第27話 岩の巨獣ギュルテルティアロック・前編
森の奥から聞こえてきた、何かを引きずるような音。
わたくしたちは互いに目配せを交わし、慎重に音のする方へと進みました。
木々の間を抜けるたび、地面に散らばった枝や草が目につきます。太い木の幹には、何かに押し倒されたような跡まで残っていました。
「……これ、本当に大きな魔物がいるんだね」
アネットさんが小声でつぶやきました。
「ええ。村長のお話も、決して大げさではなかったようです」
わたくしは杖を握り直しました。
これほどの痕跡を残す魔物が相手となれば、十分な警戒が必要です。森へ入った村人たちが戻っていないことも、気がかりでした。
そのときです。
――ミシッ。
前方から、木が軋む音が聞こえました。
続いて、ドン、と重いものが地面を踏みしめる音が響きます。
わたくしたちは足を止めました。
「……いるね」
アネットさんが剣の柄に手をかけます。テオさんも周囲を見渡し、静かにうなずきました。
「近い。音を立てないように進もう」
わたくしたちは木々の陰に身を隠しながら、少しずつ前へ進みました。
そして、茂みの向こうに、その姿が見えたのです。
「……っ!」
思わず息をのみました。
そこにいたのは、巨大な四本脚の魔物でした。
灰色の硬そうな外皮に覆われた体は、周囲の木々と比べても異様なほど大きく、背中は小さな丘のように盛り上がっています。太い脚が地面を踏みしめるたび、周囲の土がわずかに揺れていました。
魔物は低い唸り声を上げながら、倒れた木を踏み砕いています。
その姿は、まるで岩の塊が意思を持って動いているかのようでした。
「な、何あれ……。アルマジロみたいだけど。あんなの、普通じゃないよ」
アネットさんの声にも、わずかな緊張が混じっていました。
わたくしも同じ気持ちでした。
これほど巨大な魔物を相手に、村の人々はどう戦ったのでしょうか。そして、彼らは今どこにいるのでしょう。
周囲を見回すと、少し離れた場所に折れた槍や、破れた布が落ちていました。
「……あれは、村の人たちが使っていたものかもしれません」
わたくしが指さすと、テオさんは険しい表情で目を細めました。
その視線は、魔物の体から足元へ、そして周囲の地面へと移っていきます。
「間違いない。あれは……ギュルテルティアロックだ」
「え?ギュル……何?」
アネットさんが聞き返しました。
「ギュルテルティアロック。岩のような外皮を持つ魔物だよ。僕も以前、一度だけ戦ったことがある」
「戦ったことがあるのですか?」
わたくしが尋ねると、テオさんはうなずきました。
「うん。ただ、僕が戦った個体は、ここまで大きくなかった」
テオさんの視線が、魔物の巨体をなぞるように動きます。
「……それより、ずっと大きいみたいだ」
その声には、わずかな戸惑いがにじんでいました。
個体によって大きさが異なることは、決して珍しくありません。しかし、目の前の魔物は、ただ大きいというだけでは片づけられない迫力を持っていました。
「ねえ、テオ。あいつの弱点とか、わからないの?」
アネットさんが尋ねます。
「硬い外皮に覆われているから、普通の攻撃は通りにくい。力も相当強いから、正面からぶつかるのは避けたほうがいい」
「じゃあ、どうやって倒すの?」
「外皮の薄い部分を狙うのが有効なはずだ。ただ、これほど大きいとなると、同じ方法が通用するかはわからない」
確実な答えはありませんでした。
それでも、何もせずに立ち去るわけにはいきません。
森へ入った村人たちが、まだどこかで助けを待っているかもしれないのですから。
「……まずは、周囲に人がいないか確認しましょう。魔物を刺激するのは、それからでも遅くありません」
わたくしがそう告げた、そのときでした。
ギュルテルティアロックが、ぴたりと動きを止めたのです。
「……え?」
魔物の頭部が、ゆっくりとこちらへ向きました。灰色の巨体が、地面を踏みしめながら旋回します。
そして
グオオオオオオオッ!!
森全体を震わせるような咆哮が響き渡りました。
「見つかった!?」
アネットさんが声を上げた瞬間、ギュルテルティアロックがこちらへ突進してきました。
「二人とも、避けて!」
テオさんの声が飛びます。
わたくしたちは左右に散りました。
次の瞬間、先ほどまでわたくしたちが立っていた場所を、巨大な体が通り過ぎました。
ドォォンッ!!
ギュルテルティアロックは進路上の木々をなぎ倒し、地面を大きくえぐりながら停止しました。土埃が舞い上がり、折れた枝があたりに散乱します。
「うそ……! 木を何本もまとめてなぎ倒したよ!?」
アネットさんが驚きの声を上げました。
「まともに受けたら危険だ! 絶対に正面から攻撃を受けるな!」
テオさんが叫びます。
わたくしは杖を構え、魔物の動きを見据えました。
速い。
あの巨体からは想像できないほどの速度です。しかも、突進の勢いは周囲の木々をなぎ倒すほど。
攻撃を避けるだけでも、相当な集中力が必要でしょう。
「リーネ、右から回り込もう!」
「わかりました!」
アネットさんが剣を抜き、魔物の側面へと走り出しました。
剣身に炎が宿ります。
「インフェルノブレイズ!」
アネットさんは跳び上がり、ギュルテルティアロックの前脚へと斬りかかりました。
炎をまとった剣が、灰色の外皮に叩きつけられます。
ガキィンッ!!
