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『悪役令嬢の汚名を着せられましたが、真実を知った皇太子殿下が離してくれません』  作者: 御上常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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第16話 皇太子殿下は、もう離さない

 数日後の夕方、レオンハルトから再び呼び出されたアリアは、小会議室へ入った瞬間、空気の違いを感じ取った。


 重くはない。

 だが、決定的な何かがあった後の静けさだった。


 レオンハルトは立ったまま窓辺におり、ユリウスは机上の書類を一つにまとめている。二人の表情から、事態が大きく動いたのだと分かる。


「何か、分かったのですね」


 アリアが問うと、ユリウスが先に答えた。


「ええ。ようやく、“指示役”の輪郭が見えました」


 心臓が一つ大きく鳴る。


「ベアトリス・フォン・エーデルハイム侯爵令嬢です」


 その名は、ほとんど予想通りだった。

 それでも実際に告げられると、胸の内で何かが冷たく定まる。


「理由は……」


「複合的です」


 ユリウスは淡々と説明した。


「一つは、第二王子妃候補の座に近づきたかったこと。もう一つは、ローゼン嬢を前へ出して混乱を作ることで、自分は安全な位置から影響力を得られると踏んだこと」


「ミレイユさんは」


 アリアは息を詰めた。


「どこまで関わっているのですか」


 レオンハルトがそこで口を開く。


「完全な被害者ではない」


 低く、はっきりした声。


「だが、全ての設計者でもない」


 アリアは目を閉じかけ、寸前でこらえた。


 そうか。

 やはり、そういう形だったのだ。


 ミレイユはただ操られたわけではない。けれど、すべてを一人で回したわけでもない。

 その中途半端さが、かえって現実味を持って胸へ落ちてくる。


「ローゼン嬢は、自分が守られる立場であることを理解し、利用した。一方で、侯爵令嬢側はそれをさらに利用した」


 ユリウスの説明は明快だった。


「そして第二王子殿下は、その都合の良い舞台に乗った」


 その一言に、アリアの胸がまた静かに痛む。


 だが今は、以前のような鋭い痛みではない。傷跡を指でなぞるような鈍い痛みだ。まだ消えない。けれど、自分を倒すほどではない。


「今後ですが」


 ユリウスは書類を机に置いた。


「まずは学園側へ、証言の不自然さと手紙の偽装について正式に提示します。侯爵家へも内々に通達が行くでしょう。社交界には、既に別の形で情報が回り始めています」


 つまり、向こうはもう逃げ切れない。


 アリアはそう理解した。

 夜会で自分を断罪した、あの完璧に見えた舞台は、いまや内側から崩れている。


「……私の名誉は、戻るのでしょうか」


 問うた自分の声は、思った以上に静かだった。


 レオンハルトは即答しなかった。少しだけ考え、それから告げる。


「全てが元通りにはならない」


 アリアはその言葉を真っ直ぐ受け止めた。


「噂は一度広がれば残る。婚約破棄の事実も消えない。だが、“悪役令嬢”という汚名だけは切り離せる」


 それは甘い慰めではなかった。

 だが、だからこそ信じられる。


 アリアは小さく頷いた。


「それで十分です」


 本当にそう思えた。

 何もなかった頃へ戻ることはできない。

 けれど、歪められた自分をそのままにして終わるのだけは嫌だった。


 沈黙が落ちる。


 その静けさの中で、レオンハルトがゆっくりとアリアへ歩み寄ってきた。彼の足音は静かで、それなのに妙に意識を奪う。


「君は、この先どうしたい」


 突然の問いだった。


「どうしたい、とは」


「婚約は解消される。社交界での立ち位置も変わる。学園でも以前と同じには戻らない」


 淡々と並べられる現実。

 だがそこには、ただ状況を説明する以上の意味があった。


「その上で、君自身はどうする」


 アリアは少し黙った。


 どうする。

 今までなら、家のため、婚約のため、王家のため――そういう答えしか持たなかった。

 だが今は違う。


「……自分の足で立ちたいです」


 言葉にしてみると、不思議としっくり来た。


「誰かの婚約者としてではなく、誰かの都合の良い悪役としてでもなく……私自身として」


 レオンハルトの目が、ほんの少しだけ細められる。


「そうか」


 その反応だけでは、どう受け取られたのか分からない。けれど、否定ではないのだと分かる。


 アリアはさらに続けた。


「でも、まだ怖いです。噂も残るでしょうし、何より……また同じことが起きたらと思うと」


