御人形様の里 (1)
松山市内から車を走らせること約二時間。
途中でサービスエリアに立ち寄ったり、道を間違えたりと紆余曲折あったが、どうにか日が暮れる前に祖父母の待つ隠見村に到着することができた。
記憶を頼りに車を走らせると、冷たい山風さえも暖かく感じさせてくれるような、懐かしい祖父母の自宅が見えてきた。
古い日本家屋がそうであるように、母屋と離れが分かれた造りで、裏庭には小さな鶏小屋もあった。
幼い子供でも簡単に越えられそうな形式ばかりの垣根を通り、私はインターホンを押して大きな声で叫んだ。
「おじいちゃん、おばあちゃん! 雪奈です、着きましたよ!」
「ああ、私たちの可愛い孫娘。よく来たね、待っていたよ」
叫び終わる間もなく駆け寄ってきた祖母が、私をふわりと抱きしめた。去年の秋は会えなかったから、祖母の顔を見るのはほぼ一年ぶりだった。
「雪奈、元気にしていたかい? どこか具合の悪いところはない? 来るまで大変だったろう」
「私は元気ですよ。おばあちゃんこそ、おじいちゃんの看病は大丈夫? 無理してない?」
「私は大丈夫だよ。じいさんも最近は調子がいいんだ」
言葉ではそう言っても、最後に会った時より痩せてしまったのが気にかかった。
「無理しちゃダメですよ。おばあちゃんが倒れたら、おじいちゃんが一番悲しむんですから」
祖母の小さく、しわの寄った手をさすりながら言うと、祖母はにっこりと笑って頷いた。
「夕飯は食べたのかい?」
「途中で道に迷っちゃって、まだなんです。久しぶりに来たせいか、覚えが怪しくて。家から美味しそうな匂いがするから、余計にお腹が空いちゃいました」
「それはよかった。雪奈が来るからって、このおばあちゃんが腕を振るったんだよ。話したいことは山ほどあるが、まずは食べてからにしよう」
「はい!」
ナイス! おばあちゃんが美味しい料理を作って待っていてくれるのは確実だったから、あえて昼食を軽く済ませてきた甲斐があった。
祖母が用意してくれた夕食をこれでもかと胃の中に流し込むと、満足感は相当なものだった。
一人暮らしでインスタントばかり食べていた身からすれば、これこそが人間らしい食事だという実感が湧いてくる。
『ビールの一杯でもあれば最高だったけど……二人はお酒を飲まないから仕方ないわね』
満足げにお腹をさすりながら片付けをしていた頃、祖母の声が聞こえてきた。
「あらま、忘れるところだった。雪奈、ちょっと手伝っておくれ」
「はい、今行きます」
手に付いた水を拭き取り、急いで祖母に歩み寄ると、祖母は外へ出る支度を整えていた。怪訝そうな顔で小首を傾げていると、祖母から一緒に来なさいと促されたため、上着を羽織って外に出た。
「おばあちゃん、どこへ行くの?」
「『御人形様』と小路を散歩するんだよ。雪奈も小さい頃にやっただろう?」
「御人形様? ああ……」
祖母の言葉に、私はようやくこの村の特殊性——『人形』について思い出し、頷いた。
この村は非常に特異で、古くから各家庭ごとに一躯の人形を祀って暮らしている。
人形は姿も素材も様々だが、すべて成人ほどの大きさがあり、どの家にも人形のための『別棟』が存在した。
そして、人形を連れて散歩をするという風習があり、病に臥せぬ限り、必ず人形と共に外へ出なければならなかった。
子供の頃は、ただ人形と遊びたいからそんなことをするのだと思っていた風習。大人になった今の目には、あまりにも奇異に映る風習。
『まあ、慣れなきゃね。住めば都って言うし』
奇妙で不気味だが、ここで暮らすためには守らなければならない規則だ。
祖母もそれを分かっているから、私を連れて散歩に出ようとしているのだろう。祖母に従って人形がいる別棟へ向かった私は、そっと扉の向こうを確認した。
幼い頃の記憶に刻まれていた姿と、少しも変わらない人形がそこにいた。
いや、少しも変わっていないわけではなかった。
記憶の中の人形は人間と見紛うほどにそっくりで、子供だった私はこの人形が本当に生きている人間なのだと思っていた。なぜ動かないのかと祖父に尋ねた記憶がある。
しかし、大人の目で見つめる人形は、よく出来てはいるもののあくまで『人形』に過ぎず、人間には見えなかった。
むしろ何十年もここにあったせいか、技術力の限界が感じられ、どこか粗末な印象さえ受けるほどだった。
「このお人形、本当に久しぶりに見ました。子供の頃はもっと人間みたいに感じたんですけど」
「雪奈」
「えっ? あ、すみません。『御人形様』でしたね」
懐かしさのあまり感想を漏らすと、祖母がたしなめるような視線をこちらに向けた。
人形を粗末に扱ってはならない。その名を安易に呼んではならない。
祖母が事前に教えてくれた規則を思い出した私は謝罪を口にしたが、祖母の厳しい視線は解ける気配がなかった。
ええと、うーん……。
「申し訳ありません、御人形様。お久しぶりにお会いしたので、ついうっかり失礼をいたしました。お許しください」
人形を見つめ、深々と頭を下げて挨拶を交わすと、祖母はようやく満足げに頷いた。
本当にここまでしなきゃいけないの? 少し……いや、かなり虚しさが込み上げてきたが、人形は喋らないという点では人間よりもマシではないかと、努めて前向きに考えることにした。




