表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『悪役令嬢の汚名を着せられましたが、真実を知った皇太子殿下が離してくれません』  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/127

第43話 嫉妬の炎、恋の自覚

 王宮主催の小規模舞踏会を三日後に控え、王立学園の空気はまたしても落ち着きを失っていた。


 今度の話題は明快だった。


 アリア・フォン・ルーヴェルトが、王宮の正式な場で“役目”を与えられた。

 それがどれほど大きな意味を持つか、貴族子女であれば誰でも分かる。


 晩餐会で皇太子レオンハルト・エーヴェルシュタインの隣へ置かれた。

 その次は、舞踏会で役目を持って立つ。

 もはや“たまたま気にかけられている”では済まされない。


 つまり今のアリアは、誰の目にも、王宮の中心へ少しずつ引き寄せられている令嬢だった。


「……見られているわね」


 二時間目の授業を終え、教本を閉じながらアリアが小さく呟くと、前の席から振り返ったエレノアが、ため息まじりに頷いた。


「朝からずっとですわ」


「今日は特にひどい気がする」


「ええ。今日は“次の舞踏会でどこまで決まるのか”という観測が飛び交っておりますもの」


 アリアは窓の外へ目を向ける。


 春の終わりの陽射しは穏やかで、校庭の若木が風に揺れている。そんな静かな景色の中で、自分だけが妙に忙しなく値踏みされている気がした。


 悪役令嬢として見られていた時の視線は、冷たくて重かった。

 今の視線は、熱くて落ち着かない。


 どちらが楽かと問われれば、答えに困る。


「おはようございます、ルーヴェルト様」


 休み時間になると、やはり令嬢たちが近づいてくる。

 その中には、以前なら声すらかけてこなかった子たちも混じっていた。


「舞踏会の件、お聞きしましたわ」

「素敵ですわね」

「わたくしでしたら、緊張で倒れてしまいそう」


 表面上は好意的だ。

 だが、その笑みの奥には、羨望と探りが混ざっている。


「ありがとうございます」


 アリアは必要最低限の礼だけを返す。


「どのようなお役目なのですか?」

「外国のお客様もいらっしゃるのでしょう?」

「殿下とご一緒になる場面も……?」


 そこまで聞いた時、エレノアが横からにっこりと微笑んだ。


「皆様、随分と詳しく知りたがっていらっしゃいますのね」


 その声音は柔らかい。

 だが、きっちり牽制している。


 令嬢たちは一瞬だけ言葉を詰まらせ、それでもすぐに笑みを崩さない。


「だって、王宮の舞踏会ですもの。気になるのは当然ですわ」

「ええ、ほんの少しだけ」

「ルーヴェルト様も、いよいよですわね」


 いよいよ。

 その曖昧な言い方が、ひどく社交界らしい。

 何も断言しないまま、意味だけは十分に滲ませる。


 アリアは少しだけ呼吸を整えてから答えた。


「まだ何も決まってはおりません」


「でも、ここまでなされるのですもの」

「ええ。殿下のお気持ちは、もう皆様――」


 そこまで言いかけた令嬢の声が、ふいに途切れる。


 廊下の向こうから、数人の男子生徒が歩いてきたからだ。

 その中の一人がアリアへ気づき、ためらいがちに足を止める。


「ルーヴェルト様」


 同学年の男子生徒だった。

 家格としては伯爵家。普段、特に親しいわけではないが、授業で顔を合わせることは多い。


「何でしょう」


「その……先日の課題で、図書資料のことで少し伺いたいことが」


 言い方はぎこちない。

 だが本当に学業の相談らしい。

 周囲の令嬢たちが、一気に面白くなさそうな顔になるのが分かった。


 アリアはほんの一瞬だけ迷い、それでも頷く。


「少しなら」


 男子生徒は明らかにほっとした様子で、ノートを開きながら資料名を確認してくる。

 たしかにその内容自体は普通だった。

 以前なら、こういうやり取りは何でもなかったはずだ。


 だが、今は違う。


 令嬢たちの視線がじわじわと刺さる。

 “今のアリアへ話しかける男子”

