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『悪役令嬢の汚名を着せられましたが、真実を知った皇太子殿下が離してくれません』  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第50話 皇太子の隣の初仕事

 王宮から正式な同席の知らせが届いたのは、昨日のことだった。


 “次の公務に近い小規模な接遇の場へ、アリア・フォン・ルーヴェルト嬢も補佐的立場で同席する”


 文面にすれば簡潔だ。

 だが、その意味は少しも軽くない。


 ただ招かれるのではない。

 ただ隣へ座るのでもない。

 公務に近い場で、皇太子レオンハルト・エーヴェルシュタインのそばに立つことを前提として、役目を持って同席する。


 それはつまり、社交界の目に映る“近い令嬢”から一歩進み、“役割を持つ者”として見られることを意味していた。


 アリアは朝から落ち着かなかった。


 屋敷の化粧台の前に座りながら、リナに髪を整えられていても、胸の奥ではずっと別のことを考えている。


 失敗したらどうなるのか。

 誰かの挨拶を受け損ねたら。

 相手の家格を取り違えたら。

 言葉をひとつ誤っただけで、“やはり噂のあった令嬢は駄目だ”と言われるのではないか。


 考え始めればきりがない。


「お嬢様」


 リナがそっと声をかける。


「本日は、少しだけ肩の力を抜いてくださいませ」


「抜けていないように見える?」


「かなり」


 あまりにも率直で、アリアは思わず鏡越しにリナを見た。

 彼女は慌てるでもなく、むしろ少しだけ困ったように笑っている。


「張りつめていらっしゃる時のお嬢様は、とてもお美しいのですが……本日は少し、刃物のようです」


「……それは、褒め言葉ではないわね」


「少なくとも、お相手を和ませる種類ではありません」


 たしかにその通りだった。


 アリアは小さく息を吐く。

 怖いからこそ、身体に力が入る。

 そして力が入ると、自分は余計に冷たく見える。

 悪役令嬢と噂された時にも、まさにそれで損をしたのだ。


「ありがとう。少し、気をつけるわ」


「はい」


 朝食の席にはクラウディアもいた。


「お母様」


「おはよう、アリア」


 公爵夫人は娘を一目見て、すぐに状況を察したらしい。


「緊張しているわね」


「……はい」


「良いことよ」


 意外な返答に、アリアは目を瞬いた。


「え?」


「緊張しない方が危ういわ。王宮で役目を持つ重さを、まだ知らぬまま出て行くよりずっといい」


 クラウディアは淡々と紅茶を置いた。


「ただし、その緊張に呑まれてはいけない。あなたは裁かれに行くのではないのだから」


 その言葉に、胸の奥がわずかにほどける。


 そうだ。

 今日の場は、悪役令嬢の審問ではない。

 自分が試される場であるのは確かだが、それは“失敗を待たれる罪人”としてではない。


 役目を与えられた者として、どう立つかを見られるのだ。


「はい」


「そして、今日一番大事なのは」


 クラウディアは娘をまっすぐ見た。


「皇太子殿下の隣で、必要以上に萎縮しないこと」


 アリアは少しだけ息を呑む。


「お母様、それが一番難しい気がいたします」


「でしょうね。でも、あちらはあなたが萎縮する方を望んでいない」


 それは、そうだろうと思う。


 レオンハルトは“ついてこい”とは言うが、“小さくなっていろ”とは決して言わない。

 むしろその逆だ。

 立て。前を向け。自分で選べ。

 そういう人だ。


 王宮へ向かう馬車の中、アリアはそのことばかり考えていた。


 やがて到着したのは、本宮の大広間ではなく、少し規模の小さな迎賓用の会場だった。

 外国使節の下見にも使われるというだけあって、内装は華美すぎず、それでいて細部まで整っている。今日の接遇相手は本格的な賓客ではない。近隣貴族家の一部と、王宮との距離が近い数家の当主夫妻、その若い子弟たちだ。


