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68話 怒り

 リディアはそっとカズトの右手に自分の手を重ねる。

 その手は武器を握る冒険者の手ではない。とても綺麗であり、それでいて男らしくゴツゴツしている。

 そんな彼の手を幸せそうに撫でていると、その中でも異様に硬い部分があった。



(これは……どうしたんだろう?)



 それはカズトの中指の第一関節にある、いわゆるペンだこというやつだ。

 これはカズトが地球にいたときにはひたすら大学受験の勉強をしていたためについたものである。

 そうしてリディアがカズトの手を撫でているとカズトの体がピクリと動き、やがて目を開けた。



「んん……。あ、リディアさん、おはよう。……えっと、これは?」



 そして自分の手にリディアの手が重ねられていることに気づいたカズトは困惑しながらも彼女の顔を見る。

 しかしリディアはその質問に答えることなく顔を赤らめたままだ。

 すると彼女はカズトの手を触りながら質問した。



「カズト君、ここどうしたの?」



 そう言ってリディアはカズトのペンだこを撫でながら聞く。

 するとカズトはややくすぐったそうにしながら口を開いた。



「これはペンだこだよ。シャーペン……じゃなくて、えっと、羽ペンで文字を書きすぎるとこうなるんだよ」

「そうなんだ。槍を握ってたらできる豆みたいなもの?」

「そうそう。それと同じようなものだよ。って、普通に体起こしてるから忘れてたけど、リディアさんは大丈夫なの?」



 カズトにしてみれば、最初から手を触られており、それに動揺しつつもペンだこについて聞かれた。

 その上リディアは痛みを感じている様子など一切なくカズトと接していたため、彼は彼女が怪我をしていることを忘れかけていた。

 そんな彼の質問に対してリディアは首を縦に振る。



「うん。まだ痛みはあるけど、これぐらいなら平気」

「そっか、それはよかった。でも念の為痛みが完全になくなるまで治癒魔法をかけるよ。だからベッドに寝ころんでて」

「……わかった」



 リディアからしてみれば今自分が感じている痛みの程度なら、動くことに支障はない。

 それはこれまで数多の魔物との戦いをくぐり抜けてきた経験則から来るものだ。

 そのため大丈夫だと言おうとしたのだが、彼女はカズトに心配されているということに喜びを感じ、素直にその言葉に従った。

 それからカズトは一度時間を見て、まだ日が出始めたばかりだということを確認すると、リディアに治癒魔法を使う。

 その間二人は何気ない話しをしていたのだが、リディアは終始幸せそうであった。







 彼らがしばらくの間そうしていると、大箱の出入り口がノックされた。

 カズトが一旦治癒魔法をかけるのを止め、扉をひらく。

 するとそこにはブランドンが立っていた。



「ブランドンさん、おはようございます」

「おはようございます、カズト様。雷霊の具合はどうですか?」

「大分良くなったようです。今日一日もあれば完全に治ると思いますよ」

「なんと! 暴風の宴と大地の目覚めのリーダーからカズト様の治癒魔法の腕は聞いておりましたが、まさかそこまでとは!」



 ブランドンは昨日の内にカルロスとダニーからリディアがどうなったのかということと、カズトが彼女を救ったことを聞いていたらしい。

 しかしそれでも一晩でそこまで回復しているとは思わなかったのだろう。ブランドンは目を見開いて驚いている。

 それから彼は少しの間その場で考え込む様子を見せた後、口を開いた。



「それでは今日行う予定でしたアンファングアントの討伐は明日にしましょう。ですのでカズト様はどうか雷霊の治療に専念していただけないでしょうか」

「それはもちろん構わないですけど……アンファングアントの討伐を明日に変更するのは、もしかしてリディアさんを戦力に加えるためですか」



 ブランドンのその言葉を聞いて、カズトは無意識のうちに声を低くし、眼差しを鋭くする。

 しかしブランドンはこればかりは譲れないとばかりに口を開いた。



