第9話 お泊まり
カフェを出た後、気がつけば空はすっかり暗くなっていて、デートはそろそろ終わりを迎えようとしていた。
正直、想像以上に楽しかった。
美味しいもんじゃ焼きをお腹いっぱい食べ、犬カフェで癒され、氷室たちと過ごす時間はあっという間に感じられた。
大手企業のお嬢様とデートなんて、最初は不安と緊張しかなかったけれど。
結果的に、氷室も鈴木も終始楽しそうにしてくれていた。それがなによりだった。
「それじゃ、二人とも帰りましょ? 私、ちょっと疲れちゃったわ」
駅前まで戻ってきたところで、氷室がくるりと背を向け、制服のスカートを軽やかにひるがえしながら歩き出す。
「帰宅後、すぐに温かいお風呂の準備します」
鈴木もその後を追いかけていく。
「……」
そんな二人の背中を見送りながら、俺はというと、その場に立ち尽くしていた。
氷室の押しに負けて、ついつい勢いで引き受けてしまったが。
本当に大丈夫だろうか?
だって、これから女の子と一緒に寝るんだぞ?
しかも、氷室と鈴木の二人と。そのどちらもが美少女。
俺にとって、女子の家に泊まるだけでもハードルが高いというのに。
「……今日も寝れないな」
思わず漏らした呟きに、前を歩いていた氷室がぴたりと振り返る。
「陽! 何突っ立ってるのよ!早く帰るわよ!」
「あぁ!」
呼ばれた俺は、慌てて返事をする。
歩き出す前に、一応親に連絡を入れておくかと思い、俺はポケットから携帯を取り出して、母親に短いメールを送った。
『今日は友達の家に泊まっていく。だから晩飯はいらない』
メールを送信してから、ほんの数秒後。
驚くほどの爆速で、母からのメッセージが返ってきた。
『女の子?女の子?女の子?』
『うん』
『Good job^^』
朝倉家は門限という概念がない。深夜だろうが朝帰りだろうが、怒られることない自由な一家なのだ。
それにしても…………
俺は画面に映り出された、「Good job」に眉をひそめた。
……何がグッジョブだよ。何が「よくやった」だ。
○○〇
駅前のにぎわいを抜けて、大通りを曲がると、そこに現れたのは。
「……うわ、すげえな……」
思わず足を止め、見上げた先。
そこには、まるで夜空に突き刺さるかのようにそびえ立つ、超高層タワーマンションがあった。
照明がともり始めたガラス張りの外観は、どこぞの最高急ホテルのような雰囲気を醸し出していた。
「……氷室、お前ここに住んでんのか?」
「ええ、そうよ」
「徒歩五分圏内に業務スーパーと百円ショップがございます。お嬢様が倹約家として生きるには、これ以上ない最適な立地条件です」
「え?………節約目的でここ……?」
周囲を見回してみる。
ここどう見ても富裕層の家だろ?
エントランスには厳重なオートロックとコンシェルジュデスク。高級ホテル顔負けのセキュリティと設備が整っている。どう見ても庶民の住まいじゃない。
俺の困惑を察したのか、氷室はふう、と小さくため息を漏らした。
「本当はもっと安いマンションでもよかったの。でも、まゆがうるさくてね」
「当然です。お嬢様は日本を代表する氷室グループのご令嬢なのですよ?節約の心構えは素晴らしいですが、ある程度の品格も必要不可欠です。それに、このマンションはお嬢様のお父様の所有物です。家賃も光熱費も無料、管理費すらゼロで暮らせるのであれば、お嬢様にとって、これほど理想的な物件はありません」
「でも私、本当はもっと古くて狭い家に住みたいのよ。あそこがよかったわ。築五十年の木造二階建てで、トタン屋根のあのアパート……あれこそが私の理想だったのに」
「却下です。虫が出る、風呂場のタイルはカビだらけ、いつ幽霊が出てもおかしくないあのアパートはお嬢様にふさわしくありません。そこで護衛をしなければならない私の身にもなってください」
「……ただ単にお前が住みたくないだけじゃないか」
「何か文句でも?」
「……なんでもありません」
俺が独り言を呟くと、それが鈴木の耳に届いていたみたいで睨まれてしまった。
エレベーターで最上階へ。
静かに開いたドアの先、案内されたのは角部屋だった。
「ここが、私の家よ。今はまゆとふたりで住んでるの」
「それでは、私はお風呂を沸かしてきます」
玄関のドアが開かれると、ふわりと木のやさしい香りが鼻をくすぐった。
中は、想像していたよりずっと普通だった。
確かに広くてきれいだ。けれど、置かれている家具は必要最低限。テレビや漫画といった娯楽品は見当たらない。
部屋の隅には百均グッズを組み合わせて作ったと思われる整理棚。キッチンのカウンターには、手作りの麦茶と、閉店間際に買ったのだろうか、割引シールの貼られた惣菜パックが並んでいる。
「中は……なんか普通……っていうか、無駄なものがないな」
「無駄遣いは悪よ。ま、適当にくつろいで」
氷室は麦茶のポットを手に取り、コップに注いだ。
「お湯が溜まるまで、しばらくお待ちください。今日はお嬢様がお疲れのご様子でしたので、炭酸系の入浴剤を入れております」
「ありがとう、まゆ」
入浴の準備を終えた鈴木は、氷室の隣に腰を下ろすと、真剣な顔でペンを走らせ始めた。よく見ると、それは家計簿だった。
もんじゃ屋、犬カフェ、今日の出費が細かく記されている。
しばらくして、『お湯が沸きました』と聞き馴染みのある電子アラームが室内に響いた。
「私、お風呂入ってくるわ」
そう言って、氷室はふわりとバスルームの方へ歩いていく。
パタンと家計簿を閉じると、鈴木がこちらを向いた。
「朝倉陽、入浴はお嬢様のあとにしてください。浴槽の温度は41度に設定しています。ぬるかったら自分で温度を上げてください。あと黄色いシャンプーはお嬢様専用ですので使用は厳禁です。以前、私が勝手に使って怒られました」
「そ、そうか……」
俺はソファに腰を下ろし、鈴木の話を聞いていると、氷室がひょっこり顔を出す。
「ねぇ、まゆ。早く入りましょ」
「はい。すぐに向かいます」
鈴木が静かに立ち上がり、氷室の横に並ぶ。
「えっ、二人で入んの?」
「そうよ。いつも二人で入っているの」
氷室はさらっと言ってのけて、バスルームへと向かおうとする。その直前、ふと振り返って、にやりと笑った。
「……のぞいちゃダメよ?」
「のぞかねーよ!!」
俺の全力ツッコミを背に、ふたりは楽しげにバスルームへと消えていった。
パタン、と扉が閉まってからしばらくして、風呂場の方から楽しげな声が壁越しに漏れ聞こえてくる。
「まゆ、相変わらず大きいわね。羨ましい」
「ただの邪魔な肉です」
……丸聞こえなんだけど。
今の会話から、バスルーム内が一体どういう状況になっているのか、一瞬だけ脳裏に思い浮かびかける。
「って、アホか俺は」
すぐさま激しく首を振って、妄想を力づくでかき消した。
俺はソファの背もたれに頭を預け、天井を見上げながら、大きく息を吐き出した。




