第22話 夢へ向かって
アネットさんが話し終えたあと、部屋にはしばらく静寂が落ちていました。窓の外からは、夜の街を行き交う人々の声がかすかに聞こえてきます。先ほどまで賑やかだったリベルデの街も、今は少しずつ眠りにつこうとしていました。
わたくしは、向かいに座るアネットさんを見つめました。いつも明るく、どんなときでも前向きな彼女。その笑顔の裏に、あれほどつらい過去があったなんて、想像もしていませんでした。
「……お話しくださって、ありがとうございます」
「えっ?」
アネットさんが、少し驚いたように顔を上げました。
「アネットさんが冒険者を目指した理由が、よくわかりました。あの日、何もできなかった悔しさを、ずっと抱えていらっしゃったのですね」
「……うん」
アネットさんは小さく頷きました。
「お父さんが亡くなって、お母さんやテオたちとも離れ離れになって……。あのときの私は、本当に何もできなかったから」
彼女は膝の上で両手を握りました。
「だから、もう二度と、あんな思いはしたくないんだ。大切な人が危ない目に遭っているのに、ただ見ていることしかできないなんて、絶対に嫌だから」
その声には、確かな意志が込められていました。
「いつか、誰にも負けないくらい強くなりたい。どんな魔物が相手でも、逃げずに立ち向かえるようになりたい。そして……私の大切な人たちを、ちゃんと守れるようになりたいんだ」
アネットさんはそう言って、いつものように笑いました。けれど、その笑顔は、普段の彼女が見せるものとは少し違っていました。
明るさの奥に、決して消えることのない決意が感じられます。彼女は、ただ強さに憧れているわけではないのです。
「……素敵な夢だと思います」
わたくしがそう告げると、アネットさんは目を丸くしました。
「ほ、本当?」
「ええ。自分の目標をはっきりと持ち、そのために努力を続けられることは、簡単なことではありません。わたくしは今まで、家のため、そして周囲の期待に応えるために生きてきました。自分が何をしたいのか、深く考えたことすらなかったのです。だからこそ、夢に向かって真っすぐに進むアネットさんを、尊敬しています」
「そ、そんなに真面目に言われると、なんだか照れるなぁ……」
アネットさんは頬を掻きながら、視線を泳がせました。その様子が少しおかしくて、わたくしは思わず微笑みました。
「ですが、ひとつだけお願いがあります」
「ん? なに?」
「アネットさんが誰かを守りたいと思うのと同じように、ご自身のことも大切にしてくださいね」
「……え?」
「強くなることも、誰かを守ることも、決して簡単ではありません。けれど、自分を犠牲にすることばかりが、正しい選択とは限りませんから。」
アネットさんは、しばらく黙ってわたくしを見つめていました。
やがて、ふっと表情を和らげました。
「……リーネって、たまにすごく優しいこと言うよね」
「たまに、とは失礼ですね」
「あはは、ごめんごめん!」
アネットさんは声を上げて笑いました。その笑顔を見て、わたくしも少しだけ肩の力が抜けました。
彼女の過去を知ったからといって、わたくしに何かができるわけではありません。失われたものを取り戻すことも、過ぎ去った時間をやり直すこともできないのです。それはわたくし自身がよく知っています。それでも、これから先のことはまだ分かりません。だからこそ、自分で選んで歩んでいけば良いのです。
「……ねえ、リーネ」
「なんでしょう、アネットさん」
「私さ、いつか本当に世界一の冒険者になれたら、今日のことも笑って話せるようになるのかな」
アネットさんは窓の向こうへ目を向けました。
「お父さんのことも、村のことも。悲しかったことは、きっとずっと忘れないと思う。でも、いつか振り返ったときに、あの出来事だけじゃなくて、そのあとに出会った人たちや、楽しかった冒険のことも、たくさん思い出せるようになったらいいなって」
わたくしは、その言葉を静かに受け止めました。悲しい過去を忘れる必要などないのでしょう。けれど、過去だけに縛られる必要もありません。アネットさんは今、自分の足で前に進んでいます。
