王宮編第3話 光の魔法
王宮編 第3話「光の魔法」
王宮の一角には、魔法の訓練に使われる小さな練習場がある。
白い石壁に囲まれたその場所で、リリアーヌ・クロンセチアは何度目かも分からない失敗に肩を落としていた。
「……また、消えちゃった」
リリアーヌの掌には、淡い光が浮かんでいた。けれど、それを活用して防御したり攻撃することはできない。
光魔法は、彼女が生まれ持った適性を示した魔法だった。王太子妃となった今、その力を磨くことは本人にとっても王宮にとっても重要な課題の一つとなっている。
しかし、思うようにはいかなかった。
「魔力を一度に注ぎすぎておられます。光を強くしようとするのではなく、まずは形を保つことを意識してください。祝福を送ることはできるのですから、きっとできますよ。」
傍らに立つ魔法指南役が、穏やかな口調で告げた。
「はい。分かっているつもりなんですけど……」
リリアーヌは眉を寄せ、再び両手を前に出した。魔力を集め、掌の上に光を生み出す。今度は先ほどよりも慎重に、力を込めすぎないように気をつけた。
小さな光が浮かび上がる。
今度こそ、と期待した瞬間、光はふらりと揺れ、またしても消えてしまった。
「どうしてうまくいかないのよ……」
思わず漏れた言葉に、指南役は困ったような笑みを浮かべた。
「焦る必要はございません。魔法の習得には時間がかかるものです。これまでの練習を続けていけば、いずれ安定するでしょう」
「でも、同じことばかり繰り返していても、できるようになる気がしないんです」
「リリアーヌ様」
「ごめんなさい。先生の教え方が悪いって言いたいわけじゃないの。ただ、何か別の方法もあるんじゃないかしらって」
リリアーヌは慌てて付け加えた。
彼女は指南役の指導に不満があるわけではなかった。教えられたとおりに練習しているのに、どうしても結果が出ない。そのことが悔しかったのだ。
指南役が返答に迷っていると、練習場の入口から声がした。
「別の方法とは、具体的にどのようなものだ?」
振り返ったリリアーヌの顔が明るくなる。
「ハインリッヒ様!」
入口に立っていたのは、王太子ハインリッヒだった。その隣には、王太子妃となった彼女を気にかけ、魔法の上達を見守ろうと同行した側近の姿もあった。
「練習をしていると聞いたので、様子を見に来た。どうだ、順調か?」
「それが、全然なのです。さっきから何度やっても、すぐに光が消えてしまって……」
リリアーヌは困ったように笑った。
「先生には、魔力を注ぎすぎないようにと言われているのですけど、どうしても加減が分からないの」
「そうか。ならば、まずは先生の指示どおりに練習を重ねるべきだろう。基礎が身についていないうちから、別の方法を試す必要はない」
ハインリッヒは当然のことを述べるように言った。
指南役も静かにうなずく。
「殿下のおっしゃるとおりです。まずは基本を確実に身につけていただくことが大切かと」
「……でも」
リリアーヌは口を開いた。
「もちろん、基礎が大切なのは分かっているわ。でも、ただ同じことを繰り返すだけじゃなくて、どうして失敗するのかを考えてみたいの。たとえば、光を小さくするところから始めるとか、魔力を集める時間を変えてみるとか」
「先生の指導には、これまでの経験に基づいた理由があるはずだ。自分の考えだけでやり方を変えるのは、あまり感心しないな」
ハインリッヒの声に、わずかな硬さが混じった。リリアーヌの表情から笑みが消えた。
「自分の考えだけで変えたいわけじゃないわ。先生にも相談しながら、いろいろ試してみたいと言っているの」
「だからこそ、まずは教えられたことを身につけるべきだと言っているんだ」
「でも、殿下は私がどんなふうに練習しているのか、今来たばかりでしょう?」
思いがけず返ってきた言葉に、ハインリッヒは眉をひそめた。リリアーヌ自身も、言いすぎたと感じたのか、少しだけ視線を落とす。
けれど、すぐに顔を上げた。
「……ごめんなさい。でも、うまくいかないのは私だもの。自分でも考えてみたいの」
