第16話 荒れ狂う海 ①
リベルデに来てから1週間。
わたくしたちは、朝からいくつかの依頼をこなしていました。
港での荷運びの手伝いに、街の近くに現れた魔物の討伐。どれも特別難しいものではありませんでしたが、依頼を終えるたびに報酬が増えていくのは、冒険者として嬉しいものでした。
「ふうっ! これで最後だね!」
最後の依頼を終えたアネットさんが、額の汗を拭いました。
「ええ。思っていたよりも早く終わりましたわね」
「よーし! じゃあ、ギルドに戻って報酬を受け取ろう!」
アネットさんは、弾むような足取りで歩き始めました。
正式にパーティを組んでから、まだそれほど時間は経っていません。けれど、依頼を受け、互いに声を掛け合いながら仕事をこなすうちに、これまでとは少し違う感覚が芽生えていました。
今までも一緒に行動してきた二人ですが、これからは正式な仲間です。
そう思うと、何だか不思議な気分でした。
冒険者ギルドに戻ると、受付には何人かの冒険者が並んでいました。
わたくしたちも列の最後尾につき、順番を待ちます。
「今日は結構稼げたね、リーネ!」
「そうですわね。これなら、しばらくの旅費にも余裕ができそうです」
「えへへ。次はどんな依頼を受けようかなあ」
アネットさんは、もう次の冒険のことで頭がいっぱいのようでした。やがて順番が回ってきたので、わたくしたちは依頼の達成を報告し、報酬を受け取ることにしました。
「こちらが今回の報酬になります。依頼はすべて達成で間違いありませんね?」
「はい。ご確認をお願いいたします」
受付の職員が書類を確かめ、報酬の入った袋を差し出します。
わたくしがそれを受け取ろうとした、そのときでした。
――ゴォォォン!
突然、街中に大きな鐘の音が響き渡りました。
続けて、もう一度。
――ゴォォォン! ゴォォォン!
ギルドの中にいた冒険者たちが、一斉に顔を上げました。
「……何の音?」
アネットさんが呟きました。
窓の外からも、鐘の音が途切れることなく聞こえてきます。
ただ事ではありません。
受付の職員も、先ほどまでの穏やかな表情を消していました。周囲の冒険者たちがざわめき始め、ギルドの奥から職員の一人が慌ただしく駆けてきます。
「緊急警報です! 全員、聞いてください!」
その声に、ギルド内のざわめきが少しずつ収まりました。
「現在、リベルデ沿岸に大量の魔物が接近しているとの報告が入りました! よってリベルデおよび近隣の街に魔物大氾濫警報が出されました。冒険者は至急、ギルド前に集合してください! 現地の状況を確認し、迎撃にあたってもらいます!」
その言葉を聞いた瞬間、わたくしは思わず息を呑みました。
大量の魔物。
しかも、沿岸に接近しているというのです。
「そんな……。でも、さっきまで何も……」
受付の職員が困惑したように呟きました。
確かに、今朝から街に異変はありませんでした。天候も穏やかで、海が荒れている様子もなかったはずです。
それなのに、突然の警報。
わたくしが考え込んでいると、隣にいたアネットさんが、ぎゅっと拳を握りしめていることに気づきました。
先ほどまでの明るい表情は消え、顔が曇っています。
「……アネットさん?」
声をかけると、彼女ははっとしたようにこちらを向きました。
「……ううん。大丈夫」
そう答えたものの、その表情は晴れませんでした。けれど、今はそれを尋ねている場合ではありません。
「リーネ、行こう」
アネットさんは、まっすぐにわたくしを見つめました。
「うん。街の人たちを守らなきゃ」
その声には、先ほどまでの弾んだ調子はありませんでした。それでも、迷いはありません。
「ええ。参りましょう、アネットさん」
わたくしたちは報酬をしまい、ほかの冒険者たちとともにギルドを飛び出しました。
外へ出た瞬間、潮の匂いが鼻をつきました。
