12:その後の王太子と公爵令嬢
王都に戻ったベアトリスは、一躍時の人になった。
悪魔イルフレイムを強制送還後、彼女とキーツは領都へ向かった。想い出(※恨み辛みも含む)の指輪を換金して、馬車を調達するためだ。
その道中で運よく王家の捜索隊と鉢合わせ、彼女は誓約板と一緒に凱旋することになった。
事故物件だったアンテノーラ修道院の闇を暴いただけでなく、諸悪の根源である悪魔も退治した彼女は現在、救国の英雄扱いを受けている。
一方の教会は悪魔が封印されていたことをとうとう認め、王家に謝罪した。そしてベアトリスに聖女の称号を与え、(表面上は)盛大に感謝の意を示している。まさしくキーツの予想通りの流れだろう。
――この一連の後日談を、当事者もとい諸悪の根源であるエドワードはとある鉱山都市で知った。王都からかなり離れた場所にある、荒くれ者揃いの王領の一つだ。
「何故、あのイノシシ女だけがいい思いを……」
お昼休憩中に新聞でベアトリスの聖女拝命を知ったエドワードは、げっそりした顔でうめいた。
彼は公爵にぶん殴られ、そして浮気相手のキティにも逃げられた後、ベアトリスの帰還と同時に廃嫡されたのだ。王族の地位も剥奪され、現在はこの街の領主見習いとして雑用に明け暮れる毎日だ。
「お前は次期国王どころか、貴族としても常識が足りない。あの鉱山都市の代官は非常に優秀だ。彼女の元で、勉強し直しなさい」
とは、ここへ送り出される前に父からかけられた言葉だ。隣の母も笑顔で見送ってくれたが、手にしている扇子がへし折れていたので声はかけられなかった。
やっぱり母が、誰よりも怖い。
だが非常識なエドワードも、アンテノーラ修道院には悪魔が封印されていたと知った後では、自分はとんでもないことをやらかしたのだと十分理解している。
もしもベアトリスが変死していたら、国は大荒れだったかもしれない、とも考えて大いに震えた。
だから父の温情にも感謝しているし、廃嫡で手打ちにしてくれた公爵家にも申し訳なさでいっぱい、なのだが――
それはそれとして。ベアトリスがちやほやされているのは、やっぱり嬉しくないのだ。羨ましいな、くそう、とつい思ってしまう。
しかしそんなエドワードの浅はかさは、教育係である代官も重々に承知しているので。新聞を握りしめてふてくされる彼の耳を、後ろから引っ張った。
「ぎゃあ! 何をするのだ!」
「書類嫌いのあなたが、新聞を読めるようになったのは何よりですが。休憩時間はとっくに終わっていますよ、エドワード様」
眼鏡の似合う才女な代官は、そのまま強引にエドワードを引っ立てた。
「離せ! 王子の耳をひねるとは、この無礼者め!」
「もうあなた、臣籍降下されたじゃないですか」
代官はやれやれ、と鼻で笑って手を離す。代わりにエドワードの白い頬を、軽くつねった。少しヘビに似ている、冷ややか顔がにこりと彼に笑いかける。
「それにあなたは女性にいじめられるのはお好きだと、陛下からうかがっておりますよ?」
「……」
たちまち、エドワードの目が泳いだ。両手も胸の前でギュッと重ねられる。
この代官に手荒く指導されて喜んでいないか、と問われれば――ちょっと答えを避けたいところである。
彼の頬から顎を指先でなぞり、代官がもう一度笑った。相変わらずの温度のない笑顔に、エドワードはちょっとドキドキしていた。
(どっ、どうしよう、どうしよう……私はキティのような……か弱い女の子にいじめられるのが好きだったはずなのに。こんな頭でっかちの、年上の未亡人なんて……全然好みじゃないのに……!)