「きっと、なれますよ」
「……え?」
「アネットさんが夢を諦めずに歩き続けるのなら、いつか、その夢に手が届く日も来るはずです」
わたくしは、まっすぐに彼女を見つめました。
「そのときは、わたくしにも見届けさせてくださいね」
アネットさんは一瞬、ぽかんと口を開けました。それから、満面の笑みを浮かべました。
「もちろん! そのときは、リーネも一緒だからね!」
「……わたくしも、ですか?」
「当たり前じゃん! 世界一の冒険者になる私の相棒なんだから!あ、今、決めた。世界一の冒険者じゃなくて、世界一のパーティを目指そうよ。どうせなら。」
迷いのない声でした。
わたくしは、返事に困ってしまいました。世界一の冒険者。そして世界一のパーティ。今までのわたくしなら、そんな未来を想像することすらなかったでしょう。
バルコス公爵家の娘として生きていた頃、わたくしの将来は、周囲の人々によって決められていました。誰と結婚し、どのような立場になり、どのように振る舞うべきなのか。そこに、わたくし自身の望みがどれほどあったのか。
今となっては、よくわかりません。
けれど、少なくとも今は違います。
わたくしは自分で冒険者になることを選び、この街までやってきました。そして、アネットさんと出会ったのです。彼女の夢を聞いているうちに、わたくしも少しずつ、自分の未来について考えるようになっていました。
「……そうですね」
わたくしは、小さく頷きました。
「そのときまで、アネットさんの相棒を務められるよう、わたくしも努力しなければなりませんね」
「おっ、言ったね? じゃあ、これからもどんどん強くなっていこう!」
「ええ。ですが、まずは明日の予定を考えましょう」
「うっ……。夢の話から一気に現実に戻された……」
「冒険者にも、休息と計画は必要ですから」
「はーい……」
アネットさんは少しだけ不満そうに頬を膨らませましたが、すぐに笑顔に戻りました。
その後、わたくしたちは明日の行動について簡単に話し合い、夜も遅くなったところで、それぞれ休むことにしました。
寝台に横になってからも、わたくしはなかなか眠れませんでした。アネットさんが語った過去。そして、彼女が抱き続けている夢。
わたくしには、まだ知らないことがたくさんあります。彼女のことも、自分自身のことも。けれど、それを知る時間は、これからいくらでもあるはずです。わたくしは目を閉じ、静かに息を吐きました。
明日もまた、新しい一日が始まります。そうして、わたくしたちの冒険は続いていくのです。
翌朝。
「リーネー! 起きてるー?」
部屋の扉を叩く、聞き慣れた声がしました。
「起きています。今、支度をしていますから、少しお待ちください」
「はーい!」
扉の向こうから、軽快な返事が返ってきました。わたくしは身支度を整えると、荷物を確認し、部屋を出ました。
「おはよう、リーネ!」
「おはようございます、アネットさん」
アネットさんは、いつもと変わらない笑顔を浮かべていました。けれど、昨日の話を聞いた今、その笑顔が以前よりも少しだけ違って見えます。
「それでは、まずは冒険者ギルドへ向かいましょうか」
「うん! 昨日の報告も気になるしね!」
わたくしたちは宿を出て、朝の街へと歩き出しました。海から吹く風は、昨日よりも穏やかでした。
街のあちこちには、戦いによって壊れた建物が残っています。復旧作業に取りかかる人々の姿も見えました。
すべてが元どおりになるまでには、まだ時間がかかるでしょう。それでも、街の人々は前を向いていました。
失われたものを嘆くだけではなく、残されたものを守りながら、再び日常を築こうとしているのです。
その姿を見て、わたくしは胸の奥が温かくなるのを感じました。
冒険者ギルドに到着すると、受付にはセシリアさんの姿がありました。
「あら、おはようございます。昨日はお疲れさまでした」
「おはようございます。昨日の報告について、何か進展はありましたか?」
わたくしが尋ねると、受付嬢は手元の書類を確認しました。
