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『悪役令嬢の汚名を着せられましたが、真実を知った皇太子殿下が離してくれません』  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第34話 近づく令嬢、離さない視線

 社交界の熱は、数日も経てば落ち着くのではないかと、アリアはどこかで期待していた。


 だが現実は逆だった。


 時間が経つほどに、人々は“偶然ではない”と確信を強めていく。

 第一皇太子が、あれほど公の場で一人の令嬢を隣に置いた。

 その事実は、王都の令嬢たちにとってあまりにも刺激が強すぎた。


 つまりアリアは今、ただ噂の中心にいるだけではない。

 明確な“障害物”としても見られ始めているのだ。


 その兆候は、学園の昼休みにすぐ現れた。


 今日は久しぶりに中庭へ出ようと、アリアとエレノアが回廊を歩いていた時のことだった。


 向こうから、三人の令嬢が連れ立ってやって来る。

 いずれも家格は高く、容姿も整い、普段なら自然と人が道をあけるような子たちだ。


 その先頭に立つのは、先日のサロンでも探りを入れてきた年長の侯爵令嬢。

 彼女はアリアを見つけるなり、柔らかな笑みを浮かべた。


「ルーヴェルト嬢、ご機嫌よう」


「ご機嫌よう」


「少しご一緒してもよろしいかしら。わたくし、皇太子殿下のことをいろいろ伺いたくて」


 あまりにも分かりやすい。


 エレノアがすぐに口を挟みそうになるのを、アリアは目で制した。


「何をお聞きになりたいのですか」


 静かに返すと、侯爵令嬢は扇を口元へ寄せながら言う。


「殿下はどのようなお花がお好きとか、どんな話題を好まれるとか……そういう、ささやかなことですわ」


「私も詳しくは存じません」


「まあ、ご謙遜を。あれほど近くにいらしたのに」


 その一言に、後ろの令嬢たちが小さく笑う。

 悪意を剥き出しにはしない。

 だが、“近くにいらした”という言い方の中に、嫉妬と探りが露骨に混ざっていた。


「晩餐会で隣席になっただけです」


 アリアがそう返すと、侯爵令嬢はわざとらしく首を傾げた。


「それだけで、ああも自然に扱われるものかしら」


 今度こそ、エレノアがにっこりと笑った。


「ええ、なりますわ。相手がルーヴェルト様なら」


 空気がぴんと張る。


 侯爵令嬢の笑みが少しだけ引きつった。

 エレノアもまた、ただの可愛らしい友人では終わらない。必要な時にはちゃんと棘を出す。


 そのやり取りをしていた時だった。


 回廊の向こうから複数の足音が近づいてくる。

 見るまでもなく分かった。

 空気の密度が変わる。


 レオンハルトだった。


 ユリウスと数人の随行を伴って、東棟側から歩いてくる。

 普段なら学園内でここまで目立つ動きはしない。

 だが今日は、むしろ目立つこと自体を気にしていないように見えた。


 侯爵令嬢たちの表情が変わる。

 あからさまに背筋を伸ばし、笑みを作り直す。


「レオンハルト殿下」


 彼女が一歩進み出ようとした、その瞬間だった。


 レオンハルトの視線は、最初からアリアしか見ていなかった。


「ここにいたか」


 その一言だけで、回廊の空気は凍る。


 アリアの胸も、ほんの少し強く打った。


「はい」


「探した」


 また短い言葉。

 だが、その言い方は妙に親密で、周囲の令嬢たちの顔色を変えるには十分だった。


 レオンハルトは侯爵令嬢たちへ形式的な礼もほとんどせず、アリアのすぐ近くで足を止める。


「少し時間をもらう」


 それは周囲への宣言だった。

 君たちの会話はここで終わりだ、と。


 侯爵令嬢の笑みが固まる。

 それでも彼女は貴族令嬢としての体面を保つために、どうにか微笑を作った。


「もちろんですわ、殿下。わたくしたちは、ただルーヴェルト嬢と少し……」


「そうか」


 レオンハルトはそれだけ返す。

 相手が誰であろうと、そこで話を広げる気が全くない。


 そして次の瞬間、ごく自然な動作でアリアの手首に近い位置へ指先を添え、彼女を自分の歩幅へ引き寄せた。


 強引ではない。

