表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『悪役令嬢の汚名を着せられましたが、真実を知った皇太子殿下が離してくれません』  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/127

第51話 微笑む貴婦人たち

 その“初仕事”の余韻が完全に消えぬうちに、次の試練はやって来た。


 今度の相手は、同年代の令嬢たちではない。


 年長の貴婦人たちだった。


 王宮の午後の茶会。

 招待される顔ぶれは、どの家も位が高く、表面上は皆やわらかく微笑む。

 だが、若い令嬢同士の牽制とは比べものにならぬ種類の圧があった。


 クラウディアは出がけに言った。


「今日は“歓迎”されるわ」


 その言い方に、アリアは少しだけ眉を寄せる。


「歓迎、ですか」


「ええ。表向きはね」


 母は淡々と続けた。


「微笑みながら値踏みされる場よ。気に入られれば良し。けれど、少しでも脆さを見せれば、“やはりまだ若い”と切られる」


 容赦のない説明だった。

 だが、これもまた必要な現実なのだろう。


 会場は王宮の奥にある、比較的小さなサロンだった。壁には穏やかな色の織物がかかり、花も香りも上品に抑えられている。けれど、その上品さがかえって居心地を悪くする。若い娘たちのきらびやかな嫉妬ではなく、長年社交界を生きてきた女たちの視線がそこにはあるからだ。


「ルーヴェルト嬢」


 最初に声をかけてきたのは、笑みの綺麗な侯爵夫人だった。


「先日のご活躍、お聞きしておりますわ。とても落ち着いていらしたとか」


「恐れ入ります」


「まあ、恐れ入る必要などございませんわ。若いのに堂々としていて、本当に立派ですこと」


 柔らかい。

 だが、それだけではない。

 “若いのに”

 その一言だけで、線を引いている。


 若い。まだ未熟。だから立派。

 褒めているようでいて、ちゃんと“上から見ている”のだ。


 アリアは礼だけを崩さず返す。


「過分なお言葉です」


 そこへ別の公爵夫人が会話へ入ってくる。


「でも、堂々としすぎるのも考えものですわよね。王宮では可愛げも必要ですもの」


 笑いを含んだ、いかにも軽い言い方。

 だがそれは明確な探りでもあった。


 冷たく見える。近寄りがたい。可愛げがない。

 かつて自分が悪役令嬢として使われた言葉が、今度はもっと上品な形で差し出されてくる。


 アリアは一瞬だけ胸の奥が冷えるのを感じた。

 やはりここでも、過去の傷は別の角度からなぞられる。


「私、可愛げがあると申し上げたことはございません」


 静かにそう返すと、公爵夫人たちの目がわずかに細くなる。


「まあ」

「ずいぶん正直なのね」

「でも、それでは少々損をなさるでしょう?」


 損。

 そこまで言うあたりが、年長の女たちらしい。

 感情論ではなく、損得の言葉で刺してくる。


 アリアは小さく息を整えた。


「損をしたことは、たしかにございます」


 過去形で言う。


「でも、だからといって、今さら私を作り替えることもできませんので」


 サロンの空気が一瞬だけ静まった。


 露骨な反発ではない。

 けれど、流されもしない。

 その返答が、少なくとも“ただ飲み込まれる若い娘”ではないことを示したのだろう。


 茶会の半ば、ようやく少し離れた席へ移ったところで、アリアは長く息を吐いた。


「思った以上です」


 思わず漏れたその一言に、すぐ横へ座ったクラウディアが小さく頷く。


「でしょうね」


「若い令嬢たちとは、全然違います」


「ええ。あの方たちは、あなたを憎むというより、“王宮へ置く価値があるのか”を見ているの」


 価値。

 その言葉の冷たさに、アリアは唇を結ぶ。


 悪役令嬢として断じられた時は、感情の波に呑まれた。

 今は違う。

 もっと冷静に、もっと静かに、価値を測られている。


「一人だけ、明確に冷たかったわね」


 クラウディアがふいに言う。


「……ええ」


 アリアにも分かっていた。


 最も上品に微笑みながら、最もはっきり“認めていない”と示していたのは、ヴァルモン公爵夫人だった。王宮内でも影響力の大きい女で、夫は政務に深く関わる重臣だ。


 彼女は最初の挨拶こそ完璧だった。

 だが、その後の一言一言に明確な温度差があった。


 “噂の中心になった経験は、若い方には堪えましょうね”

 “でも、それを糧にできるなら立派ですわ”

 “王宮の隣は、ただ愛されるだけでは務まりませんもの”


