一時間目 後半
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回想を終えて意識を現在に戻すと、僕たちをこのへんてこな世界に連れて来た張本人の眼鏡が、まだなんかくっちゃべっていた。
「それに私は普段はあなたのことをちゃんと名前で呼んで差し上げているはずです」
ああ、まだその話題続いてたのか。こだわるやつめ。
「それにもかかわらずあなたは『眼鏡教師』だの『THE/眼鏡』だの、私のことをずいぶん好き勝手に呼んでくださっていますよね」
そういやこいつ、今までに一度も自分の名前を名乗ってないんだよな。この世界に連れてこられた時に、『これからは私があなたたちの担任になります』って言っただけだ。だからだいたいの人たちはこいつのこと『先生』って呼んでいる。ここまでかたくなに教えようとしないとは、よっぽど変な名前だからなんだろうか。虎と馬が大挙して押し寄せてくるくらいの。
「あなた、私が明日からでもコンタクトに変えてきたらどうするつもりですか」
『THE/眼鏡』は、顎をぐいと上げている僕の顔を更に上から見下すような傲岸な視線だった。
「そうだな。やはり無難に『凶眼の魔王』あたりを採用することになるだろうか」
凶眼うんぬんは長いしイマイチ感が拭えないんだが、こいつの目つきの悪さは特筆すべきものがあるからな。ならばいっそ『魔王』と縮めてしまったら呼びやすいのだろうが、なんかそれはかっこいいので却下だ。なぜ僕がやつを褒めねばならん。
「私の眼球周辺の事情を強調していただかなくともけっこうです。なぜ素直に先生と呼べないんですか」
まったくあなたは――、と溜息を吐いた眼鏡は、軽く頭を振ってから仕切りなおした。
「そんな世迷い言に付き合っている暇は私にはありません。それこそ時間がもったいないです」
眼鏡は再度チョークを取り上げ、スナップを利かせた右手で扉をノックするようにチョークの先を黒板に打ちつけた。それは最初に書いた(《 )の右横だった。
・
《
↑ こんな感じ。
始め二重山括弧(《 )の横にできた白い点が目を引いた。
「話を戻しましょう。お題について、です」
うお、そうだった。僕はお題受信の犯人の嫌疑をかけられているんだった――。
「僕は違うぞっ。濡れ衣だっ。生徒を安易に疑うなんて、それでも教育者かよっ」
「今までに二度三度どころか両手の指の数だけ受信してきた人の否定の言葉を信じろと? ずいぶんな無茶を要求してくださいますね」
う――。
「『二度あることは三度あると言いますからねぇ……』とあなたを問い詰めた過去の場景が懐かしく思い起こされますよ。あなたが三度目のお題受信をしたあの時、私はあなたをまだ『疑う』程度に留めていたんですよ? ですが今は、『確信』以外持ち合わせていません」
うう――。なんか全面的に僕が悪いような気がしてきた。
え、もしかして眼鏡の言うとおり、今回も僕が犯人だったりする?
どうしよう、もしあまりにお題受信しすぎて、受信してても気がつかない、なんてことになってたとしたら――。
「まあまあ、ちょいと待ちなよ、先生や。おまえさん、決めつけすぎじゃないかい?」
僕が『冤罪にも関わらず自分が犯人だったのかもしれないと揺らいできている取り調べられ中の被疑者』のように、自身の心にすら追い詰められようとしていた時、天の声が響いた。
光のごとく降り注いだのは、女の子にしてはハスキーな声。
「椎~」
右隣に座る彼女は、泣きつく僕に片手を伸ばし、「よしよし」と頭を撫でてくれた。
「おまえさんの生徒はこの子だけかい? 前科持ちなら他にもいるじゃないかい」
椎は左目を心持ち眇め、右の口の端を軽く上げて「えこひいきはいただけないね」と、シニカルに笑った。ひいきされた覚えは全くないのだが。
「えこひいきのつもりはありませんでしたが、あなたの主張はわかりました。もし九割九分この人が犯人だとしても」
眼鏡は『この人』の箇所で失礼にも顎で僕を示しながら椎に答えた。
「残りの一分をはなから無視する、という姿勢は確かに改めるべきでしょう。――ではあなたは? 椎さん」
椎に向き直り、冷めたお好み焼きの鉄板みたいな真っ直ぐで黒い眼差しを彼女に向けた。
「あたしかい? 残念だが、あたしにゃ今んとこ、『お題受信』に心当たりはない。だいたいおまえさん、まだ今回のお題の内容すら言ってないじゃないかい」
そういやそうだ。かんじんの中身を聞いていない。さすがに僕だって、自分が受信したお題の中身を知らないでい続けるなんて不可能だろう。(……だと思う。たぶん)
「そうだよ、お題を言えよ。これじゃ何を盗んだのかもわからないのに泥棒扱いされてる怪盗みたいじゃないか」
椎の援護射撃を受け、勢いづく僕。
「おまえ、さっき黒板にお題を書きかけてたんだろ。もったいぶってないでさっさと最後まで書いちゃえよ。だいたい、真っ先にお題の干渉を受ける僕たちがそのお題の中身を知らないままでいるなんて変だよ。危ないだろ」
お題の内容は、受信者だけでなく、僕たちクラスの全員に干渉する可能性がある。正確なお題を知らないんじゃ、たとえ自分自身の心が改変されてたとしても気付かないでいるかもしれない。
「あなたにしては正当な主張ですね」
頷きながら眼鏡が言った。
あれ? な、何か今一瞬、眼鏡の目の中を不穏な光がよぎったような?
