2:不良司祭の憂鬱
「なんだこりゃ。ほぼ酒屋じゃねぇか」
ボサボサの濃い金髪をかき回しながら、キーツはぼやいた。次いでぐるり、と自分が立ち入った部屋を見渡す。
辺り一面に酒瓶・酒瓶・酒瓶、空の酒瓶、酒瓶のオンパレードだ。ベッドの上にも、机の上にも酒瓶が置かれているし、本棚の容量の八割も酒瓶だ。
薄暗い部屋のため、場末の酒屋感が半端ない――ここは修道院の一角のはずなのに。
彼がいるのは、アンテノーラ修道院の離れの二階だ。大きな修道院の隣にチョンと寄り添っている、修道司祭のための居住空間である。
キーツはこの、ガワは廃墟と大差ない修道院の新しい修道司祭、すなわち管理人だった。前任者が四十六歳の若さで突然死したため、急遽修道司祭に任命されたのだ。
「まあ、こんだけ爛れた生活してりゃあ……死ぬわな、うん」
とりあえず空き瓶を捨てよう、と本棚の整理を始めながら呆れた吐息をこぼす。キーツ自身、品行方正な聖職者ではない。夜型人間だし、お肉もお酒も甘いものも大大大好きだ。
ただ、これは行き過ぎである。ここまで破滅的な生活は、狙っても無理だ。通いの掃除夫だっているのに、よくこの惨状を生み出せたものだ。
キーツは緑の目を細めた不承不承顔で、黙々と部屋を片付ける。こんなゴミ屋敷状態で新居を明け渡されたのが、非常に癪だった。掃除も仕事の一環なので、やるけれど。
ひとまず空き瓶を廊下に追い出したところで、先程見回った台所に木箱があったのを思い出す。彼は一度台所へ引き返すと、積み木のように重ねられていた木箱から二箱引き取った。そこに空き瓶を押し込み、外へ運び出そうとした。
だがその足が、廊下を数歩進んだところで止まる。
肉食獣の咆哮に似た、巨大な唸り声がしたのだ。声の出所は自分の足元――床よりもずっと下の、地下の奥深くだ。
空気も震わせるおぞましい声に、しばししかめっ面で立ち止まる。息も止めたのは、本能的な行動だった。この声の主に、自分の存在を気取られたくないという本能が働いたのだ。
やがて声が聞こえなくなったところで、キーツは背中を丸めた。力なく、首を振る。
「悪魔が封印された修道院の管理職なんざ、本気で要らねー……」
ここの地下室には、数百年前に捕えられた悪魔が今も巣食っているのだ。噂話や怪談ではなく、事実として。教会内には、当時の記録も残されている。
ただ悪魔が封印されているという空恐ろしい事実は、口外法度の超極秘事項でもあった。もちろん王家にも内緒だ。
キーツのような下っ端からすれば「いや、危ねぇだろ。さっさと国に言えよ」と思わずにはいられないのだが、上のお考えは違うらしい。
教会としては、何かと口うるさい権力者ども(ちなみに王家からも同じく、口うるさい宗教家どもと認知されている)に弱みは見せたくないので、数百年に渡って隠蔽しているのだそうだ。
だが悪魔が封印されている場所なんて、そのいわくを知らなくともやはり悪影響があるもので。いつの頃からかアンテノーラ修道院に入った女性の大半が、得体の知れない恐怖心に襲われ、三日以内に逃げ出すようになったのだ。
残ったわずかな女性も、半年以内にもれなく発狂または変死している。
だからこの修道院は、もう長い間ほぼ無人だった。国からも廃院の要請だって来ているのだが、教会はのらりくらりとかわし続けていた。形だけの修道司祭は派遣しながら。
こう改めてアンテノーラ修道院の歴史を振り返ると、とんでもない貧乏くじを引かされたものだ、と実感してしまう。キーツはしゃがみ込んで泣きたくなったものの、どうにか踏ん張った。
ゴミ屋敷の心理的瑕疵物件を押し付けられたのは癪だが、それ以上に赴任初日で教会本部に泣きつくのが癪だった。彼は捻くれ者の逆張り野郎なのだ。
「……ま、給与は増えるしな。うん。ミサもしなくていいしな、ここなら」