「私も綺麗な顔の男性をいじめるのは、結構好きですよ?」
「え……」
エドワードの心臓が、更に大きく高鳴る。
「それに、バカな子ほど可愛いとも言いますし」
「えっ、えっ……」
代官の顔が近づき、エドワードの真っ赤な耳に囁きかける。彼女の吐息は、ほのかにコーヒーの香りがした。
「さあ、仕事に戻りましょう。ね、エドワード様?」
「ふぁっ、ふぁいぃっ!」
浅はかであるが故に、エドワードは割とチョロい。全身を茹だらせ大きな瞳も潤ませ、半ば腰砕けになりながらも代官を追いかけた。
――こうして元王族のドMは、サドっ気全開な教育係の手の平で日々転がされるのであった。
ただおかげで、彼も数年後にはこの街を要領よく治める伯爵になれるわけで。
人生、何がどう転がるのか分からないものである。
***
己の元婚約者が忠犬マゾ街道をひた走っていると知らないベアトリスは、舞踏会に来ていた。名目は、彼女の聖女拝命を記念した祝賀会である。
主役である彼女は、髪色に合わせた深紅のドレスを身にまとっていた。我ながらとんでもない美人だな、と出かけ際に姿見を見た時は感心したものである。
艶やかな彼女の周りには、人だかりが出来ていた。全員が口々に、彼女の偉業を褒めたたえる。
「さすがはベアトリス様ですわ。悪魔を従えられるだなんて!」
「武の誉れたる、ラバチェット家らしいご活躍でございます。きっと公爵様も、鼻高々でいらっしゃいましょう」
「王太子殿下とのご婚約が駄目になった時は、どうなるかと思いましたが。変わらぬご活躍ぶりに、一安心いたしました」
しかし、賞賛する人をじっくりと眺めていると分かる。その目や声に、嫉妬や羨望の色が混じっていると。
「そういえば、ベアトリス様と第二王子殿下が新たにご婚約されるというお噂を拝聴したのですが。本当でしょうか?」
中にはこんな、下世話根性丸出しな質問をしてくる輩もいた。この舞踏会には第二王子も、彼の婚約者も出席しているというのに。こいつは何を考えているのだろうか。
ベアトリスは思考回路が脳筋仕上げのため、あまり腹芸が上手くない。思ったことをつい直球で伝えるため、当てこすりや遠回しな嫌みも苦手だ。
なのでお世辞の六割は聞き流し、なんの感情もない笑顔と相槌だけで乗り切る。綺麗に笑っていれば、割とどうにかなるのだ。
(ここしばらく、社交界から離れていたからこそ余計に実感してしまいますわ。建前社会ですわね、本当に――そのように建てに建てまくって、一体何を作るおつもりなのかしら。新しい王城?)
非常にどうでもいいことを考えながら、煌びやかな会場をゆったりと見渡す。ベアトリスへの詫びも兼ねて、舞踏会は王城内の大広間で催されていた。
観光大国でもある国の一等地なので、右を向いても左を向いてもキラキラだ。会場は歴史ある調度品や絵画、見事な花々で贅沢に彩られている。そして自分を含めた参加者たちも、キラキラ装飾品の一部なのだろう。
当然、ここの床に埃や虫の死骸は落ちていない。「汚」の極みだった、アンテノーラ修道院とは大違いである。
(キーツ様は、今頃どうなさっているのかしら?)
無感情な笑顔のまま、ベアトリスの思考は更に逸れていった。
(あの方は大変お口が悪かったけれど……見返りなんて、何も求められなかったわね。それどころか食事を作ってくださって、髪も結ってくださって――誓約板だって譲ってくださって)
そういえば彼との会話は、とても楽しかった。お互いに建前無用の、言いたい放題なやり取りが心地よかった。
まるで家族や、気の置けない友人と話しているようだったのだ。きっと、馬が合ったのだろう。
(お口だけは本当に悪かったのに、心底お人好しで……変な方よね)
ほんの少し物憂げなキーツの笑顔を思い出し、ベアトリスもつい微笑んだ。石像のような笑顔に急に温かみが宿り、彼女の目の前に立っていた令息が思わずドキリとする。
しかし無自覚に一人の青年の心を奪った張本人は、そんなことには気付かず大広間の天井を仰ぎ見ていた。
アンテノーラ修道院があるのはあっちの方角だろうか、と考えながら。




