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『悪役令嬢の汚名を着せられましたが、真実を知った皇太子殿下が離してくれません』  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第73話 王宮に問われる言葉

その呼び出しは、あまりにも静かに届いた。


 王宮付きの女官が、淡々と、しかし一切の曖昧さを交えず告げたのだ。


 ――明日午後、王宮内の年長者数名との面談がございます。

 ――ルーヴェルト嬢ご自身のお考えをお伺いしたいとのことです。


 “お考えを伺う”。


 その穏やかな言い回しの奥にあるものを、アリア・フォン・ルーヴェルトはすぐ理解した。


 問われるのだ。

 自分の言葉で。

 なぜ皇太子の隣なのか。

 なぜそこへ行こうとするのか。

 責任を、本当に理解しているのか。


 それは、これまでのような探りや値踏みとは少し違う。

 もっと公式で、もっと重い。

 そして、おそらくは正式な婚約へ進む前に避けられない関門の一つなのだろう。


 前夜、アリアは久しぶりに深く眠れなかった。


 眠れない理由は、怖さだけではない。

 もちろん怖い。

 答えを間違えれば、“やはりまだ早い”“やはり軽い”と判断されるかもしれない。


 けれど、それ以上に、自分の言葉が本当に届くのかという不安があった。


 悪役令嬢と断じられた夜、自分は言葉を持っていたのに届かなかった。

 婚約破棄を言い渡された時も、訴えるべき思いはあったのに飲み込んだ。

 だから今度は、自分の口で、自分の意思をちゃんと届かせたい。


 そう思うほど、眠りは浅くなる。


 翌朝、鏡の前に座るアリアの顔を見て、リナが小さく言った。


「お嬢様、本日はかなり緊張していらっしゃいますね」


「ええ。隠せないくらいには」


 珍しく冗談めかして返すと、リナは少しだけ安心したように微笑んだ。


「でも、お顔色は悪くありません」


「そう?」


「はい。怖がってはいらっしゃいますけれど、逃げたいお顔ではありません」


 その言い方に、アリアは少しだけ目を伏せる。


 逃げたいわけではない。

 そこは、もうはっきりしている。


 昼前、クラウディアは娘の装いを自ら確認しながら言った。


「今日は、上手く答えようとしなくていいわ」


「え?」


「気の利いた正解を探そうとすると、言葉は薄くなるもの」


 母は襟元の皺を整えながら続ける。


「あなたが本当に思っていることだけを持って行きなさい」


 それは、何より難しく、同時に何より必要なことのように思えた。


 王宮へ着くと、案内された先は奥まった中規模の応接室だった。


 華やかな大広間ではない。

 けれど、軽い空気ではまったくない。

 内装は落ち着いていて、壁際には重厚な椅子が並び、中央の低卓には茶器が整えられている。

 過剰に威圧的ではないが、ここが“本音を引き出すための場”であることは明白だった。


 すでに数名の年長者が席についていた。


 王宮に長く関わる公爵夫人、侯爵夫人。

 重臣家の未亡人。

 そして、以前からアリアに冷たい視線を向けてきたヴァルモン公爵夫人もいる。


 逃げ場はない。

 だが今さら欲しくもなかった。


「ごきげんよう、ルーヴェルト嬢」


「ごきげんよう、皆様」


 礼を取り、席へ着く。


 最初は形式通りの挨拶から始まった。

 体調。

 最近の王宮行事。

 季節の話。

 けれど、そうした薄い布はすぐに剥がれる。


 最初に切り込んできたのは、年長の伯爵未亡人だった。


「率直に伺いますわ」


 その声は穏やかで、だからこそ逃げにくい。


「あなたは、なぜ第一皇太子殿下の隣へ立ちたいのですか」


 部屋の空気が、一段深く静まる。


 来た。

 アリアは一度だけ呼吸を整えた。


 なぜ。

 その問いに対する答えを、自分は何度も考えてきた。


「殿下に選ばれたから、ではありません」


 まず、そこから言う。


 何人かの目がわずかに動く。

 以前、大広間でも口にした言葉だ。

 だが今日は、それをもっと深く問われている。


「私は、自分の意志でその場所を選びたいと思ったからです」


「意志」


 今度はルヴァリエ侯爵夫人が、言葉を受けるように言った。


「では、あなたの意志とは何なのかしら」


 重ねて来る。

 その重ね方に、試しの意図が見える。


 アリアは視線をそらさなかった。


「最初は、ただ名誉を取り戻したいだけだったのだと思います」


 これは本音だ。


「悪役令嬢の汚名を着せられたままで終わりたくなかった。自分が何者でもないように扱われるのが、悔しかった」


 ヴァルモン公爵夫人の視線が、わずかに細くなる。

 だが、アリアは続けた。


「でも、今は違います」


 胸の奥にある熱を、そのまま言葉へ変える。


「私は、殿下の隣が、ただ守られる場所だから選んだのではありません」


「では?」


 今度はヴァルモン公爵夫人が問う。


 その一言は静かだが、鋭い。


「殿下の隣で、私自身も立ちたいと思ったからです」


 部屋の空気が、また少しだけ変わる。


「立つ、とは」


「責任を持つということです」


 アリアははっきり答えた。


