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公爵令息は夜会に出たくない。

公爵令息視点です。



夜会というものは、退屈だ。



クラウディア公爵家嫡男──クロード・クラウディアは、煌びやかな会場を眺めながら内心で溜息を吐いた。


着飾った貴族たちが笑い、腹の中を探り合い、値踏みをする。


令嬢たちは扇の陰で囁き、男たちは家柄と利権の話しかしない。


毎度変わらぬ茶番だった。


「クロード様、今夜の主役は貴方ですわ」

「ぜひ次のダンスを──」

「先日お話しした領地経営の件ですが……」

 次々と声を掛けられる。

 クロードは社交辞令だけを返し、適当に受け流した。


面倒だった。


特に今夜は、父から「そろそろ婚約者を決めろ」と釘を刺されている。


それを知ってか知らずか寄ってくる令嬢たちの視線に含まれる熱量も、普段以上だった。


──だが。


(誰も同じだな)

美しい令嬢は多い。だがその瞳の奥にあるのは、公爵夫人の座への執着ばかり。

クロード自身を見ている者など、ほとんどいなかった。

 

だから彼は途中で会場を抜け出した。

 

夜風に当たりたかっただけだ。

 

人の欲望が渦巻く空気に、少しうんざりしていた。

静かなバルコニーへ続く扉を開けた時。


そこにいたのは、一人の少女だった。


「…………」


 

最初、言葉を失った。

 

薄暗いバルコニーの片隅。 

亜麻色の髪の少女が、夢中で料理を食べていた。

 

それは貴族令嬢らしからぬ勢いだった。

だが、不思議と醜くない。

ガツガツと貪っているのではない。

一口一口を、まるで宝物みたいに大切に食べている。

その横顔に浮かんでいたのは幸福だった。

「……美味しい」

ぽつりと零れた声が、やけに耳に残った。クロードは無意識に立ち止まっていた。

少女は痩せていた。

ドレスも古い。袖口は擦り切れ、流行からも数年遅れている。


だが──姿勢だけは、美しかった。


背筋がすっと伸びている。フォークの持ち方も丁寧だ。

食べる所作には確かな教育が滲んでいた。

どれほど空腹でも、染み付いた品格だけは失われていない。

その違和感に、クロードは目を細めた。

普通なら、ここまで飢えていれば、もっと必死になる。

周囲も気にせず、見苦しく食い散らかしてもおかしくない。


だが彼女は違った。静かに、丁寧に食べている。

まるで「伯爵令嬢」であることを最後まで手放すまいとしているかのように。

 

気付けば、声を掛けていた。

「随分と豪快な食べっぷりだな」

「っ!?」

少女が振り返る。

青い瞳が大きく見開かれた。


──綺麗だ。


クロードはそう思った。流行りの華やかさはない。


だが、雪解けの湖みたいに澄んだ色をしていた。


怯えているのに、どこか真っ直ぐな瞳。


その目が、自分を見た瞬間に絶望へ変わる。


「も、申し訳ありません……!」

少女は真っ青になって頭を下げた。

「すぐに出ていきますので……!」

逃げようとする姿に、クロードは眉を寄せた。

その反応は妙だった。


普通なら、令嬢は取り繕う。

言い訳を並べるか、媚びるかする。

だが彼女にはそれがない。

ただ「怒られる」と本気で思っている顔だった。


「待て」


呼び止めると、少女の肩がびくりと震える。


「君は、誰だ?」

「……エレナ・フォルナードです」

その名に、クロードは記憶を探る。


フォルナード伯爵家。


確か娘が二人いたはずだ。

社交界で有名なのは長女だけ。

次女は病弱で表に出られない──そんな話を聞いたことがある。

(病弱、か)

クロードは内心で冷笑した。


違うだろう。


これは。


飢えているのだ。


食事を与えられていない人間の細さだった。


「……足りるか?」

気付けば尋ねていた。

エレナが呆然とこちらを見る。

「それだけで満腹になるのかと聞いている」

すると彼女の瞳が揺れた。

酷く、痛々しく。

まるでその問いを向けられること自体が初めてみたいに。

「…………足りません」

消え入りそうな声だった。


その瞬間。


クロードの胸の奥に、妙な感情が生まれる。


怒りに近い。


こんな少女をここまで追い詰めた連中への不快感。


そして同時に。


──見たい。と思ってしまった。


この少女が、心から笑う顔を。


温かな食事を前に、安心した顔を。

そんな感情を抱いたことなど、一度もなかったのに。

クロードは小さく息を吐き、その場を離れる。


使用人から料理を追加で受け取り、再びバルコニーへ戻った。

エレナは怯えたまま立っていた。

 

「追加だ」


「え……」

目を丸くする彼女が妙に幼く見える。

年相応の令嬢なら、宝石や贈り物にこんな顔をするのだろう。

だが彼女は、温かなスープを前に同じ顔をした。

クロードはそこで確信した。


──この少女は、まともに愛されたことがない。


「食べろ」

「で、ですが……」

「俺が許可する」

エレナは恐る恐るスープを飲み、そして泣いた。


静かに。


声も立てず。


ただ、涙だけを零して。


その姿に、クロードの胸が妙に締め付けられる。


(なんなんだ、これは)


放っておけない。


目が離せない。


守りたいとすら思う。


そんな感情、今まで誰にも抱いたことがない。


夜会で着飾る令嬢たちを見ても、何も感じなかったのに。

この痩せた少女が温かなスープを飲んでいる姿に、どうしようもなく惹かれている。


彼女はきっと、自覚していない。


空腹で震えながらも、品位だけは失っていないことを。

誰にも愛されず、それでも卑屈に染まり切らなかったことを。


それがどれほど尊いかを。


クロードは静かにエレナを見つめる。

そして思った。


──誰にも渡したくない、と。


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