第18話 荒れ狂う海 ③
「よし。やろう!」
アネットさんが剣を構えました。
わたくしも杖を構え、ピウーヴルへと向き直りました。
狙うのは、触手の動きが重なる瞬間。一本を凍らせたところで、残る触手が襲いかかってくるでしょう。けれど、複数の触手を同時に足止めできれば、わずかな時間でも攻撃の機会を作れるはずです。
問題は、それだけの魔力を一度に使えるかどうかでした。
わたくしは息を整え、杖の先に意識を集中させます。
「フローズン・アレイ!」
放たれた魔力が、海岸を走りました。氷は砂浜を滑るように広がり、こちらへ伸びてきた触手の根元を覆います。さらに、別の触手へと氷を伸ばし、その動きを鈍らせました。
けれど、ピウーヴルも黙ってはいません。凍りついた触手が激しく動き、氷にひびが走ります。長くは持ちません。
「アネットさん、今ですわ!」
「任せて!」
アネットさんが駆け出しました。
炎をまとった剣を手に、砂浜を蹴り、一気に距離を詰めていきます。
ピウーヴルの一つ目が、彼女の姿を捉えました。
残る触手が動きます。
一本が頭上から振り下ろされ、もう一本が横から迫りました。
「させません!」
わたくしは杖を振り、迫る触手の進路にもう一度フローズン・アレイを放ちました。
激しい音とともに氷が砕けます。
完全には防ぎきれません。それでも、触手の勢いがわずかに弱まりました。その隙を、アネットさんは見逃しませんでした。
「インフェルノブレイズ!」
炎をまとった剣が、ピウーヴルの一つ目へと振り下ろされます。しかし、あと少しというところで、別の触手が彼女の前に割り込みました。
剣と触手が激突し、火花が散ります。
「くっ……!」
アネットさんは歯を食いしばり、剣を押し込みました。
触手の表面に傷が刻まれます。けれど、その勢いを完全に押し切ることはできませんでした。
次の瞬間、触手が彼女を弾き飛ばそうと大きく跳ね上がります。
「アネットさん!」
わたくしはとっさに魔力を放ちました。触手の先端が凍りつき、動きがわずかに鈍ります。
アネットさんはその隙を利用して地面へ着地し、すぐさま後方へ退きました。
危機を脱したものの、攻撃は失敗です。
「ごめん、リーネ!」
「謝る必要はありませんわ。あれほどの魔物ですもの、一度でうまくいくとは限りません」
わたくしはそう答えながらも、杖を握る手の震えを感じていました。先ほどの魔法で、思っていた以上に魔力を消耗しています。このまま同じ攻撃を繰り返せば、いずれ魔力が尽きてしまうでしょう。
けれど、時間をかけるわけにもいきませんでした。
「おい、東側が危ないぞ!」
遠くから冒険者の叫び声が聞こえました。
そちらへ目を向けると、マーマンの群れが防衛線へ押し寄せていました。冒険者たちが迎え撃っていますが、ピウーヴルの攻撃を警戒しなければならないため、十分に集中できていないようです。
その後方では、オーシャンボーンが長い骨の尾を引きずるようにして、ゆっくりと岸へ上がってきていました。ほかの魔物も、次々と砂浜に姿を現しています。海からの襲撃は、少しも衰えていません。むしろ、ピウーヴルが暴れるたびに防衛線が乱れ、魔物たちが入り込む隙が生まれているようにさえ見えました。
「くそっ、こっちにも回ってきやがった!」
「後ろへ通すな! 街に入らせるな!」
冒険者たちが必死に応戦しています。しかし、全員がピウーヴルにばかり注意を向けているわけにはいきません。かといって、あの巨体を放置することもできないのです。わたくしは、改めてピウーヴルを見上げました。
あの魔物を倒さなければ、戦況は変わらないでしょう。
「アネットさん。もう一度、仕掛けましょう」
「うん。でも、さっきみたいに触手に邪魔されたら……」
「そのために、ほかの冒険者の方々にも協力していただきましょう」
わたくしは周囲を見渡しました。
少し離れた場所で、盾を構えた大柄な冒険者が、マーマンの攻撃を受け止めています。その近くには、弓を手にした冒険者もいました。
彼らなら、あるいは。
「そこの方! 少しだけ、こちらに力を貸していただけませんか!」
わたくしの声に、盾を構えた冒険者が振り向きました。
「何だ!?」
「ピウーヴルの触手を、一瞬だけでも引きつけていただきたいのです。その隙に、わたくしたちが本体を攻撃します!」
彼は一瞬、巨大な魔物を見上げました。当然でしょう。あれに正面から立ち向かうのは、誰にとっても容易なことではありません。
けれど、彼はすぐに盾を握り直しました。
「……分かった! だが、長くは持たねえぞ!」
「十分ですわ。ありがとうございます!」
弓を持った冒険者も、話を聞きつけて近づいてきました。
「目を狙えばいいんだな?」
「ええ。できる限り、触手の注意を引いていただけると助かります」
「了解だ!」
わたくしたちは、互いに短く頷き合いました。これなら、先ほどよりも大きな隙を作れるかもしれません。
もちろん、危険がなくなったわけではありません。けれど、二人だけで無理に攻めるよりは、ずっと可能性があるはずです。
「アネットさん。合図をしたら、今度こそ一気に攻めましょう」
「分かった!」
盾を構えた冒険者が、ピウーヴルの前へと踏み出しました。
「こっちだ、タコ野郎!」
大声で挑発し、盾を地面へ打ちつけます。ピウーヴルの一つ目が、そちらへ向きました。
触手が動きます。
けれど、冒険者は逃げませんでした。盾を構え、迫る触手を受け止めようと踏みとどまります。
――ドォンッ!
