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王宮編第2話 祝福の花嫁

「殿下。どうか、今一度お考え直しください」


 王太子宮の執務室に、疲れの滲んだ声が響いた。机の前に立つ青年の名は、クラウス。王太子ハインリッヒに長年仕えてきた側近の一人である。彼は手にした書類を見下ろし、深々とため息をついた。


「何度も申し上げておりますが、王族としての務めは、決して華やかな式典や晩餐会に出席することだけではございません。リリアーヌ様にはまだ、教育が足りていないのです。結婚は王妃教育がすんだもう少し先でもよろしいのではないですか?」


「何度も同じことを言わせるな。私はリリアーヌといち早く結婚する。いくら教養がなくても、彼女は伝説の光魔法の使い手だ。それに、私は心から彼女を愛している。国民もわかってくれるはずだ。アイリーンが王妃になるより良かった、とな。」


 窓辺に立っていたハインリッヒは、振り返りもせずに答えた。

 クラウスは大きくため息をついた。これ以上言っても無駄であろう。それに、先日、アイリーン様のことを口に出して解雇された者もいる。ここで余計なことを言うのは得策ではない。




そして結婚式前夜。


「明日の式の準備は整っているのだろうな?」


「……滞りなく進んでおります」


「ならばよい」


 彼は満足げに頷いた。


「リリアーヌが王太子妃となるのだ。国民も喜ぶに違いない。彼女は誰からも愛される人柄だからな」


 クラウスは返す言葉を失った。

 確かに、リリアーヌの評判は悪くない。むしろ、社交界ではその愛らしい容姿と人懐こい振る舞いによって、多くの人々から好意を寄せられていた。

 しかし、王太子妃に求められるものは、それだけではない。


「殿下。王太子妃殿下にも、いずれは王族として職務をこなしていただく必要がございます。しかしながら、リリアーヌ様は王妃教育をお休になられることが多く…ご本人にも、そのことをお伝えください」


「それは結婚してからでよいだろう。今は彼女にも、余計な心配をさせたくない」


 ハインリッヒは話を打ち切るように手を振った。


「下がってよい。明日に備えて、私も休む」


「……かしこまりました」


 クラウスは深々と一礼し、執務室を後にした。

 扉が閉まる。

 廊下に一人残された彼は、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「……先が思いやられる」


 明日は、王太子夫妻の結婚式。

 王国中から祝福を集める、華やかな一日となるだろう。

 少なくとも、表向きは。

     



 翌日。

 クロウディア王国の王都は、朝から祝賀ムードに包まれていた。通りには色とりどりの花が飾られ、王宮へ続く大通りには多くの国民が集まっていた。家々の窓には王家の紋章をあしらった旗が掲げられ、広場では楽団が祝賀の音楽を奏でている。

 誰もが、この日の主役を一目見ようと心待ちにしていた。

 やがて、王宮の大扉が開かれた。

 純白の婚礼衣装に身を包んだリリアーヌが、ハインリッヒの隣に姿を現す。淡い金色の髪が陽光を受けて輝き、桃色の瞳には喜びが満ちていた。

 その姿を目にした人々から、歓声が上がる。


「王太子殿下、万歳!」


「王太子妃殿下、万歳!」


 リリアーヌは驚いたように目を見開いたあと、花が咲くような笑顔を浮かべた。そして、集まった人々へ向けて、両手をそっと広げる。


「皆様、本日はわたくしたちのために、ありがとうございます!」


 よく通る声が、広場に響いた。


「この国に暮らす皆様が、これからも健やかに、幸せに過ごせますように。わたくしも、王太子妃として、皆様のお力になれるよう努めてまいります!」


 そう言って、リリアーヌは胸元に手を添え、深々と頭を下げた。その仕草は、どこまでも自然だった。

 用意された祝辞を読み上げるのではなく、目の前にいる人々へ、心から語りかけているように見えたのである。

一瞬の静寂のあと、広場に大きな歓声が沸き起こった。


「なんとお優しいお方だ!」


「王太子妃殿下なら、きっとこの国を明るくしてくださる!」


 リリアーヌは少し照れたように微笑んだ。そして、光魔法の祝福を送った。

国民から歓声が上がる。

 隣に立つハインリッヒも、満足そうに国民を見渡した。

 彼女こそ、自分が選んだ女性。

 かつての婚約者にはなかった華やかさと、人々を惹きつける魅力を持つ女性なのだ。

 ハインリッヒは、己の選択が正しかったことを確信していた。

     



