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第15話 港町の休日

 リベルデの朝は、穏やかな潮風とともに始まりました。宿の窓から見える海は、朝日を受けて青く輝いています。港には漁を終えた船が戻り、通りには荷を運ぶ人々の姿がありました。昨日までの旅路とは違い、今日は急いで出発する必要もありません。


「リーネ、準備できた?」


 部屋の入口から、アネットさんが顔を覗かせました。


「ええ。お待たせしてしまいましたか?」


「ううん! 私も今来たところ!」


 そう言いながら、アネットさんは待ちきれない様子で廊下を行ったり来たりしています。


「……そんなに楽しみなのですか?」


「もちろん! せっかく港町に来たんだもん。いろんなところを見て回りたいじゃない!」


「ふふっ。では、今日はアネットさんにお任せいたしますわ」


「やった! じゃあ、行こう!」


 元気よく歩き出す彼女の後を、わたくしも追いかけました。

 昨日、わたくしはアネットさんに、自分の過去を打ち明けました。王太子殿下の婚約者だったこと。父に見放され、家を出たこと。口にするのは、決して簡単ではありませんでした。けれど、アネットさんは最後まで話を聞いてくれました。わたくしが泣いてしまったときも、無理に励ましたり、笑わせようとしたりすることなく、ただ隣にいてくれたのです。

 今朝の彼女は、いつもと変わりません。昨日のことを気にして、必要以上に気を遣われるよりも、ずっとありがたいことでした。

 昨日の出来事があったからといって、わたくしとアネットさんの関係が、急に変わるわけではありません。

 それでも、これまでより少しだけ、彼女の隣が心地よく感じられるようになった気がしました。

     



 市場は、朝から大勢の人で賑わっていました。魚を売る店には、見たこともないほど大きな魚が並んでいます。果物を扱う店からは甘い香りが漂い、通りの向こうからは焼きたてのパンの匂いが流れてきました。


「ねえ、リーネ! あれ見て!」


 アネットさんが指さした先には、見慣れない果物が山のように積まれていました。


「南の地方で採れる果物だそうです。王都でも、あまり見かけませんね」


「へえ! 食べてみたいなあ」


「でしたら、買ってみましょうか」


「いいの!?」


「もちろんです。ただし、食べきれる分だけですよ」


「分かってるって!」


 そう答えたアネットさんは、さっそく店の人に声をかけました。

 ……本当に分かっているのでしょうか。

 結局、二人で食べるには少し多いのではないかと思う量を買うことになりました。店の人に勧められるまま、別の種類まで手に取っていたのですから、無理もありません。けれど、果物は甘酸っぱく、思いのほかおいしいものでした。アネットさんが満足そうに頬張る姿を見ていると、わたくしまで楽しい気分になります。


「リーネも、もっと食べなよ!」


「ええ、いただいています」


「それならよかった!」


 アネットさんは、何かを手に入れたときも、おいしいものを見つけたときも、いつもこうして誰かと喜びを分かち合おうとします。その様子を眺めながら、わたくしはふと考えました。

 もし、あの日に家を出ていなかったら。

 わたくしは今頃、王宮で決められた日々を過ごしていたのでしょう。こんな市場を歩くことも、知らない土地の果物を味わうことも、なかったかもしれません。もちろん、あの家にいた頃にも、不自由のない暮らしを送っていました。必要なものは与えられ、学ぶべきことも教えられました。将来について悩む必要さえなかったのです。けれど、そこにわたくし自身の望みがあったのかと問われれば、すぐには答えられません。わたくしは、与えられた道を歩くことが当たり前だと思っていましたから。


「リーネ? どうかした?」


 気づけば、アネットさんが不思議そうにこちらを見ていました。


「いいえ。少し、考え事をしていただけです」


「そっか! じゃあ、次はあっちに行ってみようよ!」


 わたくしは、笑顔で頷きました。




 市場を抜けると、目の前に海が広がりました。沖には何隻もの船が浮かび、遠くの水平線は空と溶け合うように霞んでいます。


「やっぱり、海っていいなあ!」


 アネットさんは、港の柵に手をかけて海を眺めました。


「ずっと見ていても飽きないよね」


「そうですわね。王都では、こうして海を眺める機会もありませんでしたから」


「リーネは、ほかに行ってみたいところってある?」


「わたくしですか?」


「うん! せっかく冒険者になったんだし、いろんな街に行ってみたいなって思わない?」


 その問いに、わたくしはすぐには答えられませんでした。

 

「……まだ、分かりませんわ」


 正直に答えると、アネットさんは不思議そうに首を傾げました。


「そっか。まあ、これから見つけていけばいいよね!」


 あまりにもあっさりとした言葉でした。


「これから、ですか」


「うん! 私だって、行きたい場所はいっぱいあるけど、全部行ったわけじゃないし。冒険してたら、きっと新しい目標だって見つかるよ!」


 アネットさんは、再び海の向こうを見つめました。


「いつか、世界中を旅してみたいなあ。知らない街にも行ってみたいし、まだ見たことのない魔物とも戦ってみたい!」


 そう語る彼女の表情には、いつもの明るさだけでなく、確かな意志が感じられました。

 世界一の冒険者になる。

 それが彼女の夢です。

 わたくしには、まだそんな大きな目標はありません。何をしたいのか、何を目指せばよいのか。それさえ、はっきりとは分からないのです。

 けれど……ひとつだけ、確かに思っていることがありました。

 アネットさんと冒険を続けたい。

 そして、彼女とパーティを組みたい。

 以前、アネットさんはわたくしをパーティに誘ってくれました。そのとき、わたくしはすぐに返事をすることができませんでした。これから自分がどう生きていくのかさえ分からないのに、誰かと先の約束をしてよいのだろうか。そんな迷いがあったからです。

