休み時間
*【休み時間】 *
「ひどいじゃないかぁっ」
涙まじりに非難する僕に、椎はカラカラと笑いながら答えた。
「しょうがないだろ。誰だって一番可愛いのは自分自身さ。なのにおまえさんは、自分自身よりも他人であるあんたを優先するべきだったって言ってるのかい?」
いい子いい子、と僕の髪をあやすように触る椎の横で、僕はグデッと机に突っ伏していた。
「げ、元気出してよ、ジェイ。ジェイが悪いんじゃないんだから」
「啓……」
椎とは対照的に心配そうな声でいたわりの言葉をかけてくれたのは、幼なじみの啓だった。
「今までの事はともかく、今回はジェイが受信したんじゃないんでしょ?」
「うん……」
これまで十個もの『受信』を経験し、その度恥ずかしい試練に耐えてきたが、さすがにあのお題の受信は無理だ。
「だったらやっぱりジェイは悪くないよ。さっき先生がお題を書いちゃったのも、ジェイが悪いんじゃなくて、間が悪かっただけなんだから。だから元気出してよ。ね?」
「本当にそうかね?」
椎は僕の髪を梳きながら、からかいの色をにじませた目を僕に向け、
「世界を敵に回しても君を守る」
囁くように僕の耳元で、さっきのお題を繰り返した。
うおっ、なんか顔がほてるっ、耳こそばゆっ。
「このクラスん中でお題同様『君』なんて呼び方を使うのは、さて誰々だったっけねぇ?」
グシグシと折り曲げた指の節で耳を擦っていた僕は、不承不承答えた。
「…………僕」
今更隠しようもないので、正直に。どうせ椎はわかってて言ってんだし。
「あ、僕もだ……」
ぽろりともらした啓も、そうだったね。啓はそこそこ親しい人に対してなら『君』呼びしてる。
「あ、でも僕、違うよ!?」
啓はあたふたと両手を振って否定した。
「違うのかい? あんたにゃ『守りたい』大切なやつは、いないのかい?」
椎が意地悪なニヤッとした笑みを啓に向ける。
「そう、たとえばそいつになんかあったら世界を敵に回してでも守ってやりたいと思うような、ね」
椎はどうやらわざと質問の意味を横滑りさせているようだ。
「え……。え、と……」
赤くなった啓は、机の上の筆箱のチャックを無意味に開閉していた。
「ん? 啓、ほんとにそんな人、いるの?」
すぐに否定しなかった啓に、ちょっと意外だなぁって思った。
「え、えと、あの……」
言い淀む啓をじいっと見ていると、ますます赤くなった。
「即答できないってことは、『そこそこ大切なやつはいるけど、それほど真剣じゃない』ってことかね?」
椎は意地悪そうな笑みのまま、啓に顔を近づけた。
「ち、違うよっ」
耳まで真っ赤になった啓は、その椎から距離を取りつつ、口の中で何かもごもご言っていた。
うーん、幼なじみが困ってるようだから、助け船を出してみるか。さっき慰めてくれたし。
「ま、そんなことどうでもいいじゃない。啓は『受信』なんて無茶な真似するタイプじゃないし、犯人から除外していいと思うから、あんまり詮索しないであげようよ」
実際、啓に『守りたい大切な人』がいたとしても、みんなの迷惑になる『受信』はさすがにしないと思うし。気が弱いけどお人よしな啓は、他人を傷つけることにつながりかねないようなことを、自分の都合のためにはできないと思う。
ところが啓は、「『そんなことどうでもいい』、って……、ジェイ……、ひ、ひど……」と、ひどくショックを受けたような顔になっていた。なんでだろ? フォローしたのに。
「だってそうだろ? それとも君が犯人なわけ?」
「いや、違うけど……でも……」
「だよね。犯人じゃなくて被害者には度々なってるというかならせてるけど」
たとえば前々回僕が『お題受信』をした時のこと。
『犯人』としてこの世界に招きよせた『お題』は『煙草とチョコとハードボイルド』だった。
最初は『一日くらいサングラスかけてシガレットチョコを口に加えてればお題達成になるだろう。ちょろいちょろい』と甘く見ていたんだが、『そのシガレットチョコを口にくわえていた僕の近くの席に座っていたクラスメイト達(啓含む)がハードボイルドっぽい濃い顔になってしまう』という悲劇が起こり、僕は彼らに平謝りしながら泣く泣く『お題』を『返還』したのだった。
いやぁ……、啓にあの濃い顔で涙目になられた時は怖かった。ほんとごめん。
で、なんでそういう現象が起こるかというと。
眼鏡曰く、僕たちのいるこの場所はすごく曖昧なところに位置していて、僕たちを生み出した作者の人たちの意識の片隅にも通じているらしいのだ。そんな立地条件なせいで、この世界は『このテーマで何か書けるんなら書いてみればぁ?』と挑発してくる『お題』なるものに、過剰反応する傾向がある。
一たびお題が投下されれば、世界はお題の達成に向けて一斉に動き出してしまうのだ。
だから僕らは、この世界を瓦解させかねない危険な『お題受信』を禁止されている。
それにも関わらず受信する人が後を絶たないのは、『その行為が自分を生んだ作者の意識に影響を及ぼして、作者がもう一度筆を執り、物語の続きを書いてくれるかもしれない』と期待しているからだ。
ほんのわずかにだけどつながっているから、もしかしたらこのお題受信をすることによって触発された作者の人が、『評価されなくてやる気失くしてたけど、もう一度小説を書いてみようかな』と思うかもしれないのだ。
だって、書き手って、『お題』を与えられたら無性にチャレンジしてみたくなるものなんでしょう? 書くってこと、それ自体が楽しくてしょうがないものなんでしょう? 歯ブラシくわえたままキーボード打っちゃうくらい好きなんでしょう?
