第20話 街に残る傷跡
負傷者の救助を終えた頃には、空はすっかり夕暮れに染まっていました。
街のあちこちから、片付けのために人々が動き回る音が聞こえてきます。無事だった住民たちは、壊れた家や店を前に途方に暮れながらも、少しずつ復旧に取りかかっていました。
スタンピードは終息しました。
けれど、街に残された傷跡は決して小さなものではありません。
「……すごい被害だね」
隣を歩くアネットが、ぽつりとつぶやきました。
「ええ。これほどの規模になるとは、わたくしも思っていませんでしたわ」
通りの半分近くが、魔物の攻撃によって大きな被害を受けていました。建物の壁は崩れ、屋根を失った家もあります。通りには瓦礫が散乱し、店先に並んでいた商品も無残に壊れていました。
港町であるリベルデにとって、海は生活を支える大切なものでしょう。
それなのに、その海から押し寄せた魔物たちが、街の暮らしを脅かしたのです。
「みんな、これから大変だろうな……」
「そうですわね。ですが、今は一人ひとりができることをするしかありませんわ」
「うん。私たちも、できることを探さないとね」
アネットはそう言って、前を向きました。
彼女の表情には疲労が色濃く残っています。それでも、立ち止まってはいられないのでしょう。わたくしも同じ気持ちでした。
ただ、その前に済ませておかなければならないことがあります。
「まずは冒険者ギルドへ行きましょう。今回の戦闘について、正式に報告する必要がありますわ」
「そうだった! ピウーヴルを倒したことも、ちゃんと伝えないとね」
「ええ。それに、街へ侵入した魔物の種類や数についても、覚えている限り報告しておきたいですわ」
わたくしたちは、冒険者ギルドへ向かって歩き始めました。
リベルデは港を中心に発展した街です。商人や船乗りが行き交い、各地から運ばれてきた品物が市場に並びます。海上交易によって栄えている一方、海に生息する魔物への警戒も欠かせません。そのため、この街の冒険者ギルドは、海岸付近の依頼や海棲魔物の討伐を多く取り扱っていると聞いていました。
もっとも、わたくしたちがこの街に滞在してからは、まだ依頼を受けるために何度か訪れただけです。
建物の造りや受付の配置には慣れてきましたが、ギルドの人々と親しくなったわけではありません。今回のスタンピードによって、街の冒険者たちと協力して戦うことになったのも、ほとんど偶然のようなものでした。
やがて、通りの先に見慣れた建物が見えてきました。
石造りの二階建てで、入口の上には剣と盾を組み合わせた冒険者ギルドの紋章が掲げられています。港に近い立地のためか、建物の外壁には潮風による傷みがありましたが、頑丈な造りをしていました。
いつもなら、依頼を探す冒険者たちの声や、酒場から聞こえる笑い声が響いている時間です。
しかし、今日は違いました。
入口の前には負傷した冒険者たちが集まり、何人もの職員が慌ただしく出入りしています。建物の中からも、慌ただしい話し声が聞こえてきました。
「……やっぱり、みんな忙しそうだね」
「今回の被害を考えれば、当然でしょうね」
わたくしたちは顔を見合わせ、扉を開きました。
中へ入ると、普段とはまるで違う光景が広がっていました。
依頼書が貼られた掲示板の前には人だかりができ、受付では冒険者たちが次々と報告を行っています。負傷者の手当てをするために一角が空けられ、普段は食事や休憩に使われているテーブルにも、包帯を巻いた人々が腰を下ろしていました。
誰もが疲れ切った顔をしています。
それでも、仕事を止める者はいませんでした。
「すみません、少しよろしいでしょうか」
わたくしが受付へ声を掛けると、書類を整理していた女性が顔を上げました。
「はい。冒険者の方ですね。どのようなご用件でしょうか?」
落ち着いた声でした。忙しい状況にもかかわらず、女性は慌てる様子もなく、こちらに向き直ります。
「本日発生したスタンピードについて、報告に参りました。海岸での戦闘にも参加しておりましたので」
「スタンピードの報告ですね。承知しました」
女性は手元の書類を脇へ置き、わたくしたちを交互に見ました。
「お名前と冒険者ランクを伺ってもよろしいでしょうか?」
「リーネです。ランクはDですわ」
「私もDランク! アネットです!」
二人の名前とランクを聞くと、女性は記録用の書類を取り出しました。
「私は受付を担当しております、セシリアと申します。詳しいお話を伺いたいのですが、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですわ」
「大丈夫です!」
セシリアさんはうなずき、書類に必要事項を記入し始めました。
「それでは、まず確認させてください。お二人は海岸での戦闘に参加されたのですね?」
「はい。わたくしたちは、海から押し寄せてきた魔物の群れと交戦しました。特に危険だったのは、巨大なタコのような姿をした魔物ですわ」