その言葉に、ハインリッヒは一瞬、返す言葉を失った。自分は彼女のことを思って助言したつもりだった。それなのに、なぜ素直に受け入れないのか。そう考えたところで、ふと、かつての婚約者の顔が脳裏をよぎった。
アイリーン。
そういえば、あの女は自分の言葉に反対することなど、ほとんどなかった。何かを頼めば静かにうなずき、自分の決定に異を唱えることもない。いつも落ち着いた様子で、こちらの言葉を受け入れていた。
――あの女なら、こんなふうに言い返したりはしなかっただろう。
そこまで考えて、ハインリッヒは思考を打ち切った。今はアイリーンのことなど関係ない。彼女はもう自分の婚約者ではなく、ここにいるのはリリアーヌなのだから。
それに、自分はリリアーヌのこうした率直なところを好ましく思っていたはずだ。飾らず、思ったことをそのまま口にする。彼女のそういうところに惹かれたのも事実だった。
それでも、自分の意見に反対されるのは、どうにも面白くなかった。
「……好きにするといい。ただし、先生の指導を無視するようなことはするなよ」
「分かっているわ」
リリアーヌの返事は、先ほどよりも少しだけ冷たかった。ハインリッヒはその変化に気づいたものの、何も言わなかった。
「では、私は執務に戻る。あまり根を詰めすぎないようにな」
そう告げて背を向ける。
リリアーヌは、去っていく彼の背中を見つめていた。
いつもなら、彼が気にかけてくれたことを素直に喜べたはずだった。わざわざ練習場まで足を運んでくれたのだから、ありがたいと思っている。
けれど、今は少しだけ違った。
自分の努力を見てほしかった。失敗しても頑張っていることを認めてほしかった。そして、どうすれば上達できるのか、一緒に考えてほしかった。
ただ、それだけだったのに。
「……リリアーヌ様。少し休憩なさいますか?」
指南役の問いかけに、リリアーヌは首を横に振った。
「ううん。もう少し続けるわ」
再び両手を前に出す。
掌に魔力を集め、小さな光を生み出す。今度は大きさを抑え、消えないように意識を集中させた。
光は先ほどよりも長く留まった。
けれど、やはり数秒後には消えてしまう。
「……もう!」
リリアーヌは悔しそうに頬を膨らませた。
それでも、諦めるつもりはなかった。
自分はまだ知らないことばかりだ。王太子妃としての務めも、魔法の扱いも、これから学ばなければならないことが山ほどある。
だからこそ、何も分からないまま、ただ言われたことを繰り返すだけではいたくなかった。
自分なりに考えて、失敗して、少しずつでも前へ進みたい。
その思いだけは、譲れなかった。
一方、練習場を後にしたハインリッヒは、執務室へ向かう廊下を歩きながら、先ほどのやり取りを思い返していた。
リリアーヌは悪気があって反対したわけではない。それくらいは分かっている。
彼女は何事にも一生懸命で、知らないことを知ろうとする意欲もある。自分がそんな彼女を好ましく思っていることに、変わりはなかった。
それでも、王太子である自分の言葉に、あのようにはっきりと異を唱えられると、どうしても落ち着かない。
「……まったく」
小さく息を吐く。
結婚したのだから、これからは二人で協力していかなければならない。意見が食い違うことだってあるだろう。
頭では理解していた。
けれど、自分の考えが正しいと思っているときに、それを否定されることには慣れていなかった。アイリーンは、いつも自分の決定を受け入れていた。彼女が何を思っていたのか。なぜ反対しなかったのか。いや、そんなことを考える必要はない。少なくとも、今、隣にいるのはリリアーヌだ。それに、リリアーヌとの結婚は、まだ始まったばかりだ。互いに知らないことがあっても、これから少しずつ理解していけばいい。
ハインリッヒはそう考え、再び歩き出した。
ただ、彼の胸に残った小さな苛立ちは、すぐには消えなかった。
今回は久しぶりに王宮編でした。次回はまた、アイリーンとアネットの話に戻ります。
お楽しみに!