「王宮の視線も、社交界の重さも、甘いものではないと知りました。好きだからだけでは、そこへ行けないことも分かりました」


 そこまで言ってから、一拍置く。


「でも、好きだからこそ、その責任から逃げたくないとも思いました」


 言い切った瞬間、胸の中の揺れが少しだけ静まる。


 これは、飾っていない。

 気の利いた答えではないかもしれない。

 けれど、自分の本当の言葉だ。


 部屋の中央に短い沈黙が落ちた。


 それを破ったのは、重臣家の未亡人だった。


「恋と責任を、両方口にするのですね」


「はい」


「多くの若い娘は、そのどちらかへ逃げますわ。恋を盾に責任を見ないか、責任を口実に恋を否定するか」


 アリアは静かに聞く。


「あなたは、そのどちらでもないのかしら」


 試されている。

 でも、不快ではなかった。

 むしろ、ようやく本当に見られている気がした。


「どちらでもなくありたいと思っています」


 アリアは答える。


「まだ未熟ですし、怖さもあります。完璧に両立できると言うつもりはありません」


 そこを誇張しない。

 それが今の自分にできる誠実さだと思った。


「ですが、私はどちらかを言い訳にして、もう一方から逃げるつもりはありません」


 はっきりとそう言うと、何人かの表情がごくわずかに変わった。


 それは好意でも感動でもない。

 だが少なくとも、“軽い娘ではない”と見直す気配に近かった。


 ヴァルモン公爵夫人が、ゆっくりとカップを置く。


「では、もう一つ」


 来るだろうと思っていた問いだった。


「なぜ、あなたでなければならないのです」


 その問いは鋭かった。

 “なぜ隣へ立ちたいか”ではなく、

 “なぜ数ある令嬢の中で、あなたなのか”。


 それはきっと、周囲が本当に知りたがっていることでもある。


 アリアは息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「その問いに、私が完全な答えを持っているとは思いません」


 まず、そこを認める。


「なぜ殿下が私を選んでくださったのか、そのすべてを私が代わりに語るのは違うと思うからです」


 何人かがごく小さく頷く。

 それだけでも、言葉の置き方は間違っていないと分かる。


「ですが」


 アリアは続けた。


「私が自分について言えることはあります」


「何かしら」


「私は、一度傷つきました」


 部屋の空気が微かに張る。

 それでも引かない。


「悪役令嬢と呼ばれ、婚約を切られ、噂の中へ置かれました。だから、誰かを印象だけで切り捨てることの痛みを知っています」


 その言葉は、過去の自分をさらけ出すことでもあった。

 だが、それを今さら隠したいとは思わなかった。


「そして、傷があることと、立てないことは別だと教えられました」


 その“教えられた”の奥に誰がいるかは、ここにいる者たちなら察するだろう。


「私は、自分が完璧な令嬢だとは思っておりません。でも、傷を持ったままでも立つことはできると知っています」


 視線をまっすぐに前へ向ける。


「だからもし、王宮の隣に必要なのが、何も知らぬ綺麗な令嬢ではなく、痛みも視線も知った上でそれでも立てる者なら――私は、その役目を引き受けたいと思っています」


 言い終えた瞬間、自分でも分かるほど胸が熱くなっていた。


 重い。

 でも、やっと言えた。


 “好きだから”だけではない答え。

 それでも“好き”を捨てない答え。


 長い沈黙があった。


 やがてルヴァリエ侯爵夫人が、静かに息を吐く。


「……よく考えているのね」


 その一言は、これまでのどんな賞賛よりも深く響いた。


 ヴァルモン公爵夫人はすぐには口を開かなかった。

 だが、その沈黙自体が以前とは違うように感じられる。


 完全な否定ではない。

 少なくとも、軽く切り捨てる空気ではなくなっていた。


「本日は、十分ですわ」


 最後に年長の未亡人がそう言った。


「少なくとも、あなたがただ流されてここへ座っているのではないことは分かりました」


 その言葉に、アリアは静かに礼を取る。


「ありがとうございます」


 部屋を出たあと、回廊へ出た瞬間、アリアはようやく深く息を吐いた。


 脚が少しだけ震えている。

 緊張していたのだと、今さら身体が教えてくる。


「……できたのかしら」


 独り言のようにそう漏らした時、前方の角から低い声が落ちた。


「出来ていた」


 レオンハルトだった。


 いつからいたのか。

 壁際に寄りかかるでもなく、ただ静かに立っている。


「殿下」


「待っていた」


 短い言葉。

 だが、その一言だけで胸がほどけそうになる。


「聞いておられたのですか」


「全部ではない」


 それでも十分だ。

 たぶん、自分の声の調子や、部屋を出てきた顔だけで、ある程度は分かるのだろう。


「……怖かったです」


 正直に言うと、レオンハルトは一歩だけ近づいた。


「だろうな」


「でも」


 アリアは少しだけ笑った。


「逃げませんでした」


「そうだ」


 彼の返答は短く、確かだ。


 王宮に問われる言葉。

 それは、誰かに用意された正解ではなかった。

 自分の中から掘り出して、ようやく届いた言葉だった。

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