第13話 港町リベルデ
ゾンビナイトとの戦いを終えたわたくしたちは、再びリベルデへ向けて出発しました。その後も何度か魔物と遭遇することはありましたが、大きな問題が起こることはなく、旅は順調に進んでいきました。
そして、護衛任務も終わりに近づいたある日のこと。
「おーい! 見えてきたぞ!」
御者台から、マルセルさんの弾んだ声が聞こえてきました。
「本当ですか?」
わたくしは荷馬車の窓から身を乗り出しました。
「ああ、あれがリベルデだ!」
マルセルさんが指さした先。
緩やかな丘の向こうに、見慣れない街並みが広がっていました。白い壁の建物がいくつも並び、遠くには高い塔が見えます。そして、その街並みのさらに向こうには、
「……あれは」
思わず、言葉を失いました。
青い。
どこまでも広がる、青い景色。
空と地面の境目が曖昧になるほどの広がりの先で、光がきらきらと輝いていました。
「海、ですよ」
隣にいたアネットさんが、嬉しそうに教えてくれました。
「海……」
わたくしは、その言葉を繰り返しました。
王都で暮らしていた頃、海については本で読んだことがありました。どこまでも広がる塩水の世界。大きな船が浮かび、遠くの国々と人々をつなぐ場所。知識としては知っていたはずなのです。けれど、実際に目にするそれは、わたくしが想像していたものとはまるで違っていました。
風に揺れる水面が、太陽の光を受けて無数の宝石のように輝いています。
そのあまりの美しさに、わたくしはしばらく目を離すことができませんでした。
「リーネ、海を見るのは初めて、だっけ?」
「……はい」
「そっか! 私も久しぶりなんだ。やっぱり、いいよね!」
アネットさんは、まるで自分のことのように嬉しそうに笑いました。その笑顔につられて、わたくしの頬も自然と緩みます。
「……はい。とても、綺麗です」
胸の奥が、じんわりと温かくなりました。
知らない景色。
知らない街。
そして、まだ知らない世界。
これまでのわたくしは、決められた場所で、決められた役割を果たすことが当たり前だと思っていました。けれど今、わたくしは自分の足でここまで来たのです。そう思うと、胸の奥に小さな期待が芽生えました。これから、どんなことが待っているのでしょう。
どんな人と出会い、どんな景色を見ることになるのでしょう。
「ねえ、リーネ!」
「はい?」
「街に着いたら、海の近くまで行ってみようよ!」
「ふふっ。そうですね。ぜひ、ご一緒させてください」
わたくしたちが話していると、前からグラントさんの声が飛んできました。
「おい、観光に来たわけじゃないんだぞ。まずは護衛の仕事を終わらせるのが先だ」
「分かってるよー!」
アネットさんが少しだけ頬を膨らませます。
「まったく……」
呆れたようにため息をつくグラントさん。その隣で、ノアさんがくすりと笑いました。
「まあまあ。もうすぐ街に着くんだ。少しくらい楽しみにしていたっていいじゃないか」
「お前は甘いんだよ」
「そうかな?」
そんなやり取りを聞きながら、わたくしは再び窓の外へ目を向けました。
リベルデの街並みは、先ほどよりもずっと大きく見えるようになっていました。潮の香りを含んだ風が、そっと頬を撫でていきます。
もうすぐ、到着です。
ついにリベルデの街門へとたどり着きました。
門の向こうからは、人々の話し声や荷車の車輪が石畳を転がる音が聞こえてきます。行き交う人々の服装も、王都で見かけるものとは少し違っていました。身軽な格好をした船乗りらしき人や、見慣れない品物を積んだ荷車を引く商人の姿もあります。
「着いたぞ。ここがリベルデだ」
マルセルさんが手綱を引き、荷馬車をゆっくりと進めました。門をくぐった瞬間、潮の香りがいっそう強くなりました。
「わあ……!」
アネットさんが声を上げます。
「すごいね、リーネ! 人がいっぱい!」
「そうですね。王都とはまた違った賑やかさがあります」
わたくしは周囲を見回しました。
道沿いには様々な店が並び、軒先には色とりどりの商品が飾られています。魚を売る店からは威勢のいい声が響き、通りの向こうには大きな帆を張った船の一部も見えました。どれも、わたくしにとっては新鮮な光景でした。
「おい、二人とも。見物はあとにしろ。まずは荷物を届けるぞ」
グラントさんの声に、わたくしたちは顔を見合わせました。
「はーい」
アネットさんが返事をします。
その声には、少しだけ名残惜しそうな響きが混じっていました。やがて荷馬車は、港に近い倉庫の前で止まりました。
「よし、到着だ。マルセル、荷物を確認するぞ」
「ああ。ここまで護衛してくれて助かった」
マルセルさんは荷台から降りると、倉庫の管理人らしき男性と話を始めました。グラントさんたちも荷物の状態を確かめ、周囲に異常がないことを確認します。その間、わたくしとアネットさんは邪魔にならないよう、荷馬車のそばで待っていました。