 どれも正論だ。

 正論だからこそ厄介だった。

 表向きには一切の無礼がなく、それでいて“あなたはまだ疑問符付きです”と示されている。


 茶会を終えた帰りの馬車で、アリアは窓の外を見ながらしばらく黙っていた。


 疲れた。

 ただ、それだけがまず大きかった。


 社交界の若い令嬢たちの嫉妬や牽制は、まだ分かりやすい。

 けれど年長の貴婦人たちは違う。

 微笑みながら値踏みし、褒めながら切り、正論の形で圧をかけてくる。


 あれが、王宮の“大人の女たち”なのだろう。


 屋敷へ戻ってしばらくした頃、ユリウスから短い伝言が届いた。


 『殿下がお呼びです。無理なら明日でも構いません』


 その一文を見て、アリアはほんの少し迷った。

 疲れている。

 今日は何も話したくない気もする。


 けれど結局、行くことにした。

 無理なら明日でも、と書かれているからこそ、今日のうちに行きたいと思ったのだ。


 小会議室へ入ると、レオンハルトは机の前ではなく、窓際に立っていた。

 夕方の光が少しだけ傾き、室内には静かな影が落ちている。


「来たか」


「はい」


「茶会はどうだった」


 余計な前置きはない。

 いつも通り、必要なところへまっすぐ来る。


 アリアは少しだけ迷ってから、正直に言った。


「思っていた以上に、疲れました」


 レオンハルトは何も言わず、そのまま続きを待つ。


「若い令嬢たちの牽制は分かりやすいのです。でも、今日は……全部正しいことを言われているようで、その実、ずっと試されている感じがして」


「そうだろうな」


「ヴァルモン公爵夫人は、私を快く思っていらっしゃいません」


「知っている」


 即答だった。


 アリアは少しだけ目を瞬く。


「ご存じだったのですか」


「分かりやすい人ではないが、分からぬほどでもない」


 それなら最初から言ってほしかった、と少しだけ思う。

 だが言われていたら、余計に身構えていただろう。


「……逃げませんでした」


 ぽつりとそう言うと、レオンハルトの目が少しだけやわらぐ。


「それでいい」


「でも、かなり疲れました」


「だろうな」


 簡単な返答なのに、その“だろうな”がやけに沁みる。


 ただ分かっていると言われるだけで、どうしてこんなに救われるのだろう。


「まだ王宮の空気には慣れていないのです」


 アリアは正直に続けた。


「社交界の令嬢たちとは違う圧があって……一言ごとに、立つ価値があるのかを測られているようで」


「測られている」


 レオンハルトはきっぱりと言う。


「君の錯覚ではない」


 その容赦のなさに、アリアは少しだけ苦笑した。


「慰めてくださる気はないのですね」


「嘘を言っても仕方がない」


「ええ、そうですね」


「だが」


 そこで彼は少しだけ声を落とした。


「君は今日、逃げなかった」


 アリアは顔を上げる。


「そこが大事だ」


 その言葉に、疲れて固まっていた何かが、ゆっくりとほどけていく。


 完璧ではなかった。

 緊張もした。

 息も詰まった。

 それでも逃げなかった。


 その一点だけを、彼は見ている。


「ヴァルモン公爵夫人は、しばらく厄介だろう」


 レオンハルトは静かに続けた。


「君が傷を抱えたまま立つことを、評価する側ではない」


「そうでしょうね」


「だからこそ、必要以上に媚びるな」


 その一言に、アリアは目を瞬いた。


「媚びる?」


「認めさせようとして、自分を曲げるなという意味だ」


 胸の奥に、ひやりとしたものが落ちる。


 たしかに、自分の中にそういう誘惑はあったかもしれない。

 可愛げが足りないなら、少し柔らかく見せた方がいいのか。

 もっと愛想よく笑うべきか。

 そうやって、自分を作り替えてしまいたくなる瞬間が。


「……はい」


「君は君のままで十分だ」


 あまりにも真っ直ぐにそう言われて、アリアは一瞬言葉を失った。


 悪役令嬢と呼ばれた時、自分の“冷たく見えるところ”は欠点だと思った。

 婚約者として切り捨てられた時も、もっと可愛げがあれば違ったのだろうかと考えた。


 けれど今、この人は言う。

 君のままで十分だ、と。


 それは、今日一日の疲れを全部ひっくるめて、静かに救う言葉だった。


「……ありがとうございます」


 アリアがそう言うと、レオンハルトは小さく頷いた。


「疲れているなら、今日はもう戻れ」


「はい」


 その通りにするべきだろう。

 それでも部屋を出る前に、アリアは一度だけ振り返った。


「殿下」


「何だ」


「今日は、少しだけ」


 そこまで言って、少し迷う。


 弱音を吐くのは、まだ少し怖い。

 けれど、この人の前なら言ってもいいかもしれないと思ってしまう。


「……少しだけ、落ち込みました」


 言ってしまったあと、頬が少し熱くなる。


 レオンハルトは一瞬だけ黙り、それから低く言った。


「それでいい」


「え?」


「落ち込まない方が不自然だ」


 その返しに、アリアは思わず少し笑ってしまう。


 強くあれとも、平気な顔をしろとも言わない。

 落ち込んでいい、と言う。


 それが今の自分には、何よりやさしく感じられた。


 微笑む貴婦人たち。

 値踏みの視線。

 王宮の“大人の圧”。


 その重さを初めて知った一日だった。

 けれど同時に、自分が弱音を吐ける場所が、少しずつはっきりしてきた一日でもあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