 だが、明らかに“こちら側へ置く”仕草だった。


 エレノアが一瞬だけ目を見開く。

 侯爵令嬢たちは完全に言葉を失っている。


 アリア自身も息を呑んだ。


 こんなに自然に、こんなに当然のように。

 それでいて、周囲から見れば充分に特別だと分かる距離。


 レオンハルトはそのまま歩き出しながら、低く言った。


「何を言われた」


「お花のお話です」


「花?」


「殿下のお好きなお花を教えてほしいと」


 レオンハルトの足が、ほんの一瞬だけ止まりかける。

 それから淡々と再び歩き出す。


「教える必要はない」


 その返答があまりにも即座で、アリアは思わず口元が緩みそうになった。


「そうですか」


「当然だ」


 横顔はいつも通り冷静だ。

 だが、その声色の端に微かな不機嫌が混じっている。


 静かな独占欲。

 そんな言葉がふと頭をよぎって、アリアは慌ててそれを振り払った。


 そんなふうに考えるべきではない。

 まだ。

 けれど、考えずにはいられないほど、分かりやすいのも事実だ。


「殿下は、少しお怒りですか」


 尋ねると、レオンハルトは前を向いたまま答える。


「面倒だと思っているだけだ」


「令嬢方が?」


「君の周りをうろつく連中が」


 その言い方が妙に率直で、アリアの胸がまた少し熱くなる。


「私はうろつかれているだけですのに」


「知っている」


「では、なぜ」


「鬱陶しいからだ」


 それだけの理由ではないだろうと、今のアリアには分かる。

 けれどレオンハルトはそれ以上を言わない。

 そして、その言わないまま行動で示してしまうところが、この人らしい。


 中庭の奥、人気の少ない回廊まで来たところで、レオンハルトはようやく足を止めた。


「今後もしばらく、ああいうのは増える」


「ええ、でしょうね」


「気にするなと言っても無理だろうが、まともに相手をする必要はない」


 アリアは静かに頷く。


「でも、逃げるばかりでは駄目でしょう?」


「逃げろとは言っていない」


 レオンハルトは視線を向ける。


「君が答えたい相手にだけ答えればいい」


 その一言に、アリアは少しだけ目を見開いた。


 答えたい相手にだけ。

 それは当たり前のようでいて、今までの自分にはなかった発想だった。


 公爵令嬢として、婚約者の相手として、周囲にどう見られるかばかりを考えてきた。

 誰にどう返すべきか、家格に応じた礼をどう保つべきか。

 そういうことしか知らなかった。


 けれど今、目の前の人は言う。

 自分の意志で選べ、と。


「……少し、楽になります」


 素直にそう言うと、レオンハルトはほんのわずかに目を細めた。


「なら覚えておけ」


「はい」


「君は、もう誰にでも愛想よくする必要はない」


 その言葉は、アリアの胸へ深く落ちた。


 誰にでも愛想よく。

 出来なかったからこそ、ずっと誤解されてきた。

 出来ない自分は、どこか欠陥なのだと思ってきた。

 だが彼は、それを欠陥とは言わない。


 必要はない。

 ただ、君は君でいればいい。


 そう言われた気がした。


 戻る途中、遠くからこちらを見ていた令嬢たちが、一斉に目を逸らすのが見えた。

 さっきの侯爵令嬢たちも、もう近くにはいない。


 レオンハルトは何も言わなかった。

 けれど、その視線が“当然だ”と言っているようで、アリアは妙に可笑しくなる。


「殿下」


「何だ」


「本当に、少し分かりやすすぎます」


 思い切って言ってみると、レオンハルトは一拍置いた。


「誰に似た」


 その返しに、アリアはつい笑ってしまう。

 以前なら考えられなかったことだ。

 学園の回廊で、皇太子を前にして、こうして自然に笑うなんて。


 近づく令嬢たち。

 離さない視線。

 そのどちらも、今の自分がもう“ただの元婚約者”ではいられないことを示していた。


 そしてアリアは、そんな状況の中で少しずつ理解し始めている。


 この人の隣は、ただ守られるだけの場所ではない。

 選ばれた者として、そして自分でも選び返さなければならない場所なのだと。

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