街の人々が不安そうに通りへ出て、山の方へ走って行きます。港へ向かう道には、武器を手にした冒険者たちが次々と集まっていました。そして、海岸へ近づくにつれ、風が強くなっていきました。頬を打つ風に、思わず目を細めます。
先ほどまで穏やかだった空には、いつの間にか厚い雲が広がっていました。波は激しくうねり、白い飛沫を上げながら岸壁に打ちつけています。
「これは……!」
海岸にたどり着いたわたくしは、目の前の光景に言葉を失いました。
荒れ狂う海。
その向こうから、無数の影が押し寄せてきていたのです。
波間を縫うように進む、魚のような身体を持つ魔物。手には鋭い槍を握り、二本の足で浅瀬を踏みしめながら、次々と岸へ向かってきます。
マーマン。
それほど強い魔物ではありませんが、これほどの数が一度に現れるなど、尋常ではありません。
さらに、波の間からは白い骨の塊が姿を現しました。
巨大なクジラの骨格を思わせる魔物が、海面を割ってゆっくりと進んできます。空洞になった眼窩の奥には、命あるものの気配などありません。
アンデッドの一種、オーシャンボーン。
他にも大量の魔物たちが海上から迫ってきてきました。
「うそ……でしょ……」
誰かが、呆然と呟きました。
魔物たちは、まるで何かから逃れるように、一斉にリベルデの岸へと向かってきています。
けれど、その理由は分かりません。
分かるのは、このままでは魔物の群れが街へ押し寄せるということだけでした。
「全員、迎撃態勢を取れ!」
ギルド職員の声が、荒れ狂う風の中に響き渡りました。
「街への侵入を防げ! 住民の避難も並行して行う! 決して無理はするな、互いに連携して戦え!」
冒険者たちが一斉に動き出します。
わたくしも杖を握り直しました。
隣では、アネットさんが剣を抜いています。
その横顔には、先ほどまでの曇りがまだ残っていました。
けれど、彼女は前を向いていました。
「リーネ」
「はい」
「行こう!」
わたくしは頷きました。
「ええ。参りましょう!」
荒れ狂う海から、魔物の群れが迫ります。
最初に動いたのは、マーマンの群れでした。
「ギィィッ!」
耳障りな叫び声を上げながら、彼らは波を蹴って浜辺へと駆け上がってきます。手にした三叉の槍が、朝日を受けて鈍く光りました。
「来るぞ! 前衛、迎え撃て!」
冒険者たちが一斉に武器を構えます。次の瞬間、海岸のあちこちで金属音が響き渡りました。
マーマンの槍を剣で受け止める者。盾で弾き返す者。後方から魔法を放ち、敵の進行を食い止める者。
戦場は、瞬く間に混乱へと包まれていきました。
「リーネ、右!」
「分かっていますわ!」
アネットさんの声に反応し、わたくしは身を翻しました。横合いから突き出された槍を杖で弾き、すかさず魔法を放ちます。
「フローズン・アレイ!」
足元から広がった冷気が、マーマンたちの進路を覆いました。
凍りついた地面に足を取られ、数体のマーマンが体勢を崩します。
「今だよ、リーネ!」
「ええ!」
アネットさんが地面を蹴りました。
剣を振り抜き、体勢を崩したマーマンを次々と打ち倒していきます。
その動きに迷いはありません。わたくしが敵の動きを封じ、アネットさんが攻撃する。これまでの旅でも何度か繰り返してきた連携でした。
けれど、今日は敵の数が違います。
一体を倒しても、その後ろから次のマーマンが迫ってきます。さらに海からは、新たな魔物が次々と上陸していました。
「くっ……! きりがないね!」
「ええ。ですが、ここを突破されるわけにはいきませんわ!」
わたくしは杖を握り直しました。
後方では、魔法使いたちが広範囲の攻撃魔法を放っています。前衛の冒険者たちも互いに声を掛け合い、何とか敵の進行を食い止めていました。
それでも、押し寄せる魔物の勢いは衰えません。
そのときです。
――ズゥゥン!
