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第17話 荒れ狂う海 ②

 海面が、大きく盛り上がりました。

 次の瞬間、何本もの巨大な触手が、水しぶきを上げながら姿を現します。

 その中心にいたのは、巨大なタコのような姿をした魔物でした。体の中央には大きな一つ目があり、無数の触手が海水を滴らせながらうごめいています。

 ピウーヴル。


「おい、嘘だろ……。ピウーヴルまでいるのかよ!」


「全員、警戒しろ! あいつを街へ近づけるな!」


 ギルド職員の声が響き、冒険者たちは一斉に武器を構えました。しかし、ピウーヴルは、こちらが態勢を整えるのを待ってはくれませんでした。


 ――バァンッ!


 一本の触手が、勢いよく海岸を叩きつけました。激しい衝撃とともに砂が舞い上がり、地面が大きくえぐれます。攻撃を受けた場所の近くにいた冒険者たちは、間一髪でその場を離れました。わたくしは、思わず息を呑みました。

 あの巨体からは想像もつかないほど、触手の動きが速かったのです。しかも、攻撃は一本だけではありませんでした。別の触手が横薙ぎに振るわれ、冒険者たちのいた場所をまとめてなぎ払います。彼らはどうにか攻撃を避けましたが、その衝撃によって隊列は大きく乱れてしまいました。


「な、何て威力だ……!」


「距離を取れ! まともに受けるな!」


 冒険者たちは互いに声を掛け合い、必死に態勢を立て直しています。

 その間にも、ピウーヴルは次々と触手を伸ばし、海岸を広範囲にわたって攻撃していました。

 一本を避けたと思えば、別の一本が迫ってくる。攻撃を防ごうにも、その衝撃は氷の壁さえ容易に砕きかねないほどです。

 これほどの巨体を持ちながら、これほど素早く動けるとは……。


「リーネ、どうする!?」


 隣で剣を構えるアネットさんが、ピウーヴルを見上げながら尋ねました。


「まずは、動きを止めることを考えましょう。あのままでは、近づくことすら難しそうですわ」


「分かった!」


 わたくしは杖を構え、こちらへ伸びてきた触手に狙いを定めました。


「フローズン・アレイ!」


 杖の先から放たれた魔力が、海面を走ります。広がった氷は触手の表面を覆い、その動きを鈍らせました。


「今ですわ!」


「インフェルノブレイズ!」


 アネットさんが勢いよく駆け出しました。炎をまとった剣が、凍りついた触手へと振り下ろされます。

 鋭い一撃が触手に食い込み、表面に深い傷を刻みました。

 けれど、それだけでした。

 ピウーヴルはわずかに身体を揺らしただけで、触手を大きく振り上げたのです。


「アネットさん、下がって!」


 彼女はすぐさま地面を蹴り、後方へ飛び退きました。

 直後、触手が砂浜へと叩きつけられます。凍りついていた氷は粉々に砕け、周囲に鋭い破片が飛び散りました。あと一瞬でも判断が遅れていたら、危険な状況になっていたでしょう。


「……硬いね、あいつ」


 アネットさんは着地すると、すぐに剣を構え直しました。


「ええ。ですが、攻撃がまったく通じないわけではないようですわ」


 わたくしは、触手に刻まれた傷を確認しました。傷は確かに残っています。しかし、あれほどの攻撃を加えても、触手を切り落とすことはできませんでした。

 このまま同じ攻撃を繰り返すだけでは、倒すまでにどれほどの時間がかかるか分かりません。

 それに、わたくしたちが攻撃に集中している間にも、ほかの魔物たちは海岸へと押し寄せていました。


「おい、マーマンが抜けてくるぞ!」


 少し離れた場所から、冒険者の叫び声が聞こえました。そちらへ目を向けると、何体ものマーマンが槍を構えながら砂浜を駆け上がってきています。その後方では、巨大なクジラの骨格を持つオーシャンボーンが、荒波を押し分けながらこちらへ迫っていました。

