↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/34

第26話 森に消えた人々

 馬車が少女を乗せて再び走り出してから、しばらくが経ちました。

 少女はアネットさんの隣に座り、膝の上で小さな手をぎゅっと握りしめています。先ほどよりは落ち着いたようですが、その表情から不安が消えることはありません。


「もうすぐ村に着くよ。お父さんのこと、ちゃんと調べようね」


 アネットさんが優しく声をかけると、少女はこくりとうなずきました。


「……うん」


「ところで、お名前を聞いてもよろしいですか?」


 わたくしが尋ねると、少女は少しだけ顔を上げました。


「エマ……」


「エマさんですね。教えてくださってありがとうございます」


 名前を呼ばれたエマさんは、ほんの少しだけ表情を和らげました。

 その様子を見て、わたくしは胸をなで下ろします。まだ幼いこの子にとって、今は何もかもが不安なのでしょう。せめて、わたくしたちがそばにいる間だけでも、安心してもらいたいものです。


「エマちゃん、お父さんはどんな人なの?」


 アネットさんが尋ねました。


「えっとね……いつも、わたしを守ってくれるの。お仕事から帰ってきたら、一緒にご飯を食べて、それからお話をしてくれるんだよ」


 エマさんはそう言って、少しだけ笑いました。


「そっか。優しいお父さんなんだね」


「うん! だからね、きっと今日はね、帰ってくるの!」


 その言葉には、父親を信じる気持ちが込められていました。わたくしは、かける言葉を見つけられませんでした。

 必ず帰ってくると約束することはできません。森で何が起きているのか、わたくしたちはまだ何も知らないのですから。

 それでも。

 この子の願いを、簡単に諦めるわけにはいきませんでした。


「……ええ。まずは何が起きたのか、確かめましょう」


 わたくしが答えると、エマさんは再びうなずきました。




 やがて、馬車の進行方向に小さな村が見えてきました。

 森に近い、こぢんまりとした村です。周囲には畑が広がり、木造の家々が並んでいます。しかし、村に近づくにつれて、わたくしは妙な違和感を覚えました。

 人の姿が、ほとんど見当たらないのです。

 畑には道具が置かれたままになっており、家の前には薪が積まれています。人が暮らしている形跡はあるのに、村全体がひっそりと静まり返っていました。


「……何だか、静かだね」


 アネットさんも気づいたようです。


「ええ。何かあったのでしょうか」


 馬車が村の入口で止まると、近くの家から年配の女性が一人、慌てた様子で出てきました。


「エマ! ああ、よかった……!」


「おばあちゃん!」


 エマさんは馬車から降りるなり、女性のもとへ駆け寄りました。女性はエマさんを強く抱きしめ、何度も頭をなでています。


「どこへ行っていたんだい! 心配したんだよ!」


「ごめんなさい……。お父さんを探しに行ったの」


「まったく、この子は……!」


 叱る声には、安堵がにじんでいました。

 どうやら、エマさんは父親を探すために村を飛び出し、そのまま道に迷ってしまったようです。女性はしばらくエマさんを抱きしめたあと、わたくしたちに向き直りました。


「この子を連れてきてくださったんですね。本当にありがとうございます」


「いえ。偶然、道端で出会ったのです。ところで……」


 わたくしは言葉を選びながら尋ねました。


「森で、何が起きているのでしょうか?」


 その瞬間、女性の表情が曇りました。


「……森に、とんでもない魔物が現れたんです」


 女性は震える声で話し始めました。

 数日前、村の近くの森で、これまで見たこともない巨大な魔物が目撃されたのだそうです。

 最初は森の奥にいるだけで、村に被害はありませんでした。しかし、日が経つにつれて魔物は森の外側へ移動し、村の近くにまで姿を現すようになりました。

 家畜が襲われ、森へ入った者が戻らなくなる。

 このまま放置すれば、いずれ村そのものが危険にさらされる。

 そう考えた村の大人たちは、魔物を討伐するために森へ向かったのだそうです。


「それが、昨日の朝のことです。夕方になっても誰一人帰ってこなくて……。今朝になっても、何の連絡もありません」


 女性は唇をかみしめました。


「村に残った者たちも、どうすればいいのかわからなくて……。助けを呼びに行こうにも、森に近づくのは危険ですし」


「そんな……」


 アネットさんの表情が険しくなりました。


「じゃあ、エマちゃんのお父さんも、その中に?」


「ええ。この子の父親も、討伐に参加しました」


 女性はエマさんの肩を抱き寄せました。エマさんは何も言わず、うつむいています。

 わたくしは静かに息を吸いました。

 森に向かった人々が、全員戻っていない。

 単に魔物が強かったというだけではないのかもしれません。何か予想外の事態が起きた可能性もあります。


「その魔物について、もう少し詳しく教えていただけますか?」


「詳しく、と言われましても……。森へ行った者たちが見たという話では、家ほどもある大きな獣のような姿だったそうです。ただ、普通の獣とは違って、全身が硬い何かに覆われていたとか……」


「硬い何か、ですか?」


「ええ。詳しいことは、森から戻った者がいないので……」


 わたくしはアネットさんと顔を見合わせました。

 巨大な体に、硬い外皮。

 少なくとも、村の人々だけで対処できる相手ではなかったのでしょう。


「森の入口まで案内していただくことはできますか?」


 わたくしが尋ねると、女性は驚いたように目を見開きました。


「まさか、あなたたちが森へ行くつもりですか!?」


「はい。わたくしたちは冒険者です。まずは状況を確認したいと思います」


「ですが、危険です! 村の大人たちが束になっても倒せなかった魔物なんですよ!」


わたくしは口を開きかけました。しかしその前に、


「危険なのは私たちも分かってます。でも、助けに行かないと、ね?」


そう、アネットは言いました。


 女性は困惑した様子でわたくしたちを見つめました。

 そのとき、後ろからテオさんが口を開きました。


「森へ入る前に、できることはあります。まずは、村の人たちがどこまで調べたのか確認しましょう。魔物の目撃場所や、最後に村人たちが見られた場所がわかれば、無駄に危険を冒さずに済みます」


