夜会はごちそうがいっぱいでした。
初投稿です。よろしくお願いします。
令嬢1
その日の夜会は、甘い香りで満ちていた。
磨き上げられた大理石の床。
幾重にも灯るシャンデリア。
鳥が囀るように笑い声を零す貴婦人たち。
香辛料の効いた肉料理に、果実酒の芳醇な香り。
そのすべてが、私には遠い世界だった。
──本来なら、私もそこに立つはずの伯爵令嬢なのに。
私は広間へ続く扉の陰に身を潜め、小さく息を吐く。指先は緊張で震えていた。
「……大丈夫。少しだけ、食べるだけだから」
自分に言い聞かせるように呟く。
今夜、フォルナード伯爵家の長女である姉のリディアは、王都でも有名な公爵家主催の夜会へ招待されていた。
本来なら次女の私も参加するべき立場だ。
けれど母はいつも言う。
『こんなみすぼらしい娘を人前に出せるわけがないでしょう』
私は物心ついた頃から家族に疎まれていた。
美しい金髪と青い瞳を持つ姉に比べ、私の髪は少しくすんだ亜麻色。瞳も青というより紫に近い色をしている。
──うちの娘とは思えない。可愛くない子だ!
そう言われ続け、いつしか家族の輪から外れていた。
そんな娘をメイド達が良く扱うはずもない。
部屋は誰も来ない離れに移されて、
食事は一日一度。硬いパンと具のほとんどない薄いスープ。
それすら与えられるのではなく、夜になってから厨房へ行き、家族や使用人たちの食べ残しを口にするだけだった。
成長期の身体には到底足りない。
だから常に空腹だった。
今日は特に酷い。
朝から何も食べていない。
厨房から漂う香りを嗅ぐだけで、胃が焼けるように痛んだ。
だから──耐えられなかった。
私は姉のドレスを運ぶ馬車に紛れ込み、こっそり夜会へ入り込んでしまったのだ。
もちろん見つかれば終わりだ。
フォルナード家の恥として厳しく叱責されるだけでは済まないかもしれない。
それでも。
「……っ」
並べられた料理を見た瞬間、理性は吹き飛んだ。
香ばしく焼かれたロースト肉。
艶やかな焼き色のパイ。
蜂蜜をたっぷりとかけた焼き菓子。
私は人気のないテーブルへ近づき、震える手で皿を取る。手早く料理を盛り付けると、人目を避けるようにバルコニーへ逃げ込んだ。
幸い、端の方に小さなテラス席を見つけることができた。
椅子へ腰掛け、皿いっぱいに盛られた豪華な料理を見つめる。
そして一口食べた瞬間──もう止まれなかった。
「……美味しい!」
思わず声が漏れる。涙まで滲んできた。
こんなちゃんとした料理を食べたのは、いつ以来だろう。
夢中で頬張っていると──
「随分と豪快な食べっぷりだな」
「っ!?」
低く落ち着いた声が聞こえた。
私は弾かれたように振り返る。
そこに立っていたのは、美しく整った顔立ちの青年だった。
艶のある漆黒の髪。
海のように深い青の瞳。
仕立ての良い礼装を纏い、その胸元には公爵家の紋章が輝いている。
王都で知らない者はいない。
クラウディア公爵家嫡男、クロード・クラウディア。
「も、申し訳ありません……!」
私は真っ青になって立ち上がった。
「すぐに出ていきますので……!」
「待て」
逃げようとした私を、彼の声が引き止める。
怒っているようには聞こえなかった。
むしろ、不思議なほど静かだった。
「君は誰だ?」
「……エレナ・フォルナードです」
「フォルナード伯爵家の?」
「はい……」
クロード様の眉が僅かに動いた。
やはり知られているのだろう。
病弱で社交界に出られない次女。
社交界に出ない為の言い訳になっていることは私も知っていた。
けれど私は病弱ではない。
ただ、十分な食事を与えられていないだけだ。
クロード様の視線が私の皿へ向く。
しまった、と思った。
ほとんど空になっている。
貴族令嬢とは思えない勢いで食べてしまった。
恥ずかしくて俯きそうになる。
「……足りるか?」
「え?」
思わず顔を上げる。
「それだけで満腹になるのかと聞いている」
私は息を呑んだ。
満腹。
そのことを他人から指摘されたのは初めてだった。
家族や使用人達は見て見ぬふりをする。
だから──
「…………足りません」
気付けば本音が零れていた。
言った瞬間、涙まで溢れてくる。
「ご、ごめんなさい……! 私、こんなつもりじゃ……」
慌てて目元を拭う。
するとクロード様はしばらく黙り込み、やがて短く言った。
「ここで待っていろ」
そう言い残し、夜会場へ戻っていく。
──終わった。
私はそう思った。
きっと衛兵を呼びに行ったのだ。
夜会にも参加せず、一人で隠れて食事をしているなんて怪しすぎる。
私の招待状は母に破り捨てられてしまっている。
出来れば穏便に、騒ぎにせず邸の外に放り出して貰えないだろうか……
そう願いながら待つこと数分。
クロード様が戻ってきた時、私は自分の目を疑った。
彼の両手には大きな皿が載っていたのだ。
「え……?」
「追加だ」
香ばしく焼かれた肉料理。
温かそうな野菜のスープ。
焼き立てのパン。
色鮮やかな果物。
ゴクリ──思わず喉が鳴る。
それは恥ずかしいほど大きな音だった。
クロード様はそれを聞いて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「食べろ」
「で、ですが……」
「俺が許可する」
公爵令息にそう言われてしまえば逆らえるはずもない。
私は恐る恐るスープを口に運ぶ。
温かかった。
じんわりと身体の奥まで染み込んでいく。
優しくて、涙が出そうになる味だった。
気付けば、本当に涙が零れていた。
「そんなに美味いか?」
「……はい」
「そうか」
クロード様は短く答え、バルコニーの手すりへ寄りかかる。
しばらく静かな時間が流れた。
遠くから夜会の音楽が聞こえる。
夢のような時間だった。
「フォルナード伯爵家では、エレナ嬢に食事を出さないのか?」
穏やかな声だった。責めるでもなく、哀れむでもなく。
だからこそ誤魔化せなかった。
「……はい」
「理由は?」
「多分、私は姉より愛嬌もありませんし、見目も悪いからでしょう」
クロード様は何も言わない。
けれど、その青い瞳が冷たく細められたのを私は見逃さなかった。
「……エレナ嬢」
「は、はい」
「次の夜会にも来い」
「え?」
意味が分からず瞬きを繰り返す。
するとクロード様は当然のことのように続けた。
「次はもっと美味いものを出してやる」
「……え ?」
「だから必ず来るように」
その言葉を聞いた瞬間、胸が大きく鳴った。
誰かに必要とされたことなど、今まで一度もなかったから。
その時の私はまだ知らない。
この一言が、長い間牢獄のようだった私の人生を大きく変える始まりになることを。




