9:怪奇!歩き綿あめ
キーツは一晩、修道院で過ごした。当初は、かつて修道女たちの寝室だった個室で寝ようとしたのだが。
全ての部屋から家具や寝具が取り払われていたし、「ここでも誰かが死んだのかな」という疑いが拭いきれなかったため、結局礼拝堂の長椅子で寝ることになったのだ。
簡素な木の座面に、離れで見つけた毛布を敷いて即席ベッドにしたものの。目覚めると、背中と腰がすこぶる痛かった。
「……ま、変死しなかっただけマシだな」
前のめりになって腰から背中を叩きながら、ぽつりと言った。それに公爵令嬢と一つ屋根の下で就寝して、武闘派公爵の恨みを買いたくもない。そんな蛮行をすれば、言い訳をする間もなく殺される気がするのだ。
彼は昨夜掃除した浴室で顔を洗って身支度を整え、離れに向かった。朝食を作るためだ。
まだ朝も早いため、ベアトリスは就寝中かもしれないと思ったが、ドアをノックするとすぐに開いた。ご令嬢の体内時計は非常におっとり(※注:婉曲表現)な場合が多いため、内心でちょっと驚く。
――が、目の前に真っ赤な綿菓子が現れたため、それどころでなくなった。
「……お嬢ちゃん、その頭、何? どうした?」
キーツがややのけぞりつつ、綿菓子改めベアトリスに尋ねた。昨日は艶々と波打っていた見事な赤毛が、爆発したかのような有様になっている。
ベアトリスは四方八方に取っ散らかった髪を揺らし、ふてくされた声で返した。
「わたくしにも分かりませんわ。寝て起きたら、こうなっておりましたの。きっと悪魔の呪いでしてよ」
毛の爆発量がえげつないため、奇しくも絶大な小顔効果が生まれている。じっとりした目に見据えられたキーツは、思わず笑いそうになった。
「……んふっ……いや、こんなくだらねえ呪いをかます悪魔だったら、教会もここまで困ってないだろ。あんた、昨日はちゃんと髪乾かして寝たか?」
「え……?」
ジト目から吊り目に戻った蜂蜜色の目が、ぱちくり、とゆっくりまばたきした。心底不思議そうだ。
どうやらこのお嬢様は、髪を乾かして寝るという概念自体をお持ちでないらしい。着替えすら侍女任せの生活なのだから、それもそうか。
よくよく見れば彼女が着ているドレスのボタンも、一段ずれて留められている。ベアトリスの容姿は国宝レベルだろうが、生活能力は幼児レベルかもしれない。
キーツは彼女をくるりとUターンさせ、背中を押しながら食堂に向かう。
「寝癖が付くにしても、えらいダイナミックに付いたな。俺、綿菓子のバケモノに遭遇したのかと思ったもん」
「失礼ですわね。これでも人の頭頂部でしてよっ」
むっつりした声が、赤い綿菓子越しに返って来た。はじける髪に遮られ、背後からは彼女の横顔すら見えない。
「はいはい。とりあえず、どうにか見れるようにしてやるから――ブラシとか髪留め、持ってるか?」
「二階の洗面台にございますわ。あなたが来られる前にどうにかしようと思ったのだけれど、もはやわたくしの手には負えませんでしたわ……」
声に諦念が漂っている。目が覚めてこの頭になっていたら、そりゃまあ絶望するしかないか。
「だろうな。じゃあ取って来るから、ボタン、留め直しとけよ」
「え? ――あっ」
はたと振り返ったベアトリスは、キーツの指さす方向を辿って、ボタンがちぐはぐな自分のドレスに気付く。ほんのり頬を染める彼女を食堂の椅子に座らせ、キーツは洗面所からブラシや髪留めを取って来た。
さすがは公爵令嬢の私物と言うべきか。髪留めには真珠がふんだんに使われ、リボンも細やかな刺繍が施されたシルク製だった。
その一方でブラシは、作りこそしっかりしているもののデザインは簡素な木製だった。この辺りは、質実剛健と筋肉を良しとするラバチェット公爵家の家風故かもしれない。
キーツはベアトリスの後ろに立って髪を梳かし始めてからすぐ、彼女の肩が妙に強張っていることに気付いた。
「なんかお嬢ちゃん、妙に縮こまってね? 別に寝癖ぐらい、誰だってなるよ?」
綿菓子頭を見られて恥ずかしがっているのかと思ったが、少し違った。
「いえ、その……髪を、殿方に触れていただくのが、初めてなので……」
「あ、なるほど。普段は侍女さんに、髪結いしてもらってんのか」
こくり、とフワフワ頭が揺れた。妖艶な見た目に反して、なにかと初心である。キーツは苦笑しながら、自由奔放な赤毛を少しずつまとめていく。
「まあ今は緊急事態だから、仕方ねえと思って許してよ」
「それはそうなのですが……そもそもあなた、髪結いなんて出来まして?」
「一応、孤児院で年少どもの髪をいじってたから、それなりには」
「えっ、孤児院……?」
「はい、出来た」
ベアトリスが思わず首を動かしかけたところで、キーツはポンと彼女の背中を叩いた。そしてブラシと一緒に持って来ていた手鏡を渡す。
モワッモワに広がっていた赤毛は丁寧に梳かされ、一本の三つ編みになっていた。キーツも難しい髪型は出来ないが、三つ編みなら得意なので上手く編めた自信がある。
ベアトリスは手鏡を持ちながら顔を左右に傾けつつ、ほんのり頬を緩めている。
「あら……本当にお上手ですのね。お礼申し上げますわ」
「そりゃどうも」
ベアトリスはキーツへと身体ごと振り返り、小首を傾げた。
「ちなみに孤児院というのは――以前のお勤め先の?」
孤児院で働く男性司祭はいても、わざわざ女児の髪を結んでやる者は少ない。同性の女性助祭・司祭が結うのが普通なので、疑問に思って当然だろう。キーツは緩く首を振った。
「いや、俺の出身地」
ベアトリスの目がまん丸になった。
キーツは平民の、しかも孤児の出自だ。貴族階級出身者が幹部席を占領している教会において、かなり浮いた存在である。平民出身の聖職者は、助祭階級止まりがほとんどだ。よくて助祭を取りまとめる、平司祭が関の山である。
ベアトリスは大きく見開いた目を上下させ、しげしげとキーツを眺めている。
「まあ。それなのにその若さで、修道司祭という役職にまで登り詰められましたの?」
意外にも彼女の声や、和らいだ表情に蔑みの色はない。おや、とキーツはほんの少しだけ首をひねる。
「まあ……こんなとこの管理に回される、名ばかり修道司祭なんだけどな」
「それでも正真正銘、修道院の管理者ではありませんか! あなた、ご自身の身だしなみは雑でいらっしゃるのに、とても優秀ですのね。実に素晴らしいわ!」
面と向かって、普通に褒められた。着崩した祭服のことはちゃんと突かれたけど。
キーツは彼女のキラキラした笑顔につられて笑いながら、納得する。
これは王太子と相性が悪かっただろうな、と――実力主義であろうベアトリスと違って、彼は権威主義な傾向にあると教会内でも有名だった。
しかもこちらのご令嬢は、毎回一言多いし。
「お褒めいただき恐縮です。じゃ、腹ごなししてから悪魔の様子を拝みに行くか。何が食いたい?」
キーツがおどけて礼をしながら尋ねると、
「お肉ですわね! 昨日の羊さんが、まだ残っていらっしゃるでしょう?」
即答だった。いつも一言多い上に、朝から食欲旺盛でいらっしゃる。




