3:令嬢は処したい
ベアトリスが勢い余ってぶん殴りかけた男性司祭は、キーツと名乗った。なんとこの、国内外を問わずいわく付き事故物件として名高い、アンテノーラ修道院の修道司祭だという。
(廃院同然なのに、一応管理人の方はいらっしゃるのね……教会は妙なところで生真面目でいらっしゃいますのね)
彼女はキーツ氏に案内されたアンテノーラ修道院の食堂を興味深そうに見渡しながら、まだ人がいることに内心驚いていた。
しかも通いの掃除夫まで雇っているらしく、修道院内は閑散としているのに埃っぽさは案外なかった。
修道女もいないのだから、さっさと廃院にすればいいのに。金の無駄遣いではなかろうか。
おすまし顔の裏で呆れるベアトリスが座るテーブルに、古ぼけたティーカップが置かれる。
「お茶でもどうぞ、と言いたかったんだが。悪い、とりあえずこれで勘弁してくれ」
縁の一部が欠けたティーカップの中には、ただのお湯が注がれていた。ほわほわと湯気も立ち昇っている。
貴族令嬢――否、客人をもてなすにはあまりにも無礼な対応だが、ベアトリスは怒る前に蜂蜜色の目を輝かせ、ついでに体も震わせた。両手でそっと、欠けたティーカップを掲げる。
「こちらが、噂に名高いお白湯ですのね……! 本当にお湯のみで飲み物だと主張なさる、ストロングスタイルでいらっしゃったとは……こちらを訪問者にお出しされる、キーツ様の胆力にも脱帽ですわ!」
ベアトリスは素直に感動したのだが。べた褒めした途端、キーツは怒った。
「悪かったな! 茶葉が見つからなかったんだよ! 俺もさっき越して来たばっかりなもんでね!」
「まあ、あなたもご新規様でいらっしゃったのね。それは失礼いたしましたわ」
きつい顔立ちから気位が超高いと思われがちなベアトリスであるが、実際には「やや高い」程度である。たとえ悪気がなくとも、自分に非があれば素直に謝る。
キーツはあっさり謝罪されたことで面食らった様子だが、特に何も言わずにヒビの入ったティーカップでお白湯をすすった。ベアトリスもそれに倣う。
彼の気遣いなのか、お白湯には少量の砂糖が加えられていた。控えめな甘さのおかげで、思ったより飲みやすい。
それに長旅によって、自分で思っている以上に喉が乾いていたらしい。温かい液体が、体に染み込んでいくのを感じる。ベアトリスはちびちびと、お白湯を味わった。
キーツはティーカップに息を吹きかけるベアトリスを見据え、テーブルに頬杖を突いた。
「――で、王太子殿下のご婚約者でもあらせられる公爵令嬢様が、なんだってこんなトコにいらっしゃるんだ?」
「あら。わたくしのことをご存知でしたのね」
「ここに来る前は、王都の教会にも出入りしてたからな」
彼の言葉に、ベアトリスの表情がかすかに強張った。
もしかしてキーツは、ベアトリスにまつわる一連の黒い噂も知っているのではないか。
修道司祭の地位にいるのなら、実家が爵位持ちである可能性が高い――家族から、何か聞き及んでいるかもしれない。
もしも噂に対して半信半疑だったとしても、彼はその張本人に襲われた後なのだ。
「この女なら、嫉妬に狂ってリンチぐらいはしかねない」
と思われているかもしれない。
ベアトリスが少し引きつった微笑を浮かべて身構えるも、斜め前に座るキーツは気だるげな表情のままだ。こちらへ露骨に敵意を向けて来る様子がないので、噂のことを知らない、または気にしていないのかもしれない。
それならまあいいか、とベアトリスも愛想笑いを止めた。そして粛々と、修道院送りになった事情を説明することにした。
「わたくしはその王太子殿下に、婚約破棄と修道院での謹慎を言い渡されまして」
