4:一方その頃王城で
ここホーアデン王国は治安のよさと風光明媚な街並みによって、国内外を問わず人気の観光地だ。その中でも石灰石によって作られた真っ白な王城は、ずば抜けた人気を誇っている。
一般人も立ち入り可能な前庭やホールには、いつも人だかりが出来ている。
そんな活気あふれる城の入り口から一変し、国王の執務室は重苦しい鉛のような空気に包まれていた。空気の発信源は、部屋の主(兼この国の主)である国王だ。
国王は椅子の背もたれに体を預け、こめかみを揉みながら深々とため息を吐いた。その隣に置かれたカウチには王妃が腰かけ、険しい表情の夫の片手を優しく撫でている。
二人の足元にも、人がいた。艶やかな黒髪を顎の位置で切りそろえた、眉目秀麗な青年だ。二人の長男であり、ベアトリスの元婚約者でもある王太子のエドワードが床に座らされているのだ。
彼は膝を折って直接絨毯の上に座る、東国の伝統的な着座方法こと正座スタイルだった。しかし正座に慣れていないのですでに足がしびれ切っており、顔色は悪い。
エドワードは何度も哀れっぽい目で両親を見上げていたが、二人はそれをまるっと無視していた。国王ももう一度、わざとらしく息を吐いている。
そしてようやく、口を開いた。
「あの令嬢の気性も、たしかに多少苛烈ではあった……が。しかしわざわざ、命を狙う必要などなかろう?」
父の苦々しい声に、エドワードは綺麗な顔をバカ面に変える。
「え……い、命? なんのことでしょうか? 私はただ、そう、貴族らしからぬあの女の、性根を叩き直そうと思い――」
たどたどしい言い訳を、王妃の物憂げな声が遮った。
「ベアトリスさんには行儀見習いという一応の名目の下、修道院で静養してもらうだけでしたのに。どうして私たちに黙ってまで、あの子の滞在先を変更したのですか?」
王妃は声も表情も悲しげだが、目だけは違う。怒る十秒前の目だ。これまで母の逆鱗に触れまくり、そしてコテンパンに叱られて来た息子にだけ分かる危機的状況であろう。
エドワードは無意味に左右を見た。
「そ、れは……あの、ですから、性根を叩き直すためには、厳格と名高いアンテノーラ修道院の方がふさわしい、と、私は……考えたまででして……」
先程よりも勢いも声量も落ちた声に、国王は頭を振った。
「よいか、エドワード……あの修道院はな、厳格ではない。ただ呪われているだけなのだ」
「はい?」
エドワードは目が点になった。神聖なる修道院と呪いが結びつくなんて、ありえない。
「教会は何故か頑なに認めようとせんが、あそこに入った女性はほぼ全員が、数日以内に逃げ出しているのだ。皆口を揃えて『恐ろしい気配を四六時中感じて、正気を失いそうになった』と言ってな」
国王の説明に、王妃が補足する。
「残ったわずかな方も、そこから間を置かずに全員変死なさったのです。だから今は、女性の受け入れを行っていないのですよ。あなたは王族ですのに――そんなことも知らなかったのですか?」
まずい。母の目だけでなく、声も苛立っている。それにつられ、父も忙しなく肘置きを小突く。
「まったくお前は、一体何を勘違いしてこんな騒動を起こしたんだ……どれだけ日々の勉強に熱を入れているのかが、身に染みて分かるよ」
父であり国王とはいえ、ここまで露骨に小馬鹿にされるとエドワードもカチンと来た。長時間の正座で足がしびれているものの、果敢に立ち上がろうと床に手を付く。
しかしエドワードが次の行動を起こす前に、執務室のドアが全開にされた。無礼極まりない乱暴さで進入してきたのは、ベアトリスの両親ことラバチェット公爵夫妻だった。
代々王都の騎士団を率いている公爵家は、フィジカルエリートな一族だ。その当主ともなれば筋骨隆々で、おまけに背もバカでかい。
そして今は娘の名誉にどデカい傷を付けた王子を、噛み殺しそうな表情でにらみつけている。
勉強も運動も大の苦手な繊細・華奢イケメンのエドワードは、中途半端に腰を浮かしたまま震えあがった。思わず逃げようと前のめりになるも、しびれた足では思うように動けず床に倒れ込む。
そんな無様な王子の姿を、公爵は目を細めて凝視した。
「陛下。私の愛する娘は、本当にアンテノーラ修道院へ?」