 そこまで言って、少しだけ視線を落とした。


 強くありたい。

 けれど、本当はまだ怖い。

 それを口にするのは恥ずかしかった。だが今の自分には、もう取り繕う意味がない。


 レオンハルトは静かにその言葉を聞き、それから低く言った。


「同じことは起こさせない」


 アリアは息を呑む。


 彼はもう一歩近づいた。圧迫するほどではない。だが、公的な距離よりは明らかに近い。


「君がどう立つかを決めるのは君だ。だが、その前にまた誰かが好き勝手な物語を作ろうとするなら、私が潰す」


 その声には、これまでのような冷静な理だけではない、別の硬さがあった。


 守る。

 そう明言しているのと同じだった。


「殿下……」


「勘違いするな。私は情だけで動いているわけではない」


 すぐにそう付け足すあたりが、いかにも彼らしい。けれど、その一言で冷たくはならなかった。むしろ、感情を制御しようとしているように聞こえてしまう。


 アリアの胸が、妙に落ち着かない熱を帯びる。


 レオンハルトはさらに言った。


「だが、君をこれ以上、都合よく傷つけさせるつもりはない」


 その瞬間、アリアははっきりと気づいてしまった。


 この人の言葉は、ただの義務ではない。

 少なくとも、もうそれだけではない。


 理で始まったものが、今は少しだけ別の色を帯び始めている。


 それが自分の思い上がりであってほしくないと思う一方で、そうだったらいいのにと願ってしまう自分もいる。その矛盾が、胸の奥を熱くする。


 沈黙を破ったのは、ユリウスだった。


「……殿下」


 わずかに呆れを含んだ声。振り返ると、彼は目を細めていた。


「そろそろ、わたくしは席を外した方がよろしいでしょうか」


 レオンハルトが珍しく、ほんの少しだけ表情を険しくした。


「余計なことを言うな」


「承知しております。ただ、あまりにも分かりやすくなっておられますので」


 そのやり取りに、アリアの頬が一気に熱くなる。


 分かりやすい。

 何が。

 聞かなくても分かってしまう気がして、余計に顔を上げられない。


 レオンハルトは一つ息を吐き、ユリウスへ視線で下がるよう促した。側近は心得たように一礼し、あっさりと部屋を出ていく。


 扉が閉まると、室内は急に静かになった。


 アリアは自分の心音がやけに大きく聞こえる気がした。


「……すまない」


 意外なことに、先に口を開いたのはレオンハルトだった。


「何に対して、ですか」


「余計なことを気にさせた」


 その言葉に、アリアはようやく顔を上げる。


 レオンハルトはいつものように完璧に落ち着いて見える。けれど、その目だけは少しだけ困ったようにも見えた。


「気に、いたします」


 正直に言うしかなかった。


 すると彼はほんの短く沈黙し、それから静かに告げた。


「なら、いずれきちんと言う」


 胸が大きく跳ねる。


 何を。

 聞くまでもないほど、その先を期待してしまう自分がいる。


 だが彼はそれ以上は言わなかった。あくまで今はここまでだという線引きが、その言葉の端にあった。


「今はまだ、君の名誉を戻す方が先だ」


 アリアは小さく息を吐いた。


 そうだ。

 今はまだそこなのだ。

 けれど、その先があると言われたことが、どうしようもなく嬉しかった。


「はい」


 それだけ答えると、レオンハルトは最後にもう一度、はっきりと言った。


「君はもう、一人で耐えなくていい」


 その言葉が決定打だった。


 アリアはここ数日ずっと保っていたものが、少しだけ溶けるのを感じた。泣くつもりはなかった。けれど目の奥が熱くなるのを止められない。


 それを見たレオンハルトは、慌てるでも慰めるでもなく、ただそっとハンカチを差し出した。


「泣くならここで泣け」


 あまりにも不器用で、あまりにも優しい言い方だった。


 アリアはそのハンカチを受け取り、小さく笑ってしまう。涙が滲む中で笑うなんて、きっとひどい顔だろう。


「……命令ですか」


「そうだ」


「横暴です」


「今さらだな」


 その短いやり取りが、ひどく愛おしく感じられた。


 悪役令嬢の汚名を着せられたあの日、自分は全てを失ったと思った。

 けれど、その終わりの先に、こんなふうに手を差し伸べてくれる人がいるとは想像もしていなかった。


 守られることに慣れていない令嬢は、この時ようやく理解する。


 これは同情ではない。

 ただの正義感でもない。

 そしてもう、単なる義務でもない。


 皇太子殿下は、きっと本当に――もう離すつもりがないのだ。

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