 落ち着いた声でした。

 わたくしは、なるほどとうなずきました。

 確かに、焦って森へ飛び込むのは得策ではありません。情報が少ない今だからこそ、できる限りの準備が必要です。


「おっしゃるとおりですね。ほかに、森へ向かった方々の装備や、持っていった道具についても教えていただけますか?」


「ええ、わかりました。村長なら、もう少し詳しいことを知っているはずです」


 女性はそう言うと、村の奥を指さしました。


「こちらです。ご案内します」


 わたくしたちは、女性の後について歩き始めました。

 その途中、家の陰からこちらをうかがっていた村人たちが、少しずつ姿を現しました。

 不安そうな顔。祈るように組まれた手。そして、森の方角へ何度も向けられる視線。誰もが、帰ってこない家族や仲間を案じているのでしょう。

 その光景を見て、わたくしは改めて決意しました。

 わたくしたちにできることがあるのなら、力を尽くしたい。

 もちろん、必ず全員を助けられると断言することはできません。それでも、何もせずに見過ごすことだけはしたくありませんでした。

 村長の家に着くと、年配の男性がわたくしたちを迎えました。

 事情を説明すると、男性は深くうなだれました。


「……冒険者の方々ですか。来てくださったことには感謝します。しかし、森へ入るのは本当に危険です」


「魔物の姿を、もう少し詳しく教えてもらえますか?」


 アネットさんが尋ねました。

 村長はしばらく考え込んだあと、ゆっくりと口を開きました。


「目撃した者の話では、四本の脚を持ち、巨大な岩のような体をしていたそうです。歩くたびに地面が揺れ、木々をなぎ倒して進んでいたとか……」


「岩のような体……」


 テオさんが小さくつぶやきました。


「それから、魔物の鳴き声を聞いた者もいます。獣のうなり声というより、岩同士がこすれ合うような、ひどく不気味な音だったそうです」


 村長の説明を聞きながら、わたくしは頭の中で情報を整理しました。

 巨大な体。硬い外皮。そして、岩のような音。

 これまでに出会った魔物の中にも、体の一部が硬質化したものはいました。しかし、村長の話に当てはまる魔物には、すぐに心当たりが浮かびません。


「森へ向かった方々が最後に目撃された場所は、わかりますか?」


「森の北側です。古い採掘場へ続く道があるのですが、その付近で魔物が目撃されたそうです」


 古い採掘場。

 森の中に、何か秘密があるのでしょうか。


「わかりました。まずは、その場所を目指してみます」


 わたくしが告げると、村長は深く頭を下げました。


「どうか……どうか、よろしくお願いします」


 その声には、すがるような響きがありました。

 村長の家を出たあと、わたくしたちは森へ向かう準備を始めました。

 エマさんは祖母のもとに残り、わたくしたちを心配そうに見送っています。


「お姉ちゃんたち……お父さんを、お願い」


 その小さな声に、わたくしは足を止めました。


「エマさん。わたくしたちも、できる限りのことをします」


 そう答えると、エマさんは小さくうなずきました。

 わたくしたちは村の入口で馬車の御者さんに事情を説明し、しばらく待ってもらうことにしました。


「無理はするなよ。森の中で何かあったら、すぐに引き返すんだ」


 御者さんの忠告に、わたくしたちはうなずきました。

 そして、森へと続く道に足を踏み入れます。

 木々の間から差し込む陽光は、少しずつ弱くなっていました。

 鳥のさえずりは聞こえず、風が葉を揺らす音だけが響いています。

 まるで、森そのものが何かを警戒しているかのようでした。


「……嫌な感じがするね」


 アネットさんが、いつになく真剣な声で言いました。


「ええ。わたくしも、そう思います」


 テオさんは周囲に目を配りながら、静かに歩いています。

 その視線は、足元に残された痕跡や、折れた枝、踏み荒らされた地面を見逃しません。


「この先、何かが通った跡がある」


 テオさんの指摘に、わたくしたちは足を止めました。

 地面には、明らかに普通の獣とは異なる、大きな足跡が残されていました。

 その周囲では、太い木の幹が何本も折れています。


「……ずいぶん大きいね」


 アネットさんが息をのみました。

 わたくしはしゃがみ込み、足跡の縁を慎重に確かめます。

 深く沈み込んだ地面。踏み荒らされた草。そして、足跡の先に続く、森の奥へと伸びた道。

 この先に、村人たちが探している魔物がいるのでしょう。

 そして、森へ入った人々も。


「皆さん、警戒を怠らないようにしましょう」


 わたくしが告げると、アネットさんは剣の柄に手を添え、テオさんも静かにうなずきました。

 わたくしたちは、足跡を追って森の奥へと進みます。

 まだ、魔物の姿は見えません。

 しかし、折れた木々の向こうから、かすかに何かを引きずるような音が聞こえてきました。

 わたくしたちは顔を見合わせ、足を止めました。

 森の奥で、一体何が起きているのでしょうか。

 そして、村人たちは無事なのでしょうか。

 答えを確かめるため、わたくしたちは音のする方へと、慎重に歩を進めました。

ここまで読んでくださりありがとうございます!

エマの父親たちを探すため、森へと足を踏み入れたリーネたち。村人たちが最後に目撃された場所へ向かう途中です。果たして、森では何が起きているのでしょうか。

次回も読んでいただけるとうれしいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。