初めて手に入れたオーラ
四月、月曜日の朝。
カーテンの隙間から差し込む春の光が、良太の枕元を照らした。いつも通りの目覚まし時計の音で身体を起こした良太は、鏡の前に立った瞬間、深い溜息をついた。
「……やっぱり、一晩寝たくらいじゃ治らないか」
鏡に映っていたのは、もはや自分のものではないような、輝くばかりの「美髪」だった。というか髪に後光が差していた
昨日の最後の一戦。折れた剣がスライムの体内でかき混ぜられ、核が砕けるよりも先に魔物の形状維持が崩壊した瞬間、ボフン、と小気味よい音を立てて弾けた青い液体。ダメージこそ皆無だったが、その天然コラーゲンの暴力的なまでの浸透力は、安物のシャンプーで三回洗った程度ではビクともしなかった。手ぐしを通せば、シルクのような滑らかさで指が滑り落ちる。
さらに肌も、一週間ダンジョンに通い詰めた疲れなど微塵も感じさせないほど、透き通るような白さを保っていた。
一瞬、良太の承認欲求モンスターが「注目されるチャンスじゃん」と囁いたが、すぐに冷静な自分がツッコミを入れた。いやダメだ。俺は「硬派な剣士」としてデビューしたいんだ!。
「良太ー! 起きてるの? 早くしないと遅刻するわよ!」
一階のキッチンから母親の声が響く。良太は慌ててキャップを深く被り、リビングへと階段を駆け下りた。
朝食のテーブルには、焼き魚と味噌汁、それに炊きたての白米。絵に描いたような穏やかな日常の風景だ。
「おはよう。……あら、なんで家の中で帽子なんて被ってるの?」
母親が不思議そうに首を傾げる。
「いや、ちょっと……寝癖がひどくてさ」
「ふーん。まあ、もう十八歳だもんね、身だしなみに気を使う年頃かしら。でも、昨日のスライムゼリー、換金所人に喜ばれたんでしょ? 無理だけはしないでね」
朝食を摂りながら、良太は自分の手のひらをそっと見つめた。
高橋によると良太のレベルアップ速度は速い方らしい。
本来、ダンジョンの1層は初心者たちで溢れかえっている。だが、今はまだ四月の初旬。学年で権利を得ているのは良太と数人だけで、他の社会人探索者たちも「はじまりの洞窟」のような初心者用エリアには見向きもしない。
結果として、一層は魔物が溢れかえる「手付かずの狩場」と化していた。 剣道で培った足捌きと、ピアノの練習で鍛え上げた「同じ動作を何万回も繰り返す」という異常なまでの集中力。凡才である自覚があるからこそ、良太は効率など度外視し、圧倒的な「数」でその差を埋めにかかったのだ。
(一匹の経験値が少なくても、誰もいない間に百匹、二百匹と狩り続ければいい。……それだけが、俺みたいな『非才』たちが生き残る唯一の道なんだ)
ステータスの伸びは、その執念がもたらした「先行者ボーナス」の結果に過ぎない。母親が運んできた温かい味噌汁を口に運びながら、良太は日常の平穏を噛み締めるように飲み込んだ。
家を出て通学路を歩くと、初夏の気配を孕んだ風が吹き抜けた。
周囲の視線が自分の「美髪」に集中するのを感じながら、良太は背景の一部になりたいと願いつつ、足早に学校の門をくぐった。
教室のドアを開けた瞬間、隣の席の高橋が、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「……おはようございます、四条氏。いえ、あえてこう呼びましょうか、キューティクル四条と」
「芸人かよ、高橋、お願いだから放っておいてくれ……。自分でも朝、鏡を見て絶望したんだから」
「いや、素晴らしい。掲示板では『スライム爆弾』なんて揶揄されますが、その髪の輝きはあなたが手に入れたオーラなんですよ」
「事故なんだって…欲しいならあげたいくらいだよ」「いりませんよ」
高橋の淡々とした言葉に項垂れていると、「おはよ、良太」と声がした。
幼馴染の結衣だ。彼女は良太の前に立つと、怪訝そうに顔を覗き込み、言葉を失った。良太は慌てて深くキャップを被り直したが、結衣の手がそれを遮った。
「良太……? ちょっと、顔上げなさいよ」