「ピウーヴルだね!」
アネットが言葉を引き継ぎました。
「ものすごく大きくて、触手で攻撃してきたんだ。普通の魔物とは比べものにならないくらい強かったよ」
「ピウーヴル……ですか」
セシリアさんの手が止まりました。
「間違いありませんわ。わたくしたちは、その魔物の討伐に成功しました」
「討伐に成功した、というのは……お二人だけで、ですか?」
驚いたような声でした。
無理もありません。Dランクの冒険者二人が、かなり巨大な強い魔物を討伐したのですから。
「いえ、ほかの冒険者の方々も協力してくださいました。わたくしたちだけの力ではありませんわ」
わたくしはそう答えました。
実際、あの戦いは一人でも欠けていれば、結果が変わっていたかもしれません。ピウーヴルの注意を引きつけ、攻撃の機会を作り、互いに援護し合ったからこそ、討伐までたどり着けたのです。
セシリアは一度うなずき、再び書類に目を落としました。
「わかりました。では、討伐に至るまでの経緯を、順番に教えていただけますか?」
わたくしたちは、海岸で魔物の群れを発見したところから話し始めました。
最初に確認した魔物の種類。ピウーヴルの出現。触手による攻撃。そして、冒険者たちが協力してその目を狙い、討伐に成功したこと。
さらに、その戦いの最中にマーマンやオーシャンボーンが街へ侵入してしまったことも、伝えました。
「そうだったのですね……」
セシリアは険しい表情で書き留めています。そして、セシリアは目を伏せ言いました。
「こちらでも、各所から報告が届いています。負傷者の救護や街の復旧についても、ギルドとして対応を進めなければなりませんね」
その言葉には、受付係としての責任だけでなく、街を案じる気持ちも感じられました。わたくしは、先ほど目にした光景を思い出します。
崩れた建物。瓦礫の山。途方に暮れる住民たち。魔物を倒したからといって、すべてが解決するわけではありません。これから先、街の人々が日常を取り戻すまでには、多くの時間と労力が必要になるでしょう。
「わたくしたちに協力できることがあれば、お知らせくださいませ。冒険者として、できる限りのことはしたいと思っていますわ」
「私も! 街のみんなにはお世話になったし、何かできることがあるなら手伝いたい!」
アネットも身を乗り出して言いました。セシリアは二人を見つめ、それから柔らかく微笑みました。
「ありがとうございます。そう言っていただけるだけでも、心強いです。復旧作業や追加の依頼については、準備が整い次第、掲示板などでお知らせすることになると思います」
「わかりましたわ」
「うん!」
セシリアは報告書の最後に記入を終えると、書類をまとめました。
「今回の報告は、ギルドマスターにも提出いたします。ピウーヴルの討伐についても、ほかの冒険者の方々からの報告と照合したうえで、正式に記録することになるでしょう。ピウーヴルは本来危険度はAの魔物ですから、Dランクのお二人が討伐に一役買ったということであれば、もしかしたら昇級できるかもしれません。」
ギルドマスター。
その言葉に、わたくしは少しだけ意識を向けました。冒険者ギルドの長である以上、今回のような大規模な事件について報告を受けるのは当然でしょう。けれど、わたくしたちはまだ一度もお会いしたことがありません。それに、今のギルドは非常に忙しそうです。わざわざ時間を取っていただく必要もないでしょう。
しかし、再び昇級……わたくしもCランクになれるかもしれないのですね。昇級することになれば嬉しいですね。
「承知しました。セシリアさん、お忙しいところ、ありがとうございました」
「こちらこそ、貴重な報告をありがとうございます。お二人も、今日は本当にお疲れさまでした」
セシリアは丁寧に頭を下げました。
わたくしたちも挨拶を返し、受付を離れます。
ギルドの中では、今も冒険者たちが報告を続けていました。これから被害の全容が明らかになるにつれ、必要な対応も増えていくはずです。
「ふう……。やっと一段落だね」
アネットが肩の力を抜きました。
「そうですわね。あとは、ギルドからの連絡を待ちましょう」
「うん。……でも、今日は本当に大変だったなあ」
アネットはそう言って、窓の外へ目を向けました。
夕暮れの街には、まだ煙が漂っています。通りには瓦礫が散乱し、壊れた建物の前では、住民たちが途方に暮れながらも片付けを始めていました。
「……街って、あっという間に変わっちゃうんだね」
ぽつりとこぼされた言葉に、わたくしは彼女を見つめました。いつものアネットなら、どれほど疲れていても、最後には明るい言葉で締めくくることが多いのです。けれど、今の彼女の横顔には、いつもとは違う寂しさが浮かんでいました。
「アネットさん?」
「……あ、ごめん! なんでもないよ!」
