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僕が悪役令嬢で悪役令嬢が僕で  作者: 紺木羽ノ歌


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第4話 入れ替わった生活にも、少し慣れてきた



――入れ替わってから、数日が経った。


「……疲れた」


 僕は机に突っ伏した。


 王立アストリア学園の昼休み。


 いつもの秘密基地――旧校舎裏の小さな中庭である。


「何がです?」


 向かいに座るクラリスが、涼しい顔で紅茶を飲んでいる。


「何がって……全部だよ!」


「具体的には?」


「朝!」


「朝」


「お茶会!」


「お茶会」


「あと、ドレス!」


「ドレス」


「それと、髪!」


「髪」


「あと……」


「まだあるのですか?」


「あるよ!」


 僕は顔を上げた。


「クラリス様って、こんなに忙しい生活してたの!?」


「私は普通に暮らしていただけですが」


「それが怖いんだよ!」


 入れ替わってから数日。


 僕はようやく理解した。


 クラリス・フォン・ヴァレンティアという少女は、僕が想像していた以上に忙しい毎日を送っていた。


 朝は早い。


 食事の作法。


 言葉遣い。


 礼儀。


 外国語。


 政治学。


 ダンス。


 社交。


 そして、毎日のように届く手紙。


 さらには、誰それからのお茶会の誘いだの、誰それの誕生日だの、誰それとの付き合いがどうだの。


「……よく毎日これやってたね」


「必要なことですから」


「僕には無理だよ、こんなの」


 僕は深くため息をついた。


 するとクラリスが、ほんの少しだけ笑った。


「ですが、私も驚いています」


「何が?」


「あなたの生活です」


「僕の?」


 クラリスは僕の顔――つまり、僕自身の身体を見た。


「朝、誰にも起こされない」


「うん」


「服を自分で選ぶ」


「うん」


「食事の時間も、勉強の時間も、自分で決める」


「うん」


「そして、誰からも細かく指示されない」


「……最高でしょ?」


「最高です」


 即答だった。


「ですよね!?」


「ええ」


 クラリスは真顔で頷く。


「昨日、ミアさんに『今日は何をするの?』と聞かれました」


「うん」


「私は『何をしてもいい』と答えました」


「うん」


「……何をしてもいいのですね」


「そうだよ」


「素晴らしいですね」


「でしょ!?」


 なんだろう。


 今のクラリス、ものすごくいい顔をしている。


「昨日は結局、何をしたの?」


「庭を歩いて、本を読んで、昼寝をしました」


「最高じゃん」


「最高でした」


 二人でしばらく頷き合った。


 ……なんだ、この会話。


 貴族令嬢と平民男子の会話じゃない。


 ただの休日を満喫する人間同士の会話だ。


「ただ」


 クラリスが少しだけ表情を曇らせた。


「一つだけ、困ったことがあります」


「何?」


「ミアさんです」


「ああ……」


 僕は苦笑した。


 昨日の妹の顔が頭に浮かぶ。


『お兄ちゃん、最近なんかカッコよくない?』


 クラリスは僕の身体を使っている。


 もともと僕は、自分の服装や姿勢なんてほとんど気にしていなかった。


 でもクラリスは違う。


 背筋が伸びている。


 動作が綺麗だ。


 人と話すときの目線も自然。


 結果――


「僕、そんなに変わった?」


「少なくとも、以前よりは随分と見栄えがします」


「本人に言われると複雑だな……」


「あなたは素材そのものは悪くありませんでしたから」


「素材って言うな」


「事実です」


「もっとオブラートに包んでよ」


 クラリスが小さく笑う。


 その笑顔を見て、僕も少しだけ笑った。


 入れ替わってから数日。


 最初は、とにかく元に戻らなければと思っていた。


 もちろん、今だってそれは変わらない。


 だけど――


「……ねえ、クラリス様」


「何です?」


「少しだけ、慣れてきたね」


 クラリスが黙った。


 そして、自分の――僕の手を見つめる。


「そうですね」


「最初は大変だったけど」


「ええ」


「僕も、クラリス様の生活が少し分かってきた」


「私も、あなたの生活が分かってきました」


「じゃあ……」


 僕は少し考えてから言った。


「戻れたら、今までと同じにはならないかもしれないね」


 クラリスは僕を見る。


「……そうかもしれません」


 その返事は、少しだけ嬉しそうだった。


 ――その日の午後。


「クラリス」


 廊下から声をかけられた。


「……っ」


 僕は固まる。


 振り返る。


 そこにいたのは――


「アルフレッド殿下……」


 アルディア王国の第一王子。


 アルフレッド・アルディア。


 僕が前世で知っていたゲームでは、主要人物の一人だった。


「少し、いいか?」


「は、はい」


 僕は慌てて姿勢を正した。


 その瞬間。


 アルフレッドの眉が、ほんのわずかに動いた。


「……?」


 僕は気づかなかった。


 けれど。


 アルフレッドは、しばらく僕を見ていた。


「最近、少し変わったな」


「え?」


「いや」


 アルフレッドはそれ以上言わなかった。


「また後で話そう」


「はい……」


 彼が去っていく。


 僕は胸を撫で下ろした。


「……危なかった」


 まだバレてはいない。


 たぶん。


 きっと。


 ……そうだよね?


 その日の夕方。


 王太子アルフレッドは、一人で廊下を歩きながら考えていた。


 ――クラリスは、あんなふうに笑う人間だっただろうか。


 ――あんなふうに、気安く人と話す人間だっただろうか。


 婚約者として長い付き合いになる少女。


 完璧で、隙がなく、何を考えているのか分からない。


 それがアルフレッドの知るクラリスだった。


 だが最近。


 ほんの少しだけ。


 彼女の印象が変わっている。


「……気のせい、か」


 アルフレッドはそう呟いた。


 まだ、彼は知らない。


 その違和感の正体を。


 そして僕も、まだ知らなかった。


 この小さな違和感が――


 やがて、僕たち三人の人生を大きく変えていくことを。



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