衝撃に、彼の身体が大きく沈みました。
「ぐっ……!」
「今だ、撃て!」
弓使いの放った矢が、ピウーヴルの一つ目へと飛んでいきます。
矢は目の周囲に当たり、魔物が苦しげに身をよじりました。
その瞬間、触手の動きが乱れます。
「リーネ!」
「ええ!」
わたくしは杖を高く掲げました。
残る魔力を振り絞り、氷を放ちます。
「フローズン・アレイ!」
氷が一気に広がり、ピウーヴルの触手を次々と覆っていきました。
すべてを止めることはできません。それでも、いくつかの触手が地面へと縫い止められ、その動きが鈍ります。
同時に、盾を構えた冒険者が後方へ飛び退きました。
「今だ! やれ!」
アネットさんが駆け出しました。
先ほどよりも速く、迷いのない足取りでした。
炎をまとった剣が、まっすぐにピウーヴルの一つ目を狙います。
魔物は残る触手を伸ばし、彼女を阻もうとしました。
けれど、弓使いが続けて矢を放ち、触手の動きをわずかに逸らします。
ほんの一瞬。
けれど、その一瞬で十分でした。
「インフェルノブレイズ!」
炎の剣が、一つ目へと深く食い込みました。ピウーヴルの巨体が、大きく震えます。
ーーキィぃぃぃ
耳をつんざくような叫び声が響き渡り、海面が激しく波立ちました。
「やった……!?」
誰かが声を上げます。
けれど、わたくしはまだ杖を下ろしませんでした。ピウーヴルは、倒れていなかったのです。
傷ついた一つ目を守るように、残る触手が一斉に動き出しました。
「アネットさん、離れて!」
わたくしが叫ぶよりも早く、アネットさんは剣を引き抜き、後方へ飛び退きました。
直後、触手が周囲をなぎ払います。
冒険者たちは散開し、攻撃を避けました。盾を構えていた冒険者も、弓使いも、どうにか直撃を免れます。
しかし、ピウーヴルの動きは明らかに変わっていました。
触手の振り回し方に、先ほどまでの正確さがありません。海面を叩き、砂浜をえぐり、まるで痛みに耐えかねて暴れているかのようでした。
「もう少しですわ……!」
わたくしは息を整えながら、ピウーヴルを見据えました。弱点への攻撃は、確かに効いています。
ならば、ここで手を緩めるわけにはいきません。
「アネットさん! もう一度、目を狙えますか?」
「もちろん!」
彼女は即座に答えました。
しかし、わたくしは魔力がなくなりそうでした。ポーションを飲もうにも今は時間がありません。
どうすればいいのでしょうか。
盾を構えた冒険者は、まだ戦えそうです。弓使いも、残った矢を確かめながら構え直していました。
そして、少し離れた場所では、別の冒険者たちがマーマンの群れを押し返し始めています。
彼らもまた、必死に街を守ろうとしているのです。
わたくしたちだけで倒す必要はありません。
皆で力を合わせれば、きっと。
「皆さん! あと一度だけ、協力をお願いします!」
わたくしの声に、冒険者たちがこちらを向きました。
「ピウーヴルの目を狙います! 触手を引きつけ、攻撃の隙を作ってくださいませ!」
「分かった!」
「こっちも援護するぞ!」
返事が次々と返ってきます。
それを聞いたアネットさんが、剣を握り直しました。
「リーネ。これで決めよう!」
「ええ!」
盾を構えた冒険者が、再びピウーヴルの正面へと立ちました。
弓使いが矢を放ち、別の冒険者が魔法を撃ち込みます。
触手がそちらへと引きつけられ、攻撃の軌道がわずかに乱れました。
その隙を逃さず、アネットさんが駆け出します。
わたくしも、残された魔力を振り絞りました。
「フローズン・アレイ!」
氷が一本の触手を捉え、その動きをほんの一瞬だけ止めます。
それ以上は持ちません。
氷にひびが入り、砕け始めました。
けれど、アネットさんはもう目の前まで迫っていました。