 つまり、正式な外交の前に王宮側の空気を読むための場。


 そこでアリアへ役目があるということは、単に“隣へ立たせる”以上の意味を持つ。


 控えの間で短い確認が行われたあと、レオンハルトが入ってきた。


 いつもの濃色の礼装。余計な飾りのない姿。

 だが、その静けさだけで場を支配してしまうような存在感は相変わらずだった。


「顔色は悪くないな」


 第一声がそれだった。


 アリアは少しだけ気を抜かれたような気がして、小さく息を吐く。


「おかげさまで、倒れずに済みそうです」


「それなら十分だ」


 簡単すぎる返答だ。

 だが、妙にそれが心を軽くする。


「殿下は、本当にそれで十分だとお思いですか」


「最初から完璧を求める方が愚かだ」


 レオンハルトは資料の上に視線を落としながら言う。


「失敗はする」


 あまりにもあっさりしていて、アリアは少しだけ唇を結んだ。


「……失敗前提なのですね」


「するなとは言わない。ただし」


 そこで彼は顔を上げる。


「失敗した後に、どう立て直すかを見る」


 その一言は、今のアリアにとってひどく大きかった。


 完璧でなくてもいい。

 だが、崩れた後をどうするか。

 それは、悪役令嬢にされた時にも、自分がずっと問われてきたことだった。


「分かりました」


「それと」


 レオンハルトは一歩だけ近づく。


「今日、君は私の影ではない」


 アリアは目を瞬く。


「え……」


「隣に立つ。だが、私の後ろへ隠れるな」


 低く、静かな声。


「君は役目を持ってここにいる。それを忘れるな」


 胸の奥がひとつ、強く鳴った。


 影ではない。

 後ろへ隠れるな。

 そう言われるのは怖い。

 だが同時に、ひどく嬉しくもあった。


 “いてもいい”ではない。

 “立て”と言われているのだ。


「……はい」


 会場へ出ると、すぐにその重さは現実になった。


 最初の挨拶。

 若い令嬢側の受け入れ位置。

 誰へどの順で声をかけるか。

 どの家の娘をどこへ立たせるか。

 全部が細かく、そして意味を持つ。


 ひとつ目の挨拶はうまくいった。

 ふたつ目も、大きな問題はない。

 だが三人目の若い夫人へ声をかける順で、アリアはほんのわずかに迷った。


 先に伯爵家令嬢へ言葉をかけかけて、途中で相手が侯爵家の新妻であることを思い出す。


 ほんの半拍。

 だが、その半拍は、自分にはやけに長く感じられた。


 しまった、と胸が冷える。


 けれど相手の夫人は、そこを大ごとにはしなかった。むしろ穏やかに微笑み返し、自然に会話へ乗ってくる。


 周囲の誰も表情を変えなかったが、アリア自身の心臓だけがしばらくうるさかった。


 失敗した。

 そう思う。

 けれど、止まらなかった。

 そのまま次へ進めた。


 会の半ば、外国使節に近い立場にある年配の紳士がレオンハルトへ話しかけてきた時、アリアは一歩だけ位置を変え、相手の視線が会話へ入りやすいよう整える。たったそれだけのことだったが、紳士の妻が一瞬だけこちらを見て、わずかに頷いた。


 見られている。

 そして、ただ見世物としてではなく、役目を果たせるかどうかを見られている。


 そのことが、逆に少しだけアリアを落ち着かせた。


 終盤、若い令嬢の一人が緊張で手元のグラスを傾けそうになった時、アリアは無意識に半歩前へ出て受け止めた。音は立たない。液もほとんどこぼれない。


「大丈夫ですわ」


 小声でそう言うと、その令嬢は青ざめた顔で何度も頷いた。


 その一連の流れを、会場の何人かが見ていたことにアリアはすぐ気づいた。


 だからこそ、最後まで姿勢を崩さない。


 役目を終え、控えの間へ戻った瞬間、ようやく深く息を吐けた。


「……終わりました」


 自分でも分かるほど、肩が固まっている。


「そうだな」


 レオンハルトは壁際に立ったまま、アリアを見ていた。


「失敗したわ」


「どこで」


「三人目の夫人への挨拶の順で、一瞬迷いました」


「一瞬だった」


「でも」


「だが立て直した」


 即答だった。


 アリアは言葉を失う。


「それに、最後のグラスの件は良かった」


「ご覧になっていたのですか」


「見ていた」


 静かな声だ。

 けれど、その短い一言がひどく嬉しい。


 見ていた。

 ちゃんと。


「十分だ」


 レオンハルトは続ける。


「今日は、皇太子の隣で立つ者として必要な最低限を越えた」


 その評価に、胸の奥がじんと熱くなる。


 完璧とは言われない。

 だが十分だと言われる。

 今のアリアにとって、その方がよほど信じられる。


「……ほっとしました」


 思わず本音が漏れると、レオンハルトの目が少しだけ和らいだ。


「ならよかった」


 たったそれだけ。

 けれど、アリアはそれだけで救われる。


 皇太子の隣の初仕事は、甘くはなかった。

 だが、耐えられた。

 そして何より、自分はただ守られていただけではないと、少しだけ思えた。


 それは、想像以上に大きな一歩だった。

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