「はっ? なんで“破棄”なんだ? そういうのってお互いの面目を潰さねぇように、普通は“解消”で手打ちにすんだろ?」
キーツは怪訝そうだ。どうやらベアトリスにまつわる傷害容疑も、婚約破棄騒動もご存知でないらしい。それに案外、常識的な性格のようだ。
「残念ながら、殿下はいささか非常識でいらっしゃいますので。そして国王陛下御夫妻からはフルユーワ修道院での静養をご提案していただいたのですが、こちらも非常識様の差し金によって、アンテノーラ修道院行きに変えられてしまいましたの」
「はぁっ!? いやいや、嫌がらせにしても、やっていいことと悪いことの線引きはしろよ! 王太子殿下、バカなの?」
ベアトリスはまだ温かいティーカップを両手で包み込み、ふうとため息。視線も落ちる。
「ええ。わたくしも、おバカでもあると思いますわね。王立学院も一度留年なさっておりますし」
「ヤバいな。本気のバカじゃねぇか」
「そう、生粋のおバカさんですの。おかげでわたくしの勉強量も、年々増えておりましたから」
「え、なんで? バカなのはあんたの婚約者だろ? お嬢ちゃんが勉強しても意味ないんじゃ?」
「おバカな殿下を、わたくしがお支えするためですわ。それからわたくしはもう、あれの婚約者ではありませんからっ」
ここだけはしっかり訂正した。顔も持ち上げてじっとり見据えると、キーツは片手をひらりと振った。
「ああ、悪い悪い。なんかつい」
全然悪いと思っていなさそうな口調だ。しかしベアトリスがなお文句を言う前に、キーツがテーブルへ身を乗り出して切り出す。
「ところでお嬢ちゃん。アンテノーラ修道院のことは、どれぐらいご存知なんだ?」
先ほどまでより、彼の声と表情は深刻なものになっている。ベアトリスもかすかに目を細め、居住まいを正した。
「……わたくしも、ここを訪れるのは初めてですので。過去に女性の怪死が続いたため修道女の受け入れを停止しており、実質廃院なさっているという概要ぐらいしか存じ上げませんが」
「あと、国が廃院を命じても教会が駄々をこねやがるから困ってる、とか?」
キーツの眠そうだった深緑の目の、鋭さが増した。一方で口元はニヤリと悪辣に笑っているので、彼の挙動が読めない。社交界では出くわさないふてぶてしい態度に、ベアトリスも眉を垂れさせる。
「え、ええ……そうですね。わたくしが聞かされたのは、その程度ですわ」
「ちなみに教会が駄々をこねてる理由が、ここの地下に女好きの悪魔が封印されてるからって言ったら、お嬢ちゃんどうする?」
ベアトリスは息を呑んだ。
「悪魔、ですか……?」
「そう。地獄からたまに忍び込んで来る、あの悪魔な」
ベアトリスの第一感想は「悪魔がいるなら、ちょっと見てみたい」であった。だって悪魔が人間界に侵入するのは、“たま”にどころか“極々たまーに”レベルの珍事なのだ。
教会で悪魔祓いに携わってでもいない限り、悪魔に出会う機会なんてそうそう訪れない。なので、ちょっと拝んでみたいのだ。
しかし安全な悪魔であれば、このアンテノーラ修道院も廃院寸前なわけがないだろう。なんだったら悪魔を使って、観光地として栄えているかもしれない。
しかも先程、キーツは「女好きの悪魔」と言っていた。ここで発生した修道女の怪死とも関係性がある、と考えるのが当然だろう。
となれば――
「そうですね。処しましょうか」
ベアトリスはキリリと、曇りなき眼で宣言した。途端、キーツがむせる。
「げほっ、あんた……俺の話、聞いてた? その悪魔、人間の女が好きなんだよ。エサ的な意味でな。そのせいで修道女の怪死や発狂が続きやがったから、ここも無人なんだわ」