「っ……!」
硬い金属同士がぶつかったような音が響きました。
剣は弾かれ、魔物の体には傷一つついていません。
「硬すぎる……!」
アネットさんは着地すると、すぐさま後ろへ飛び退きました。ギュルテルティアロックが前脚を持ち上げます。
「アネットさん、危ない!」
わたくしの声とほぼ同時に、魔物の脚が地面へ叩きつけられました。
ドォンッ!!
衝撃で地面が揺れ、土や小石が跳ね上がります。
アネットさんは間一髪で攻撃範囲から逃れていましたが、その表情には緊張が浮かんでいました。
「ありがとう、リーネ! でも、これじゃ剣が通らないよ!」
「外皮の薄い部分を探しましょう! 無理に攻撃を続けてはいけません!」
わたくしは杖を掲げました。
「レト・グラス・アロー!」
空気中の水分が集まり、鋭い氷の矢がいくつも形作られます。
わたくしは魔物の脚の付け根を狙い、一斉に矢を放ちました。
ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュンッ!
氷の矢が次々と飛来し、ギュルテルティアロックの体に命中します。しかし、その多くは外皮に弾かれ、砕け散ってしまいました。
それでも、何本かは脚の関節に近い部分へと突き刺さりました。
ギュルテルティアロックが、不快そうに体を揺らします。
「効いてはいるみたい……!」
わたくしは魔物の反応を見逃しませんでした。
全く通用しないわけではないようです。ただ、これだけの巨体を相手にするには、まだ足りません。
「テオさん! どこか、もっと有効な攻撃を当てられる場所はありませんか!?」
わたくしが尋ねると、テオさんは魔物の動きを観察しながら答えました。
「首の付け根だ! 前に戦った個体も、そこは外皮が薄かった!」
「わかった!」
アネットさんが返事をしました。
けれど、首の付け根は高い位置にあります。しかも、魔物はわたくしたちを敵と認識したのか、激しく体を動かし始めていました。
「ただし、無理に近づくな! あいつの動きを止めないと、狙うのは難しい!」
テオさんはそう言うと、魔物の正面へと移動しました。
「こっちだ!」
声を上げ、剣を構えます。アネットさんのものよりもずっと大きいようです。
ギュルテルティアロックはテオさんを見つけると、再び巨体を揺らしました。
その動きを見て、テオさんはすぐに横へ飛び退きます。
魔物の突進が空を切りました。
その隙に、わたくしは再び杖を構えます。
「今です!」
フローズン・アレイを放ち、魔物の脚元を狙いました。
氷が地面を覆い、ギュルテルティアロックの足元がわずかに滑ります。
巨体が傾きました。
「アネットさん!」
「任せて!」
アネットさんは炎をまとった剣を握り直し、魔物の側面へと駆け出しました。
先ほどの攻撃では、外皮に阻まれてしまいました。
ならば、今度は別の場所を狙うしかありません。
アネットさんは倒れかけた魔物の動きを見極め、跳躍しました。
「インフェルノブレイズ!!」
燃え上がる剣が、ギュルテルティアロックの首元へと迫ります。
しかし、ギュルテルティアロックは、驚くほど素早く首を振りました。
アネットさんの剣は、狙いからわずかに逸れ、硬い外皮をかすめるにとどまりました。
ギィンッ!!
「くっ……!」
アネットさんは体勢を崩しながらも、なんとか着地しました。
直後、魔物の太い脚が彼女のいた場所を踏みつけます。
地面が大きく陥没しました。
「アネットさん、下がってください!」
わたくしは叫びながら、魔物の注意を引くように氷の矢を放ち続けました。
しかし、ギュルテルティアロックは怯むどころか、ますます激しく暴れ始めます。その巨体が動くたびに木々が倒れ、地面がえぐられていきました。
森が、壊れていく。
このまま戦いが長引けば、周囲への被害も広がってしまうでしょう。
そして何より、村人たちがどこにいるのか、まだわかっていません。
「二人とも、無理はするな! こいつは、僕が知っている個体とは違う!」
テオさんの声が響きました。
その言葉に、わたくしは改めて目の前の魔物を見据えました。
外皮は硬く、力も速度も尋常ではありません。
そして、わたくしたちの攻撃は、まだ決定的な傷を与えられていないのです。
それでも。
ここで退くわけにはいきません。
森の奥には、帰りを待つ人々がいるのですから。
わたくしは杖を強く握りしめ、再び魔力を集中させました。
ギュルテルティアロックが、地面を踏み鳴らします。
その巨体が、再びわたくしたちへと向き直りました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
いよいよ姿を現した魔物、ギュルテルティアロック。三人は苦戦を強いられているようです。
次回も楽しみに!




