御人形様の里 (5)
「政府の支援金……いくらだったっけ。五万円だったかな?」
この支援金は『村で規則を守る代わりに支給される手当』なのだから、その一部をジンのために使うのは正しい消費と言えるのではないだろうか。
人形で使うことも想定して金額が設定されているはずだし。
(それにしても……支援金にしては少し多くない? いくら五十世帯に満たない村だとしても……毎月出る金額だもんな)
莫大ではないが、決して少なくもない金額。一体なぜこんな山奥の村にこれほどの支援予算が組まれているのかは分からない。
まあ、理由があって出ているものだし、私としては貰っておくのが得だ。ありがたく頂戴したところで、誰に文句を言われる筋合いもないだろう。
ジンが着られそうな服をネットで注文することにして、まずは手元にある服の中から暖かそうなものを選び、ジンのそばへ寄った。
「ジン、寒かったでしょ? 着替えようね。もうすぐ新しい服も買ってあげるから、とりあえずこれを着てて。じゃあ、脱がせるよ」
人形というのは人間のように関節がスムーズなわけではないので、着替えさせるのも一苦労だ。ワイシャツみたいにボタンを留めるだけの服なら楽なんだけど。
冬服はほとんどが頭から被るプルオーバー形式なので、なかなか厄介だ。深呼吸をして、ジンが着ていた服を脱がせた。すると、意気込んでいた私の気持ちが拍子抜けするほど、あっさりと服が脱げた。えっ?
「え……何これ?」
ジンの着替えは、移住してからもう四回も経験している。おばあちゃんと一緒に、人形の関節を持ち上げ、無理やり押し込み、また整えて……やるたびに苦行のようだったではないか。なのに……今日はどうしてこんなに楽なんだろう? なぜ……関節がこんなに柔らかく動くの?
「……」
背筋を冷たい汗が伝った。あり得ないことだと分かっていても、全身に鳥肌が立つ。いやいや、まさかね。
「ねえ……ジン。昨日のは……夢、だったよね?」
短い沈黙が、薄暗い陽の射す別棟に降りた。そ、そうよ。全部私の勘違い。何度も人形を動かしているうちに、関節が自然と馴染んで柔らかくなっただけだわ。
ほら、毎日持ち上げたり下ろしたりしているから、ジンを持ち上げるのも前ほど大変じゃないし。
関節がスムーズになったなら着替えさせやすくなって万々歳じゃない。そうよ、そうに決まってる。
大したことじゃないと言い聞かせ、震えそうになる手を何度か握ったり開いたりしてから、ジンに服を着せてあげた。
着替えさせている時に触れた彼の肌は、ゾッとするほど硬くて冷たかった。そう。これはただの人形。関節が動きやすくなっただけの人形。その証拠に、ほら。
髪もこんなに……。
「ん?」
ジンが人形であることを確かめるために髪の毛を弄っていた私は、パサついているどころか、ほうきでも触っているようなゴワついた感触に眉をひそめた。ちょっと待って。
(髪がなんでこんなにガサガサなの? このままだと刺さるんじゃない?)
普通、この手の等身大サイズの人形はマネキンとして使われることが多いから、髪が長いか、あるいはいっそ無いかなのに、ジンは軍人のように短く刈り込まれた髪をしていた。
短く切られた髪は、夏ならともかく、乾燥した冬には下手に触れると傷がつきそうなほど硬い。まるで髭を剃っていない父親の顎に触れた時のような、不快なチクチク感だ。
それに、妙に埃が溜まっていない?
気づかなければスルーできたけれど、知ってしまうと猛烈に気になりだした。
私はすぐに母屋へ走り、洗面器にたっぷりのお湯を汲んでタオルを抱え、別棟へ戻ってきた。そしてタオルをお湯に浸し、ジンの髪を丁寧に拭い始めた。
案の定、白いタオルがみるみるうちに真っ黒に染まっていくのを見て、思わず目を逸らしたくなった。なんてこと! こんなに汚い人形を抱えて行ったり来たりしてたわけ!?
(体は埃を払うだけでいいけど、髪の毛は面倒ね。どうせ人形なら、管理しやすい坊主にでもしておけばよかったのに)
髪を念入りに拭き上げた後、濡れた髪に使うヘアエッセンスをスプレーした。本当はシャンプーまでしてあげたいけれど、そのためにはこの人形を母屋まで運び、浴室に入れるという工程が必要になる。正直、そこまでやるのは面倒だ。
幸い、人形は人間と違って皮脂が出るわけでもないし、洗浄剤を使って洗う必要はないだろう。エッセンスだけで髪が一気にしなやかになったのを確認し、私はようやく安堵の息を漏らした。
幸か不幸か、埃まみれだった黒い頭の衝撃のおかげで、わけの分からない恐怖心は綺麗さっぱり消え去っていた。
***
埃のレベルを超えて「墨汁」のような汚れが出た頭髪事件の後、我が家の規則にはもう一つ項目が追加されることになった。
「7.ジンの体と頭は二日に一度、必ず温かいお湯で拭いてあげること」
もちろん、勝手に規則を追加していいものか気になったので、おばあちゃんに聞いてはみた。幸い、頭を拭いてあげるのは人形に礼を尽くす行為の一つなので、全く問題ないとのことだった。
多少手間だし、お湯を別棟まで運ぶのも骨が折れるけれど、埃を撒き散らす人形と暮らすこと……それも一日に何度も抱き抱えるのは、心底お断りだ。
(これを知らないまま夏が来てたら……うわ、考えたくもない)
私が甲斐甲斐しく管理してあげたおかげか、最近のジンはなかなか見栄えが良くなっていた。まあ、もともと人形らしく造形は整っていたけれど。でも、なんて言うか。
以前はただの展示用人形だったのが、今はショーウインドーに飾ってあれば思わず買いたくなるような、そんな「生きた」人形になった気がした。
何はともあれ、満足のいく変化だった。