「これで……終わりだあっ!」
炎をまとった剣が、傷ついた一つ目へと振り下ろされます。
今度こそ、刃が深く突き刺さりました。ピウーヴルの巨体が、激しくのけぞります。何本もの触手が宙をかき、海面を叩きつけました。
それでも、アネットさんは剣を離しません。
炎が剣身を包み込み、傷口へと広がっていきます。
やがて――
ピウーヴルの動きが、ぴたりと止まりました。
大きな一つ目から光が失われ、触手が一本、また一本と力なく砂浜へ落ちていきます。
巨体がゆっくりと傾き、海へと崩れ落ちました。
凄まじい水しぶきが上がり、波が海岸へ押し寄せます。
わたくしは、しばらくその光景を見つめていました。
倒したのです。
あれほどの力を持った魔物を、わたくしたちは、ほかの冒険者の方々と協力して討ち倒したのです。
「……やった、の?」
アネットさんが、呆然とした様子で呟きました。
「ええ。どうやら、そのようですわ」
わたくしは、ようやく杖を下ろしました。
全身から力が抜けていくようでした。魔力も、体力も、ほとんど残っていません。
それでも、胸の奥には確かな安堵が広がっていました。これで、少しは戦いやすくなるはずです。ピウーヴルさえ倒せば、冒険者たちもほかの魔物へ集中できるでしょう。防衛線を立て直し、街への侵入を防ぐことができるかもしれません。
そう考えた、そのときでした。
「大変だ! 東側の防衛線が突破されたぞ!」
悲鳴にも似た叫び声が響きました。
わたくしは、はっとして顔を上げました。
「何ですって!?」
「マーマンの群れが抜けた! それに、骨の魔物も何体か街の方へ向かってる!」
声の主が指さした先では、海岸の東側で冒険者たちが慌ただしく動いていました。
ピウーヴルの攻撃に対処するため、何人もの冒険者が持ち場を離れたのでしょう。その隙を突いた魔物たちが、防衛線の薄くなった場所を突破してしまったのです。
そして今、数体のマーマンが街へ続く道を駆け上がっていました。
オーシャンボーンの姿も、遠くに見えます。
「そんな……!」
わたくしは思わず息を呑みました。
アネットさんの表情も曇りました。
ピウーヴルは倒しました。
けれど、その戦いに集中するあまり、ほかの魔物の侵入を許してしまったのです。
「リーネ、行こう!」
アネットさんが、すぐさま剣を構え直しました。
先ほどまでの疲れを押し隠すように、彼女は街へ続く道を見つめています。
「まだ、街の中に入った魔物を止められるかもしれない!」
「……ええ。急ぎましょう!」
わたくしも杖を握り直しました。
けれど、足を踏み出そうとした瞬間、遠くから別の叫び声が聞こえてきました。
「街の中にも魔物がいるぞ!」
その言葉に、わたくしの心臓が大きく跳ねました。
間に合わなかったのでしょうか。
海岸の向こうには、まだ多くの魔物が残っています。冒険者たちはそれらを食い止めようと戦い続けていましたが、すべてを防ぎきることはできなかったようです。
わたくしは、リベルデの街を見つめました。あの先には、避難を続けている住民たちがいます。守らなければならない人々がいるのです。
「アネットさん。街へ向かいましょう」
「うん!」
わたくしたちは、海岸を後にして走り出しました。背後では、ピウーヴルの巨体が波に揺られながら沈んでいきます。確かに、わたくしたちはピウーヴルに勝利しました。
けれど、その代償として、守るべき街に魔物が入り込んでしまったのです。
海からの脅威は、まだ終わっていませんでした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回はなんとかピウーヴルを倒し切りましたね。しかし、街に魔物が侵入してしまったようです。
次回、荒れ狂う海④、お楽しみに。