 祝賀行事が続くなか、王宮前の広場では、国民に向けた花束の贈呈が行われていた。用意された花束を、リリアーヌが子どもたちに手渡していく。子どもたちは頬を紅潮させ、嬉しそうに花を抱きしめていた。

 そのときだった。

 広場の端から、突然、馬のいななきが響いた。

 荷物を積んだ一頭の馬が、何かに驚いて暴れ出したのである。


「きゃあっ!」


 人々が悲鳴を上げ、慌てて道を空ける。馬車を操っていた御者が手綱を引くものの、馬は興奮して止まろうとしなかった。その進行方向には、花束を抱えた幼い子どもが一人、立ち尽くしていた。


「危ない!」


 誰かが叫んだ。

 護衛の騎士たちが動き出す。だが、間に合わない。その瞬間、リリアーヌが駆け出した。


「こちらへ!」


 彼女は子どものもとへ走り寄り、その身体を抱きかかえるようにすると、道の脇に飛び込んだ。

 直後、馬車がすぐそばを通り過ぎていく。激しい車輪の音が響き、荷台からいくつかの木箱が転がり落ちた。

 リリアーヌは子どもを抱いたまま、地面に膝をついていた。


「大丈夫? 怪我はない?」


 子どもは目に涙を浮かべながら、小さく頷いた。


「……うん」


「よかった!」


 リリアーヌは安堵したように微笑み、その頭を優しく撫でた。やがて騎士たちが馬を取り押さえ、周囲の安全が確保された。駆け寄ってきた侍女が、青ざめた顔で声を上げる。


「王太子妃殿下! お召し物が……!」


 純白の婚礼衣装には土がつき、裾の一部がほつれていた。しかし、リリアーヌは気にする様子もなく立ち上がった。


「この子が無事だったのですから、それで十分ですわ」


 彼女はそう言って、子どもの手を取った。


「おうちの方はどちら? 一緒に探しましょうね」


 その言葉に、周囲の人々が息を呑んだ。王太子妃となったばかりの女性が、豪華な衣装を汚すことも厭わず、名も知らぬ子どもを助けたのである。

 やがて、騒ぎを聞きつけた子どもの母親が駆け寄ってきた。


「ありがとうございます……! 本当に、ありがとうございます!」


 女性は涙ながらに何度も頭を下げた。


「いいえ。無事でよかったですわ」


 リリアーヌは穏やかに答えた。

 その様子を見守っていた人々から、再び歓声が上がった。


「王太子妃殿下、万歳!」


「なんと慈悲深いお方だ!」


 先ほどまでの祝福とは、また違う熱気だった。予定された式典での美しい挨拶よりも、目の前で起きた出来事への対応が、人々の心を強く揺さぶったのである。

 その光景を、王宮のバルコニーから見下ろしていたハインリッヒは、満足げに頷いた。


「見たか、クラウス。彼女こそ、王太子妃にふさわしい女性だ」


 隣に控えていた側近は、複雑な表情を浮かべた。


「……確かに、見事なお振る舞いでございました」


「そうだろう?」


 ハインリッヒは得意げに笑った。


「これほど国民に愛される王太子妃がいるのだ。王家にとっても、喜ばしいことではないか」


「はい。しかし、殿下。先ほどの事故については、馬車の管理体制を含め、原因を調査する必要がございます。祝賀行事の安全管理にも、改善すべき点が――」


「分かっている。後のことは担当者に任せればよい」


 ハインリッヒは、すでに広場へ視線を戻していた。国民はリリアーヌを称賛し、彼女の名を叫んでいる。その歓声を聞きながら、彼は満足そうに微笑んだ。その一方で、クラウスは大きくため息をついた。

 事故の原因究明。

 祝賀行事の管理責任。

 そして、明日から始まる王太子夫妻の公務。まだ王妃教育も終わっていないのに、ハインリッヒの一存で結婚が急がれた。片づけなければならない問題は、いくらでもある。だが、今この場で、そのことを気にかけている者はほとんどいなかった。

 この日、王都の人々が目にしたのは、国民を慈しむ美しい王太子妃と、彼女と共に立つ王太子の姿だった。

 翌朝の新聞は、二人の結婚を大々的に報じた。そして、リリアーヌの勇敢な行動は、王国中に広まっていくのだった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回はお話はリベルデの街の二人に戻ります。お楽しみに

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