 その事実自体が、すでに意味を持ち始めている。


 エレノアが露骨に周囲を見回し、まるで“何か文句でも?”と言わんばかりの顔をしているのが少し可笑しい。


 やり取りはほんの数分で終わった。


「ありがとうございました、ルーヴェルト様」


「いいえ」


 男子生徒が去ると同時に、令嬢たちの輪もどこかぎこちなく崩れていく。

 興味本位の会話は続けたくても、今この場の空気は微妙すぎたのだろう。


「……疲れますわね」


 全員がいなくなってから、エレノアが小さく呟いた。


「ええ」


「今の、ただの課題の話でしたのに」


「そうね」


 アリアも短く答える。


 ただの課題の相談。

 けれど今は、それすら普通には見てもらえない。

 皇太子の隣に立つかもしれない令嬢という立場は、それだけで周囲の視線を歪ませる。


 その日の放課後、東棟へ向かう途中の回廊でも、同じような出来事があった。


 今度は年上の男性貴族子弟が、あくまで礼儀正しくアリアへ話しかけてきたのだ。

 内容はごく形式的な挨拶に近い。

 舞踏会でのお役目は大変でしょう、と。

 もし図書室の資料が必要なら手配できますよ、と。


 善意なのか、下心なのか、その境目は曖昧だった。

 けれど、その曖昧さ自体が社交界的でもある。


「ありがとうございます。必要がありましたら、その時は」


 そう返した時だった。


 回廊の角から、低い声が落ちる。


「必要はない」


 アリアの胸が、はっきりと強く鳴った。


 振り向くまでもない。

 レオンハルトだ。


 彼はユリウスを伴ってこちらへ歩いてくる。

 その顔はいつも通り整いすぎるほど整っている。

 だが、今の声色には明らかに冷えたものが混じっていた。


 年上の男子生徒がぎょっとする。


「で、殿下」


「彼女が必要とするものは、こちらで用意できる」


 レオンハルトはそう言いながら、アリアのすぐ隣で足を止めた。


 余計な笑みも、柔らかな婉曲表現もない。

 ただ一言で、“不用意に近づくな”と線を引いている。


「いえ、私はただ――」


「善意であろうと、今は控えろ」


 静かな声。

 だが、その静けさの方がかえって拒絶として強かった。


 男子生徒は返す言葉を失い、すぐに一礼して引き下がる。

 その後ろ姿を見送りながら、アリアは自分の呼吸が少し浅くなっていることに気づいた。


 これはつまり。


 嫉妬だ。


 口にはしない。

 でも、もう十分に分かる。


「……殿下」


 レオンハルトが視線を向ける。


「何だ」


「今のは、少し……」


 言葉を選びきれないでいると、横でユリウスが小さく咳払いした。


「殿下、かなり分かりやすかったかと」


「黙れ」


「承知しております」


 承知していない顔である。

 アリアは思わず少しだけ目を伏せた。


 頬が熱い。

 恥ずかしさだけではない。

 それ以上に、どうしていいか分からない嬉しさが混じっている。


 レオンハルトは少しだけ間を置いてから、アリアへ言った。


「君は、誰にでも律儀に返事をするな」


「返事をしないわけにも」


「必要な相手だけでいい」


 その言い方は、以前にも聞いた。

 けれど今日は少し違う。

 もっと個人的で、もっと狭い熱が含まれている。


「……今の方は、何も失礼なことはおっしゃっていませんでした」


 あえてそう返してみると、レオンハルトの目がわずかに細まる。


「だから厄介だ」


「え?」


「露骨な無礼なら、切れば済む」


 低く、淡々とした声。


「だが、善意を装って近づく者は面倒だ」


 それはもう、完全に嫉妬の言葉だった。


 アリアは息を呑む。

 ここまで静かな人なのに、こういう時だけ分かりやすすぎる。


「殿下は……」


 言いかけたところで、ふいにレオンハルトと目が合う。


 その視線の奥にあるものを見てしまった瞬間、アリアはようやく理解した。


 この人の静かな独占欲を見て、嬉しいと思っている。

 困る。恥ずかしい。落ち着かない。

 でもそれ以上に、嬉しい。


 その事実が、遅れて胸の奥へ落ちてくる。


 自分はもう、とっくにかなり深いところまで傾いているのかもしれない。


「何だ」


 レオンハルトが問い返す。


 アリアは少し迷い、それでも正直に言った。


「少しだけ、安心しました」


 ほんの短い言葉。

 だがレオンハルトは、その意味をきちんと受け取ったらしい。


「そうか」


 それだけ答える。

 けれど、その声音は先ほどよりわずかに柔らかかった。


 ユリウスが横で視線を逸らしながら、小さくため息をつく。


「わたくしは、そろそろ空気になった方がよろしいでしょうか」


「元からそうしていろ」


「手厳しいですね」


 そのやり取りに、アリアはとうとう小さく笑ってしまった。


 悪役令嬢の汚名を着せられ、婚約を切られ、泣くことも許されないような日々を越えてきた。

 その先で、自分がこんなふうに笑える日が来るとは思わなかった。


 嫉妬の炎は静かだ。

 けれど、その静かな熱が、自分の心にも確かに火を灯している。


 ただ守られるだけではない。

 ただ選ばれるだけでもない。

 自分もまた、少しずつこの人を選び始めているのだと、アリアはもう否定できなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