コインの蟲(1024文)
住んでいる地域の雰囲気を「地域柄」と言う。
私がかつて住んでいた地域はどんよりして、いつも曇り空のような雰囲気があった。空は快晴なのに、黒い雨水が垂れた壁が街の湿度を空へと逃さない。
片足のゴールデンレトリバーに、墓に居座るシュナウザー。親が自殺してイジメを受ける同級生に、不良に「イジメないで」と手紙を書いた知的障害者。こちらを覗く大きなヒキガエルに、爆発したナメクジ。
団地の1室には黒蠅の群。
藪からはヘビと変質者。
ため池では毎夜、異音が。
私が住んでいた地域では、こんな事がよくあった。違う地域に引っ越してから、それが普通ではないと知った。
今回は、そんな街で見つけた金色のコインと蟲についての話だ。
ある日のこと。小学生だった私は、新しくできた友達と2人きりで遊んでいた。
公園でブランコを漕ぎ、花の蜜を吸っては「おいしくないね」と言い合って、お互い退屈そうに過ごしていた。
公園のフェンスに指を絡め、よじ登ろうとしたとき、友達が突然、「あ!メダルゲームのコインがある!」と言い、フェンスの先にあるドブ川を覗き込んだ。
私にはまったく見えなかったが、友達は「取る!」と鼻を膨らませている。
その様子を見て私は、「危なそうだよ」と声をかけた。
しかし、やる気に満ちた友達の前では、そんなやんわりとした説得は虚しく、私たちは回り道をしてドブ川へ向かうことになった。
近くで見るドブ川は、ひどく嫌な感じがした。
鼻の奥に溜まる濃い臭いと、
ツンと鼻を突く軽い臭い。
そんなたちの悪い悪臭たちが、粘りつくような湿度をまとって、川全体から立ち昇っている。
ドブ川を囲う壁には錆びたパイプが口を開き、オレンジ色の吐瀉物のような物を、永遠にドブ川へ流し込んでいた。
その脇では、見たこともない薄紫の蔦がゆらゆらと揺れている。
友達は「あそこにコインがある。」と指を差した。
見てみると、確かにコインがある。
ふと隣を見ると、友達はすでに靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ始めていた。
「絶対にやめたほうがいいよ」と私はつぶやいた。
しかし、友達は「俺は大丈夫!!」と言いながら、靴の中に、脱いだばかりの靴下を強引に突っ込んでいる。
私は再び、コインを見つめた。
パイプから流れ出る泥が、水面を覆う深緑の藻を押し退け、ほんの少しだけ水底が見える。
そこに、金色のコインがある。
コインの表面には、何かが描かれている。
私は目を凝らして、その表面を見つめた。
――その時だった。
半透明のミミズのような、節のある蟲が、コインの上を「ヌルリ」と這った。
それを見た瞬間、反射的に「絶対やめたほうがいいよ!!」と、私は大きな声で友達に恐怖を伝えていた。
しかし、友達は川の中に入ってしまった。
私はその光景を見ていられず、「用事があるから」と言い残して、その場を後にした。
◇
友達は次の日も学校に来ていた。けど、なんだか初めて友達になったときとは、別の人になってしまったように見えた。
それから私は、だんだん友達と疎遠になった。
あの時、コインの上を這っていた半透明の蟲は、一体なんだったのだろう。