 ほかにも、名前の分からない魔物が次々と姿を現しています。

 しかし、冒険者たちがそれらの魔物を迎え撃とうとするたび、ピウーヴルの触手が戦場をなぎ払いました。

 攻撃を中断し、回避する。

 体勢を立て直して、再び魔物へ向き直る。

 その繰り返しによって、冒険者たちの連携は徐々に乱れ始めていました。


「くそっ、あいつのせいで思うように動けねえ!」


「文句を言っている暇があったら手を動かせ! 街を守るんだ!」


 厳しい声が飛び交います。

 それでも、誰一人として戦いを放棄しようとはしませんでした。

 後方には、まだ避難を続けている住民がいるのです。ここで防衛線が崩れれば、魔物たちが街へと入り込んでしまうかもしれません。

 わたくしは、改めてピウーヴルを見上げました。まずは、あの魔物をどうにかしなければなりません。


「アネットさん。あの一つ目を狙えませんか?」


「目?」


「ええ。先ほどから、触手で身体を守るように動いています。あそこが弱点である可能性もありますわ」


 もちろん、確証はありません。

 けれど、あれほど巨大な魔物を相手に、やみくもに攻撃を続けるわけにはいきませんでした。アネットさんは、ピウーヴルの一つ目をじっと見つめました。


「確かに……。でも、あそこまで近づくのは大変そうだね」


「わたくしが触手の動きを抑えます。その隙に、攻撃をお願いしますわ」


「分かった! やってみよう!」


 アネットさんは迷いなく頷きました。わたくしも杖を握り直し、ピウーヴルの動きを注意深く観察します。

 触手の動きには、わずかな間がありました。振り下ろした直後、次の攻撃に移るまでのほんの一瞬。その隙を利用できれば、アネットさんが近づく時間を作れるかもしれません。

 そう考えていた、そのときでした。

 ピウーヴルの巨体が、突然、海の中へと沈み始めたのです。


「……え?」


 わたくしは思わず声を漏らしました。それまで激しく動いていた触手が、次々と海面へ引き戻されていきます。周囲には、波の音だけが響いていました。


「おい、どうしたんだ……?」


 近くにいた冒険者も、警戒した様子で海を見つめています。わたくしも杖を構えたまま、海面から目を離しませんでした。

 まさか、撤退するのでしょうか。

 いいえ。そう考えるには、あまりにも不自然です。ピウーヴルは、こちらに傷を負わされたばかりでした。これほどの魔物が、たった一度の攻撃を受けただけで退くとは思えません。

 嫌な予感がしました。

 その直後、海面が大きく盛り上がりました。


「全員、伏せろ!」


 誰かの叫び声が響きます。

 次の瞬間、巨大な水柱が立ち上がりました。海水を巻き上げながら、何本もの触手が一斉に伸びてきます。

 先ほどまでとは、明らかに違う動きでした。触手はただ地面を叩きつけるのではなく、左右から回り込むように伸び、冒険者たちの退路を塞いでいきます。逃げようとした者を追い立てるように、別の触手が行く手を遮りました。


「こいつ、さっきよりも激しくなってないか!?」


 冒険者の声が、波音にかき消されました。わたくしは、とっさに杖を振りました。


「フローズン・アレイ!」


 氷が広がり、迫りくる触手の一本を地面へと縫い止めます。しかし、別の触手が間髪を入れずに襲いかかってきました。

 防ぎきれません。


「リーネ!」


 アネットさんが、わたくしの腕を引きました。二人で横へ飛び退いた直後、触手が地面を叩きつけます。轟音とともに砂が舞い上がり、衝撃が足元を揺らしました。

 わたくしは、息を整える暇もなく杖を構え直しました。ピウーヴルの一つ目は、依然としてこちらを捉えています。その視線から逃れようとしているかのように、周囲の冒険者たちも必死に攻撃をかわしていました。

 しかし、相手は巨大な魔物です。

 触手の一本一本が、わたくしたちにとって脅威となるほどの力を持っています。しかも、その数は多く、攻撃の範囲も広い。

 これでは、近づくことすら容易ではありません。


「リーネ、無事!?」


「ええ。アネットさんこそ、お怪我はありませんか?」


「大丈夫! でも、これじゃあ近づけないよ!」


 アネットさんの言うとおりでした。

 触手を避けるだけでも精いっぱいです。攻撃の隙をうかがう余裕など、ほとんどありません。

 それでも、わたくしたちが手をこまねいている間にも、ピウーヴルは海岸へと迫っていました。

 巨体が動くたびに、荒波が砂浜へと押し寄せます。

 マーマンたちがその波に乗るようにして岸へ上がり、オーシャンボーンもまた、海水を滴らせながら前進していました。

 ほかの魔物たちも、次々と冒険者たちへ襲いかかっています。

 けれど、それらの魔物を相手にする冒険者たちでさえ、ピウーヴルの動きに注意を払わずにはいられませんでした。

 あの触手が一度振るわれれば、戦場のどこにいても巻き込まれるおそれがあるのです。

 このままでは、いずれ誰かが大きな傷を負ってしまうでしょう。

 それだけは、何としても避けなければなりません。


「アネットさん」


「うん?」


「やはり、あの一つ目を狙うしかなさそうですね……しかし……」


 わたくしは、ピウーヴルを見据えながら続けました。


「いえ、考えてる場合ではありまけんね。わたくしが触手の動きを抑えます。完全に止めることは難しいでしょうが、一瞬でも隙を作れれば……」


「その間に、私が攻撃するんだね!」


「ええ。ただし、危険だと判断したら、すぐに退いてくださいませ」


「分かってる!」


 アネットさんは力強く頷きました。

 その表情には、いつもの明るさが戻りつつありました。

 けれど、わたくしは安心することができませんでした。

 目の前の魔物は、これまで戦ってきた相手とは明らかに違います。

 攻撃を一度当てただけでは倒れず、こちらの反撃をものともせずに触手を振るい続ける。そのうえ、周囲にはほかの魔物も押し寄せています。

 わたくしたちだけで、すべてを相手にすることはできません。

 だからこそ、ピウーヴルの動きを少しでも抑え、ほかの冒険者たちが戦いやすい状況を作る必要がありました。

 わたくしは、杖を握る手に力を込めました。


「参りましょう、アネットさん」


「うん!」


 わたくしたちは、再びピウーヴルへと向き直りました。

 荒れ狂う海。

 次々と押し寄せる魔物の群れ。

 そして、その中心で海岸を圧倒する巨大な魔物。

 リベルデを守るための戦いは、ますます厳しさを増していきました。

今回は強敵・ピウーヴルが現れ、アイリーンとアネットをはじめ、冒険者たちは苦戦を強いられていました。

次回、荒れ狂う海③です。お楽しみに

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