「その通りです。なにせ今この街にはまだランクAとランクSの魔物がのさばっているのです。それらの魔物を倒すには雷霊の力が必須であることは明らかでしょう」

「それは分かります。しかしリディアさんの体が治ったとしても、明日それを実行するのは急過ぎではないですか? せめて一週間くらいの休養はーー」

「私は大丈夫、です。気にしないで、ください」



 カズトがブランドンに向かって剣呑か雰囲気を発しながらそう言うと、その言葉を遮るようにリディアが声をかけた。

 敬語で話しているのはこの場にブランドンがいるからだろう。

 するとその言葉を引き継ぐようにブランドンは口を開く。



「カズト様のお気持ちは分かります。しかし今この街にはアリの魔物を生み出し続けるアンファングアントがいるのです。もしこれ以上やつに時間を与えれば、さらに魔物の戦力が増え手を着けられなくなるでしょう。その前に奴を迅速に叩く必要があるのです」



 それからブランドンは苦々しい顔をしながら言葉を続ける。



「それに夜中の間に魔物の偵察に向かわせた者達からの情報によれば、アンファングアントの周りには既にランクAのキングアントが三匹もいます。つまりアンファングアントはスタンピードが発生してから一週間で、カズト様と雷霊が倒したマーレジャイアントと同じランクAの魔物を三匹も生み出したのです。これ以上奴らに時間を与えればさらにアンファングアントの討伐を果たせる可能性が低くなります」



 ランクAのキングアントが一週間で三匹も生み出されているということは、二日と少しでマーレジャイアント級の魔物が生み出されているということだ。

 さらに言えば、ランクBやランクC以下の魔物はそれ以上のスピードで増え続けている。

 そのため本音を言えばブランドンは半日でも時間を空けたく無いのだが、リディアが戦力となる事を考えて泣く泣く一日を空けたのだ。

 これ以上無いほどの譲歩と言えるだろう。

 それを理解したカズトは言い返せる言葉を失い、唇を噛み締める。



「分かり、ました。全力でリディアさんに治癒魔法を施し、一秒でも長く休ませることができるように努力します……」

「ありがとうございます。しかしこんな事を言った後で言うのもどうかと思いますが、カズト様もしっかりと休養なさってください。情けない事ですが、私共は雷霊だけでなくカズト様のお力も必要なのです」

「分かりました。それでは自分はこれからリディアさんに治癒魔法を施しますから、これで」

「承知しました。ご協力、感謝いたします」



 そう言ってブランドンは頭を下げて帰って行った。

 カズトもまたその後ろ姿を見てから扉を閉める。

 それからカズトはリディアに何も話しかけることなく治癒魔法をかけ始めた。

 そして彼は口を堅く結ぶ。そこには悔しさや不満、怒りといった負の感情が浮かんでいた。



(僕のせいだ。リディアさんをすぐに治せないことも、そもそもこんな状態にさせてしまったのも。僕には余りある魔力があるのに、魔力制御の技量が足りないがためにリディアさんを傷つけた。無理をさせることになってしまった。もっと、もっと僕が、もっと僕が強ければ! もっと魔力制御の技量を高めていれば! こんな事にはならなかったのに!)



 昨日はリディアを助けることだけに集中していたため、怒りを感じる暇などなかった。

 しかしこうして心に余裕ができ、なおかつリディアに無理をさせてしまうことになると、彼はこれまで感じたことが無いほど、自分の弱さに怒りを覚えた。

 たしかに魔人と戦ったとき、ダイアナやメイベルに治癒魔法をかけたときに魔力制御の技量が低いがために自身の無力さを感じたことはあったが、あの時はカズトにとって彼らはあくまで依頼人であった。

 しかしリディアは違う。

 彼女はパーティーメンバーであり、自分のことを好いてくれている大切な女性なのだ。

 そんな女性をあわや失いかけたのだ。

 カズトが感じている自身の魔力制御の技量の低さに対する怒りは並々ならぬものである。

 するとそんな彼をみたリディアが口を開いた。

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