 けれど、今は少し違います。

 わたくしは、アネットさんと一緒に旅をしてきました。

 魔物と戦い、困難を乗り越え、時には彼女の行動に振り回されることもありました。それでも、彼女と過ごす時間を楽しいと思っている自分がいます。昨日、わたくしが過去を打ち明けても、アネットさんは変わらずに接してくれています。

 わたくしが何者だったのかではなく、今ここにいるわたくしを見てくれたのです。

 それならば。

 わたくしも、自分の気持ちに正直になってみてもよいのではないでしょうか。


「……アネットさん」


「ん? どうしたの、リーネ?」


 わたくしは、彼女の横顔を見つめました。今すぐに、自分の目指すものを見つけることはできないかもしれません。過去への未練だって、そう簡単には消えないでしょう。それでも、これから先の道を、誰と歩いていきたいのか。その答えなら、もう見つかっている気がしました。


「……いえ。何でもありませんわ」


 けれど、言葉にするのは、もう少し後にしようと思いました。せっかくの休日です。焦る必要はありません。海から吹いてくる風は、穏やかでした。

この先、どんな街を訪れることになるのでしょう。どんな人と出会い、どんな経験をするのでしょう。

 まだ何も分かりません。

 けれど、その先にアネットさんがいてくれたら。

 そんな未来を想像すると、胸の奥が少しだけ温かくなりました。

     



 昼食を済ませたわたくしたちは、港の通りを歩きながら、冒険者ギルドへ向かいました。今日のところは、依頼を受ける予定はありません。ただ、次にどのような仕事があるのか、確認しておこうと思ったのです。

 ギルドの中は、昼時を過ぎても冒険者たちで賑わっていました。受付で手続きをする者もいれば、掲示板の前で依頼を選ぶ者もいます。奥のテーブルでは、数人の冒険者が地図を広げ、次の目的地について話し合っていました。

 わたくしたちも掲示板へ向かい、張り出された依頼に目を通します。


「うーん……。いろいろあるねえ」


「そうですわね。港の荷運びに、近隣の魔物の討伐……。街によって、依頼の内容もずいぶん違うものですね」


「うん! こういうのを見ると、冒険者って感じがするよね!」


 楽しそうに依頼を眺めるアネットさんを見て、わたくしは微笑みました。

彼女は、こうしていつも前を向いています。わたくしが迷っている間にも、自分の夢に向かって進もうとしているのです。

 その姿に、何度助けられたことでしょう。

 もちろん、アネットさんにも迷いや不安はあるはずです。けれど、それでも一歩を踏み出そうとする彼女を、わたくしはすごいと思っていました。

 わたくしは、いつパーティの話を持ち出すかタイミングを伺っていました。わたくしは、掲示板から視線を外しました。


「アネットさん」


「ん?」


「以前のお誘いについてなのですが……」


 アネットさんが、こちらを振り返りました。


「お誘い?」


「パーティを組もう、とおっしゃってくださったでしょう?」


「あっ! うん、言ったね!」


 アネットさんは、思い出したように頷きました。


「そのことなのですが……」


 いざ口にしようとすると、少しだけ緊張してしまいます。こんなことを言うのに、どうして緊張するのでしょう。わたくしは小さく息を吸い、彼女の目を見ました。


「……わたくしも、アネットさんとパーティを組みたいですわ」


 一瞬、アネットさんが目を丸くしました。

 それから、ぱっと顔を輝かせます。


「本当!?」


「ええ。お返事が遅くなってしまって、ごめんなさい」


「そんなの、全然いいよ!」


 アネットさんは、嬉しそうに笑いました。


「そっかあ! よかった! これからも一緒に冒険できるんだね!」


「はい。わたくしでよろしければ、これからもご一緒させてくださいませ」


「もちろん!」


 弾んだ声が、ギルドの中に響きました。

 近くにいた冒険者が何事かとこちらを見たため、アネットさんは少し照れくさそうに笑いました。わたくしも、つられて頬が緩みます。

 それからわたくしたちは受付へ向かい、正式にパーティを組むための手続きをすることにしました。

 これまで、わたくしたちは同じ道を歩き、何度も力を合わせてきました。

 けれど、これからは違います。

 ただ旅の途中で一緒にいるのではなく、お互いを仲間として、同じ目標に向かって歩いていくのです。

 もちろん、わたくしにはまだ、アネットさんのような明確な夢はありません。自分がどこへ向かうのかも、何を成し遂げたいのかも、分からないままです。それでも、今はそれでよいのだと思いました。

 焦らずに、少しずつ見つけていけばいい。そう思えるようになったのは、アネットさんと出会ったからかもしれません。


「リーネ! 手続き、終わったよ!」


 受付から戻ってきたアネットさんが、嬉しそうに声をかけてきました。


「これから、正式にパーティの仲間だね!」


「ええ。よろしくお願いいたしますわ、アネットさん」


「うん! よろしくね、リーネ!」


 差し出された手を、わたくしはしっかりと握りました。

 その手は、温かかった。

 まだ、過去への未練が消えたわけではありません。時には、これまでの暮らしを思い出して、立ち止まってしまうこともあるでしょう。

 しかし、わたくしの新しい人生は、まだ始まったばかりなのです。未来に何が起こるかはわかりませんが、冒険者として自分のできる精一杯のことをしようと思いました。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

 今回は、リーネとアネットが港町リベルデを散策するお話でした。また、これまで一緒に旅をしてきた二人ですが、今回、ようやく正式にパーティを組むことになりました!まだ自分の目指すものが見つかっていないリーネと、世界一の冒険者を目指すアネット。正反対にも見える二人が、これからどんな冒険をしていくのか、温かく見守っていただけたら嬉しいです。

次回もよろしくお願いします!

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