公爵は馬車ごと行方不明になった娘を、今まで探していたのだろう。娘にそっくりな赤毛は乱れ、目は血走っている。余計に怖い。
鬼気迫る家臣の声に、国王はゆっくりと頷いた。
「うむ。この馬鹿息子から聞き出したよ。ベアトリス嬢を更生させるために、御者を買収してあそこに向かわせたらしい。呪いのいわくも、何も知らずにな」
この言葉に、公爵の隣で青ざめていた公爵夫人が小さな悲鳴を上げた。そのまま気を失う彼女を、怖い顔の公爵が慌てて支える。
「しっかりしろソフィア!」
公爵夫人と茶飲み友達である王妃もカウチから立ち上がり、青い顔で侍従やメイドたちに指示を飛ばした。
「大変! ソフィアさんを休ませないと。わたくしの客間へ、すぐにお連れして差し上げて」
王妃は先導して扉も開け、渋る様子の公爵から夫人を預かりつつ部屋を出て行った。しばらくは母から叱られることもなさそうだ、とエドワードは一瞬安堵したものの。
母が、侍従に抱えさせた公爵夫人と一緒に部屋を出る直前、公爵に何かを耳打ちしたのが気にかかった。それを聞いた公爵が、思い切りエドワードを凝視したのだ。絶対ろくでもない内容に決まっている。
エドワードは床にへたり込んだまま、生唾を飲み込んだ。公爵はドアが閉まる瞬間まで悲しげに妻を見送っていたが、閉じられた瞬間に改めてエドワードを睥睨する。
「殿下。貴方は両陛下にこう仰ったそうですね? 私の娘の性根を叩き直す、と」
(やだぁお母様! 何を告げ口なさってるんですかぁ! いけず!)
エドワードは胸中で絶叫しながら、全力で首を振った。
「違う、これはこっ、言葉の綾なのだ! たしかに気性の荒い、イノシシみたいな娘だとは思っていたが!」
「猪突猛進かつ一途な子になるよう育てましたので、それは重畳です。ちなみに私は王妃殿下より、先程あるお言葉も賜りました」
鋭い刃のような公爵の顔が、ここで初めてニコリと笑った。うーん、三日は夢に見そうな笑顔だ。
「……は、母は、なんと……?」
「むしろエドワード殿下の性根を、物理的に叩き直して欲しい、と」
「ぶっ、物理は止めろ! 止めてくれ!」
「申し訳ありません、王妃様からのお言葉ですので。何卒ご容赦ください」
エドワードは反射的に父を見た。しかし国王は、真顔で首を振る。大人しく叩き直されろ、とその目が命令してくる。
なお父の近くに侍るメイドや侍従たちは、薄ら笑いのままそっと視線を飛ばした。くそう。
誰も助けてくれない、と悟ったエドワードは逃げようと腰を持ち上げる。しかし足がまだまだ痺れたままなので、再び情けなく床に突っ伏す。ぶ厚い絨毯に顔をめり込ませたところで、誰かに首根っこを掴まれた。
誰が掴んだのか、見なくても分かる。
「待て、お願い待って、ねえ公爵! ほら、文明人らしくさ、ね、話し合いを、ね……?」
振り返ったエドワードは、涙目でギクシャクと媚びを売る。王族のプライドなんて、蛮族フェイスで自分を掴む公爵が相手では、何の役にも立たないのだ。
しかし公爵は凶暴すぎる笑顔のまま、優美な所作で首を振った。
「申し訳ありません。今は原始の衝動のままに、拳で語り合いたい所存です」
「いやぁ!」
エドワードの甲高い叫びは、すぐに途切れた。公爵の剛腕が、うねりを上げて彼の頬を殴り飛ばしたのだ。
ぶん殴られたエドワードは吹き飛び、鞠のように床を跳ねた。ついでに前歯も一本飛んでいく。鼻と口から血が流れており、エドワードは震えながら顔の下半分を手で覆った。
「おっ、男に殴られても……嬉しくない……!」
「相手が女性でも、殴られると不快かと存じますが」
「ええい、口答えするでない、この野蛮人め! そもそも貴公たちが娘を増長させたから、この私に決闘を挑むような痴れ者になったのだろうが!」
泣きじゃくる王子のこの罵倒に、公爵と国王が表情を変えた。お互い、訝しげにエドワードを見る。
「愚息よ、それはどういうことだ? たしかベアトリス嬢は、お前の侍女に決闘を挑んだのではないのか?」
「ええ、私もそう伺っております。剣も握ったことがない子爵令嬢への暴挙が原因で、私の娘は哀れ婚約破棄となったはずですが?」
「挑んだお前が相手では……そもそもの、その前提が覆らないか?」
まずい。エドワードはようやく、自分の失言に気付いた。




