御人形様の里 (4)
田舎の夜は長い。
当たり前のことだが、都会とは違って夜遅くに開いている店もなければ娯楽もない。住民のほとんどが高齢者ということもあり、周囲は早々に静まり返ってしまうからだ。
移住したばかりの頃は都会生活の慣習で深夜に寝て昼近くに起きる生活だったが、数週間もここで過ごせば、自然と十二時前には眠りにつくようになった。
ただ、長年の癖というものは恐ろしい。どうしても午前三時か四時頃になると、夢うつつのまま目が覚めてしまうのだ。
今日もうとうとしながら横になっていた。
だが今日はいつもと違い、夢か現実か区別がつかない感覚が強かった。自分の部屋のはずなのに、どこか現実味がない。ぼんやりとした状態で寒さを感じた私は、布団を抱き寄せて目を閉じた。毛布のぬくもりが全身を包み込んだ、その時だった。
「……?」
頬に触れるひんやりとした感触に、閉じていた目がゆっくりと開かれた。闇に沈んだ部屋。私のベッドの傍らに、誰かが座っているのが見えた。
街灯の光さえ届かない部屋では、物の輪郭がかすかに見えるだけで何一つ判然としない。思わず眉をひそめた。その間も、頬に触れる冷たい「何か」は、ゆっくりと、けれど離れることなく私の肌を撫で続けていた。
「誰……」
「……」
かろうじて声を絞り出してみたが、目の前の誰かは何も答えない。一体誰だろう。
普段の私なら、その瞬間に飛び起きて顔面にパンチを見舞っていただろ。けれど、金縛りにでもあったかのように体が動かなかった。
どうしてだろう。これが夢だからだろうか?
明晰夢だとしても思い通りに動けないことがあると、どこかで読んだ記憶がある。なら、私はどうすればいいんだろう。このまま寝てもいいのかな。
無責任な考えだが、体が動かないのだから仕方ない。危害を加えてくる様子もないし、もう一度寝てしまおう。そんなことを考えながらゆっくりと瞬きを繰り返した時、私は目の前にいるのが誰なのか、ふと悟った。
「ジン……なの?」
「……」
問いかけに、見知らぬ訪問者は答えなかった。けれど、頬を撫でていた手が、乱れた私の髪を優しく梳いてくれた。その仕草が、肯定のように感じられた。
ジンが、どうして動いているんだろう?
理解はできなかったが、嫌な気分ではなかった。夢なんて大抵は理解不能なことが起きるものだし、そんなものかと納得してしまった。
何はともあれ、目の前にいるのがジンなら、そのまま寝ても大丈夫だろう。そう結論づけると、急激に眠気が押し寄せてきた。夢の中で眠気がくるという不思議な感覚に包まれながら、私は再び深い眠りに落ちていった。
翌朝、朝日が昇るのと同時に目を覚ました私は、明け方の夢の残像に浸りながら、ぼんやりと開いたままの自室のドアを眺めた。
私は基本的にドアを閉め切る習慣がない。だから、ドアが開いているからといって誰かが侵入したのかどうかは判断がつかなかった。起き上がって周囲を見渡しても、変わった様子は何一つない。
当然だ。名前を付けて親しく接したところで、ジンはあくまで人形だ。人間のように動き回るはずがない。
「夢は現実の欲望を反映することが多いって言うけど……うーん。私は、ジンに動いてほしいと思ってるのかな?」
まあ、動いたら楽しそうではある。小説や漫画でもよくある設定じゃないか。愛情を注いだら命が宿って動き出す人形、なんて。
特異な環境で特異な人形と向き合っているせいで、無意識のうちにどこかで見た「動く人形」への幻想が具現化してしまったのかもしれない。夢の分析をしながらモーニングコーヒーを淹れ、昨日買ってきたパンにジャムをたっぷり乗せて口に運んだ。
うーん、夢のことはよくわからないけど、パンがすごく美味しい。やっぱり街に出たら、焼きたてのパンを買ってこなきゃ。
夢のことをさほど気に留めず朝食を終えた私は、背伸びをして一日の予定を始めた。予定といっても多くはない。朝早くに鶏小屋を掃除して餌をやり、卵を回収する。母屋と離れの掃除をして、世俗の情報を確認しつつ溜まっていた仕事を片付ける……。
「よし、午前中に全部終わらせて、午後はのんびり本でも読もう」
決心を固めた私は、鶏小屋を片付けて卵を冷蔵庫にしまい、母屋の掃除に取り掛かった。掃除は嫌いではないので、気分良く母屋を片付け終えると、上着を羽織って離れへと向かった。……いや、向かおうとして、ふと足を止めて離れを見つめた。
(明け方のあれは、夢……だよね?)
さっきは気にしなかったし、実際、取るに足らない夢だ。それなのに、なぜか離れへ向かう足が重い。
「……何よ、雪奈。ビビってるの? 現実は漫画でも小説でもないんだから。人形が動くわけないじゃない」
家に誰もいないから、こんな考えが浮かぶのだろう。首を激しく振った私は、大股で離れへ行き、扉を開けた。
正直、心のどこか、ほんの少しだけ。「ジンが外に出た形跡があったらどうしよう」という不安がよぎりかけたが、昨日と変わらずソファに座っているジンの姿を見て、私は安堵の溜息を長く吐き出した。
「ふう……。何を考えてるんだか。そう思わない? ジン」
要領を得ない私の問いかけに、ジンは何の答えも返さなかった。
当たり前だ。これは人形なのだ。言葉を喋ることも、私の頬を撫でることもあり得ない。
やっぱり夢は夢だ。笑いながら掃除を始めるためにジンを動かそうとした時、今日は服を着替えさせてあげる予定だったことを思い出した。私は彼を一度座らせ直し、部屋の隅にあるクローゼットへと向かった。
クローゼットには、おばあちゃんが用意してくれたジンの冬服がぎっしりと詰まっていた。綺麗に洗濯はされているものの、古臭くて野暮ったいのが妙に鼻につく。
もちろん祖父母が丹精込めて用意してくれたものだし、流行に左右されない服が主流だから、着せてもおかしくはないけれど……。
「うーん……新しい服でも買ってあげようかな……」
人形に対してそこまでする必要があるのか? と思いつつも、この人形を毎日見るのは私なのだ。せっかく整った顔立ちなんだから、もっと似合う格好をさせればいいんじゃないか。
そんな考えが同時に頭をもたげた。