そう前向きに捉えようと、改めて背中を伸ばして歩き出す。そして離れの外へ出た。玄関ドアの近くに、箱を積み上げる。臭いものにはフタ、というわけではないが、とりあえず外に出しておけば気持ちも楽になる。処分方法は、掃除夫や村の誰かに後日訊けばいいだろう。
キーツがちょっぴりの達成感を覚え、離れの中へ再び戻った時だった。ドアを閉める直前に、騒音が聞こえた。
馬車の停まる音と、重い何かを乱雑に落とす音――そして、男性と女性の言い争う声だ。
男性の声は弱々しいためよく聞こえないが、何か謝っているような雰囲気もある。だが女性の方は
「謝罪は間に合っていますから、もう少し詳しく説明なさいよ!」
むちゃくちゃ怒っている。口調はお上品だが、声の調子は噴火でもしてそうな勢いだ。しかも痴話げんかでもなさそうである。
生臭聖職者の自覚があるキーツは、完全なる野次馬スピリットで様子を見ることにした。露骨に面白がっている悪い笑顔で、ドアの外へ踊り出る。
彼が出ると同時に、豪華な馬車が砂煙を上げながら無舗装の道を爆走して行った。それを呆然と見送っているのは、シンプルだが値打ちもののドレスを着た女性が一人。
(……は? メリケンサック?)
華奢な少女の手に、なんとも不似合いな武器が装着されている気がしたため、つい近寄ってしまった。何だこの子、と少し回り込んで顔も拝む。
強張った表情で立ち尽くしているのは、真っ赤な髪をしたド美人だった。馬車が去った方向を凝視している彼女は、キーツにまだ気づいていない。
彼女はメリハリの付いた体つきなので、遠目だと二十歳以上に見えたが。近寄ってみると、もう少し若い気もする。
そして、ただ事でないことも一目瞭然だ。彼女の周辺には、高そうなトランクが何個も散らばっているのだ。
仕方がないか、とキーツは軽く息を吸ってから少女に声をかける。
「あー……なあ、お嬢ちゃん。こんなところでどうした? 大丈夫か?」
彼としては出来るだけ紳士的な口調で話しかけたつもり、だったのだが。こちらをハッと見た少女の反応は予想外だった。
「何者です! 賊でいらっしゃいますの!?」
綺麗な少女は殺気丸出しで叫ぶや否や、すっ飛んできた。ドレス姿のまま、こちら目がけてあり得ない素早さで駆け寄って来たのだ。しかも振りかぶった右手に光るのは、やっぱりメリケンサックだった。嘘だろう。
キーツの脳内に「狂戦士」という厳ついワードが煌めいた。しかし彼の反応も負けず劣らず速く、メリケンサックで顔面をぶん殴られる寸前に手をかざした。そして自分の前に、半透明で薄っすら輝く盾を出現させて一撃を防いだ。
光る盾は、聖職者たちが得意とする神聖力で作った代物だ。不意打ちパンチを防がれた少女も、吊り上がり気味の金色の目をぱちくりさせ、しげしげと盾を見つめていた。
「あら。司祭様でしたのね、失礼いたしました。てっきりこちらを根城になさっている、盗賊の方かとばかり」
仮に不審者だと思っても、先手必勝で殴り掛かるのは何かがおかしい。だがキーツは、彼女の奇行を指摘する前に言いたい文句があった。
「あんた失礼だな。どう見ても司祭だろ。祭服だって着てんだぞ」
キーツは口角を下げ、自分が着ている黒い祭服の胸元をつまむ。首から教会のシンボルである光の環のネックレスだってぶら下げているのだ。盗賊がわざわざ、ここまで凝ったコスプレをするわけないだろう。
しかし気の強そうな顔立ちの少女は、年上の司祭様に叱られても飄々と返して来た。
「だってあなた、なんだか俗っぽいんですもの――さてはあなた、斜に構えた不良司祭様でいらっしゃいますわね?」
「……嫌な言い方するね、あんた」
そこを指摘されると痛かった。たしかに祭服はヨレているし、髪も中途半端に伸ばして無精ひげも生えかけである。キーツもつい視線を反らす。
それにしてもこの、恐ろしく美人だが恐ろしく手が早くて減らず口な少女を、どこかで見た記憶がある。
そう、新聞や式典などで。




