第107話:とあるコール
「…………あ」
気付けばレアスはネバダを監禁していたマンションにいた。ネバダの匂いがまだ残っているベッドで寝て、そして起きて虚無を噛みしめる。
「……う……げ」
死体すら残らず塵になったネバダを思い出して、胃からせり上がる何かに喉がうめく。
ネバダが死んだ。それだけわかっていれば、それ以上の事実確認は必要ない。イモータルキャンセラーによる術式のクラッキングは完璧だ。アレに貫かれれば魔力を持った存在は例外なく死ぬ。だから死んでいい、とは絶対に思えなくて。
「……う……う」
やはり監禁しておくべきだった。今更後悔が沸き起こる。彼のことを思えば全ての事情を無視して監禁しておくべきだった。そこを徹底できなかったからネバダは死んだ。この場所でずっとネバダと死ぬまで一緒にいれればレアスはそれだけで幸せだったのに。
「……学校……」
今日から学業は始まる。短かった夏休みも終わり。二学期が始まる。だというのに行く気もしない。そもそも何をする気にもならない。どうせネバダが死んだのだ。いまさら何をすればいいのか。
「……もう……いいや」
こんなにも心が空っぽになるなら、辛いことを抱えて生きてはいけない。こんな重いものを抱えて生きていけと言われても無理だと断言する。ネバダがいたからこそ幸せだったのだ。それが無くなれば、ステージから照明が消えた様に、重たい沈黙だけがそこにはあって。
「……愛してるよ……ネバダ」
自分を慰めるのも惨めではあるが、他にやりたいことも思いつかない。もうネバダに孕まされる未来も無いのだ。他の男を受け入れるかと言われればレアスには無理なわけで。
「……あ……ぁ……ん」
拙い声が出る。自分が何をしているのか。ほのかに香るネバダの汗の匂いを求めて彼と一緒に寝たベッドに寄り添い。そして自分の手が自分を性欲を鎮める。色々と最低なことをしている自覚はあって。でもネバダ以外でしたいとも思えず。
「……これから一生……ネバダでするのかな?」
だったら虚しいなりに、とても魅力的で。
「……ネバダぁ……ネバダぁ」
彼の残影だけを求めて指が彼女をなぞる。本当ならそれはネバダの仕事だった。彼に身体をまさぐられると幸せな気持ちになって彼女は幸福だった。既にその幸福は手をすり抜け、彼女のモノではなくなっていたけど。
「……ネ……バダぁ」
学校には行く気もしないし、そもそも全てを忘れて勉強を出来る気もしない。そんなことをするくらいなら飽きるまでネバダを思っていたい。それが現実逃避だと知ってはいるけれども逃げちゃいけないと果たして誰が決めたのか。
奇跡はあるかもしれない。魔法と呼ばれる存在。果たして死者の蘇生は可能なのか。そこから疑念で、だからこそできない。でももしも奇跡が起きるのなら。
「……今度こそネバダを……監禁させてください」
神にすがるより他になく。もしかしたら新興宗教にでもハマるかもしれない。それはそれでどうでもいいと思ってしまう自分がいて。
「……好きだよ……好き」
虚しい言葉だ。ソレを言って喜んでくれる男の子はもういないというのに。
「……ネバダが……世界で……一番好き」
この気持ちが冷めることがあるだろうか。いつかは忘れて他の男に寄り添うのだろうか。ネバダのことは思い出になって他の男に股を開くのだろうか。
結論だけ語ればわからない。でもそれが絶対ないと言えるほど、レアスは自分の感傷を信じ切っていない。そうして性欲を発散させていると。スマホが鳴った。誰からか。誰からでもいい。別に興味はない。ただ通話をするためだけに手に取り。
「……え?」
その電話番号に震える。
****
「…………」
何か幸せな夢を見ていたかのような。そんな感慨にカーマは襲われていた。血の臭いがする部屋の中。ハウスクリーニングは済んでいるが、それでもリンカの血がどこかにこびりついているようでカーマには恐ろしい。
「夢……」
起きたら何かの夢を見ていたような、程度の感想でしかない。楽しい夢だったのか。切ない夢だったのか。それすらも判然としない。
「ああ、部屋も引き払わないと」
ここはネバダの部屋。ネバダに住居権がある部屋で、しかも駅近マンションなので住居費も馬鹿にならない。さすがに殺人事件があった部屋は事故物件になるだろうが、それでもずっと此処にいれるかと言われるとカーマにはその自信がない。ただ、逆に離れるのも寂しくて。ネバダの匂いのするベッドで寝ていると幸せな気分になる。そんなことで自分も女の子なんだなと思ってしまう自分がいて。カーマはその寂しさを誰にも伝える気が無い。
「だーい好きだよ……先輩」
彼に使っていた枕を手に取って、ギュッと抱きしめる。フワリと香るネバダの匂いにとても幸せな気持ちになって。永遠にそれが続けばいい。そう思ってしまうのも仕方が無くて。
もうここにはネバダはいない。
誰かにそう言ってほしかった。現実を突きつけてほしかった。そうしないとカーマには前に進める気がしない。残酷でも誰かに現実を突きつけてほしかった。でもそれから逃げている自分もいて。現実を受け入れないと前に進めなくても、前に進むことでネバダと離れるのが怖い。心の中に完全にネバダがいて、カーマは彼だけを想って生きていたかった。それも叶わぬ夢になって。憧れのアキラ先輩にネバダが殺され。そのまま見送って、嘲るように笑うアキラを殺せなくて。殺したら終わってしまうと自分に言い聞かせて。それでも自分が復讐しなくて、誰がアキラに天罰を加えるのか。神威装置もアキラを処罰しなかった。警察も動かない。日本政府も静観している。誰もアキラを殺さない。世界も、教会も、カーマさえも。
「分かっては……いるんですけど」
虚しくネバダを想って自分をイブしている浅ましさを自覚して、けれど他の方法ではこの心に空いた穴は埋められない。虚しく対処療法でしかないけど、それでも他に方法を知らない。
「……ネバダ……先輩……ぁ♡」
もうどうだっていい。ネバダがいない世界をあと六十年も八十年も生きていくのかと思っただけで陰鬱な気分になる。重き荷を負うて遠き道を行くが如し。それが人生だというのなら、そもそもカーマには荷が重すぎる。
「先輩……先輩……」
指はイブを続ける。止まらない。前に彼に触られた場所をなぞるように再現する。彼のたくましい指で這われた場所を思い出すようになぶる。それでもあの時のような多幸感はなかった。気持ち良くはあるが、あの脳内麻薬ドバドバの感覚はない。
「ッ……! んっ……ぅ……はぁ」
残ったのは虚無だけ。ソレで一人だと悟ってさらに絶望が襲い掛かる。
「嫌だ。嫌だよ……。先輩……いなく……ならないで」
まだあの時のことを謝罪していない。リンカの口車に乗せられて、ネバダを化け物だと認識したことを謝っていない。彼が露悪的だということを骨の髄まで知っていたはずなのに、彼が揶揄うように自分を化け物だと揶揄したことを信じてしまった自分をカーマは許せない。
「せん……ぱい……」
そうして一連の高位が終わって、いつまでも過去に目を向けるのも疲れて。そうして天井を眺めていると、スマホが鳴った。誰からか。そう思ってスマホを取る。
「……え?」
ソレは予想外の番号で。誰かなんてわからないはずがなくて。誰よりも想っているが故に、その現実認識はあまりに自明で。なのに、かかってくるはずのない番号だった。