「……嫌だ。今日はこのまま、机のシミの数を数えて一生を終えることに決めたんだ」
「いいから! ほら!」
強引に顎をクイと持ち上げられ、良太は観念して結衣と視線を合わせた。結衣の瞳に、疑念ではなく純粋な驚きが広がる。
「……何よこれ。良太、肌が妙に綺麗になってるし、髪のツヤが私の三倍くらいあるじゃない。……なんか、隠してない?」
結衣の瞳に宿ったのは、幼馴染への心配と、どこか遠い世界へ行ってしまったような寂しさが混ざり合った、複雑な光だった。
良太はその視線に気づいた瞬間、一瞬だけ(……今の、俺を主役として意識した顔だったか!?)と期待しちゃうが、すぐに(いや違うわ。これ、近所の野良猫が急に懐かなくなった時みたいな『心配』の目だわ)とセルフツッコミを入れた。
「……まあ、昨日はちょっと必死だったからさ。ダンジョンって、意外と過酷なんだな」
「よお! おはようさん!」
そこへ、空気を読まない明るさで陽介がやってきた。
(とどめ刺しにこないで……)
「良太、お前なんか今日パキッとしてんな! ってか、髪の毛サラサラすぎじゃね? どこの高級サロン行ったんだよ、教えろい!」
「ただの光の加減だって。そんなことほり陽介、3ヶ月後の誕生日の準備はいいのか?」
「おうよ! 俺は魔法系が出てほしいわ。指先から火とか出せたら絶対カッコいいじゃん? モテそうだしさ!」
陽介のその言葉で笑いが広がる。
そんな平和を、冷たい声が切り裂いた。
「――おい四条。お前、そのツヤツヤしたツラで今日も『探索者ごっこ』か?」
赤木だ。取り巻きを連れて、ニヤニヤしながら良太の席にやってきた。五月生まれの彼はまだ権利取得前だが、鍛え上げた肉体と傲慢な態度で、すでにクラスのカースト頂点に君臨している。
「お前みたいなヒョロいのが、4月生まれってだけで先にダンジョンに入れるなんて、運がいいだけの話だよな。俺なんて5月にステータスが出たら、一瞬でお前を抜き去ってやるよ。お前みたいな凡人は、一生一層でネズミと遊んでな」
赤木の嘲笑に、取り巻きたちもはやし立てる。
良太は拳を握り、机の下で静かにその言葉を受け止めた。
言い返したい気持ちがないわけではない。自分の今の筋力がすでに『25』に達していること、赤木が自慢する肉体を超越していることを突きつければ、この不快な時間は終わるだろう。
けれど、良太はただ静かに目を伏せた。
ダンジョンの奥で、剣が折れるあの瞬間の恐怖。生き物が塵に変わる時の重み。
それを知らない彼らと同じ土俵で争うことに、何の意味もないと気づいていた。
「……二層は、一層とは空気が違うらしい。赤木も、行くなら気をつけてな」
それは良太なりの、本物の忠告だった。だが、赤木にはそれが負け犬の強がりにしか聞こえなかったのだろう。
「ケッ、忠告のつもりかよ。凡人が偉そうに……。行こうぜ」
赤木たちが去り、教室に緊張感が消える。
「……ねえ、良太。言い返さなくてよかったの?」
「いいよ。あいつを言い負かしても、俺のレベルが上がるわけじゃないし。……それより高橋、放課後、例の場所について詳しく教えてくれないか?」
「武器の新調、ですね?」
高橋が察したように眼鏡をクイと上げた。
「ああ。昨日、最後の一匹でポカやってさ。剣が折れたんだ」
「了解しました。四条氏の予算内で、あのヌルヌルの爆発にも耐えうる一品、心当たりがありますよ。役所の売店の量産品に馴染めない、一癖ある探索者たちがこっそり通う――ちょっとした『穴場』です」
良太はカバンの中で眠る、折れた剣の柄をそっと握りしめた。
周囲のノイズに耳を貸す暇はない。
赤木が「期待」という名前の空像を磨いている間に、自分は本物の戦いに備える。それでいいんだ。
五万円という、高校生の自分にとっては大金を持って。
無駄にピカピカと輝く自分の髪を少しだけ呪いながら、良太は放課後のチャイムが鳴るのを、静かな覚悟と共に待っていた。
次回、良太の新武器ゲットとなるか!? お楽しみに!