だからその『楽しいんだ』ってことを思い出して、それであわよくば、『あのお題であの作品の続きを書いてみよう』と思い直してくれるかもしれないと、夢見ているんだ。
そしてもしそうなれば、僕たちはもう一度あの世界に帰れるかもしれない。もう一度、自分たちが生きていたあの世界――自分の家に、帰れるかもしれない。だから僕たちは、禁止されているにも関わらず、度々お題受信を試みるのだ。
でもその行為は危険を伴うものでもあった。この学校がある場所は不安定で、様々なものに影響を受けやすくて、そして影響を与えやすい。今あるもののバランスを崩すと、その先どうなるかわからない。
だから、啓ならきっと、そんなことしない。僕みたいな自分勝手にはならない。きっと。
「だがねジェイ、被害者が加害者に回るってのはそれほど珍しいことじゃないぜ?」
ん?
「案外ね、啓みたく一見小物なやつほど、潜在意識だのトラウマだの秘めたる力だのを総動員して『世界』をぽーんと変えちまうのさ。そこに『大切な幼なじみの少女を守るため』って免罪符がつくんならもう無敵さね」
「それ、守られる対象が僕ってこと?」
確かに啓なら、自分自身のためじゃなくって友だちのためにって方がありそうだけど。
でも僕、ヒロインって柄でもないしなぁ……。
「だいたい『幼なじみ』なら、啓と兄さんだってそうだよ」
兄は美形だ。修辞句を思いつかないほどの美形だ。男の人だけど、僕なんかより、よっぽど『ヒロイン』にふさわしい美しさだ。ラノベキャラだから、と言ってしまうとみもふたもないが、この学校には美形な人が多い。でも、やっぱり僕はその中でも兄が一番だと思う。
「お兄ちゃんが『ヒロイン』か…………」
【僕が「ヒロイン」である兄を守る】
……それはぜひとも実行してみたいお題達成の方法かも……。
【任せてよお兄ちゃん! 世界なんかいっくらでも敵に回せるよ!? お兄ちゃんは絶対に僕が守るんだから!!】と張り切って請け負っている僕の姿が目に浮かんだ。それはもう活き活きと。
「な、なに言ってんの、ジェイ!? なんで僕がエルを守らなきゃいけないの!? ありえないよっ、やめてよ、気持ち悪い!!」
僕の言葉を誤解した啓が、かなりの拒絶反応を示して叫んでいた。
エルとはヒロイン――もとい僕の兄の名だ。普段は優等生な兄なのだが、唯一幼なじみである啓に対してだけは遠慮なく女王様な態度を全開にしている。常日頃からからかわれ意地悪されまくっている啓は、だいぶ鬱積しているようだ。でもそれって親愛の裏返しだと思うから、ちょっとうらやましかったり。
「確かに姫さんの美貌は半端ないからねぇ。男だがヒロインの素質は十分だろうよ」
椎は、主に啓に対する嫌がらせ目的でだろう、納得したように頷きながら言った。
ちなみに彼女は、本人が傍にいない時限定だが、今のように兄のことを『姫さん』と呼ぶことがある。そこには多少からかいのニュアンスが含まれているが、完全な悪意からではないので、まあ許容範囲。
「ふむ。啓が主人公として、エルが守られるヒロインである『君』なら、じゃあ『敵』認定される『世界』には何が当てはまるかね」
お題っていうのはだいたいそうだけど、今回のもかなり抽象的だ。よって、こじつけの解釈がわりと容易に成り立つ。例えば、自分には絶対逆らえないすごく厳格な父親とか。その人にとっては誰か一人の人が『世界』そのものになることだってありえるのだ。だから、
「『世界』を誰か特定の人と仮定するなら、そりゃ考えるまでもなくやつだろうけど」
あの凶眼の魔王以上のはまり役はいないもん。いかにもこの世界を牛耳ってそうな悪役なツラしてるし。うん、討伐の際にはぜひとも勇者御一行に加えていただこう。
――と、僕が楽しい妄想に耽っていると、
「ね、ねえ、二人とも、もうそのへんにしとこうよ」
「ほいよ」「うん、わかってるわかってる」
さすがにこれ以上声に出すのは自重する。この世界が僕の解釈を聞きつけて採用し、本当に実現されたらさすがに困るもの。
万が一眼鏡が『敵』として倒されていなくなったりしたら、廃校の危機だ。そんなことになったら僕たちはまた居場所を失ってしまう。あんな心細いのは、もう嫌だ。何もかも抜け落ちて、漂うだけの存在だったあの頃。
僕はちらっと眼だけ動かして兄を見た。授業中と同じ位置。教卓の前の席に着いたまま、隣の席の男子と談笑している。あの頃とは違い、その瞳に感情の色がある。穏やかに、微笑んでくれている。
あの人が笑っていてくれるなら、それが僕の幸せ。他には何もいらない。だからどうか。
どうかこの時がいつまでも、続きますように。




