敗する。


それだけで一日が終わった気になった。


今は違う。


――夜がある。


仕事が終われば、別の時間が始まる。


上司もノルマも変わっていない。


仕事が楽になったわけでもない。


それでも以前ほど押し潰されなくなった。


会社が、自分の世界の全部ではなくなった。



三か月。


安達はジムの体組成計に乗った。


七十三・六キロ。


体脂肪率一五・七パーセント。


開始時は七十四・〇キロ、二〇・一パーセント。


体重はほとんど変わっていない。


だが身体は明らかに違う。


腹の輪郭が出た。


肩が張る。


胸板が厚くなった。


背中も広がった。


太腿には硬さが戻っている。


脂肪を落としながら、失っていた筋肉を取り戻した。


数字より、その事実の方が嬉しかった。



地下武者格闘を知る前。


安達は毎日を消化していた。


月曜日。


火曜日。


水曜日。


金曜日まで耐える。


休日が終われば、また月曜日。


今は違う。


昨日より今日。


今日より明日。


少しずつ積み上がるものがある。


身体が動く。


息が続く。


食事を考える。


眠る時間を考える。


そして、自分から何かを欲しがるようになった。


もっと強くなりたい。


自分の甲冑が欲しい。


試合をしたい。


勝ちたい。


社会人になってから、仕事以外でこれほど何かを求めたことはなかった。



その夜。


ジムを出た安達のスマートフォンが震えた。


専用サイトからの通知だった。


《出場資格審査 承認》


続いて、


《アマチュアランクへの登録が完了しました》


安達は画面を見つめた。


三か月。


待っていたのではない。


三か月かけて、ここまで来た。


七十三・六キロ。


体脂肪率一五・七パーセント。


身体も。


生活も。


気持ちも。


三か月前とは違う。


安達はスマートフォンをポケットへしまった。


次に必要なのは、トレーニングではない。


対戦相手だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。