「これで、任務も終わりだね」
アネットさんがわたくしを見上げます。
「はい。長いようで、あっという間でしたね」
「うん! いろいろあったもんね」
スケルトンの群れに、ゾンビナイト。思い返せば、決して楽な旅ではありませんでした。けれど、あの戦いを通して学んだこともあります。自分一人の力では難しいことも、仲間と力を合わせれば乗り越えられるかもしれない。そして、それはきっと、これからの冒険でも大切になるのでしょう。
「おい、二人とも」
呼ばれて振り返ると、グラントさんがこちらへ歩いてきていました。
「今回の護衛は、これで終了だ。報酬についてはマルセルからギルドに連絡を入れてもらって、それからギルドに行って受けとれ」
「分かりました。ありがとうございました」
わたくしが頭を下げると、グラントさんは少しだけ居心地が悪そうに視線をそらしました。
「礼を言われるようなことじゃない。俺たちも仕事をしていただけだ」
「でも、一緒に戦ってくださったじゃないですか」
アネットさんが口を挟みます。
「わたしたちだけだったら、もっと大変だったと思うよ!」
「……それは、お互い様だ」
グラントさんは短く答えました。
そして、わたくしたちを順番に見ます。
「今回の戦いで分かったことがある。お前たちは、まだ経験不足だ。判断が遅れる場面もあったし、相手によっては今の戦い方が通用しないこともあるだろう」
「はい」
わたくしは素直に頷きました。
実際、ゾンビナイトとの戦いでは、こちらの攻撃がほとんど通じず、どうすればよいのか分からなくなりかけました。
「だが、状況を見て自分たちにできることを考えたのは悪くなかった。特に、相手の動きを止めてから攻撃するという判断だ。あれはよかったぞ」
「……ありがとうございます」
今度は、先ほどよりも自然にお礼を言うことができました。隣ではアネットさんが、ぱっと顔を輝かせています。
「やった! ね、リーネ! 褒められたよ!」
「ふふっ。そうですね」
「お前たち、俺の話を聞いていたのか?」
「聞いてたよ! 経験不足なんでしょ?」
「分かっているならいい」
グラントさんは呆れたようにため息をつきました。けれど、その表情は以前よりもずっと柔らかく見えました。
「まあ、これからも腕を磨くことだ。冒険者を続けるならな」
「はい。肝に銘じます」
わたくしが答えると、グラントさんは小さく頷きました。その後、ノアさんとエドガーさんもこちらへやってきました。
「二人とも、今回はお疲れさま」
ノアさんが笑顔で言います。
「最初に会ったときより、ずいぶん話しやすくなったね」
「そうでしょうか?」
「うん。特にグラントがね」
「おい、ノア」
「はいはい。分かってるよ」
ノアさんは楽しそうに笑いました。
エドガーさんも、穏やかな口調で続けます。
「またどこかで会うこともあるでしょう。そのときは、さらに成長した姿を見せてください」
「はい! 絶対に!」
アネットさんが元気よく返事をしました。わたくしも頷きます。
「皆さんも、どうかお気をつけて」
こうして、わたくしたちの初めての護衛任務は幕を閉じました。グラントさんたちが港の方へ歩いていくのを見送りながら、わたくしは胸の奥に小さな寂しさを感じていました。
ほんの数日間、一緒に旅をしただけです。
それでも、共に戦い、言葉を交わした人たちとの別れは、思っていたよりも名残惜しいものでした。
「……行っちゃったね」
アネットさんがぽつりと呟きます。
「はい」
わたくしは頷きました。
すると、アネットさんはくるりとこちらを向きました。
「でも、私たちはこれからだよね!」
「え?」
「だって、せっかくリベルデまで来たんだよ? 見たいものもいっぱいあるし、やりたいことだってあるし!」
そう言って、アネットさんは街の方を指さしました。
「まずは、あっちに行ってみようよ!」
その先には、活気に満ちた大通りが広がっていました。
「……そうですね」
わたくしは微笑みました。
これから、どこへ行くのか。
何をするのか。
それを決めるのは、わたくしたち自身です。
「では、参りましょうか」
「うん!」
アネットさんがわたくしの手を引き、歩き出しました。潮風が吹き抜け、遠くで船乗りたちの声が響きます。
初めて訪れる港町。
初めて見る海。
そして、これから始まる新しい日々。
わたくしは、胸に広がる期待を感じながら、アネットさんと並んで歩き始めました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
ついに、リベルデの街に到着しました。護衛の任務も完了です。
次回も楽しみに!