こちらを振り向いた彼女は、いつものように笑いました。けれど、その笑顔がどこか無理をしているように見えたのは、気のせいだったのでしょうか。わたくしは、すぐには言葉を返せませんでした。彼女にも、わたくしの知らない過去がある。考えてみれば、当然のことです。わたくしが自分の過去をすべて語っていないように、アネットもまた、胸の内にしまっているものがあるのかもしれません。
「……今日は、もう休みましょうか」
「うん。そうしよう!」
アネットは明るく答えました。
わたくしたちはギルドを後にし、夕暮れの街を歩き始めました。帰り道、アネットはいつもと変わらず話しかけてきました。今日の戦いのことや、次に受けてみたい依頼のこと。これから訪れてみたい街のこと。わたくしも、それに応えながら歩きました。
けれど、ときおり彼女の表情が曇るたび、先ほどの言葉が思い出されました。
街は、あっという間に変わってしまう。
その言葉には、今回のスタンピードだけではない、何か別の意味が込められているような気がしたのです。わたくしは、隣を歩くアネットをそっと見つめました。いつか、彼女が自分から話してくれる日が来るのでしょうか。もしそうなったら、そのときはきちんと聞こう。わたくしはそう心に決めました。
「はあ~……。やっと落ち着いた!」
「本当に、長い一日でしたわね」
「うん。朝は普通に依頼を受けるつもりだったのに、まさかあんなことになるなんて思わなかったよ」
「わたくしもですわ。あれほどの数の魔物が海から押し寄せてくるなんて……」
思い返すだけでも、ぞっとします。
もし、冒険者たちが協力して戦わなければ。もし、ピウーヴルを討伐できていなければ。リベルデは、もっと大きな被害を受けていたかもしれません。
「……みんな、無事だといいね」
アネットがぽつりと言いました。
「ええ。負傷された方々も、無事に回復されるといいのですが」
「それもそうなんだけど……」
アネットは言葉を切りました。そして、膝の上で両手を組み、少しだけ視線を落としました。
「家が壊れちゃった人とか、お店がなくなっちゃった人とか。これからどうするんだろうって思って」
その声は、いつもより静かでした。
「住むところも、仕事も、急になくなっちゃうんだもんね。明日からどうしたらいいのか、わからなくなっちゃう人もいると思う」
「……そうですわね」
わたくしは、すぐにはそれ以上の言葉を返せませんでした。建物を直すことはできるでしょう。失われた物も、時間をかければ少しずつ取り戻せるかもしれません。けれど、被害を受けた人々がこれから何を思い、どのように暮らしていくのか。それを考えると、簡単に慰めの言葉を口にすることはできませんでした。
「でも、みんなで協力すれば、きっと何とかなるよね」
アネットは顔を上げました。
「私たちだって、今日はいろんな冒険者の人たちと協力して戦えたし。大変なことがあっても、一人じゃなければ、できることは増えると思うんだ」
「……ええ。わたくしも、そう思いますわ」
そう答えると、アネットは少し安心したように笑いました。
けれど、その笑顔はすぐに消えてしまいました。
「……私の故郷もね」
小さな声でした。
わたくしは、思わず顔を上げました。
「アネットさん?」
アネットは、窓の外へ目を向けていました。
夕暮れの空は、いつの間にか夜の色に変わり始めています。
しばらくの沈黙のあと、彼女はゆっくりと口を開きました。
「私の故郷も、昔……」
アネットさんはそこで言葉を止めました。わたくしは、急かすことなく彼女の次の言葉を待ちました。
普段の彼女なら、話の途中で言葉に詰まることなど、ほとんどありません。思いついたことを次々と口にして、時にはこちらが追いつけなくなるほどです。
けれど、今のアネットは違いました。 膝の上で組んだ手に、きゅっと力がこもっています。
「……ごめんね。急にこんな話をして」
「謝る必要はありませんわ。わたくしは、聞いていますから。それに、前にアネットさんはわたくしの話を聞いてくださいました。今度はわたくしもアネットさんのお話をお聞きしたいです。」
そう伝えると、アネットは少し驚いたように目を見開きました。
それから、ほっとしたように小さく息を吐きます。
「……ありがとう、リーネ」
彼女は窓の外へ視線を向けました。
「……少し、昔の話になるけど」
彼女は一度目を閉じ、それから静かに口を開きました。
そして、語り始めたのです。
自分が生まれ育った、小さな村のことを。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
リベルデを襲ったスタンピードは、ひとまず終息しました。しかし、街に残された被害は大きく、復旧にはまだ時間がかかりそうです。そして、今回の出来事はアネットの心にも何かを思い起こさせたようで……?
次回はアネットの過去にも迫っていきます。
引き続き、アイリーンとアネットの冒険を見守っていただけるとうれしいです!