眼鏡の口調にもじゃっかんのひっかかりを覚えたのだが……、気のせいだろうか。
う・・・・・・ん、まあいい。それよりも、チョークを握ったやつの手元に注視。やっと書く気になったようだ。ようやくお題の全貌が明かされるのだ。
ごくっと喉の鳴る音。そして――。
カッ。
《 世
始め二重山括弧の後に、白の文字が刻まれていく。
カッ。
《 世界を
ゲ。
「「「『世界』!?」」」
「「「な!! せ、『世界』だと!? まさか――――」」」
鉤括弧(「」)の嵐になった。特定の声のみが響いていた教室がにわかに騒然とする。
カッ。
《 世界を敵に
「ス、ストーーーーップ!」
喉も嗄れよとばかりに僕は叫んでいた。だが眼鏡の手は止まらない。
カッ。
《 世界を敵に回しても
目を塞ぎ耳を塞ぎ激しく首を振る者がいた。
それでも足らずに五体投地のように床に身を投げ出し一切を拒絶する者たちがいた。
だが眼鏡の節くれだった指先は情け容赦なく黒板の上を舞い踊り、――。
カッ。
《 世界を敵に回しても君を
――なんかひたっちゃってる系のワーズを、臆面もなく衆目に晒していく。
「「「「『君』キターーー!!」」」」
「「『セカイ』バーサス『きみとぼく』!」
「まちがいない! セカイ系だああ!!!」
「『セカイ系』って、物語の主人公の少年少女たちの精神が世界の危機とか世界の存続とかに直結してるってやつ?」
「おおざっぱに言えばな!」
「なんか勝手に『世界』が敵に回されてる!? たぶん『世界』濡れ衣だよ!」
「『君』たちが思うほど『世界』は『君』たちの事なんか気にかけてないよ!!??」
「もうやめてあげてえええ!」
「いや、まだだ! まだ先生は最後まで書き終わっていない! 皆の者、まだ救いの道は残されているぞ!」
「「「――お、おお!」」」
カッ。
《 世界を敵に回しても君を守る 》
無情にも、終わり二重山括弧(》)で締めくくられたお題が、そこにはあった。
体から力が抜けていく。
書き終え用済みになったチョークを置き、指先に付着した粉を拭い――そうして振り向いたやつの口には、口角を吊り上げるような邪悪な笑みが浮かんでいた。それはまさに、魔王という呼び名にふさわしい――。
「――お題を書かずにいたのは、私の最後の情けでした」
救いの道を閉ざされガクリと膝をつく僕たちに、やつは言った。
「私は、言いましたよね? 『犯人は、この場で名乗り出なさい。今ならまだ許してさしあげます』、と」
ああ、言ったな――。今ならわかる――。あれは、『今ならまだ(この厨的な恥ずかしいお題を自ら望んで受信したことを他の皆に知らせるのを)許してやる』と――、そういう意味だったんだ。……なんて、ことだ……。
「さて、一つ確認したいことがあるのですが」
含みを持った眼鏡の言葉に、僕たちはのろのろと顔を上げた。
「『お題を書け』と、そう私に言ったのは、どなたでしたっけ?」
ぶるり。僕の背中をうそ寒い冷気が這い上った。三百六十度、ぐるり周囲から視線が刃となって僕に突き刺さっているのを感じた。たぶんこれは、錯覚ではない。
「そうさねぇ。お題の内容が気になる的な発言をしたのはあたしが最初だが」
助け舟!? 椎の声が再び福音のごとく僕の上に降りそ――、
「あたしゃあんたに言えとも書けとも言っていない。最後通牒を突きつけたのは」
椎は軽く腕を組み、ふ、と笑った後僕に流し目に近い視線を寄こし、言った。
「ジェイ。他でもない、あんたさね」
――友の声が、黙示録の到来を告げる天使のラッパのごとき音色で僕の上に降り注いだ…。