「はい。お二人からいただいた報告書は、ギルド内で共有されています。今回の魔物の襲撃については、引き続き調査が進められることになりました」
「そうですか……」
やはり、あれほどの数の魔物が一度に現れた理由は、まだわかっていないようです。
わたくしが考え込んでいると、受付嬢が別の書類を取り出しました。
「それと、お二人の戦闘についても報告が上がっています。特に、巨大な海の魔物への対処と、その後の市街地での防衛活動については、高く評価されていますよ」
「ほ、本当ですか!?」
アネットさんが身を乗り出しました。
「ええ。実際に現場で戦った冒険者たちからも、お二人の活躍について証言がありました」
「やったね、リーネ!」
「ええ。ですが、まだ正式な評価が決まったわけではありませんから、落ち着いてくださいね」
「わかってるって!」
そう答えるアネットさんの顔には、隠しきれない喜びが浮かんでいました。
受付嬢は微笑みながら、書類を机の上に置きました。
「今回の件については、ギルドマスターにも報告が届いています。そして、お二人の今後について、ひとつ提案があるそうです」
「提案、ですか?」
「はい。詳しいことは、まだ正式に決定していません。ただ、お二人の実力を考慮し、通常より早い段階でBランクへの昇格試験を受ける機会を設けられないか、検討されているようです」
「Bランク!?」
アネットさんの声が、ギルド内に響き渡りました。周囲の冒険者たちが一斉にこちらを振り向きました。
「ア、アネットさん。声が大きいです……!」
「ご、ごめん!」
アネットさんは慌てて口元を押さえました。けれど、その瞳は期待に輝いています。わたくしも、思わず息を呑みました。
Bランクへの昇格。
それは、今のわたくしたちにとって、決して簡単に手が届くものではありません。なにせ、今はDランクなのですから。
今回の戦いで実力を認められたのだとしても、それだけで昇格が約束されるわけではないでしょう。
「その試験は、こちらのギルドで受けられるのでしょうか?」
「いいえ。現在のところ、試験は隣国の帝都で行う方向で調整されているそうです。正式に決まりましたら、改めてお伝えしますね」
隣国の帝都。
これまで訪れたことのない場所です。新たな土地、新たな出会い、そして、これまで以上に厳しい試練が待っているかもしれません。
けれど、不思議と不安ばかりではありませんでした。
わたくしの隣では、アネットさんが期待に胸を膨らませています。
「ねえ、リーネ。もし本当に試験を受けられるなら、絶対に挑戦しようよ!」
「そうですね。せっかくいただいた機会ですもの。挑戦する価値は十分にあると思います」
「よーし! 決まりだね!」
アネットさんは拳を握りしめました。その姿を見て、わたくしは微笑みました。
彼女の夢へと続く道は、まだ始まったばかりです。
そして、わたくし自身の道も。
昨日、彼女が語ってくれた過去を忘れることはないでしょう。
けれど、わたくしたちは過去だけを見つめて生きていくわけではありません。
これから何を成し遂げるのか。
どこまで進んでいけるのか。
それを決めるのは、わたくしたち自身なのですから。
「それでは、準備を始めましょうか。次の冒険に向けて」
「うん!」
わたくしたちは顔を見合わせ、力強く頷きました。
まだ見ぬ世界へ。
わたくしたちの新たな冒険が、始まろうとしていました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
今回は、アネットが自分の過去と向き合い、リーネとこれからの夢について語り合うお話でした。一人で世界一の冒険者を目指していたアネットが、「世界一のパーティ」を目指そうと言い出す場面は、二人の関係を表す大切な場面になったと思います。リーネにとっても、誰かに決められた道ではなく、自分で選んだ道を歩き始めた今だからこそ、考えられることがあるのかもしれません。
そして、二人の冒険はまだまだ続きます。
次はどんな出会いが待っているのか。これからも二人の旅を見守っていただけたら嬉しいです!
引き続き、よろしくお願いします!