地面が大きく揺れました。
「な、何だ!?」
冒険者たちの視線が、一斉に海へ向けられます。
荒れ狂う波の向こうでオーシャンボーンが暴れていたのでした。
オーシャンボーンは、海岸へ乗り上げるように巨体を進めました。骨の尾が海面を叩き、巻き起こった波が周囲のマーマンごと浜辺へ押し寄せます。
「うわっ!」
波に足をすくわれた冒険者が、地面へと転がりました。
「大丈夫ですか!?」
わたくしは咄嗟に駆け寄り、彼の腕を取って立ち上がらせます。
「す、すまない!」
「お礼は結構ですわ。今は前を!」
彼が武器を構え直すのを確認し、わたくしも海へ向き直りました。
オーシャンボーンは、こちらに狙いを定めたかのように大きく口を開きました。
もちろん、そこにあるのは肉ではなく、剥き出しの骨だけです。それでも、その顎が迫ってくる光景には、思わず背筋が冷たくなりました。
「リーネ! あいつ、私が行く!」
「お待ちください、アネットさん! 正面からでは危険ですわ!」
制止する間もなく、アネットさんは駆け出しました。迫りくる骨の顎をぎりぎりでかわし、そのまま巨体の側面へと回り込みます。
「はあっ!」
剣が骨に叩きつけられました。
甲高い音が響き、骨の表面に亀裂が走ります。しかし、それだけでした。
「うそっ、硬い!」
オーシャンボーンが身体を大きく揺らしました。
尾が横薙ぎに振るわれます。
「アネットさん!」
わたくしは杖を掲げました。
「アイシクルレイン」
氷の槍がオーシャンボーンに突き刺さります。
「今ですわ!」
「ありがと、リーネ!」
アネットさんは素早く後退し、尾の一撃を逃れました。
しかし、安堵する暇はありません。
別の場所ではマーマンの群れが冒険者たちを押し込み、さらに海からは新たな魔物が上陸しようとしていました。
敵が多すぎるのです。
個々の魔物ならば、冒険者たちにとって倒せない相手ではありません。けれど、これほどの数を相手にしていては、いつまで持ちこたえられるか分かりませんでした。
「全員、陣形を崩すな! 海側に押し返せ!」
ギルド職員の指示が飛びます。
「後衛は前衛の援護を優先しろ! 負傷者はすぐに後方へ運べ!」
冒険者たちは必死に応じていました。
わたくしも、アネットさんと背中合わせになるように位置を取ります。
「アネットさん、無理は禁物ですわよ」
「分かってる! リーネこそ、魔力を使いすぎないでね!」
「ふふっ。承知しておりますわ」
言葉を交わしたのは、ほんの一瞬。
すぐさま、次のマーマンが槍を構えて飛び込んできました。わたくしは杖でその一撃を受け流し、アネットさんが横から剣を振るいます。
一体、また一体。
息を合わせて敵を退けていきました。
その間も、アネットさんの表情はどこか硬いままでした。
いつもの彼女なら、どれほど厳しい戦いでも前を向き、仲間を励ます言葉を口にするはずです。
けれど、今は違いました。
目の前の敵を見つめる瞳には、どこか張り詰めたものがありました。
わたくしは気になりましたが、問いかけることはできませんでした。
今は戦いに集中しなければなりません。
そのとき。
海の向こうで、ひときわ大きな水柱が上がりました。
――ドォォン!
荒波を押しのけるようにして、巨大な影が浮かび上がります。何本もの触腕が海面を打ち、周囲の魔物たちがその巨体を避けるように動きました。
身体の中央には、ぎょろりと動く巨大な一つ目。
タコに似たその魔物は、ゆっくりと頭をもたげ、リベルデの街を見据えるように目を動かしました。
「……あれは、まさか」
近くにいた冒険者が、青ざめた顔で呟きました。
「ピウーヴル……!」
その名が聞こえた瞬間、周囲の空気が変わりました。マーマンやオーシャンボーンとは、明らかに格が違います。ピウーヴルは、何本もの触腕をうねらせながら、ゆっくりと岸へ向かってきていました。
その巨体が動くたびに、荒波が大きく盛り上がります。わたくしは杖を握る手に力を込めました。あれを街へ近づけるわけにはいきません。
「リーネ……」
隣で、アネットさんが小さく呟きました。
「ええ。分かっていますわ」
わたくしは彼女を見ずに答えました。
「まずは、目の前の魔物を片づけましょう」
アネットさんは一瞬だけ黙り込み、それから強く頷きました。
「……うん!」
剣を握る手に、再び力がこもります。
海から押し寄せる魔物の群れ。
そして、その奥に控える巨大なピウーヴル。
リベルデを守る戦いは、まだ始まったばかりでした。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回はリベルデの街に魔物大氾濫が起こりました。
次回、荒れ狂う海②です。お楽しみに!