「やはりそうでしたか。であれば、父から一通りの武道を授けられたわたくしが、是非キーツ様に助力いたしたく存じます」
「やだっ、公爵様の教育方針、怖っ!」
青ざめのけぞるキーツの脳裏にあったのは、自分目がけてこぶしを振りかぶるベアトリスの姿であった。
ベアトリスはキーツからドン引きされてもお構いなしに、ふふんと胸を反らす。
「強さも公爵家の責務ですもの。我が公爵家が、王都の治安を預かっておりますから」
「ああ……そういや、公爵様が騎士団のボスだっけ……いやでもさ、わざわざ戦う必要ないだろ? 俺も封印の管理だけするつもりだし、お嬢ちゃんもさっさと逃げりゃいいだろ。近くに村があるから、足ぐらいは用意するぜ?」
このキーツという男性は、口調こそ不作法であるものの、かなり人が好いようだ。献身を尊ぶ聖職者らしい、とベアトリスは微笑む。
「ご配慮痛み入りますわ。ですがわたくしはこれでも立腹しておりますので、逃げ帰るつもりは毛頭ございませんの」
ベアトリスは艶やかに微笑みながらも、こめかみに青筋が立っている。それに気づき、キーツが背を丸めて恐々と彼女を窺う。
「立腹って、まさか……王太子殿下に?」
「ええ。だってわたくし、フルユーワでの穏やかな謹慎生活に、実は胸を弾ませておりましたのよ?」
「それはそれは……」
「にもかかわらず陛下のご命令すら無視なさった、あのアホバカクソ息子のせいで、全てが台無しになりましたの」
「アホバカクソ……」
キーツのオウム返しに、ベアトリスは真顔になってこくりと頷く。
「ええ、アホバカクソの三連星でございます。ですのでここは一つ、意趣返しでもして差し上げないと気が済みませんの。こちらの呪いの根源を断ち切って、第二のフルユーワ修道院に仕上げるぐらいいたしませんと!」
口に出して宣言するだけでは物足りず、ベアトリスは立ち上がった。拳も握りしめて、古ぼけた天井へ雄々しく突き上げる。
淑女らしからぬ迫力に、座ったままのキーツはしばらくポカン、としていたが。
「お嬢ちゃん、勇ましいな……でも悪魔って、武力でどうこうならねぇよ?」
「えっ……そう、ですの?」
そんなの初耳、である。ベアトリスは目を見開いて、わずかにたじろいだ。
「うん、そうなのよ。こっちの世界じゃ連中、受肉してねぇから。殴っても効かないんだよ。だから祓魔の時は神聖力を使うんだけど……お嬢ちゃん、神聖力って使えるの?」
ベアトリスはキーツから、さっと視線を反らした。神聖力は、神への純粋な祈りを続けることで磨き上げられる代物だ。力こそパワーな公爵家には、残念ながらちょっとご縁がない。
キーツが生ぬるい笑顔になって、再びテーブルに頬杖を突く。
「ああ、うん。だと思ったよ。お嬢ちゃん、大人しく礼拝に来るタイプじゃなさそうだし」
「悪かったですわね! でも、新年のお祈りには行きましてよ!」
「はいはい。とりあえず、悪魔が封印されてる場所だけでも、拝んで帰るか?」
キーツはそう提案して、床を指さした。
「地下に封印されてんだが、教会はそのことを公にしていない。周りの住民を怖がらせたり、国に叱られるのが嫌なんだろうな。にもかかわらず、殿下のアホバカクソな嫌がらせのせいで、偶然ここを訪れた公爵令嬢様がそれを知っちまったら――」
彼の言葉に、ベアトリスもピンと来る。いそいそと、木椅子に座り直した。
「殿下が教会ににらまれる、というわけですのね。それはなかなか、素敵な意趣返しですわ! あなた、結構性悪でいらっしゃるのね!」
「あんたは割と、口悪いよなぁ」
フンスフンスと鼻息も荒いベアトリスに、キーツはしょっぱい顔になった。




